第11話「庭園の朝」
三週間が過ぎた頃、エレナは王宮の日常に少しずつ慣れてきた。
慣れた、というのは正確ではないかもしれない。王宮という場所が持つ独特の緊張感——常に誰かに見られているような感覚、言葉の一つひとつに意味と打算が含まれているような空気——それは三週間程度では消えない。ただ、その緊張感と共存することを、エレナは学んだ。
朝の日課になったことがある。
執務室に最初の書類を届ける前に、王宮の東側にある庭園を通り抜けることだ。
最初は単なる近道だった。廊下をまっすぐ行くより、庭園を抜けた方が少し早い。ある朝たまたまその道を選んで、庭に咲いている花を見て——エレナは足を止めた。
白い花が、朝露を纏って光っていた。
名前は知らない。コルヴィン村では見たことのない種類の花で、花弁が小さく、密集して咲いていた。朝日が低い角度で差し込んで、その花びらの一枚一枚が宝石のように輝いていた。
美しい、と思った。
こんな場所で、こんなものが咲いているとは知らなかった。
それからエレナは毎朝、少し早く起きて庭を歩くようになった。仕事の前に、ただ花を見る時間。コルヴィン村では考えられなかった贅沢だ。
ある朝、庭に先客がいた。
背中で分かった。黒い髪、長身、まだ暗い空の下に立つ後ろ姿——ルシアンだった。
エレナは立ち止まった。声をかけるべきか、そのまま通り過ぎるべきか。
迷っている間に、ルシアンが振り返った。
二人の視線が合った。
「……早いな」
「殿下こそ」
「眠れなかった」
あっさりと言った。こんな個人的なことを、この男がこんなに素直に言うとは思わなかった。エレナは少し驚いて、それから庭の花に視線を移した。
「毎朝来るんですか」
「たまにな」
「美しいですね、この庭」
「興味があるのか、花に」
「コルヴィン村では、こういう花は咲かなかったので。野の花しか知らなくて」
ルシアンはエレナの横に立った。自然な動作で、エレナが意識する間もなく、気づいたときには並んで花を見ていた。
「あの白い花は何という名前ですか」
「シロヴェーラだ。ヴァルドラ王国の北部にしか咲かない。春の始まりだけに咲いて、三日で散る」
「三日しか咲かないんですか」
「だから価値がある」
エレナはその言葉を聞いて、しばらく花を見た。三日しか咲かないから価値がある。それは花の話だけではないような気がした。
「殿下は、なぜ眠れなかったんですか」
聞いてから、立ち入りすぎたかと思った。しかしルシアンは怒らなかった。
「考えることが多いだけだ」
「仕事のことですか」
「仕事のことだけではない」
それ以上は言わなかった。エレナも聞かなかった。
二人は並んで、白い花が朝日に照らされていくのを、しばらく黙って見ていた。
言葉がなくても、不思議と居心地が悪くなかった。それがエレナには、少し怖かった。




