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#9「追跡者」【2】

「しっかしお姉さん、マジ綺麗ッスねぇ」

 沈黙を破ったのは、遊び人風の男だった。男はフェイの顔から胸元、足の先に至るまで何度も視線を這わせながら、間延びした声でまくし立てた。

「俺、エルフの女の人には今まで何度も会ってるんッスけどぉ、エルフってほら、美人ばっかじゃないッスかぁ。そん中でもお姉さんは飛び抜けて美人なんッスよ。いっや、こんな綺麗な人が世の中にはいるんッスねぇ。しかも美人なだけじゃなくてめっちゃラッキーっすよ、アルヴィンの兄貴に目ぇ付けられて」

 目ぇ付けられて。そう口にした男は笑顔で、大きく開いた両目はきらきらと輝いていた。悪意など微塵も感じさせない陽気な喋り方がかえって男の本音を浮き彫りにする。フェイの隣に座る女が押し殺した笑い声を漏らした。すると即座に逆方向から男の咳払いが聞こえた。笑ってはいけない。笑えばこの自称聖騎士のデブを刺激しかねない。そんな空気が幌馬車に満ちた。しかし遊び人の男は空気を読まずに喋り続ける。

「なにせアルヴィンの兄貴はアティルア王国の聖騎士ッスからねぇ。知ってます? アティルア王国。ヴァルグリンデ帝国が唯一武力で征服した国なんッスよぉ。ヴァルグリンデ帝国って国は、魔族の脅威から人類社会を守るって名目で周辺国家と同盟を結んで、表と裏の政治力を駆使して自国に取り込んで、領土を広げていったんッスけどね、アティルア王国って国はヴァルグリンデ帝国との同盟を拒んで、国内外から集めた傭兵に自国の防衛をさせてたんッス。ところがその傭兵の中に悪辣な連中がいましてね、アティルア内で略奪を始めて、挙げ句の果てには王国を乗っ取ろうとしたんッス。魔王軍がすぐそばまで迫ってるってときにッスよ。そこまで来たら、なんつーか、ヴァルグリンデ帝国が軍隊を派遣しても、文句は言われないっていうか」

 フェイはアルヴィンの先ほどの言葉を思い出す。「ヴァルグリンデ帝国に滅ぼされたアティルア王国の聖騎士だ」──彼のこの言い方は、ヴァルグリンデ帝国に侵攻された側の視点だ。周囲の乗客も同じことを思ったのだろう。自称聖騎士のこのデブ、そのときの傭兵だったんじゃないのか。幌馬車の内部の空気が再び凍り付く。しかしやはり遊び人は空気など読まなかった。

「ハハハ、なんなんッスかその顔。そんなびっくりしなくたっていいじゃないッスか。こう見えて俺、勉強してるんッスよ。賢者に転職したいッスから。賢者ってモテるッスからねぇ。でもやっぱ、ひ弱な見た目じゃ女は寄って来ないッスから、こうやってしっかりと、体も鍛えてるんッスけどね」

「メスは筋肉に弱いからな。筋肉を見せればどんなメスでも目の色を変えてオスに媚びる」

 アルヴィンは溢れんばかりの贅肉をプルプル震わせながら言った。

 おまえのどこに見せられるような筋肉があるというんだ。というよりそれは怯えてるだけじゃないのか。もしかしてみんなを笑わせようとしているのか。笑ってもいいのか? 本当に? フェイの隣の女が再び忍び笑いを漏らした。今度は誰も咳払いをしなかった。何かをこらえているような微妙な空気が幌馬車を満たした。フェイは笑いを鎮めるために不快な記憶を掘り起こし、勇者レイの筋肉質な裸身を思い出した。彼は劣等種の歴史と社会の作り上げた芸術品だ。この手で壊すことができればどれほど気分がいいだろう。首に掛かるレイの手指や繊細な力強さ、そしてあのとき感じ取った彼の熱が甦り、フェイは居心地の悪さを感じた。身じろぎし、顔を上げると、アルヴィンと目が合った。アルヴィンはニチャアと音がするような粘着質な笑みをフェイに見せた。

「なんだ。妬いてるのか」

「何を言っているの……?」

「心配するな。俺は嫁一筋だ。アティルアの聖騎士の名誉に賭けて、生涯おまえだけを愛すると誓う。さあ、この場で結婚だ。俺は明日には勇者になっているだろう。世界を救う勇者となった俺を支えてほしい」

「支えるって……、その巨体を?」

 限界だった。フェイは失笑した。つられて周囲の乗客も声を上げて笑い出した。遊び人も笑っている。「てめぇら、なに笑ってやがるんだ」。憤然とするアルヴィンの肩に仲間の僧侶が手を置いた。

「いやはや、一時はどうなることかと思いましたが、こうして和気藹々と馬車の旅ができるのも神の思し召し、アルヴィン殿の人徳でしょう。人に笑われることと人を笑わせることは違う、人を笑わせることは難しい、とは言いますがね、人に笑われて堂々としていられるのもなかなかできることではありませんよ」

「おっさん、それ、フォローになってないッス」

 しかしアルヴィンは落ち着きを取り戻したようだった。

「人が落ち込んでいるときに肩にぽんと手を置いて励ましの言葉をかけることができるとは……、やはり僧侶は人間性が違うな」

 落ち込んでいたのか、このデブ。というかこんな自称聖騎士が他人の人間性をジャッジするのか。アルヴィンの滑稽な言動はもはや喜劇だった。幌馬車は笑い声に満ち、アルヴィンもまた得意げにふんぞり返っている。そして遊び人はそんな空気すらも読まなかった。

「いやでもこのアルヴィンの兄貴が明日には勇者になってるっていうのはマジなんッスよ。ここだけの話、特別な内緒話なんッスけどね、俺たちは勇者レイの抹殺依頼を請けたんッスよ。インテリっぽい姉ちゃんから。姉ちゃんの話では、勇者が星辰の神殿で聖剣を手放すから、その隙を狙えってことなんッスけどね」

「……勇者一行の行き先はイリュージュじゃないのかい? 星辰の神殿は方角が違うよ」

 フェイの隣に座る女が遊び人に尋ねた。彼女の声はもう笑っていなかった。

「トップシークレットなんッスけどね。イリュージュに行く前に星辰の神殿に立ち寄るんッスよ。なんでもその姉ちゃんは勇者の旅の仲間って話なんッスけど、なんなんッスかね、痴情のもつれってヤツなんッスかね。あの勇者もなんつーか、めちゃくちゃ女癖悪いって話じゃないッスか」

「やはり俺のような誠実な男が勇者にならねばな」とアルヴィン。

 フェイは再び鳥の目を盗み、勇者一行の行方を追った。宿場町で馬車を降りた一行は、徒歩で南へと向かっている。イリュージュとは真逆の方角だ。星辰の神殿についてはフェイは何も知らないが、イリュージュとは別の方角に向かう、という話は間違っていなかった。遊び人の言っていることは、まったくの出鱈目ではないのだろう。フェイの脳裏に再び勇者レイの姿、そして彼に与えられた感覚が甦る。あの男をこの手で殺したい。こんな劣等種どもにわたしの獲物は渡せない。

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