銀狼の姉弟
港町ベルグを発ったのは、魔物を倒した四日後のことだった。
町の門を抜けても、バトラスたちの背中には多くの声が飛んできた。
「また来てくれよ!」
「ありがとう、重剣のケルベロス!」
バトラスは振り返らなかった。
背負った重剣を揺らし、そのまま街道を歩いていく。
「人気者はつらいねぇ」
隣を歩くグレイが、にやにやと笑う。
「町を出るまで呼ばれてたよ」
「聞こえていた」
「返事くらいしてあげればいいのに」
「必要ない」
「照れてる?」
「違う」
「昨日から、そればっかりだね」
バトラスが横目で睨むと、グレイは楽しそうに肩をすくめた。
二人の少し後ろを歩くサラが、小さく笑う。
「皆さん、本当に感謝していたのでしょう」
「ああ」
「分かっている」
バトラスは前を向いたまま答えた。
「それなら良かったです」
サラの穏やかな声に、バトラスはそれ以上何も言わなかった。
街道は海岸線を離れ、緩やかな丘陵へと続いていた。
潮の香りは次第に薄れ、代わりに草と土の匂いが濃くなっていく。
晴れた空。
遠くに連なる山々。
時折すれ違う商人の馬車。
怪物に襲われることもなければ、盗賊が飛び出してくることもない。
ただ歩くだけの、穏やかな旅路だった。
「ねぇ、お兄さん」
「何だ」
「次はどこに行くの?」
バトラスは少し考える。
「決めていない」
「え」
グレイは目を丸くした。
「何も決めずに町を出たの?」
「情報がある場所へ向かう」
「それを、決めてないって言うんじゃないかな」
「七侯爵の情報は、歩かなければ手に入らない。」
「それはそうだけどさ。」
グレイは頭の後ろで手を組んだ。
「お兄さんって、元騎士団長だったんでしょ?その割に旅は行き当たりばったりだよね。」
「目的地が決まっていた旅など、ほとんどなかったな」
「ここ数年もずっとそんな感じ?」
「ああ、そうだ」
その答えに、グレイの笑みが僅かに薄れる。
だが、それ以上は聞かなかった。
「なら、まずは次の町のギルドかな」
「そうだな」
バトラスの返事に、グレイはまたいつもの笑みを浮かべた。
「やっと予定が決まった」
サラが静かに口を挟む。
「グレイが決めたように聞こえます」
「細かいことは気にしない」
「大事なことだと思います」
三人の足音が、街道に重なって響く。
気付けば、その歩調はもう乱れなかった。
昼を少し過ぎた頃。
三人は街道沿いの小さな宿場町へ入った。
旅人と商人が休息のために立ち寄る町で、中心には宿と酒場を兼ねた冒険者ギルドが建っている。
扉を開けた瞬間。
バトラスは、中の空気が妙に重いことに気付いた。
酒を飲んでいる者はいる。
依頼書を眺めている冒険者もいる。
だが、誰も大声で笑っていない。
皆が声を潜め、同じ話題について囁いていた。
「……本当に七侯爵なのか?」
「生き残った奴が、そう言ってる」
「槍を持ってたんだろ」
「槍の侯爵だ」
バトラスの足が止まる。
グレイも聞き逃さなかった。
いつもの軽い笑みを消し、声のした方へ顔を向ける。
奥の卓を、数人の冒険者が囲んでいた。
「修道院を襲ったらしい」
「何のために?」
「知るかよ」
「聖遺物を探していたって話もある」
「討伐に向かった奴らは?」
「ウェアウルフの姉弟だ」
「あの二人でも駄目だった」
一人の男が、酒を一息に飲み干した。
「殺されなかっただけ運が良かった」
「二人とも、修道院で治療を受けてるらしい」
「姉の方は自分で歩けるみたいだが、弟は肋骨と脚を折られてる」
バトラスは卓へ歩み寄った。
男たちが顔を上げる。
「その話」
低い声が、ざわめきを切った。
「詳しく聞かせろ」
「何だ、あんた」
男の一人が訝しげにバトラスを見る。
その視線が、背負われた黒い重剣で止まった。
