第十一話 票
リコール署名は最初、成立しないと言われていた。
必要数が多すぎる。
期間が短すぎる。
行政が協力しない。
署名所の使用許可が下りない。
用紙が届かない。
職員が足りない。
テレビはほとんど報道しなかった。
だから人々は自分たちで始めた。
商店の軒先。
農家の納屋。
学生食堂。
漁港。
工場の休憩室。
美容院。
小さな診療所。
ソウノクニから届いた通信網には、署名所の位置が共有された。
外国に住む出身者たちは、不正が起きていないか記録を始めた。
法律家は無償で手続きを調べた。
印刷会社は用紙を刷った。
運送業者は夜中に箱を運んだ。
ひとりの英雄はいなかった。
だから止められなかった。
ある町では九十歳の老人が杖をついて署名に来た。
受付の青年が椅子を出す。
「無理しなくても」
老人は座らなかった。
「無理せんかった結果がこれじゃ」
名前を書く。
震えた文字だった。
別の町では若い母親が赤ん坊を抱いていた。
「この子が大きくなったとき」
そこまで言って、やめた。
署名した。
必要数まで、あと十五万。
翌日、十万。
その翌朝。
ゼロになった。
必要数を超えた。
さらに増え続けた。
官邸では緊急会議が開かれた。
「無効にできへんのか」
キーツが言った。
法務担当者が答えない。
「署名に不備とかあるやろ」
「一部には」
「ほな全部無効や」
「それは無理です」
キーツの目が吊り上がる。
「なんでや」
「監視団が入っています」
「追い出せ」
「ソウノクニだけではありません。複数国です」
「国外の連中に何が分かる!」
誰も答えなかった。
窓際にコクドがいる。
ブンカンが書類をめくっている。
その手は震えていた。
「首相」
「なんや」
「党内からも……辞任を求める声が」
キーツは笑った。
「誰が」
ブンカンは答えられなかった。
「名前言えや」
それでも答えない。
キーツは椅子から立った。
右脚が一瞬遅れた。
身体が傾く。
机につかまる。
誰も駆け寄らなかった。
そのことのほうが、脚の異常より恐ろしかった。
数日後。
リコール成立が正式に告示された。
街では歓声が上がった。
しかし、老人は言った。
「まだ終わってない」
隣にいた若者が尋ねた。
「首相は辞めるんですよ」
老人は首を振る。
「首相を一人辞めさせて終わるなら、
こんなことにはなっとらん」
司法。
企業。
宗教団体。
外国勢力。
役所。
政治家。
一本の根ではなかった。
地下で絡み合った巨大な根だった。
本当に切らなければならないものは、
まだ見えないところに残っていた。




