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魔王が逃げて、何が悪い?  作者: 冬野ゆすら
第三章
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3-23 残滓がそうそう転がっているとは思えませんしねぇ……

「アヴィ。まだ気にしてます?」

「え? あ。…うん!? いや、いやいやいや!?」

 人間にしか見えなかったのに実は人形だったとはどういうことだろうとか、人形という意味では夕闇もだよなとか考えているところに声を掛けられて、アヴィは焦った。何せその瞬間、宿で見せられた一糸まとわぬ彼女の姿が浮かんでしまったのだ。だが幸か不幸か、彼女はアヴィを見ているわけではなくて、ただ足を止めているだけだった。

 ちょっとした逡巡らしき間の後で、夕闇は口を開く。


「……生き人形。そう言って、何か分かります?」

「――”生き人形”。本来は、個人を写して作った人形を指す。普通の人形以上に思いが入りやすく、怪談や騒動に事欠かない。またその逆に、ただの人形に魂が入り込み、不可思議な事象を引き起こす元となったものを指すこともある」

 自分の口から出た言葉に、アヴィは顔を顰めた。対して夕闇は苦笑する。


「それで言うなら後者に近いですね。基本的には、術者が魂の代わりに核を入れるそうですよ。この術を使える術者は珍しいようですが、術自体は知られています。でも、術まで操れるように作るなんて、大した術者ですよ。それこそ、禁忌だとしてもね」

 拠点としての術陣を張り、人形を自律させる術が永続するように仕掛ける、それだけの術である。どちらかと言えば人間たちが作り出した術式であり、その応用だ。術陣を工夫して人形本体に付与することで、魔力が切れるまで自動で動く掃除人形なども作れたりする。おそらくはあの人形もその応用で、術が使えるようにしたものだろう。だが、術というものは、妖魔だからこそ成るものだ。どんな核を入れればそれが出来るというのか、想像に難くないが――さて、どこからその核を手に入れたのか。


「残滓がそうそう転がっているとは思えませんけどねぇ……」

「――何? あれ、妖魔ってこと?」

「さて、そう言えるのでしょうかね?」

 厳密な定義があるわけではないけれど、あれは単なる人形だった。首を落としたところで死にはしないが、しばらくは身動きがとれなくなる、それを期待してのあの真似だ。あっさりと動かなくなったどころか擬装も解けてしまうようなあれを、果たして妖魔と称していいものかどうか。種族としての誇りとかそんなものは気にしないのが自分たち(妖魔)だが、流石に玩具と同位はないだろう。


『玩具は酷くない?』

 アヴィは何が気になったのか、背後を振り返っていた。だがその先に誰もいないし、何もない。もしかしたら術者が怒って仕掛けてくるのではと思ったのだろうか。そんなことがあっても、少なくとも不意打ちなど有り得ないのに。


「口に出してましたか。でも実際、わたしたちに喧嘩を売ってくるような輩」

「オレじゃない」

 アヴィは完全に後ろを向いて、警戒態勢だ。


「オレじゃない、今の」

「え」

 慌てて夕闇は周囲を見た。視界を妖力の感知に切り替えても見た。けれどその何処にも、誰かの姿はない。声はとても近くで、はっきり聞こえたのだ。ああでも確かに、思い返してみればアヴィの声ではなかった気もする。どちらかと言えば、女のような?


『ああ、ごめんね、そこにはいないのよ。お嬢ちゃん、ここへ来てくれる? 夕飯、奢ってあげるわ』

「――っ」

「ユウ?」

 大丈夫と答えつつも、夕闇はこめかみを押さえ、口をへの字に曲げた。


『鳥籠も、本物をあげる。それじゃ正体叫びながら歩いてるようなものよ?』

「そんな生半可なものじゃないです」

『そう? でもあたしの人形でも気づいちゃったよ?』

 むぅ、と唇を噛む。


『だから、おいで。あたしもまだついてないから、奥の部屋。料理は適当に、おすすめを頼んでおいて。あたしの分もね』

「……破産しますよ」

『あら、楽しみ。でも冷めたご飯は美味しくないし、せっかくだから一緒につつこうよ。そんなにかかんないから、待ってて?』

 わけのわからない状況に、夕闇は困惑の目をアヴィに向けた。この声は、彼にも届いているはずだ。


「……うんまあ、あれだ、見当つかないし。…誘いに乗った方が、早いんじゃね?」

「アヴィ……」

「いや、真面目な話。どうにか出来る?」

「……出来ませんけど」

 手にした鳥籠と、周囲の状況。それから、ここは普通に人間たちの街で、自分たちは移動術が使えなくて、”興図”も無理。加えて相手の牙城。今の通信術に至っては強制されたものなのに、こちらの不調が全く出ない。自分が作った通信術は相手に触れるなりの接点が必要で、しかもそんなものを二人同時に仕掛けてきて。夕闇はそれでも通信術の元を探ろうとしていたが、完全に上手の相手に、何が出来るかという話だ。


