第78話「ルシアンの怒り」
エレナが王都を去った日、ルシアンは一日中書類に追われていた。
夕方、アグネスが執務室に来た。
「殿下、エレナさんからお手紙です」
「手紙? 直接来ないのか」
「今日、王都を発ちました」
ルシアンが手を止めた。
「……何だと」
「朝、辞表を提出されて——今朝、王宮を出られました」
ルシアンは手紙を受け取った。
開くと、短い文が書かれていた。
『ルシアン様。あなたのことが好きです。ずっと好きでした。でも——あなたには、この国と向き合うべきことがある。私がそばにいることで、あなたの選択が狭まるなら、私は離れます。幸せでいてください。エレナ』
部屋に沈黙が落ちた。
ルシアンは手紙を二度、三度読んだ。
「……アグネス」
「はい」
「どこへ行った」
「存じません。教えていただけなかったので」
「誰かが関与しているはずだ」
アグネスが少し間を置いた。
「……殿下、国王陛下がエレナさんをお呼びになったことは」
ルシアンの目が、鋭くなった。
「兄上が?」
「三日前に謁見があったと、記録にございます」
ルシアンは立ち上がった。
「兄上のところへ行く」
「殿下——」
「止めるな」
国王の部屋に向かう廊下を、ルシアンは早足で歩いた。扉を叩き、入る許可も待たずに開けた。
国王が振り返った。
「ルシアン——」
「エレナに、何を言った」
国王が、静かに答えた。
「……静かに離れるよう、頼んだ」
「なぜ」
「セルディアとの婚約のためだ。お前が揺れているから」
ルシアンの目に、これまで見たことのない怒りが燃えた。
「私が揺れていたのは——エレナを失いたくなかったからだ。婚約を受けるつもりはない」
「ルシアン——」
「エレナはどこへ行った」
「知らない。行き先は教えてもらっていない」
ルシアンは、しばらく国王を見ていた。
「……セルディアへの返答は、断る。それだけは伝えてくれ」
それだけ言って、部屋を出た。




