第40話「嵐の前夜」
一月の終わり、公爵が最後の手を打ってきた。
それは、エレナが最も恐れていた形だった。
公爵が評議会に提出したのは、一枚の「証言書」だった。内容は——エレナがルシアンの政務に不当に介入し、特定の貴族への対応を操作したという告発だった。
証人として名前が挙がっていたのは、コルヴィン村のヘルガだった。
「ヘルガさんが、証言を?」
エレナはアグネスから聞いて、静かに言った。
「……そうらしいです。公爵の側近が接触したようで」
ヘルガが何を証言したのか、エレナには想像がついた。借金のこと、エレナが宿を出ていった経緯、エレナの性格——全部、公爵の側に都合のいい形で語ったのだろう。
恨んでいるのかもしれない、とエレナは思った。三年間世話をした使用人が、突然王弟に引き抜かれていった。それはヘルガにとって、面白くなかっただろう。
でも——それよりも。
「評議会は、どう動きますか」
「証言だけでは処分はできません。しかし——調査が入る可能性があります。エレナさんの行動を、詳しく調べるという」
調査。
もし調査が入れば、ルシアンとの関係が明るみに出る可能性がある。エレナが夜に彼の部屋に出入りしていたこと——それは完全には隠せていなかったはずだ。
その夜、ルシアンに話した。
全部、正直に。
ルシアンは黙って聞いていた。
「……分かった」
「どうするつもりですか」
「対抗する」
「方法は?」
「ヘルガの証言の信憑性を崩す。公爵が証人を金で買ったことを証明する」
「できますか」
「やる」
ルシアンの目が、静かに燃えていた。
「エレナ」
「はい」
「お前は、今夜から気をつけろ。一人で歩くな。必ずリーナかソーニャを傍に置け」
「そこまで危険に?」
「公爵は、お前を直接排除しようとするかもしれない。証人を消す方が、公爵にとっては簡単だ」
エレナは少し息を飲んだ。
排除。それは——物理的な意味も含むのか。
「……分かりました」
「怖いか」
「怖いです」
エレナは正直に言った。
「でも、逃げません」
ルシアンがエレナの前に来た。両手でエレナの顔を包むようにして、額に口づけた。
「守る」
「私も、あなたを守ります」
「平民の侍女が——」
「できることをします。それだけです」
ルシアンはしばらくエレナを見ていた。
その目に、愛情と執着と、それから——恐れがあった。
この男が、恐れを見せるのは初めてだった。
失いたくない、という恐れ。
エレナはルシアンの手を取った。
「大丈夫です。私はここにいます」
その言葉が、嘘にならないよう——エレナは心の中で、強く誓った。