鍔に刻まれた三つ首の魔犬。
そして、外套の隙間から覗く胸元の刺青。
「あんた……」
「もしかして」
近くで話を聞いていた別の冒険者が、小さく呟く。
「ベルグの怪物を倒した、重剣のケルベロスか?」
ギルド内の視線が、一斉にバトラスへ集まった。
グレイが堪えきれず、後ろで小さく笑う。
「ほら、もうここまで広まってる」
「黙っていろ」
バトラスは男たちから目を逸らさなかった。
「槍を持った男は、何と名乗った」
冒険者たちは顔を見合わせる。
やがて、最初に話していた男が答えた。
「サブナック」
その名が告げられた瞬間。
バトラスの右手が、僅かに強く握られた。
「自分でそう名乗ったらしい」
男は続ける。
「槍の侯爵サブナック」
「七侯爵の一人だ」
グレイの表情から、完全に笑みが消えた。
サラも静かにバトラスを見る。
「バトラス」
「ああ」
探し続けていた。
アスモデウスではない。
だが、同じ七侯爵。
騎士団を滅ぼした化け物と、肩を並べる存在。
「修道院は?」
バトラスが尋ねる。
「ここから北東へ二時間ほどだ」
「森の外れにある古い修道院だよ」
「けど、やめておけ」
冒険者の男は真剣な顔で言った。
「ウェアウルフの姉弟は、この辺りじゃ名の知れた連中だ」
「二人とも変身して戦った」
「それでも、相手に傷一つ負わせられなかったらしい」
バトラスは踵を返した。
「行くぞ」
「やっぱりそうなるよね」
グレイが帽子を被り直す。
軽い口調だったが、その目は笑っていない。
「相手は七侯爵だよ、お兄さん」
「分かっている」
「今までの魔物とは違う」
「それも分かっている」
「それでも行く?」
バトラスは立ち止まらなかった。
「そのために、七年生きてきた」
グレイはしばらくその背中を見つめる。
やがて小さく息を吐き、サラを見る。
「お嬢さん」
「どうやら、のんびりした旅はあっという間に終わったみたい」
「そうですね」
サラは静かに頷いた。
「ですが、バトラスを一人で行かせるわけにはいきません」
「同感」
二人はバトラスの後を追う。
ギルドを出る直前、グレイは振り返った。
「その姉弟」
「名前は分かる?」
冒険者の男は首を横に振る。
「名前までは知らない。」
「みんな、銀狼の姉弟って呼んでる。」
「銀狼?」
「弟の髪が銀色なんだ。」
「姉の方は薄茶色だけどな。」
「なるほど。」
グレイは帽子のつばを下げた。
「ありがとう」
扉が閉じる。
三人は、北東の森へと続く道を歩き始めた。
七侯の一人。
槍の侯爵サブナック。
その名は、穏やかだった旅の空気を一瞬で塗り替えていた。
北東へ延びる道は、やがて深い森の中へ入っていった。
木々の隙間から差し込む光は弱く、湿った土の匂いが辺りを満たしている。
三人は言葉を交わさず、森の奥へ進んでいた。
先頭を歩くバトラスの足は速い。
グレイとサラも遅れることなく、その後へ続く。
「お兄さん」
グレイが呼びかける。
「何だ」
「急ぐ気持ちは分かるけどさ」
「サブナックがまだ修道院にいるとは限らないよ」
「それでも行く」
「まあ、そう言うと思ったけど」
グレイは帽子のつばを軽く押し上げた。
「七侯爵を見つけたからって、頭に血を上らせないでね」
バトラスが足を止める。
振り返った左目が、真っ直ぐグレイを見た。
「俺が冷静ではないように見えるか」
「冷静に見えるよ」
グレイは笑わなかった。
「だから聞いてる」
短い沈黙。
「……分かっている」
バトラスは再び歩き出す。
グレイも何も言わず、その後を追った。
サラは二人の間に流れた空気を感じ取りながら、静かに森の先へ視線を向ける。
「建物が見えます」
木々の向こう。
灰色の石壁に囲まれた修道院が姿を現していた。
高い尖塔。
小さな鐘楼。
