第58話「二人の夜、静かに」
グレインとの廊下でのやりとりを、ルシアンに話した。
「……一人でグレインと話したのか」
「廊下でたまたま会ったので」
「何を言われた」
エレナは正直に全部話した。
ルシアンは黙って聞いていた。
「弱点になり得ると、自分で認めたのか」
「嘘をつく必要がないので」
「グレインに、弱点だと認めることの意味が分かっているか」
「分かっています。でも——弱点であることを認めた上で、それでも排除できないと分からせる方が、長い目で見れば効果的だと思いました」
ルシアンがエレナを見た。
「……どういう意味だ」
「弱点だと分かった。でも、その弱点を突こうとしても、エレナ・コール自身が手強い——グレインにそう思わせれば、正面から動くことへのコストが上がります」
「脅しではなく、コストの問題として見せる、か」
「賢い人間には、感情的な脅しより、合理的な計算の方が効きます。グレインは賢い人だと思ったので」
ルシアンが少し間を置いた。
「……お前は、いつからそういう考え方をするようになった」
「書類を整理しているうちに、人の動き方が少し分かってきました。あなたの動き方を、ずっと見ていたので」
ルシアンが、珍しく口元を緩めた。
「私から学んだのか」
「半分はあなたから。半分は父から」
「父上から?」
「農家の話し合いは、感情的になりやすい。水の権利、土地の境界——揉めることが多い。父はそういうとき、いつも相手の言い分を全部聞いてから話した。それを見ていたので」
ルシアンはしばらく黙っていた。
「……賢い父親だったんだな」
「はい」
「会ってみたかった」
エレナは少し驚いた。
「そんなこと、初めて言いましたね」
「思っていた」
「どうして言わなかったんですか」
「……言うタイミングが分からなかった」
エレナは少し笑った。
「言いたいことは、思ったときに言った方がいいです。タイミングを逃すと、言えなくなることがあるので」
「お前が言うか、それを」
「私はいつも思ったことを言うので」
ルシアンが、エレナを引き寄せた。
「父上に——会わせてやれなくて、すまない」
エレナは少し間を置いた。
「謝らないでください。父は、私がこういう場所で生きていることを——きっと喜んでいます」
「根拠は」
「向かう方が似合ってる、と言っていたので。私は今、向かっています。だから」
ルシアンが、エレナの髪に触れた。
「……そうだな」
静かな夜だった。
二人はしばらく、ただそのままでいた。




