☆3-12 まあ、一応極秘ではあるんだけど
2020年1月30日 ネタ間違いによる全面改稿その5。
ちょっと違うというかかなり違うというか。
「まあ、一応極秘ではあるんだけど」
そんなふうに前置きをして、シトリは語った。
蒼夜のいる旅芸団は、あくまで人間たちが主役であること。蒼夜のほかにも数人が下働きだったり経理だったりで参加しており、時には貴族の宴にも招かれるので、諜報としての役目を果たしたりもするが、それを知るのは座長やら在歴が長いものに限られる。今回行き会った集団は最大規模で、冬に向けては分散し、行商を兼ねた旅芸団として各地――主には人間が行けない奥地にある集落などを巡り歩くことになっていた。人間側としては、真冬の行程を厭わず、しかも新鮮な幸や笑いを届けてくれるその旅団は歓迎であるらしく、各地での扱いはいい。人間の商人の中には、彼らと契約して山深い地への行商を任せるなど、けっこうな浸透具合なのだ。
なお、夏前には結集して秋まで大きな旅芸団を作るのだが、誰が戻ってくるかはそのとき次第。下手をすると懇ろになってしまって奥地に止まる、なんてこともたまには、ある。
「まあ、隊商も似たようなものね。各地で捨て子とか、積極的に拾って育ててるのが違うくらいかしら。今はたぶん、半数くらいは人間らしいわよ?」
「……ついていける、のか?」
「一応ね。無理な子は本部で仕入れ担当とか、仕事は色々あるのよ。……みんな、飽きっぽいし……」
「あー……」
そこは、納得である。自分もそうだった。百年近く引き籠もっていたことの方が驚きなのだ。もちろん、そうでもない面々もいるのだろうが、そもそも国を出たいと考える時点で。
「……お前は何やってるんだ?」
「今は何もやってないわ。みんなに任せちゃったもの。ああ、言っておくけど側近に戻るつもりはないから、忘れないでね?」
分かってるよとフェネクスは溜息をつく。彼自身も元は側近の身の上だ、それはもうよく分かっている。
「それから、言っておくわ。ここ、エレーミアの飛び地よ」
「は? 飛び地?」
「――”飛び地”。本来の領土から離れた地にある領地のこと。金銭で購ったり、他国との折衝で譲ったり、その発生方法はさまざまである」
そうよ、とシトリは笑う。
「昔ね、エレーミアが買い取ったのよ。報復しないことの証に、ね」
同朋の保護に協力した人間或いは国にはそれなりの礼と礼節を。そうでない者には報復を。それもまた、初代が決めたことである。もっとも、当時のフェネクスが保護した場合はそれに該当しない。何しろ遠慮会釈なしに仕掛け、もぎ取ってくる。そこで報復までしたらエレーミアが悪者になりかねないという判断だ。そういうことで始まったのが飛び地であって、世界各国に存在するのである。もちろん、相手が不要としている地を、色をつけて買い取るのだ。迷惑料代わりに。ちなみに当然ながら、支払いは物品である。エレーミア産の工芸品は価値が高く、十分に見合うらしい。売るなり何なりは相手に任せてしまえば良いので、まあ楽ではあった。
それを教えると呆れたような顔をするフェネクスに、シトリが額を押さえる。
「そもそもこれはね? 貴方の後始末のために考え出された方法なのよ?」
どうしてこの男はそれを全く知らずにいるのか。彼には教えなくていいと初代が言ったのは確かだが、それにしたって何かしら、気づく機会はあったはずなのに。
(――そう言えば、変ね? わたし、メモリアを見つけたなんて話、聞いてないわ?)
ふとシトリが首を傾げた。その視線の先は、アヴィにある。
この坊やがメモリアであると言うことは、理解した。蒼夜から何も聞いていないのは、頼まれた乗船券の手配に忙しかったからだ。シトリとて情報網は持っているし(蒼夜と共有だが)、メモリアに限らずとも保護された妖魔について、最速で報告があがることになっている。少なくとも、本国からは何も言ってきていない。
「――そうね、やっぱり何もないわ」
掌に取り出したそれに何も書かれていないことを確認し、シトリは溜息をつく。妖魔が保護されたのであれば、そこに必ず、一報が入るはずだった。時間差と考えられなくもないが、そもそもフェネクスが国を出たという話すらも自分には届いていない。そう言えば、そもそもフェネクスはどうして国を出たのだろう?