『ふふ、坊やは物わかりがいいね。でも妖魔には珍しいかな』

「え、オレ?」

『うん、君。その辺りも聞きたいな。じゃ、待ってるよ』

 そのまま、声は聞こえなくなった。周囲を警戒しようにも、そもそもが二人とも気配を捕らえられていない。魔王さまがいればどうにかなかったかも知れないが、まあそこまでの状況ではないしとのんびり考えていたら、ぎゅ、と夕闇に抱きつかれた。腰に廻された腕でぎゅうぎゅうと締め付けられて、苦しくはないがけっこう痛い。


「…ユっ」

「……探ったんです」

「ウ?」

「あんな、雑な通信術なのに、気配が散らばってて、追い切れない……!」

「はい?」

 悔しいらしい、とアヴィは苦笑する。つまりこれは、……抱き枕とかそういうものなのではなかろうか。慰めて欲しいとかではなくて、たぶん悔しさで頭がいっぱいなのだろう。そんなふうに解釈して、アヴィはその頭を撫でてやる。ぐりぐりぐりぐりと頭を押しつけてくる子供をあやしている気分であった。

 やがて少しだけ力が弱まって、ふとアヴィは思った。聞ける相手はとりあえずこの場にいなくて、目の前に一人――というか、本人に向かって「雑だと言うんだが」とか流石にそれは、聞けないだろう。そんな思いが出てしまったのか、ふと疑問が口を突いた。


「あれ、雑なんだ?」

「雑ですよ、すごく。そもそも声が響いているじゃないですか、あんなの普通はありえません。場合によっては聞き取りづらくなるんですよ、そんなもの実用に耐えないです。本来の通信術は、相手に何かしらの接点をつくることで――……」

 あれ、と夕闇が顔を上げる。目が合ったと思ったが、夕闇は彼を見ていなかった。


「……そう、ですよ。接点がいるんですよ……?」

 接点と言うが、実際には接触である。通信を通す意図を持っての接触であればそれでいい。だが、夕闇にそれは覚えがなかった。誰に触られたかと考えても、少なくともこの街に来てから一度も、そう言った接触はない。アヴィもまた、同様……だろう、たぶん。まさかあの人形がそんなことを出来るはずもない。いや、出来たとしてもやらないだろう。そこから逆に居場所を辿られるのだから。

 ぶつぶつと呟く夕闇をなだめすかし、アヴィはどうにか目的地を聞き出した。ともすれば足を止めそうになる夕闇を誘導するのは至難の業だったが、どうにか指定された店へと辿り着いた。 


「おそーぃっ! 冷めたご飯は美味しくないんだからねぇーっ」

「ご、ごめんなさいっ!?」

 どれほど時間が掛かったというのか、待ち人はすでに出来上がり掛けていた。声でそれはわかったが、まさか酔っ払いとは思わなかったので少々…かなり、腰が引けているアヴィであるが、呼ばれるままに席につく。しかし何というか、夕闇はそこまでしてもまだ、戻ってこなかった。


「……え、何。それでこの調子なの?」

 理由を説明されて、呆れたと言わんばかりに嘆息されて、夕闇が一瞬ぴくりと反応したようだったがそれでも顔は上がらない。とりあえず座らせてから顔を覗き込んでも、やはり視点が合うことはなかった。


「んー…紋様術陣を借りただけなんだけど」

「紋様術陣?」

「うん、そう。屋敷に術陣が張ってあったの、見てるよね。あんなに複雑じゃないし、人間たちは守護結界って呼んでるけど、理屈は一緒。この町はそんなに大きくもないから、格子だよ」

「へぇ……」

 紋様術陣と聞いて、アヴィの脳裏にはイーリスの屋敷で見た陣が蘇る。光が走る様は見応え十分だったが、この町であんな風に光ったものに覚えはない。それを訪ねていいものかどうか、判断も付かなかった。


「ああ、君はまだ若いのかな。紋様術陣ってね、魔術師たちが作り上げたものなんだよ。あたしも世界中歩き回ってた頃に知ったんだ。ここは小さいけど宿場町だし、けっこうしっかりした術陣が張られてるよ」

 世界中、とアヴィはオウム返しに呟く。何やら誰かを彷彿とさせる言いようだ。でも、と疑問がこぼれる。守護結界と呼ばれるくらいなら、大切なものだろう。それを簡単に貸すとか、迂闊と言うか危機感が足りなくないだろうか。……いや、まあ確かにお仲間なら、素直に貸した方が結果として、マシかもしれないが。

