第19話「初めて触れた温もり」
エレナは言葉を失った。
お前のそばにいたい。
その言葉が、頭の中でゆっくりと広がっていった。王弟が、政略婚を断った。理由は——侍女のそばにいたいから。
「……バカなことを言わないでください」
エレナは震える声で言った。
「私は平民です。あなたとは——」
「知っている」
「釣り合いが」
「知っている」
「それでも——」
「それでも、お前がいい」
ルシアンの手が、エレナの頬に触れた。
エレナは動けなかった。大きな手。冷たいと思っていたのに、温かかった。
「十年間、誰かに望まれたいと思ったことはなかった。王弟として利用されることは多かったが、ルシアンという人間を望む者はいなかった。お前だけだ、エレナ。私を人間として見る目を持っているのは」
声に、かすかな震えがある。
エレナは目を閉じた。涙が一粒、零れた。
「……怖いです。こんな感情、初めてで」
「私もだ」
ルシアンの額が、エレナの額に触れた。
目を閉じたくなるような、静かな接触。二人の息が、同じ空気の中に混ざっていく。
「エレナ」
「……はい」
「逃げるか」
エレナはゆっくりと目を開けた。
銀灰色の目が、間近にあった。いつもの冷静さの奥に、確かな感情が燃えていた。怖かった。でも、もっと強いものがエレナの中にあった。
「逃げません」
ルシアンの腕が、エレナを引き寄せた。強く、しかし壊さないように。
エレナはその腕の中で、初めて——本当に初めて——誰かの体温を全身で感じた。抵抗しなかった。できなかったというより、したくなかった。
「離さない」
ルシアンが耳元で言った。
「お前を、絶対に離さない」
それは愛情であり、執着であり、約束だった。
エレナはルシアンの服の端をそっとつかんだ。
これ以上の答えは、必要なかった。




