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魔王が逃げて、何が悪い?  作者: 冬野ゆすら
第三章
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3-22  ……しかし、もう少し備蓄には気を配るべきだと思うぞ、私は?

すみません、放置しすぎました。どうにもうまく話が流れず、3回くらい書き直しています。珍しい(--;)

「……ちょっとだけ、貴方の気分が分かる気がするわ」

「ん?」

 大鍋の中身はあっという間に売り切れて、作り直したものも半ばまで減った頃、シトリは呟いた。纏め役殿の料理ではないと知った面々が恐る恐る食べに来て、次々とお代わりをしていった結果である。この時点は知らないが、この鍋に目一杯で作ると、一〇〇人分くらいあるらしい。流石に縁まで並々と作ったわけではないが、それでも夜の詰め所であって、二十人もいないことを考えると驚きである。これだけ一気に食べられてしかも美味しそうな顔を見られれば、まあ食事造りが趣味になっても不思議はないだろうと思うのだ。

 対してイーリスは平然とした顔だ。どころか味よりも見た目、とくに美女がよそっているからだろうなどと考えている。何しろいつもより素材がやばいのを誤魔化しただけなのだ。味だけでここまで受け入れられるはずがない、と。

 ついでにいうと、おまけで出したスコーンがけっこう受けていた。菓子に分類されるせいか、あまりこの国では知られていないらしい。


「わたし、普通に食べていた気がするのだけれど」

「ああ、普通にあるぞ。新年の茶会でも出てたはずだ」

「それより美味しく感じるのが不思議よね。ほんと、器用ね貴方って」

「……それはないと思うが……」

 イーリスは苦笑した。スコーンは、旧く長い連合王国に伝わっていたという主食代わりの菓子である。小麦粉と牛乳、僅かの塩、それにふくらし粉を入れるだけのレシピなので、味はほぼ、小麦の味のみであり、不味くなりようがない。甘くもないのでスープに合わせてもいいし、ジャムやサワークリーム、チーズやベーコンを合わせてもいい。寝かせも不要で焼くだけだから、これほど簡単な菓子もないだろう。普段の主食が馬鈴薯を蒸かしたものだと聞いて、これまたイーリスが作り上げたものだ。

 家族に食べさせたいとか朝食に欲しいだとか言われて流石に目が覚めたのか、簡単だからとレシピを書いて手渡す方式に変えていた。どこの家庭にも小麦粉くらいはあるだろうし、牛でも山羊でも乳があればいいのでどうにかなるだろう。


「しかし……味噌があるとはなぁ……」

 それを知ったのは、鍋を作り上げた後のことだった。秋津島皇国の特産品でもある発酵調味料が、何故かこの国――正確には、この街が村だった頃から作られていて、今も続いているのだと聞かされて唖然としたのだ。しかもかの国の主流である大豆ではなく、小麦から作る白味噌である。これは是非とも買っていかねばと心に決めているイーリスだ。


「懐かしいわね。猪鍋だったかしら、作ってくれたの?」

「ああ、そうだな。何度か作ったな」

 猪肉、と目の前の男が反応した。実は猪という奴は雑食なので、けっこう肉は臭いがある。それが美味いという者もいるが、大抵の場合は嫌がられるのだ。


「なかなか上手いぞ。熟成させた獅子肉を味噌鍋で煮るだけだから簡単だしな」

「狩った当日じゃ美味しくないのよねぇ」

 むろん、熟成する間に傷んだりしないよう、冷気で保護するのだ。これはイーリスにとってお手のものだった。永久にというわけにはいかないので、親しい友人を呼んで振る舞ったりしていたのだ。


「美味いのか、その猪鍋?」

「ああ、美味いぞ。匂いが気になるなら、まあ豚でやれなくもないが」

「お? 豚ならいつでも手に入るぞ!?」

 あ、とイーリスは視線を逸らした。その先にシトリがいて、当たり前でしょと唇が動く。そもそも何がどうしてこうなったのか、彼の頭からはそこが抜けている…というか、結びつかないらしい。


