第十三章 消えたぬくもり
「はい、もしもし・・・」
冬野さんが電話で誰かと話す。
「・・・はい、やはりそうでしたか。お手数おかけしました」
電話を切ると、大きくため息をついた。
「どうしました?」
「警察から。さっきの記事の旅館で飼ってた子熊、やっぱり扱いに困って山に放しちゃったみたい」
「うわ!やりやがった!」
頭を抱える雄太。
「つまり、十分に人馴れし、人に恐れを抱かないクマを山に返したってことですよね?」
わたしが問うと、二人は過去最大級の困り顔でうなずく。
「で、その放し方も大問題だったわ」
天を仰いで言う冬野さん。
「え~っとね、最初は山に鎖で引いて行って、そこで首輪を外して人間だけ下山する予定だったんだって。でも」
「でも?」
「クマが甘えながらついて来ようとしたから、手に持っていた杖で頭を強く殴ったらしいの。そしたら、クマは泣きながら山に消えていったって」
わたしはクマの気持ちを想像する。これまで親のように親身になって育ててくれた人間。その人間の手によって山に放され、頭を強く殴りつけられる・・・。
(怖かっただろうなぁ・・・)
「でも、そのクマがミナグロって証拠はないですよね?」
雄太が言う。
「警察の事情聴取によると、その旅館の関係者が言うにはその子熊は月の輪のない皆黒だったらしいの」
両手を広げながら言う冬野さん。
「で、放したときの体長がだいたい一メーターくらい。『旅館に来た時から、当歳のクマとは思えないほど大きかった』って言ってたらしいの」
確かに、ミナグロの特徴と一致する。
「でも、真相はわからない。ミナグロを駆除して解剖してみるまでは」
「何か違うんですか?」
わたしが問うと、冬野さんはスマホでクマの頭骨の写真を見せながら言った。
「この頭骨、前にわたしが見た、人に虐待されたクマの骨なんだけど、ここ・・・」
後頭部、ちょうど普通のクマなら骨が盛り上がって壁みたいになっている部分を指す。
「『矢状稜』っていう部分がつぶれているの。ミナグロがもしも旅館の子熊だとしたら、殴られた際にここに損傷を負っている可能性が高いわ」
だから、駆除して頭骨を取り出せば分かるはず。と冬野さんは言う。
《そういえば・・・》
これまで黙っていた片曽根が口を開いた。
《俺は前、山であいつを見たことがあるけど、何か頭を痛がってるように見えたな》
「それは本当?」
《ああ》
これで、ミナグロが人に育てられていたらしい情報が一つ増えた。
「で、これを見て。ミナグロ―識別番号『M50101』の放獣された際の情報とその後のGPS位置情報よ」
冬野さんが出した書類を読み上げる雄太。
「『捕獲状況:三春町沢石地区の個人宅内に侵入したところを家人により警察に通報。麻酔銃で捕獲。放獣事由:まだ若いうえ人の食べ物の味を知らず、虐めたうえで奥山に放獣を行えば人里に現れることはないと予想されたため』か・・・」
まぁ、担当者はミナグロが人馴れしていると知らなかったから、仕方ない部分もある。でも・・・
「なんか、『殺したら外野になんやかんや言われるから放獣した』ってのが透けて見えるんだよな~」
雄太がここにいるみんなの気持ちを代弁してくれる。
「で、このGPS情報見てみて」
冬野さんが指さした行動情報。それを見たわたしの背に悪寒が走る。ミナグロは放獣された後、まっすぐ人里に向かって歩を進めていた。
「そして、とある山裾の一軒家の周りをぐるぐる回った後、その周辺に一晩中待機している」
冬野さんがオレンジの線で示された行動ルートを指す。
「この家にいたのは、放獣の際にミナグロにゴム弾を打った猟友会員と、この記録をとっていたクマ研究者と町職員よ」
