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#5「よみがえる救世主」【1】

「おお、勇者アプサラよ。死んでしまうとは情けない。そなたにもう一度チャンスを与えよう」

 誰かがそんなことを言った。聞き覚えのある声だった。しかし誰が言っているのかアプサラにはわからない。誰かの声に似ているが、声と口調の一致する者は彼女の記憶に存在しない。或いは夢を見ていたのか。アブサラはゆっくりと瞼を開いた。最初に視界に入ってきたのは、見たことのない天井だった。

 アプサラは慌てて身を起こした。次に目に入ったのは自分自身の裸体だった。何故、裸で寝ていたのか、まったく心当たりがない。いや、それ以前に、ここはいったいどこなのだろう。流線型の小さなベッドも室内の装飾も初めて目にするものばかり。シーツの肌触りも今まで知らなかった感触だった。何故、こんな場所にいるのか、アプサラにはわからない。彼女の記憶はエルフの女王の宮殿の前で途切れている。天使の軍勢に次元断を放ち、疲弊していたところ、出し抜けに世界が回転した──

 背後に人の気配を感じ、アプサラは振り返った。

 他人に裸を見られることを恥ずかしいとは思わなかった。裸よりも恥ずべきことなどこの世にいくらでもある。たとえば生まれてきたこととか。その惨めさに比べれば裸などただの表層に過ぎない。それでも気配の主の顔を確認すると、アプサラは無意識のうちに太腿に力を込めていた。彼は淡い憧れと拒絶されることの痛みをアプサラに教えた男だった。

「ランスロット……」

 奇妙な衣服のランスロットは無表情のまま答えた。

「いや、わたしはランスロットではない。ランスロットはあまたに存在するわたしのクローンのひとり」

「クローン? なんのことですの?」

「簡単に言えば複製だ。一卵性双生児が無限に存在するようなものか。いや、実物を見せた方が早いだろう。……サラ、こっちに来い」

 男のそばに可憐な少女が現れた。目尻の上がった大きな目、鼻梁の通った端正な顔、短く切りそろえた前髪に、腰のくびれまで届く癖のないプラチナブロンド。奇妙な服を着ている彼女はアプサラに瓜二つだった。ランスロットによく似た男はサラの肩を抱き寄せた。サラは嬉しそうに微笑み、男に身を任せている。自分ならば絶対にしないはずのことをする自分と同じ顔の女にアプサラは嫌悪を覚え、彼らから目を背けた。しかしそんな悪感情も長くは続かなかった。ランスロットの声がアプサラの名を呼んだ。顔を上げると、ランスロットに瓜二つの男がアプサラの目の前の白い壁を指し示していた。

「見たまえ」

 途端に壁の色が消え、その向こうが透けて見えた。

 アプサラは恐怖に息を飲み、自らの腕をかき抱いた。そこにはまったく同じものが無数に並んでいた。透明の繭の中で眠るアプサラにそっくりの全裸の少女。説明されなくてもわかる。これは自分自身の予備品だ。自分の存在そのものが根底から崩れ落ち、拡散してその意味を失うような感覚にアプサラは吐き気を覚えたが、幸か不幸か胃の中には何も入っていなかった。

「これがクローンだ。わたしのクローン体はそれぞれ別の個体として大陸中にばらまいた。彼らの足取りを観察するのは実に興味深く、同時にうんざりすることでもあった。まったく同じ人物が環境によってまったく別の思想や価値観を持つに至る。表層的な人格や性格も様々だ。しかしその一方で、外部要因の影響を受けない性質があることも見て取れる。わたしのクローン体それぞれの成功と失敗の原因を分析すると、共通点を見いだせることに気づいたのだ。持って生まれた気質、先天性の得手不得手、環境に対する適性と耐性、わたしという個の限界、或いは本質……、好きな言葉を当てはめてほしい。わたしは壁に突き当たった。いかなる環境の中にあっても損なわれることのない、自力ではどうすることもできない己の限界という壁に。そんなときに君が生まれた。エルフとして生まれることを期待されていた君が。だが、実際に生まれた君はただの人間だった。周囲の誰もが落胆した。だからわたしはここで密かに君のクローン体を作った。帰る場所を持たない君を不死身の救世主にするために……」

 そうだったのか。アプサラは合点した。何故、幼い頃からずっと、自分はこの世に生まれてきてはならなかったと感じていたのか。何故、ランスロットに対してのみ好意を抱いたのか。いかなる環境の中にあっても損なわれることのないものが本当にあるのだとしたら、わたしはランスロットの中に、目の前の男の姿を見出していたのだろう。この世に望まれなかったわたしを救世主にしてくれる人。ランスロットの声が聞こえる。

「君はわたしの最高傑作になるだろう。最期の記憶を覚えているね? 君はあのとき魔王リゼットに殺された。だから記憶のバックアップをクローン体に移植した。それが今の君だ。君が死んですぐにエルフの国は滅んだが、わたしの選んだ救世主アプサラが死ぬことはない。そう、君が世界を救うその日まで」

「世界はわたくしが救いますわ」

 アプサラは即答した。彼女と同じ顔のサラはランスロットに瓜二つの男の胸に頭を預け、幸せそうに微笑んでいる。サラと自分はまったく同じ人間のはずなのに、彼女の感じる幸せはおろか、その肩に触れる手の感触すらも共有することはできない。別人なのだ。同じ姿をしていても。同じ個体であったとしても。アプサラは言いようのない無力感に打ちひしがれる。彼女は絶対的な力を求めた。それは光だった。太陽のような強い光。直視する者の目を潰し、あらゆる生命の生と死を支配する光。太陽のようになりたい。アプサラはベッドから足を下ろす。太陽になって、この世のすべてを光の中に消し去りたい。そうすれば世界は永遠に救われるだろう。アプサラは立ち上がり、奇妙な衣服の男に告げた。

「行かなければ……」

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