第55話「黒薔薇、開く」
七月の終わり、黒薔薇が咲いた。
朝の散歩でエレナが庭に来たとき、それはすでに開いていた。
昨日まで固い蕾だったのに——一晩で、完全に開いていた。
深い深紅を通り越した黒。光を吸い込んで返さない花弁。でも今朝は、朝日が当たっているせいか、その花弁の奥に深い赤が滲んでいた。
「咲いた」
エレナは呟いた。
「ああ」
後ろからルシアンの声がした。
振り返ると、ルシアンが立っていた。
「あなたも来たんですか」
「お前が来ると思って」
「正解です」
二人で黒薔薇を見た。
去年、初めてこの花を見たとき——ルシアンがエレナに一本折って渡した。あの夜のことを、エレナは今も覚えている。
「去年と違いますね」
エレナが言った。
「何が」
「去年は二人とも、この花の前で何も言えなかった。今は——普通に並んで見ている」
「普通に?」
「自然に、という意味です」
ルシアンが少し間を置いた。
「そうだな」
「良い変化だと思います」
「私もそう思う」
朝日が庭に差し込んできた。黒薔薇の花弁が、光を受けて深い赤を滲ませていく。
ルシアンがエレナの隣に立ち、その手を取った。
二人で花を見た。
「エレナ」
「はい」
「母が好きだった花が、また咲いた」
「はい」
「お前が来たから、咲いたのかもしれない」
エレナは少し考えた。
「それは——ルシアンが変わったから、咲いたんだと思います。私はきっかけに過ぎない」
「きっかけが一番難しい」
「そうかもしれません」
二人は手を繋いだまま、しばらく花を見ていた。
朝の庭に、鳥の声が聞こえてきた。
夏の光が、黒薔薇を照らし続けた。