 にっこり笑って、待ち人は唇に人差し指を当てた。


「こっそり、ね?」

「ダメだろそれ!?」

 思わず声を上げたアヴィに、待ち人は笑う。


「ばれなきゃいいんだもん。補修にもなるし、たぶん知らないふりしてくれてるんだと思うよ?」

「……絶対じゃ、ないよな?」

「ないねえ。でも意地が精一杯で、そうそう補修なんて出来ないって嘆いてたし。誰かが直してくれるなら、願ったりなんじゃないかな。それに、たいしたことはしてないよ。紋様の(みち)を利用して、貴方たちの居場所を掴んで声を送っただけ。けっこう誰にでも出来るよ? 教えてあげようか?」

「あー」

「結構です」

 戻った、とアヴィは夕闇を見た。待ち人からは笑い声で返されたそこに、料理がちょうど良く運ばれてくる。流石のアヴィも、夕闇がそれに気づいて思考の淵から戻ってきたのだとは思いもしない。

 ただ、彼女としては意気消沈した…かもしれない。何しろ折角戻ってきたそれは、ただの焼き馬鈴薯ローストポテトなのだ。美味いことは否定しないが、何処にでもある定番料理である。まあ、これは冷めたら微妙なものになるから、熱々であることに文句はないらしく、遠慮なく摘まみはじめた。


「自力でやるの、大変だと思うよ? 人間の魔術が使えるくらいに精通してないと、何ともならないもん。あたしは人間が使うって事は知ってたけど、それだけだったからね。制作者から術式の核だけ貰って使ってる」

「核?」

「そ。術陣ごとに組み替えなきゃいけなくて、けっこう大変だよ。ここの術陣くらいは出来るけど、もうちょっと複雑なものになると無理かなあ」

 その言葉に夕闇が目を光らせた。機械的に馬鈴薯をつまみながら、その意識は自分の知識を探りに下りていく。アヴィが気づいたそれに、格上らしき相手が気づかぬはずはなかった。


「負けず嫌いだねぇ。でもこれ、本人から貰わないと無理だと思うよ。でなきゃ、自分で作るか。知ってる子は少ないんだよね。あ、坊やはどうする、継承する?」

「あー、や、オレはまあ、別に」

 あまり気が進まないとアヴィは断った。そもそもが勝手に借りることになるようだし、それ以前に自分で意識して術を使えた試しがない。いずれは出来るようになるかもしれないが、今のところ、その気配がないのだ。夕闇が同居していたころ、術の練習を散々したはずだったのだが、結局使えるようになっていない。まともに成ったのはあの羊くらいだが、あれだってそもそも術を意識したわけではない。どうやって作ったのかは未だ謎なのだ。


「便利だと思うけどねぇ。蒼夜が使ってたくらいだから、何も問題ないだろうし。元は放浪魔王が作った術式らしいよ?」

「え? 放浪魔王?」

「ん、そう。御伽話の存在だね。知ってる?」

 知ってる、とアヴィは内心で呟いた。同時に警戒心を引き上げる――彼を知っていてこの態度、うすうすは気づいていたがそこらの一般人であるはずがない。


「有名だよね。あたしも世界中彷徨いてるから、どこかであっても良さそうなんだけどなあ」

 おい待て、とアヴィは半眼になる。彼は確か、百年ほど引き籠もっていると言っていなかったか?


「最近はほんと、噂を聞かなくなっちゃった。けっこう好きだったんだけどねぇ、あの破天荒なやり口。そのくせ、民間人に被害が出ないように立ち回るし。あ、知ってる? 民間人の間だとねえ、彼、英雄なんだよ。悪い王様や領主さまをコテンパンにやっつけちゃう謎の旅人なんだってさ」

 ぶふ、とアヴィは吹き出した。祭の時の彼を思い出すと、それが結果論でしかないことはわかるのだが、そんな扱いになっているのか。


「面白いよねぇ。妖魔なのに人間たちのこと気にするんだもん。あたしなんか、人間なんかどうでもいいと思っちゃうんだけど」

「…そうなんだ?」

「うん。もともと、それで国を建てたみたいなものだしね。ま、みんながみんなってわけじゃないけどさ」

「……国?」

「うん、国」

「……国ぃ!?」

「あはは、やっぱり君、あたしのこと知らないんだ?」

 楽しげな相手は、どう見ても少女である。自分たちよりも年下にしか見えない、子供である。普通ならそんなことが出来るかと笑い飛ばすか、御伽話の世界に遊んでいる子供だと微笑ましく思うだろう。……しかし、今の話からすると。