「何だ、それ?」
「……ああ、”筆記板”よ。エレーミアからの一方通行だけどね」
問いかけはフェネクスの好奇心に負けた。
それの見た目はただ、黒い板である。もっとも、磨かれた表面は滑らかで、丁寧な縁取りもされていて、ちょっとした伝言板として売りに出せばそこそこの人気が出そうな代物だ。手を伸ばして来たフェネクスだったが、触れた瞬間に慌てたかのようにそれを弾いた。投げ飛ばさなかっただけ自制したと思ってくれ、とは後日の彼の言い分であるが、とりあえずそれは坊やが受け止めてくれたので、まあよしとしておこう。
「まあその程度で壊れたりはしないけど。あら、なあに、坊や?」
「え、あの」
驚いたような顔で自分を見ている坊やに声を掛ける。これが何かは聞こえていたはずだから、気にしているのは別のことだろう。戸惑ったような顔が微笑ましい。これではあのお嬢ちゃんでなくても惚れ込みそうだ。ああ、実際にフェネクスが惚れ込んでいるのか。
彼が聞いたら小一時間問い詰められそうなことを夢想しながら、答えを――問いを、待つ。
「いや、それ。どこから出したのかって」
「え?」
どこからと言われても、と今度はまた別のものを取り出して見せる。小さな巾着袋にはちょっとした一財産が詰め込んである。人間のような移動手段を使う身には、けっこう大切なものだ。
「ああ、フェネクスは使えないものね、これ。たぶん、亜界だと思うけど」
「亜界?」
「ごめんね、わたしもよくは分かってないの。初代は確か、「一段下の世界」って言ってたけど」
わかったような分からないような、と少年がフェネクスを見る。それは無理だと思うわ、とシトリは苦笑した。彼にその手の説明を求めたところで。
「……私が使う術とは違う仕組みだな」
これである。一応は己の耳飾りを示したから、違うものであることだけは伝わったようだが。
「あれは、魔素珠を作ってその中に閉じ込めてるのよ。一つ一つは容量が小さいし、気軽には取り出せないのが難点ね」
シトリも、一応はその術を使えるのである。しかし魔素珠を作ることが大変なので、そもそもやらないのだ。だからといって、亜界を使う妖魔はごく少数だが。
ちょいっと術を弄って、少年の手にあった筆記板を亜界へと落とさせる。びっくりしたような彼にはすぐさま、取り出したそれを渡してみせた。そう、編纂次第ではこんなお遊びも出来るのが楽しいところである。
「わっ、なにこれ!?」
「あら、どうかした?」
その手に落ちたときに何があったのか、一面に何かが浮き出していた。アヴィは壊したかと慌てたが、そんなことはない。よくよく見れば細かい文字が目一杯に浮き出しているようだ。
「……読めないわ」
「……無理だな」
覗き込んだイーリスも顔を顰めたので、一応、と夕闇に見せる。戸惑う夕闇にもそれが文字だとは分かったものの、読み取ることは出来なかった。アヴィに関しては言わずもがなである。
「てか、これ字? 落書きじゃなくて?」
「通信文だと思うわ。たぶんこれを使ったことがないわね、この術者」
そもそもがこれは使い方に癖があり、まともに使いこなせるのは彼女のほか数人の術者だけである。それを知らぬばかりか調整が下手な者が使うとこのありさまだ。受け取るだけの子機側では何の調整も出来ないので、向こう側の術者がやり直すなり交代するなりを待つしか無い。もちろん彼女とて最初から放置していたわけではなく、幾度となく調整を試みている。しかし、送り手側の技量に左右されるという仕様が発覚し、どうにもならないと諦めたのである。
「ま、気にしてあげる必要はないわ。本当に必要な連絡なら、あの子たちに頼めばいいんだもの」
初代妖皇が作った術具であり、魔王シトリの持ち物であることを知りながら勝手をする者の心境など、彼女にとっては一考にも値しないのである。