「……それなら味噌に豚肉を漬け込んで保存しておけ。樽にでも密閉しておけば、相当持つぞ。それを野菜と一緒に焼いてやればいい」

 鍋は少々レシピが面倒だ。彼らでも出来るものとなると、それがいちばん手っ取り早くてうまいだろう。


「野菜を漬けても美味しいわよね。あれを焼いてもいいの?」

「いや、それはたぶんやめたほうがいいな。そういう使い方をするものじゃないし…まあ、つまみには悪くないが」

「つまみ? 酒の?」

「ああ、そうだ。まあ、酒によるだろうがな」

 数日で食べたいなら皮を剥くだとか、野菜が顔を出さないようしっかり埋め込むだとか、イーリスは熱心にそれを説く。数ヶ月どころは数年でもつけ込んでおけるとか、夏場や労働者への塩分補給にちょうどよいとか、味噌とは中々の役者のようだが、聞いているシトリと隊長殿は引き気味である。


「……」

「……」

 男から視線を投げられて、シトリはふっとそれを反らした。言いたいこと、聞きたいことはわかるけれど……一応、今は隠密行動の身であるからして、信頼出来る相手であってもそれを明かすわけにはいかないし、そもそも何処に何がいるか分からないこんな食堂で答えたくもない。折角の身分擬装が水の泡になる。

 ふ、と男は生暖かい視線を彼らに向ける。言わぬが花、と言う奴だと理解して…もう一つ、あの纏め役殿はその事実に気づいているのだろうか、と。


「喰ってみてえなぁ……」

 ぼそりと呟かれたその一言に、イーリスは溜息をついた。そしてシトリを見上げれば、呆れたように一言。


「好きにすれば?」

 お人好しというのは、わかりやすいのだ。

 待っていても退屈だからとシトリも付き合い、隊長殿も付き合わせて倉庫へ戻る。その途中、で。


「……そうか……美味かったか……」

「嘘でしょ……」

「そういう人なんだよ……」

 誰に出会ったかは、言うまでもないだろう。

 ついでとばかりに引きずり込んだ纏め役殿にも手伝わせ、運べるだけの味噌を厨房へと持ち込むことにした。シトリも無論手伝わされたが、何度も往復するのは面倒だったので、その手桶サイズの味噌を幾つも積み重ね、ふらつかない程度の塔を作って運んで行く。けっこうな重量のそれを何食わぬ顔で運んでしまう彼女を見て、イーリスが額を押さえた。別に、危ないとは思わない。ほぼ無意識に重量感覚を調整するので、腕の中に収まる程度のものならば重くもなんともないのだが。


「…シトリ?」

「何よ? あら、それだけ? もっと持てる……」

 あ、とシトリは抱えすぎたそれに気づいた。そう、無意識で重量を調整するのである――妖魔ならではの術で。


「あー……兄さん。姐さん。今更だ、気にすんな?」

「ああ、今更だな。まあ黙っておくから、気にすんな。エレーミア製の術具を調整するとかいう真似が、人間に出来るとは思ってねえよ」

 そこには反論も何も出来ないのである。エレーミア製と名乗れる術具は、あくまで生粋の住民――つまりは妖魔たちが作ったものに限られるのだから。

 ただまあ詰め所の皆にばれるのは不味いだろうと、各自で普通に持っていて不思議のない数だけを調理場まで運び出した。そこまでの間、イーリスは全く口を開かなかったので、ちょっと人間二人がびびっていたりするのだが、ただの照れ隠しである。

 男たちが野菜を次々と埋め込んでいく傍らで、イーリスは薄切りの肉を漬け込んでいく。数日したら、野菜と共に炒めて食べると美味い。漬け方次第で数週間は平気なのだが、そこは自分と違って死ぬ危険があるので言わなかった。

