第147話「記憶が戻る日」
三月になった。
エレナの記憶が、少しずつ戻り続けていた。
断片的な映像が、夢の中に現れた。
霧の中の村。重い薪。宿屋の女主人。馬車と黒い紋章。目が合った瞬間。
「……コルヴィン村」
ある朝、その名前が浮かんだ。
「そこで生まれたんですか、私は」
ライアンに聞くと、首を振った。
「分からない。でも——育ったのかもしれない」
「宿屋で、働いていました」
「覚えたのか」
「少し。ヘルガという女性が——怒鳴っていた気がします」
ライアンが少し笑った。
「それがお前の育った環境か」
「でも——悪い場所ではなかったと思います。そこで、父がいて」
「父上? 農夫の、か」
「はい。大きくて、笑顔が多くて——料理が下手な人でした」
「農家なのに料理が下手か」
「二人で焦げた夕食を食べていました」
ライアンが、静かに言った。
「……それが、お前の原点なんだな」
「そう思います。帝国の皇女である前に——コルヴィン村で育った、エレナ・コールが私の根本にある気がします」
ライアンはしばらく黙っていた。
「それは——変えなくていい。それがお前の強さだと思うから」
エレナは双子を見た。
レインとソーン。二人が眠っていた。
「この子たちにも——根本を持たせてあげたい」
「どんな根本を?」
「正直であること。怖くても向かうこと。礼はいらない、と言われても、言いますと返すこと」
ライアンが少し驚いた。
「礼はいらない……それは」
「ルシアンとの話の断片が、戻ってきています」
「どんな断片が?」
エレナは少し笑った。
「怒らせましたか、と聞いたら——いいや、むしろ、と言いかけて止まった。そういう断片が」
「……それは、嬉しそうな記憶だな」
「はい。とても」




