第23話「公爵の視線」
七月の半ば、王宮にロスタン公爵が訪れた。
先王の弟、ルシアンの叔父にあたる男だ。年齢は六十近く、痩せた体に不釣り合いなほど存在感が大きい。王宮の廊下を歩くとき、近衛兵たちが自然に道を空ける。
エレナは廊下でその男と鉢合わせた。
正確には、公爵がエレナに向かって歩いてきて、すれ違い際に足を止めた。
「お前が、ルシアンの新しい侍女か」
公爵が見下ろしてくる。老いているが、目の鋭さは衰えていない。値踏みするような目だ。
「エレナ・コールと申します」
「コール。聞かない名だな。出自は」
「コルヴィン村の出身です」
「農家か」
「はい」
公爵は少し笑った。笑い方が、温かくない。
「なるほど。ルシアンが辺境の村娘を拾ってきたという話は本当だったか」
村娘。エレナは静かに、その言葉を受け取った。
「ご縁がありまして、お仕えしております」
「縁、か」
公爵はエレナを一瞥した。
「ルシアンに近づきすぎるな。あれは王族だ。平民の小娘がどれほど懸命に仕えたところで、釣り合う相手ではない」
言い残して、公爵は去っていった。
エレナはその背中を見ながら、静かに息をついた。
怒りはあった。でもその怒りより、嫌な予感の方が大きかった。
あの男は——ただの警告をしたのではない。何かを確認しに来た。エレナとルシアンの距離を、測りに来た。
その夜、エレナはルシアンに言った。
「公爵が、私に話しかけてきました」
ルシアンの目が、わずかに鋭くなった。
「何を言った」
「近づきすぎるな、と」
「……それだけか」
「表向きはそれだけです。でも、見られていると感じました。私たちの距離を、測っているような」
ルシアンは窓の外を見た。その横顔が、少し険しかった。
「ロスタンは、王宮の実権を狙っている。以前からそうだ。私はそれを知っていて、牽制してきた。お前が来たことで——」
「私が、弱点になる」
ルシアンが振り返った。
「そう思うか」
「そう思わない方がおかしい。あなたが政略婚を断った。理由が平民の侍女だと知れれば、宮廷が黙っていない。公爵はそこを突いてくる」
ルシアンはしばらく黙っていた。
「お前は、怖くないのか」
「怖いです」
エレナは正直に言った。
「でも、逃げる気はありません」
ルシアンがエレナを見た。その目に、複雑な色があった。
「……お前を守る」
「私も、あなたを守ります」
「平民の侍女が、王族を?」
「できることをします。それだけです」
ルシアンは何も言わなかった。ただエレナの手を取り、指先に口づけた。
静かな、しかし確かな約束のように。