 そして残っているのが、シトリが運んで来た一樽である。


「これはどうするの?」

「いや、鍋にするつもりだったんだが……」

 うっかり、調理場にあった肉を漬け込んでしまったのである。別にそれを使ってもいいが、せっかくなので少し日数をおいて、完全に漬かったものを焼き肉にさせたい。そんなことを考えたので、樽が一つ余ったのである。


「……それなら私、猪鍋が食べたいわ」

「猪か。…まあ、そうだな。悪くないが」

 流石にそんなもの、備蓄にはなかったのである。つけ込んだそれは豚肉だが、これは一応、出入りの商人が毎日運んでくるらしい。しかも残っていた分を今、まさに漬け込んでしまった。これを溶いて鍋に、ということはやりたくない。それに、出汁がいるのだが。


「ダシ? なんだ、それ?」

 何と言われても、ダシは出汁である。としか、イーリスには答えられない。もちろんそれは、シトリも同様だ。だがおかしい、とイーリスが逆に問いかける。味噌があるならあって当然のものである。もちろん、備蓄にないことはまあ、有り得なくはないのだが――と言った話をした結果、昆布の存在は理解されたが、それを使って出汁を取るという基本の調理法が伝わっていないのだと判明したのである。 


「片手落ちにもほどがあるぞ、おい」

 見知らぬ味噌の作り手を小突きたい気分で溜息を付く。

 だが、納得だった。出汁なしで味噌を使っても、汁ものとは言えない。クドいほどにこってりしてよければ、牛やら豚やらの骨を使う方法もあるのだが、本来の味とは離れていくだろう。それでも悪くはないだろうが、手間が掛かるし、どうせまた失われる術だと思うと、ちょっと教えるのは躊躇われた。……面倒である、はっきり言って。


「もしかしたら、市にあるかもしれねえ」

「市?」

「街に近い方に毎朝立つんだ。偶にだけど、行商人とかも店を出してる。もしかしたら、あるかもしれん」

 言われてみれば、馬車で動いている間にそれっぽいものを見た気もする。ただあまりにも疎らだったから、気に掛けなかったのだが、あれのことだろうか。あれは嵩張るものでもないし、痛みもしないだろうから確かに、市ならあるかもしれない。いや、たぶんあったのだろう、その当時は。だから味噌を作ったのではないだろうか。それなら少し、市を見て回るのも悪くない。


「…一応な、市の方も見回りの範囲に入ってはいるんだ」

「ダメよ。絶対戻ってこないわ」

「やっぱりか?」

 勝手に納得されているが、事実である。イーリスとしては憮然とした顔になるがそれだけだ。広さにもよるが、半日は遊び倒せる。人間であれば疲労したり荷が重くなったりして諦めるのだろうが、妖魔はそれがないのだ。財布の中身を少なめに持っていく、それが市を切り上げるコツである。


「って、いや、どちらにしろ手持ちがないな」

「あら。…ああ、そう言えばそうだったわね」

 むろん、シトリはしっかりと持っている。先に街へ行ったのは、そういう理由もあったのだ。だが、それを出す気はない。興味のない者にとって、長時間の買い物は苦痛でしかないのだ。


「高いもんじゃないんだよな?」

「あー……まあ、量から言えば高いかもしれないが、手を出せないような値じゃないはずだ」

「明るくなったら出入りの商人が来るんだが、頼んでみるか」

「え、いいの? 安くはないのよ?」

「そこなんだよなぁ。どれだけいるんだ?」

「…悪い、見当が付かない」

「おい」

 いやだって、とイーリスはそっぽを向いた。数人分の鍋でどれくらい、ということは言える。けれどどれくらいの人数がいるのか分からないし、使ったことがない大鍋ではどんな量が出来るかもわからないし、何より適当な目分量であるからして、本当にわからないのだ。

 結局、余った量次第ではシトリが買い取るという話でまとまった。食いついてきたからには猪肉も保存されているのかと思いきや、それは同じ商人に注文するらしい。畑を荒らされるという理由で不定期にだが狩られているらしく、入手は比較的簡単だということだった。