「つまり、ミナグロは・・・」
わたしが言うと、冬野さんは大きくうなずいた。
「もしかしたら、自分を虐めた人間たちに仕返しをしようとしてたのかもしれない」
「で、夜が明けたからしぶしぶ山に引き上げてったわけだ」
雄太がつぶやくと、冬野さんは無言でうなずいた。
「ここで、わたしは一つの仮説を立てた」
冬野さんが天を指さしながら言う。
「『ミナグロは、かつて磐梯熱海の旅館で飼育されていた子熊だ』と。それに基づいて、ミナグロの足取りを想像してみたの」
そして、取り出した地図に線を書き込み始めた。
「まず、三歳の時、磐梯熱海の山中、中山峠付近で放獣された。この時頭を殴打され、頭骨に損傷を負う」
本宮と二本松市の境あたりに新たに丸を付ける。
「次に、おそらく体長から三歳の終わりごろ、本宮市で目撃。鳴き声からして、見かけた人間に甘えようとして近づいた可能性が高い。多分、まだこの時は頭の傷は痛んでいないと思う」
この時の日付が四月五日。と言って、冬野さんはさらに線を引く。
「そして、阿武隈川を渡って阿武隈山地に居つく。猟師や釣り人の目撃情報からするに、二本松市あたりで渡河したみたい。名目津温泉付近での目撃情報もある」
冬野さんが言うには、このあたりでミナグロの目撃情報は途絶えているらしい。
「問題行動をしなかったからですかね?」
「そうだと思う」
わたしが言うと、冬野さんはそういって話を続けた。
「五歳ごろ、ちょうど去年だね。このあたりから頭の古傷が痛み始めた。そして、人間に対して愛憎入り混じった感情が出始める。『人間のもとに行けば、きっとこの痛みを治してくれるはず』って言うのと、『こんなになるまで殴りやがって』って言うの」
そして・・・。と言って三春町の一つの位置に点を打つ。
「愛憎入り混じった感情から、人間の家に向かい、三春町沢石地区の住宅に侵入したところを捕獲。奥山放獣という手段がとられた」
「放獣の時、どんないじめをしたんですか?」
「まず、檻の中のクマに対してクマよけの唐辛子スプレーを噴射。だいたい二分くらい。その後、檻から出たクマに爆竹を投げつけ、散弾銃でゴム弾を撃ったらしいわ」
顔を上げると、わたしたちの顔を見た。
「ここで、ミナグロの中での人間への感情が完全に憎悪に変わった」
そういうと、もう一つの書類を取り出す。そこに書かれていたのは・・・
「シャンプーとボディーソープの銘柄・・・?」
訳が分からないとでも言いたげな顔で首をひねる雄太。
「旅館でお世話をしていた人と、放獣に関わった人、そして、ミナグロの被害者の使っていたシャンプーとボディーソープの一覧よ」
この表を見ているうちに、わたしは一つのことに気づいた・・・。
「ミナグロに襲われた人たち、全員放獣関係者と同じシャンプーを使ってませんか?」
「正解」
冬野さんはそういうと、とうとうと語りだす。
「クマの鼻は犬よりもいいって言われているの。そして、記憶力も抜群で、自分を手負いにした猟師を待ち伏せして喰い殺した話もある。自分を虐めた人間たちの匂いを記憶するなんて、簡単なことでしょう?」
「そういわれれば、そうですよね」
「でも、クマは目がよくないから、見た目ではなく匂いで判断せざるを得ない。だから、同じ匂いのする人間を片っ端から襲っていた・・・」
わたしが言うと、雄太がうなずく。
「で、その過程で人肉の味を覚えてしまったわけだ」
わたしがミナグロに襲われた人のシャンプーを見ていると、ふとその中に知っている銘柄を見つけた。最近はヤシの、オシャレなにおいと髪の美容効果が売りの商品。
「これ・・・。夏波が使ってたシャンプーだ・・・」




