#8「愛と野心と生存本能」【3】
相手の本性を目の当たりにしても、リリエムのディアスに対する好意が冷めることはなかった。彼女の中の冷静な部分は、一刻も早くこの場から逃げ出す方法を考えなければならない、これ以上この男に関わってはならないとしきりに警告を発していたが、ディアスのキスはリリエムにとってこの上なく甘美だった。彼に触れられるだけで溶けるような快楽が走り、その場に崩れ落ちそうになる。彼の本性は善か悪か、彼のことが好きか嫌いか、そんな自問自答にはもはや何の意味もなかった。ディアスはすでにリリエムの琴線に触れていた。死が快楽でしかないのなら、なぜ抗う必要がある? 生は苦痛でしかないというのに──そう言った者を何故、拒絶できるだろう。
ディアスはリリエムから身を離すと、机の上に無造作に散らばる紙にペンを走らせた。傍らには、精緻な細工の施された金属製の卓上時計がある。ヴァルグリンデ帝国で作られたものなのだろう。からくり仕掛けの時計の横には砂時計がついており、ディアスはそれらを確認しながら記録を取っていた。
「計算上は間違いないはずだが、まぁ、個人差があるのだろう」
「チェンジリングだからかな」
「いや、それは関係ない。あったとしても誤差の範囲内だ」
「良かった。役に立てそうで……」
「役に立ちそうにないならここには連れてこなかった」
ディアスはペンを置くと、白衣を羽織り、リリエムの元に戻った。その手に金属製の器具が握られていることにリリエムは気づいた。ディアスは空の手を伸ばし、リリエムの白い乳房に触れた。リリエムの息が震える。淡い色の乳首は硬く尖っていた。ディアスは冷たい器具から伸びた針先をそこに近づける。リリエムは恐怖に息を飲んだ。それはピアスホールを開けるための器具だった。
「リリィ……」
ディアスに名を呼ばれ、リリエムの唇が震えた。
抗議しなれば、と思った。こんなことをされたら客を取れなくなる。しかし何も言えなかった。ディアスの手でそうなることはリリエムの望みでもあったからだった。
ディアスの指がわずかに動き、太い針がリリエムの乳首を貫いた。痛みはまったく感じなかった。稲妻のような快感がリリエムの身を撃ち抜いた。ディアスは興奮に目を見開き、開けたばかりの穴に固定用のピアスをねじ込んだ。そしてもう一方の乳首にも太い針で穴を開ける。やはり痛みは感じない。針が引き抜かれ、そこにピアスが沈んでいく。リリエムの全身は、ディアスのかすかな動きにも敏感に反応した。
「成功だ! これはすごいぞ」
ディアスはリリエムを磔にした台を横向きに倒すと、彼女の足の付け根の肉を指で開いた。リリエムが呻いたが、ディアスは意に介さなかった。むしろ彼女の反応は興奮を煽る燃料にしかならない。ディアスは神経の寄り集まった小さな突起にピアッサーをあてがうと、鋭く太い針を押し込み、ゆっくりと貫いた。本来ならば全身が四散するような衝撃を、薬に侵されたリリエムの脳が快楽に書き換える。
「……こいつ、イキやがった。しかもなんだ、この……、ククッ、下品なイキ姿は。ピアスの穴一つでこんな姿を晒すとは、さっきまでの可愛いリリィと同じ女とは思えんな。……って、おい、漏らすなよ。ここをどこだと思ってやがる。排泄の我慢もできなくなるほど気持ち良かったのか。いったいどんないやらしい体をしていればこんな、こんなことに……、ククッ、ハハハ、……リリィ、君だけだぞ。こんなことをされてイクような変態女、世界中探しても、リリィ……」
ディアスは興奮に任せてリリエムを犯した。リリエムはすぐに失神し、その後ディアスにされたことはまったく覚えていなかった。意識を取り戻したときには一人用のベッドの上にいた。シーツに染み着いた体臭から、ディアスが普段使っているものであることは窺えた。身体にはディアスの着ていた白衣が掛かっている。薬の効果は消えていた。開いたばかりの穴のもたらす痛みが激しく、手足を動かすことすら満足にできなかった。
ベッドの脇で身を屈め、ディアスはリリエムの赤毛を撫でた。
「化膿止めの処置は終えた。鎮痛剤代わりに例の薬を渡しておこう。なくなったらここに来なさい。間違ってもピアスを外そうとは思わないように。君につけたピアスには特殊な細工が施されていてね、無理に取ろうとすると肉がズタズタに引き裂かれる。わたしであればそのような状態になっても元通りに治せるが……」
ディアスは声をひそめ、リリエムに囁いた。
「……次はもっといい思いをさせてやろう」
リリエムは恐怖を感じた。ディアスの狂気に対してではない。彼の言葉に身体の奥が疼いたことに対してだった。このような関係は長くは続かないだろう。彼の破滅願望は、彼自身だけでなく周囲のすべてを巻き添えにする。本当に、彼の言うとおりだ。死が快楽でしかないのなら、なぜ抗う必要がある? 生は苦痛でしかないというのに──それでもリリエムには心残りがあった。
「一つだけお願いがあるの」
「なんだ」
「あなたは学者なんでしょ? あたしに勉強を教えてほしいの」
ディアスはすぐには答えなかった。信じられないものを見るような目でリリエムを見ていたが、やがて彼女から顔を背け、深い溜め息をついた。
「……学んだところで幸せになれるとは限らんがな」
「ディアスさんの研究を手伝いたいの」
「そういうことなら、まぁ、構わんが……」
「じゃ、今日からあたしの先生ね」
「今日からなのか……」
その後、ディアスの精神状態は穏やかになっていき、それに伴い彼は己の身なりに気を使うようになった。誹謗中傷が彼を変えたのか、それとも彼にはそれ以前から破滅願望があったのか、リリエムには今もわからない。二択で答えを得られるような問題でもないのだろう。ディアスの優しげな振る舞いは、リリエムのために作り上げた虚構のようにも感じられる。
弟の下宿先のベッドの中でリリエムは寝返りを打った。二段ベッドが大きく軋み、セリムが抗議するようにろれつの回らない声で呻いた。ネグリジェとその下のピアスが擦れる。ディアスはあれから何度もリリエムのピアスを買い換えた。あるときは可憐なものに、またあるときは毒々しい美しさを凝縮したものに。リリエムはいつしかピアスを見てディアスの本心を察知するようになっていた。




