第7話「王都ヴァルドラ」
三日の道のりは、想像より静かだった。
ルシアンはほとんどしゃべらなかった。馬車の中で書類を読み続け、宿に泊まる夜も、夕食をとる時間も、エレナに声をかけることはなかった。近衛兵たちはエレナに必要最低限のことだけ伝え、それ以上は関わろうとしなかった。
エレナは、その状況を利用して王都のことを調べた。
旅の宿で出会った商人、道端で声をかけてきた老婆、馬を換えるために立ち寄った宿場町の店主——話しかけられるたびに、王都の話を聞いた。王宮の構造、宮廷の慣習、侍女たちの位階、王弟殿下の評判。
「ルシアン殿下は、氷の王子と呼ばれているよ」
宿場の女将が、ひそひそ声で教えてくれた。
「笑わない、怒らない、感情を表に出さない。冷たくて賢くて、近づきがたい。でも——仕事は誰よりもできる。外交も、内政も、軍略も。王兄陛下の片腕どころか、実質的な政の中心にいるって話だよ」
「じゃあ、なぜ王ではないんですか」
「生まれの順序というのは、そういうもんだよ」
女将は苦笑した。
エレナはその言葉を、ずっと頭の中で転がしていた。
三日目の夕暮れ、馬車が丘を越えた。
眼下に、広大な都市が広がった。
エレナは思わず窓に顔を押し付けた。
大きい。とにかく大きい。コルヴィン村が丸ごと何十個も入るような、広大な街並み。石造りの建物が整然と並び、大きな川が街を二つに分けていて、その川の橋を渡った先に——白い城が、夕焼けに染まってそびえていた。
ヴァルドラ王宮。
これが、エレナがこれから働く場所だ。
「初めて見るか」
声がして振り返ると、ルシアンが初めてこちらを見ていた。
「……はい。こんなに大きいとは思いませんでした」
「慣れる」
「慣れますかね」
「慣れなければならない」
エレナは苦笑した。
「……殿下は、初めてここを見たとき、どう思いましたか」
ルシアンが少し間を置いた。
「覚えていない。生まれたときからここにいる」
「じゃあ、外の世界を初めて見たときは」
また間があった。今度は、もう少し長い間だった。
「……広い、と思った」
「怖くなかったですか」
「なぜ怖い」
「知らないから」
ルシアンはエレナを見た。何かを測るような目だった。
「知らないことは、怖いことではない。知ろうとしないことが、怖いことだ」
エレナはその言葉を受け取って、もう一度窓の外を見た。
夕日の中で、白い城が赤く染まっていく。
(知ろうとしないことが、怖いことだ)
それは警句のようでいて、どこか個人的な重さを持っていた。この男は——何を、知ろうとしてきたのだろう。
馬車が坂道を下り始めた。王都が、近づいてくる。
エレナは背筋を伸ばした。
ここからが、本当の始まりだ。




