第60話「秋の深まり」
十月になった。
一年前のこの時期——エレナはまだコルヴィン村にいた。毎朝薪を拾い、ヘルガに怒鳴られ、いつか出て行くと心に誓いながら過ごしていた。
一年で、こんなに変わるとは思っていなかった。
エレナは執務室で書類を整理しながら、ふとそんなことを考えた。
「何を考えている」
ルシアンが書類から目を上げて言った。
「一年前のことを。ちょうど一年前、あなたが村に来た時期なので」
「覚えているか」
「もちろん。馬車が止まって、村人が全員頭を下げて——私だけ窓から見ていた」
「目が合った」
「合いましたね」
ルシアンが少し間を置いた。
「あのとき——お前が窓から離れなかったとき、私は何かが変わると思った」
「何かが、とは」
「分からなかった。ただ、変わると感じた」
エレナは少し笑った。
「私は、変な人が来たと思っていました」
「変な人か」
「今も少し、変な人だと思っています」
「どこが」
「感情を全部、手の動きと目の奥に込めるところ。声には出さないのに、伝わるところ」
ルシアンが少し間を置いた。
「……伝わっているのか」
「全部ではないですが、だいぶ」
「困る」
「なぜ」
「全部見えていると思うと——」
「恥ずかしいですか」
「……少し」
エレナは笑った。この男が「恥ずかしい」という言葉を使う日が来るとは、一年前には想像もしなかった。
「見ていてください。嫌なら隠してください。でも私は、見続けます」
ルシアンが、エレナを見た。
「……止めないのか、見るのを」
「止める理由がないので」
ルシアンが立ち上がり、エレナの前に来た。
「エレナ」
「はい」
「一年、ありがとう」
その言葉は、静かだった。でも——一年分の重さがあった。
エレナの目に、涙が浮かんだ。
「泣くな」
「嬉しいから泣いています」
「分かっている」
「泣かせてください」
ルシアンが、エレナを引き寄せた。
その腕の中で、エレナは少しだけ泣いた。
一年間の、全てを思いながら。
霧の中のコルヴィン村、初めて目が合った瞬間、夜の問答、王都への長い道のり、公爵との戦い、黒薔薇の庭——全部が、この腕の中に繋がっていた。
「次の一年も」
エレナが言った。
「ああ」
「その次も」
「ああ」
「ずっと」
「……ずっと」
秋の深まった王宮の庭で、黒薔薇がまだ咲いていた。
光を知った花は、枯れない。