「ところでね、フェネクス」
また筆記板を弄り始めた坊やに視線を投げながら、シトリは問いかける。
「貴方、この子たちをどこで見つけたの?」
「――」
沈黙――いや黙りかとシトリは半眼になる。彼が説明下手なのは知っている。面白いのは口下手ではないところだろう。上手いこと相手を乗せて踊らせることも出来るらしい。どうしてそれで説明下手なのか問い詰めたいところだが、それは無意味である。そして今、黙り込んでいるのは説明が出来ないからか、それとも。
「言い包めようとか思ってる?」
「お前をか?」
即答であったことには満足した。しかし、その後もまだ、悩んでいる。これは拉致があかないかと夕闇に視線を向けた。
「ねえ夕闇ちゃん。貴女はどこで、フェネクスに拾われたの?」
「え、わ、わたし、ですかっ?」
「っておい!?」
慌てる彼をちらりと一瞥し、放置する。答えが返ってきそうな相手の方が大切である。
「貴女の名前、フェネクスがつけたのでしょ。相変わらずの趣味ね」
「趣味? ですか?」
「そうよ。女の子に”闇”なんて、よほどじゃなければつけないと思わない?」
ち、と舌打ちの音が聞こえた気がした。もちろん、フェネクスからだ。流石に気づいたかと笑ってしまう。
天籟、飛白、蒼夜。…他にもいるが、彼の名付けは少々趣味が悪いとも言える。音の響きは悪くないが、その意味を辿ると顔を顰めたくなることもあるし、単純なところでは、すでに滅びた国の言葉を使っているという点である。はっきり言って、彼以外にその国の言葉を使う妖魔をシトリは知らない。人間たちの中には研究者もいるし、その意味を知り、言葉を操れる者もいるかもしれないが、だからと言って名に使うとか、考えるものではないのだ。わざわざ滅びた国の言葉で名乗る物好きでないのなら、”夕闇”もまた、彼が名付けたのだろうと推測がついたまでのことである。
まあ別に、それが当人を縛るとかそんなことはないから、かまわないのだろうが……蒼夜辺りは、己の名の意味を知ったときに少し、落ち込んでいた気がする。出会いがどうとか呟いていたから、もしかしたらそこは、何かあるのかも知れないが単純に、見た目の色そのままらしいし。ああ、そういう意味では夕闇がそうかもしれない。夕暮れ時の朱色だ。だからといって”闇”はどうなのか。それから飛白は、…絣模様だったか。髪が日に透けたりすると現れる、色の違う部分からつけたらしい。見た目を重視する癖に本人は気づいているのだろうか。
(……天籟くらいかしら、当て嵌まらないのって。あら、それで言ったらこの坊や――”アヴィ”だったかしら。彼の名付けにしては、珍しい響きね。趣旨替えというわけでもなさそうだけど)
そんなことをつらつらと考えてしまう程度には時間が経ったころ、短い溜息が聞こえた。同時に周囲が静まりかえり、彼が結界を張ったことに気づく。そんな必要はないと言おうとしたけれど、それは聞こえてきた言葉で霧散した。
「”畏域”だよ」
「え」
「”幻泉”から、”畏域”に入った。そこで、消滅寸前だった魂を見つけた。……それだけだ」
「それだけって…え? それだけ……?」
夕闇を見て、少年を見る。二人とも、それを否定はしない。
そんなはずは、とシトリは困惑した。”畏域”が何であるか、知らない妖魔はいない。”幻泉”も同じく、皆が知っているだろう。だがどうして、”幻泉”から”畏域”へ行けると言うのか。あれはあくまで”畏域”から溢れた魔素溜まりであって、遡ることなど出来るはずがないのに。
「私の館の”幻泉”は特殊でね。時折だが、”畏域”と繋がるんだ」
館に住むようになってからそれを知って、だからこそ百年もの長きに渡って、館に籠もり続けたのだとフェネクスは答えた。側近筆頭の座を降ろされたのは、そういう意味でも都合がよかったようだ。
