第119話「表舞台に出られない理由」
帝国に来て一週間が経った。
エレナは、皇宮の一室を与えられた。
ライアンが丁寧に帝国のことを説明してくれた。歴史、文化、宮廷の慣習——。エレナは聞いて、覚えた。
でも——一つの問題があった。
「表舞台には、今すぐ出られない」
ライアンが言った。
「なぜですか」
「お前が子を宿していることは、医師から私と母上しか知らない。しかし——公式に皇族として発表すれば、全てが明るみに出る」
「それが問題なんですか」
「帝国の皇族が、婚姻外で子を持つことは——政治的に、複雑な問題になる。子の父が誰か、なぜ婚姻していないのか——様々な憶測を呼ぶ」
エレナは少し間を置いた。
「子の父は——私には分からない」
「分かっている。記憶がないから」
「でも、子がいることは事実で——」
「だから、今は静かにしていてほしい。表舞台には出ずに、ここで静養していてほしい」
エレナは窓の外を見た。
帝国の庭が見えた。広くて、整えられていて、美しかった。
でも——どこか、違う庭を思い出した。
記憶にないはずの庭。黒い花が咲いている庭。
「……分かりました」
「記憶が戻れば——状況が変わるかもしれない。それまで待ってくれ」
「記憶が戻る見込みはありますか」
「医師は、時間がかかると言っている。ただ——完全に戻らない可能性もある」
エレナは、その言葉を静かに受け取った。
完全には戻らないかもしれない。
掌の中に、黒い薔薇の花弁があった。
これが誰にもらったものか、なぜこんなに大切にしているのか——分からないまま、ずっと持っていた。
「……この花弁のことを、調べることはできますか」
「黒薔薇か」
「はい。何か、大切な意味があると思って」
「調べてみる」
ライアンが花弁を受け取った。
エレナは空を見た。
遠くに、山の稜線が見えた。