本来なら静謐な祈りの場であるはずの建物には、遠目からでも分かるほど深い傷が刻まれている。
門の片側は砕け落ちていた。
石壁には何かが一直線に貫いたような穴が空き、庭の木々も途中から折れている。
三人は歩みを速めた。
開け放たれた門を抜ける。
「止まってください!」
若い修道女が駆け寄ってきた。
警戒と恐怖を浮かべている。
「何者ですか」
「冒険者だ」
バトラスが答える。
「槍を持った男を追っている」
修道女の顔が強張った。
「……あの男なら、もうここにはいません」
やはり遅かった。
「いつ出ていった」
「昨日の夕刻です」
「地下の保管庫を荒らしたあと、北へ向かいました」
「誰か殺されたか」
「幸い、修道女に死者はいません」
彼女は一度、礼拝堂の方へ目を向ける。
「ですが、私たちを守ろうとしてくださった冒険者のお二人が……」
「ウェアウルフの姉弟か。」
グレイが尋ねる。
修道女は驚いたように彼を見る。
「ご存じなのですか」
「町のギルドで噂を聞いた」
「会わせてもらえる?」
修道女は迷った。
だが、三人の装備と表情を順に見たあと、小さく頷く。
「こちらへ」
修道院の内部には、薬草と血の匂いが漂っていた。
廊下には砕けた石片が残り、壁には槍で抉られたような亀裂が走っている。
グレイは歩きながら、その傷跡へ指を這わせた。
「一突きか」
「分かるのか」
「たぶんね」
石壁の穴は、槍の穂先より遥かに大きい。
そこから放たれた何かが、壁ごと貫いたように見えた。
「相当な力です」
サラが静かに呟く。
「魔力の痕跡は?」
「ほとんどありません。」
サラは首を横に振った。
「少なくとも、一般的な魔法ではないようです」
「七侯爵だからな。」
バトラスは短く返した。
やがて修道女が、一つの扉の前で立ち止まる。
「こちらです」
扉を開く。
療養室には、午後の淡い光が差し込んでいた。
窓際の寝台に、一人の青年が横たわっている。
年は二十歳を少し過ぎた頃だろう。
銀色の髪。
胸には厚く包帯が巻かれ、片脚は木の板と布で固定されていた。
浅い呼吸を繰り返すたび、肋骨の痛みに耐えるように顔を歪めている。
その傍らには、薄茶色の髪を後ろで束ねた女がいた。
水に浸した布を絞り、青年の額へ載せている。
彼女自身も無傷ではない。
額。
肩。
両腕。
腹部。
身体の至るところに包帯が巻かれていた。
「ルルさん」
案内してきた修道女が、心配そうに声を掛ける。
「弟さんのことは、私たちに任せてください」
「平気よ」
女は振り返らない。
「これくらい、自分でできるわ」
「姉さん」
寝台の青年が弱々しく口を開く。
「僕より、姉さんの方が休んだ方がいいよ」
「黙って寝てなさい」
「でも、傷がまだ……」
「誰のせいで起きてると思ってるの」
「僕が怪我をしたからだね」
「そういう意味じゃない!」
ルルが振り返る。
その拍子に腹部へ痛みが走ったのか、一瞬だけ顔を歪めた。
だが、すぐに何事もなかったように表情を戻す。
見た目は、普通の人間と何も変わらない。
獣の耳もなければ、牙もない。
ただの傷付いた姉弟にしか見えなかった。
グレイが部屋へ足を踏み入れたところで、僅かに鼻を動かす。
「……二人か」
小さな呟きだった。
ルルが鋭く顔を上げる。
「何よ」
「いや」
グレイはいつもの軽い笑みを浮かべた。
「薬草の匂いに混じって、少しだけ獣の匂いがしたから」
室内の空気が張り詰める。
ルルの目が細くなった。
「あんた、何者?」
「ただの冒険者だよ」
「普通の冒険者は、そんなことに気付かないわ」
「昔から勘がいいんだ」
「勘で匂いが分かるの?」
「そこは気にしないで」
グレイは悪びれもせず笑う。
バトラスは姉弟を見た。
姿に獣の特徴はない。
