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#10「星辰の神殿」【4】

 これで終わりだ。フェイは魔導弓を引き絞った。

 光に紛れた彼女の姿を視認できる者はいない。エルフ族には、光の精霊力を用いた迷彩能力が備わっており、それは太陽光の下でのみ効果を発揮する。ただ見えにくくなるだけで、姿が消えるわけではないから、何かにぶつかれば痛みがあるし、最悪の場合は死に至る。視覚を欺く能力だから、そこにエルフがいることを知るものには効果がないし、疑うものにも見破れる。しかし星辰の神殿の柱の傍で弓を構えたフェイの姿は誰にも見えない。あれから馬車を降りてすぐにアルヴィンからは逃げおおせた。粘着デブに気づかれずに逃亡せしめたのは、フェイの隣に座っていた女のお陰だった。行商人を名乗る彼女はアルヴィン一行に興味を示し、同行を願い出た。彼らは話に没頭していて、フェイの動きに気づかなかった。新しい靴も役に立った。天高く舞い上がり、宿屋の屋根に着地したフェイをアルヴィンは完全に見失った。フェイは一定の距離を保ち、狩人の目を駆使しながら、星辰の神殿に向かう一行を尾行した。

 引き絞った魔導弓の鏃の先にはレイがいる。フェイの脳裏にあのときのレイの姿が甦る。彼の体温と力強さ、与えられた感覚も。さよなら、勇者レイ。フェイは光の矢を放った。魔導弓の生み出す矢が狙いを外すことはない、一秒も経たないうちにレイは倒れ伏すだろう。しかし魔力で形成された光矢は一瞬で消失する。

「馬鹿な……」

 再び魔導弓を引き絞り、フェイは光の矢を生み出す。彼女の視線の向こうでは、竜の翼の生み出す風に劣等種が翻弄されていた。壁に叩きつけられたレイの姿にフェイの嗜虐心が疼く。フェイは光矢を新たに四本生み出した。磔にして殺してやる。笑みが浮かぶのを感じながら、五本の矢をレイに放つ。しかしやはり光の矢は放った直後に消え失せた。

「何故……、どうしてこんなことに……」

 答えは明白だった。魔導弓は射手の望んだとおりに矢を放つ。つまり、殺したくない相手には絶対に当たらない、ということだ。

「そんな……、そんなはずはない!」

 フェイは続けざまに矢を放ち、レイを殺そうとした。レイは床に倒れており、隙だらけの状態だった。大斧を持って近づいてくるアルヴィンに対処しようとしているが、遠方からの射撃には完全に無防備だった。今なら狙いを定めやすい。撃てば確実に殺せるだろう。しかし何度試しても結果は同じだった。

「兄さん……」

 魔導弓を開発したのはフェイの兄のモルガンだった。モルガンは聖剣の影の剣を研究し、光の矢を無限に生み出す魔導弓を作り上げた。フェイは試作段階から魔導弓に触れていた。この世でもっとも魔導弓を使い込んだ者はフェイだろう。彼女にとって魔導弓は手足のようなものだった。魔導弓が使い手の表層意識を裏切るなど、あってはならないことだった。

 レイの付近の空間が陽炎のように突如揺らめき、長いプラチナブロンドの白い人影が現れた。フェイは一瞬、モルガンが来たのかと錯覚した。癖のないプラチナブロンドはモルガンのものによく似ていた。しかし兄は長い髪をいつも一つに束ねていたし、その白い人影の背格好は少女のようだ。転移魔法はエルフ族から失われて久しく、人類は未だ転移魔法の発見にすら至っていない。しかしレイの傍らに突如現れた人影は、エルフ族の衣装をまとった人間の少女だった。エルフの狩人の鋭い視力は少女の姿を正確に捉えた。少女が持っているものは聖剣の影の剣、エルフの女王の所持する武具だ。

 燦然と輝く影の剣で少女は黒竜の前足を落とした。激高した黒竜は、炎のブレスを吐きつけて少女とレイを殺そうとしたが、青い炎の障壁が二人の周囲に現れて竜のブレスを退けた。その障壁の正体をフェイは即座に理解した。炎の精霊王の防壁。精霊力を織り込んだエルフ族特有の布地の生み出す防御効果に他ならない。二人の傍らにうずくまるデブが炎に巻かれて燃え上がり、床を転げ回りながらレイに突進する。彼から奪った大斧でレイはアルヴィンを分断した。慈悲深いことだ。フェイは皮肉げに思った。自称聖騎士は事切れたあとも炎上し続ける。彼が味わうはずだった苦痛はレイが断ち切った。しかしその慈悲深さはエルフには無用のものだ。

 フェイは兄を想いながら魔導弓を引き絞る。

 いにしえの神を信仰する兄モルガンは気難しく、他人を寄せ付けないところがあり、フェイが生まれたときには既に孤高の存在となっていた。孤立することがなかったのは、狩人としてエルフ社会に貢献していたからだろう。彼の趣味は武器の開発で、エルフ族の狩りをどれほど便利にしたかわからない。あるときモルガンはこんなことを言い出した。「大賢者マーリンはエルフ族を欺いている」……そのとき既にマーリンは消息を絶ったあとだった。女王アーサリアはモルガンを非難し、危険視するようになったが、表立って処罰しなかったのは彼の功績ゆえだろう。フェイは兄の発言を信じたわけではなかったが、アーサリアを嫌うフェイは、エルフ社会に尽くしてきた兄を支持することにした。大賢者マーリンの真意を知るすべはない。ただ、エルフの未来を閉ざした女王と、エルフの未来に尽くした兄、フェイの希望となったのは兄の方だというだけのことだ。子作りに関しては、フェイから言い出したことだった。兄に恋人がいないことは知っていた。異性に興味がなさそうだったし、かといって同性愛者というわけでもなさそうだった。薬草に詳しかったフェイは媚薬を調合し、それをモルガンに飲ませた──

「この世界は我らのもの……」

 フェイは祈るように呟いた。

「我らエルフ族こそが覇者たるに相応しい。我らは精霊の友であり、世界そのものなのだから。アヴァロンを追われた我々の辿り着いたこの世界を劣等種になど渡すものか。我らが主、いにしえの神、アヴァロンの妖精王よ、どうかこの身に宿りたまえ」

 その祈りはフェイの意識の底に眠る種の記憶を呼び起こした。彼女の放った光弾は消えることなく標的を貫く。ただし光矢の射抜いた先はレイではなく黒竜だった。エルフ族がこの世で最初に劣等種と呼んだもの、それは古代竜族だった。光の矢は竜の巨体に致命傷を与えることこそできなかったものの、祈り込めた一撃は、いにしえの劣等種にコンフュージョンの魔法をかけた。黒竜は理性を失い、暴走することになるだろう。

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