第十二章 旅館の子熊
「そう・・・やっとデータが取れたのね」
わたし―冬野菜美はそういうと、元大学の後輩、秋葉教彦の目を見る。
「ええ、まさか、ミナグロのこれまでの行動データが欲しいなんて・・・」
「迷惑をかけたわね」
わたしがいうと、秋葉はいえいえ。と言いながら封筒を差し出した
「過去の放獣データなら、識別番号で検索をかければ見つかりましたが、それ以前はかなりあいまいです。多くが『皆黒のクマを見た』もしくは見た気がするといった証言です」
「それでも、手掛かりがあるだけありがたい」
わたしはそういうと書類を受け取り、ヘリコプターで愛美ちゃんたちの待つ山中へと向かった。
「ふぅ・・・」
山津見の群れの中、冬野さんが大きく息をつく。なんでも、必要な資料をふもとに取りに戻ってたんだそうだ。
「やっと追いついた・・・」
ヘリコプターには、昨日別れたところで降ろしてもらったらしいけど、当然一日中一か所にとどまるようなオオカミはいない。
「お疲れさまでした。お水どうぞ」
「ありがとう」
わたしの差し出した水を飲み干すと、冬野さんはリュックサックから封筒を取り出した。
「まず、これがミナグロ、個体識別番号『M50101』の行動データ。放獣の時に取り付けられたGPSのデータね。GPSの首輪は電池切れと同時に外れるから、現在はGPSでミナグロを追跡することはできないわ」
さらに封筒を取り出す冬野さん。
「次に、もう一つ。ミナグロと同一熊と思しツキノワグマの目撃情報よ。愛美ちゃん」
スマホに何頭ものツキノワグマの写真を表示し、わたしに見せる。
「ツキノワグマの月の輪は、基本的に人間の指紋のようなもの。一つとして同じ模様がないっていうのは知ってる?」
「はい。基本的な知識として覚えてはいます」
わたしがうなずくと、冬野さんは封筒から大量の紙を取り出した。
「おまけに、月の輪がない皆黒のクマは珍しいし、猟師によっては撃たない人もいるから、案外目撃証言があるんじゃないかと思ったの」
「で、あったんですか?」
雄太が口を挟むと、冬野さんの口がにぃっとゆがんだ。
「大ビンゴ。これを見て」
見せられたのは、一枚の新聞の切り抜き。
「『温泉街のアイドル。子熊の若旦那』?」
「そう、場所は福島県郡山市、磐梯熱海温泉。その中でもかなり山に近い方の旅館だね」
冬野さんの指さす新聞記事には、専用の小さな法被を着せられた子熊の写真。首には犬用の首輪が装着され、そこから伸びた鎖は女将さんの手に握られている。
「新聞記事を信じるのであれば、猟師さんが母熊を撃った時、穴に残っていた子熊を拾ってきたみたい。で、この旅館に引き取られたみたいね」
「クマは特定動物だから、許可なしの飼育は完全に違法だな。動物愛護法違反だ」
雄太が顎をさすりながら言う。
「で、この子熊、法被で見えにくいけど、月の輪が無いように見えない?」
『・・・!!』
雄太と私の口から、声にならない叫びが漏れる。いわれてみれば、子熊の胸元は真っ黒、白い部分は見当たらない。
「で、新聞記事は『子熊の若旦那』って書いてるから、多分性別はオス。ミナグロの特徴と一致してない?」
「言われてみれば・・・。でも、結構三春とは場所が離れてますよね?」
「ツキノワグマの親離れ後の分散距離は半径二十km。三春は十分に分散圏内ね」
そして・・・と言って冬野さんは続ける。
「これまでツキノワグマは福島県内でも、阿武隈川以東には生息せず、川より西の中通り西部から会津が生息域だといわれてきた。ミナグロみたいに阿武隈川以東に出てきたのは少ない」
冬野さんいわく、クマの東進を阻むのは、阿武隈川ではないのだという。
「あんな川、クマだったら簡単に泳ぎ渡れる。真にクマを阻むのは、阿武隈川沿いにある人間の生活圏。特に、郡山市、本宮市、二本松市、福島市などの都市ね。クマは基本的に人間を恐れる生き物よ。わざわざリスクを冒してまで人の生活圏を横切りはしない」
そういうと、ニヤリと笑った。
「でも、もしそのクマが人間に育てられ、人を恐れない熊だったとしたら・・・」
「人の生活圏だろうが躊躇なく横切る。と?」
わたしが言うと、冬野さんはうなずく。
「で、この記事の子熊、SNSとかの情報をたどっても、子熊の三才以降の飼育が確認できていないの」
それって、もしかして・・・
「まさか、成長した子熊を扱いに困って山に放したってことですか・・・?」
背筋がぞわっとする。
「今、警察に協力してもらって調査してるわ」
冬野さんがさらに書類を取り出した。こっちはクマの目撃情報。
「仮にこの子熊が山に放されて、それがミナグロだった場合を考えたの。で、磐梯熱海から三春までに通りそうなところのクマの目撃情報を片っ端から集めたわ」
で・・・。と言って、一枚の書類をわたしと雄太に見せる。
「これ、二本松市と本宮市の市境付近でのクマの目撃情報。『体長120cmほどのクマを目撃。人間を見ると鳴きながら近づいてきたため、付近に止めておいた自家用車に乗り込んだ。クマはしばらくの間車の周りを周回していたが、山に消えていった。真っ黒で月の輪は見えなかった』って書いてある」
「妙な動きですね。鳴き方はどんな鳴き方だったんですか?」
わたしが問うと、冬野さんが握りこぶしを頭に当てながらいう。
「『ヴアァ~』みたいな感じ。男のうめき声に似てたみたい」
「う~ん、子熊が母熊を呼ぶ声、もしくは母熊に甘える声に似てるな」
雄太が言うとおり、子熊がうめき声のような声を出すときは、母熊を読んだり、甘えたりする時の声だ。
「つまり、この目撃情報の子熊は、人間に甘えようとして近づいた・・・?」
そして、人間がいなくなったから別の場所に移っていったことになる。
「でも、ここまでの情報から浮かび上がってくるのは、今のミナグロとは似ても似つかない性格ですね」
今のミナグロといえば、銃を持ってない人と見たら即座に殺し、その肉をむさぼる人喰い熊。仮にこの一連のクマがミナグロだとして、なんで人懐っこい甘えん坊が人喰いになったの・・・?
そう考えていると、冬野さんの携帯が鳴った。