それでもグレイには、二人が人間ではないと分かったらしい。
年配の修道女が三人へ向き直る。
「こちらが、あの男の討伐にいらした冒険者の方々です」
ルルは濡れた布を水桶へ戻し、警戒したまま名乗った。
「ルルよ」
「ルル・シルベスタ」
それから寝台へ顎を向ける。
「そっちで寝てるのが、弟のロロ」
「ロロ・シルベスタです」
ロロは痛みに顔を歪めながらも、僅かに頭を下げた。
「こんな姿ですみません」
「謝る必要はない」
バトラスは前置きをせず、本題へ入った。
「槍の侯爵サブナックについて聞きたい」
その名が口にされた瞬間。
ルルの表情が変わった。
怒り。
屈辱。
その奥に、隠し切れない恐怖が浮かぶ。
「あいつを追ってるの?」
「ああ、そうだ」
「やめておきなさい」
ルルは低い声で言った。
「本当に死ぬわよ」
「お前たちは、どう戦った」
「忠告を聞く気はないってことね」
「情報を聞きに来た」
ルルはバトラスを睨みつける。
しかし、バトラスは視線を逸らさなかった。
しばらくして、ルルは諦めたように息を吐く。
「私たちは薬を使った」
「薬?」
サラが尋ねる。
「人狼へ変身するための錠剤よ」
ルルは答えた。
「普段の私たちは、見ての通り人間と変わらない」
「満月の夜になれば自然に変身する」
「それ以外の日は、特別な薬で無理やり獣の血を呼び起こすの」
「二人とも服用したのですか」
「ええ、もちろん」
「最初から全力で行ったわ」
ルルの拳が強く握られる。
「それでも届かなかった」
「サブナックは速いのか」
バトラスが尋ねる。
「いいえ、違うわ」
ルルは首を横に振った。
「あいつは、ほとんど動いてなかった」
「私たちの方が、ずっと速かったはず」
「なのに――」
腹部の包帯へ、無意識に手を添える。
「槍が届くのよ」
「絶対に間合いの外だった」
「穂先から何歩も離れていたはずなのに、避けた先へ槍が現れた」
「伸びた?」
グレイが尋ねる。
「分からない」
「槍そのものが伸びたようにも見えた」
「でも、違う気もする」
ロロが寝台の上で続ける。
「距離がなくなったように感じました」
「距離?」
「はい」
「あの槍と僕たちの間にあった空間が、一瞬だけ消えたような……」
グレイの笑みが消える。
「厄介だね」
「姉さんを庇おうとして、僕は脚を払われました」
ロロは固定された脚を見る。
「そのまま床へ叩きつけられて、肋骨も折られました」
「私が助けに入った時には、もう遅かった」
ルルの声に、悔しさが滲む。
「次に気付いた時には、この傷よ」
「殺されなかった理由は」
バトラスが問う。
「そんなの私たちだって知らないわ」
ルルは吐き捨てた。
「殺す価値すらなかったんじゃない?」
「私たちを倒したあと、あいつは地下へ向かった」
「何かを探していたようです」
ロロが言う。
「僕たちとの戦いには、最初から興味がなかったんだと思います」
サラが修道女を見る。
「地下には、何が保管されているのですか」
「古い聖具と書物です」
年配の修道女が答える。
「この修道院が建てられる以前から伝わる物もあります」
「何か奪われたか」
「いいえ」
「保管庫は荒らされましたが、持ち出された物は確認できませんでした」
「探し物はここにはなかったのね」
グレイが呟く。
「ええ」
ルルが頷く。
「あいつが地下から戻ってきた時、そう言ってた」
その場にいた全員が、彼女へ目を向ける。
ルルはサブナックの低い声を思い出すように、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「――ここではない」
「ならば、北にあるもう一つの聖堂か」
静寂が落ちる。
「北に何がある」
バトラスが尋ねる。
「ここから半日ほど行った場所に、同じ修道会の古い修道院があるわ」