「で、兄さん。確か、人手が欲しいって話だったよな」

「あ? ……ああ、まあ……そうだな」

「どれくらい欲しいんだ?」

「ああ、それだ。どれくらい作ればいいんだ?」

 すでに猪鍋の算段に気が逸っている彼を小突き、シトリが返事を引き取った。


「その話、もう通ってるの?」

「いや、通ってねぇ。人が集まりそうにないってんで、奴が頭抱えててな。おれは荷物運び手伝ったから、知ってるだけ」

「荷物? ……ああ、あれね」

 シトリは苦笑した。あれは別に、急ぎで運ぶ必要はなかったのだ。自分たちだけでも運べたし、そもそも術者がいなければ、配置しても意味がない。まあ先に配置しておいて、術だけ後から発動してもいいのだが、それにしたところで急ぎではない。一応は彼らを待っているのだから、まだしばらくはここに滞在する予定だし。


「で、人手が欲しいんだよな?」

「…まあ、そうね。二人でやるのはちょっと大変……かしら」

 一応なんとかなるのだが、人間業ではないし、それをやるとわざわざ人の振りをしている意味がなくなる。


「出歩いたなら分かったと思うが、常夜街なんだよな、この街って」

「みたいね。遊園地もやってほしいわ?」

「夏の間はやってたんだけどな。でさ、どこが動いてて何処が寝てるとか、知ってるかって話で」

「それは、……」

 確かに問題だった。角灯はつまり燈であるから、動いているものを消すのは不味いだろう。何のためにと言われて、どこまで教えていいものかもわからないし。


「けっこうな、昼間の方が人がいないとこってのもあるんだよ。で、俺ら外回りだからその辺、よーっく、知ってんの」

「――そう」

 それはもう、この地に長い人間と来たばかりの自分たちでは、比べものにならないだろう。


「となると、だ。一日がかりになる大仕事だが、生憎と料理番がいない。けど腹は減る。となると、また纏め役殿の料理を食うか、何処かへ出向くしかないんだが、まあこどこもかしこも満員だし、いい加減に味も飽きてきたんだな、これが」

「そうね、外食は飽きやすいわね」

 詰め所の料理も特別美味いわけではなく、単にタダ飯という話であった。タダ飯であるから諦めが付く……そこそこの味、であれば。

 それはもう、シトリも納得である。だからこそ、天籟の料理が美味いと思い、食べに出向くのだ。


「てことで、姐さん。兄さんを説得しちゃくれねえか、何かうまいもん喰わせてくれるなら、人数集めるぞ?」

「え? そこなの、食事なの!?」

「おう、あんだけ美味かったら十分だ!」

「それは認めるけどね!?」

 慌てたかのようなシトリの声に、イーリスが顔を向けた。話はなんとなくだが、聞こえていたらしい。


「そんなのでいいなら、いくらでもやるぞ?」

 ちょっと、とシトリが声をあげるが、そもそもが今、すでに彼らに食事を提供する気満々である。砦でも似たようなことをやっているし、そこに忌避感はない。というか、人間は食が生命をつなぐことを知っている。それを盾に何か要求しようとか、そんなことは考えてすらいないのだ。


「ほほぅ……じゃあよ、それのレシピもつけてくれるか?」

「ああ、かまわないが?」

「マジかよ!?」

 知られていないレシピ、というものは結構な財産である。特産品を使った料理であるなら尚更に。それを知るが故に、纏め役殿は驚愕したのだ。


「これで商売してるわけじゃないからな。別にかまわんよ」

「……そういう男なのよ。気にしなくていいわ」

 シトリが溜息をついたのは、本当に昔からそういう男だからである。売りに出せば路銀が出来るとか、そういう感覚がないためだ。その昔、冒険者擬きで稼いでいたからそういう感覚が育たなかった――と本人は言うが、そんなはずはない。根っからの性格であるというのが、シトリを初めとしたエレーミア住人たちの見解である。

イギリス風スコーンは、本当に小麦粉と牛乳、べーキングバウダーだけで作ります。

重曹で作ると苦いのでお気をつけて。

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