第115話「帝国の影」
記憶のないエレナにとって、ライアンの話は——現実感がなかった。
帝国の皇族の血。行方不明の娘。二十五年前の事件。
何も覚えていない自分には、否定も肯定もできない。
「確かめる方法があるんですか」
「帝国には、血の判定ができる技術がある。王族の血筋を調べることができる」
「帝国はここから遠いんですか」
「馬車で十日ほどだ」
エレナは少し考えた。
行くべきか。
自分の素性が分かるかもしれない。でも——何かが引っかかった。
胸の奥に、小さな何かがある。
名前は分からない。顔も分からない。でも——誰かが、いる気がした。
待っている誰かが。
「……私を待っている人が、いる気がします」
エレナが言った。
「誰かが分かるか」
「……分かりません。でも、感じます」
「お前のそばに、何もない。荷物の中を確認したが——薬草と、小さな手鏡と、一枚の花弁だけだ」
「花弁?」
「黒い薔薇の花弁だ」
エレナは少し間を置いた。
黒い薔薇。
その言葉が、胸の奥の何かに触れた。
「……その花弁を、見せてもらえますか」
ライアンが布袋から取り出した。
黒い花弁。乾燥していて、それでも色が深い。
エレナはそれを受け取り、掌に乗せた。
(知っている)
確かに知っている。でも、何を——。
「……大切なものだと思います、これが」
「誰かにもらったのかもしれない」
「……はい」
エレナは花弁を握った。
「帝国に行きます。自分が何者か——知りたい」