ルルは答えた。
「北の山裾に建ってる」
「この修道院よりも古くて、地下には王国ができる以前の聖具が保管されているらしい」
「サブナックはそこへ向かった可能性が高い」
「たぶんね」
バトラスはすぐに踵を返す。
「行くぞ」
グレイとサラが頷いた。
「待ちなさい」
ルルが椅子から立ち上がる。
「私も行く」
「その傷では無理だ」
「無理かどうかは私が決める!」
バトラスたちを追おうと、一歩を踏み出す。
二歩目。
ルルの身体が止まった。
「姉さん?」
腹部の包帯に、じわりと赤い染みが広がっていく。
塞がりかけていた傷口が開いた。
「くっ……!」
ルルは腹部を押さえ、その場にうずくまる。
修道女たちが慌てて駆け寄った。
「ルルさん!」
「動いてはいけません!」
「離して……!」
ルルは歯を食いしばる。
「まだ戦える……!」
「戦えないよ」
弱々しくも、はっきりとした声が響いた。
ロロだった。
ルルが顔を上げる。
「ロロ」
「今の姉さんが行っても、足手まといになる」
「何ですって?」
ルルの目に怒りが宿る。
いつもなら怯んでしまいそうな視線だった。
それでもロロは目を逸らさなかった。
「姉さんは僕を守ってくれた」
「だから、もう無理をしないで」
「これ以上、姉さんまで傷付くところを見たくない」
「……」
「お願いだよ」
ルルは何かを言い返そうとした。
だが、その口から言葉は出なかった。
ただ悔しそうに、床へ拳を押しつける。
バトラスはうずくまるルルを見る。
「サブナックは俺たちが追う」
「簡単に勝てる相手じゃないわよ」
「分かっている」
「分かってない!」
ルルが顔を上げる。
「あいつは化け物よ」
「私たち二人が、獣に変身しても触れることさえできなかった」
「それでも行くの?」
「ああ」
「なぜ?」
バトラスの左目が、静かに細められる。
「七侯爵だからだ。」
それだけで十分だった。
ルルはバトラスを見つめる。
その背負った黒い重剣。
鍔に刻まれた三つ首の魔犬の装飾。
グレイが帽子のつばを下げる。
「止めても無駄だよ」
「お兄さんは、七年間も七侯爵を追ってきたからね」
ロロが驚いたように目を見開く。
そして、何かに気付いたようにバトラスの剣を見る。
「その剣……」
「もしかして」
ルルが弟を見る。
「何よ」
「数日前、ベルグの港を救った人だよ」
ロロの声に、僅かな熱が宿る。
「黒い重剣」
「三つ首の魔犬の印」
「重剣のケルベロス」
ルルの表情が一瞬だけ変わる。
だが、すぐに強気な顔へ戻った。
「だから何よ」
「二つ名があれば、七侯爵に勝てるわけじゃない」
「その通りだ」
バトラスは答えた。
「勝つために付けられた名じゃない」
「生き残った結果、勝手に呼ばれただけだ」
ルルは黙り込む。
やがて、傷の痛みに耐えながら顔を上げた。
「……だったら」
バトラスを真っ直ぐ睨む。
「あいつの槍を、へし折ってきなさい」
「私とロロを、こんな目に遭わせた槍を」
バトラスは背負ったケルベロスへ手を添えた。
「覚えておく」
三人は療養室を後にする。
閉じていく扉の向こう。
ルルは修道女に支えられながら、その背中を見つめていた。
ロロが静かに呟く。
「姉さん」
「あの人たちなら、もしかすると……」
「分からないわよ」
ルルは唇を噛む。
「でも」
扉が完全に閉じる直前。
その口元に、僅かな期待が浮かんだ。
「少なくとも、私たちよりは馬鹿じゃなさそうね」
修道院を出た三人は、そのまま北へ続く道へ向かった。
日はすでに傾き始めている。
目的地は、山裾に建つ古い修道院。
そして、そこにいるかもしれない七侯爵の一角。
槍の侯爵サブナック。
バトラスの手は、背中のケルベロスから離れなかった。
第十二話へ続く