「そんなはずないでしょう、存在が希薄すぎます」

 思わず信じかけたアヴィを、夕闇が一刀両断にする。いつの間にか目を上げて、彼女を睨み付けていた。…が、アヴィにはもちろん、その意味がわからない。そんな彼に、夕闇は一言告げる。


「目をとじて彼女の気配を探ればわかりますよ」

 どういう意味だと目線で問いかけても、答えは返らない。仕方なく――気配を感じるなんて真似が自分に出来るかどうかわからないので――本当に仕方なく、言われたとおりに目を閉じてみる。

 周囲の雑音と、隣に夕闇の気配。これはまあ、近いから分かって当たり前だろう。ついでに料理を届けに来た給仕の声。皿が置かれる音。誰かが飲み物を追加したようだ。そして目の前、彼女がいるべき場所――。


「え?」

 慌ててアヴィは目を開く。彼女はそこにいて、芋を摘まんでいる。酒を注文したのも、夕闇ではなかったから彼女のはずだ。けれど、聞こえなかった。いや、聞き取れなかった。


「あはは、気づかれちゃったか」

 今ははっきり聞き取れたし、彼女の声だとわかる。この距離で一瞬だけ耳がおかしくなったとか、そんなことは考えられない。だが二人の言い分からして、彼女が妖皇だと考えたのは間違いだったようだ。


「でもねえ、あたし、偽物じゃないよ? 本物じゃないっていうなら、否定出来ないけど」

 どういう意味かとアヴィは眉根を寄せる。夕闇は変わらず…いや、警戒心を露わにしていた。


「ほら、これ」

 差し出されたそれは、何の模様もない釦のようなものである。流石に手に取ったりはしなかったが、彼女はかまわずそれを二人の前に置いた。さわってごらん、と微笑まれてどうしたことか、アヴィがそれに手を伸ばす。もちろん夕闇が制止したけれど、間に合わない。彼の指先がそれに触れて、同時にびくりと身体が震えた。いや、夕闇の身体はアヴィから弾かれたのだ。


「アヴィ!?」

 呼びかけても反応はない。触れればやはり弾かれて、その手から釦を奪い取ることも出来ず、夕闇は彼女を睨む。


「別に悪いものじゃないよ。エレーミアの徽章だよ。仮のものだから、模様も何にもないけどね」

 けれど夕闇は警戒を解こうとしない。知識の中には確かにそういうものだと情報があったけれど、こんなふうに反応するものとは思えないからだ。それに本来、妖力を注ぎ込んで定着させることで個人認証を果たすはず。今のアヴィに、いや今後もだが、アヴィがそんな器用なことを出来るようになるとは思えない。実際、今もまだ正気に戻らないではないか。

 そう言い募った矢先、バチィと一際激しい音がした。

 それはどうやら周囲にも響いたらしく、酒場の喧噪が一瞬、止んだ。だが個室であったことが幸いして、さほどの間を置かずに喧噪が戻る。その間、片時も彼から目を離さなかった夕闇は――苦笑した。


「……アヴィの妖力量ですものね……」

 釦は見事にひび割れていた。妖力が流れ込んでいる気配はないし、術具ですらなくなったようだった。そして同席していたはずの彼女もまた、姿を消していた。逃げた、とは思えないが、今はどうでもいいと、アヴィに呼びかける。幾度目の呼びかけで、ようやく反応があった。幾度か目を瞬かせて、どうにか正気に戻ったようだ。


「え、と?」

「アヴィ。警戒心がなさすぎますよ?」

 しゅんと小さくなる彼にひとしきり説教をしてから、さてどうするかと目の前の料理を見る。


「……あれ? あの子は?」

「消えました。…戻っては来ないと思いますよ?」

 理由は、山盛りに盛られたままの焼き芋である。一応、と夕闇はそれを一つ、口に入れた。もぐもぐと噛んでから、酒を流し込むようにして無理矢理飲み込む。困惑するアヴィにも一つ、口の中へ押し込んでやった。もぐもぐ、もぐもぐと噛み始めるが…いつまで経っても、噛み終わる様子はない。


「……減ってない?」

「実体じゃなかったようですね」

「実体じゃない存在がよくやるんですけどね。精気()だけ吸い取っちゃったんですよ。栄養分は残ってるみたいですけどね」

 だから酒で流し込んだのだと、夕闇は酒もまた彼に押しつけた。いっそ臭いとか何かあれば、帰って食べられたかもしれない。芋の味も塩の味も食感すらも芋ではない何かでしかないそれを食べるのは、妖魔だからこそ、至難の業なのだ。

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