ああそう、とシトリは拳を握る。つまり彼は、隠居生活と揶揄されながらも全く意に介しておらず、どころかその生活を楽しんでいたわけだ。急に出歩かなくなった彼を心配して幾度も訪ねた自分たちに何も言わずに。いや、確かに教えられたところでついていけるとは思わないけれど。心配することしか出来ないだろうし、教えられなかったのかも知れないけれど。……彼の地に出入り出来たのか、この男は。確かに、訪ねてもいないこともあったし、まったく腐っている様子はなかった。そうか、そういうことだったのか。
「向こうとこちらで時間の流れが違うらしくてな。結界を張り重ねてどうにか、というところだ。長居は出来ないが、まあ魂を見つけて保護してくるくらいは出来るのさ」
「それは、わかるけど。いくら貴方でも、……魂二つ、現界させられるとは思えないけど……?」
魂は、あくまで魂だ。それを妖魔として現界させるには、まず核を与えなければならない。シトリ自身もそうやって生まれた妖魔らしく、身のうちに核を宿している。その造り主は妖皇陛下その人で、自分が最初の妖魔だからと側近の座に収められた、らしい。身体を得たときのことなど記憶にないから、すべて伝聞でしかないけれど。
問題は、その後だ。核があれば保護は出来るが、それだけだ。身体を作るには、定着させた上で魔素を注ぎ、圧縮して身体にしなければならない。夕闇は間違いなく彼に作られた身体だろうが、あの彼の坊やの分はどうやったのか。彼の妖力は自分に比べたら段違いに少ないはずで、それほどの妖力を調達することなど出来るとは思えない。だとすれば、誰か協力者がいるはずだ。
そんなことを聞いてみれば、ああ、とか。うん。とか。煮え切らない応えだけが返された。視線は反らされた上に泳いでいるし、そんなに言いたくないのかとシトリは膨れる。
「イーリスさま? それでは流石に納得出来ないかと……?」
恐る恐ると言った体で、夕闇が口を挟む。
よく出来た従者である。よく分かった従者である。己の主の言葉足らずを見抜いてきっちり始末をつけさせようとするとは、見上げた従者だ。そんなことを思うシトリだが、当のフェネクスは渋い顔だ。
(……”イーリス”? 偽名、かしらね?)
ふと気づいた。そう言えば、この坊やもそう呼んでいたか。その昔、放浪していたころから、国を変わるたびに名を変えて、後始末を押しつけるときだけ”魔王フェネクス”と名乗るとか、そういうことをしてきた男である。偽名を不思議には思わないが、庇護者にくらいは止めればいいのに、と思わずにはいられない。
それを知ってか知らずか、夕闇はシトリを見て微笑んだ。どこか透明な――まるで幻であるかのように。
「”時の迷い子”を、ご存じですか?」
「――知ってる、けど?」
「それが、わたしです」
夕闇から、静かに彼らとの出会いを聞かされて、シトリは深く溜息を吐いた。信じないわけではないが、まさか本当に存在したのかと。しかも坊やに共生していて、時にその身体を乗っ取ったりとか、今でもたぶんやれるだろうとか、信じられないことばかりだ。
「というかフェネクス。貴方、気づかなかったのね?」
「……」
だから言いたくなかったんだよ、と何やら心の裡が聞こえた気がしたが、まあ、…他に方法がなかったなら仕方ない、と溜息をつく。
「仮宿においておくという手もなくはなかったんだが」
「ちょ、それ勘弁して!? オレの私生活がないからっ!!」
「いや、お前こそ気づいてなかっただろう?」
「…そーれーはー…」
事実らしい、とシトリは苦笑する。それは確かに難しいだろう。己が魂の同居人に気づいていないのに、余所からそれを見て気づけ、とは。しかし、相手は女性であるからしてそれはたぶん、互いにあまり歓迎したくない状態だろう。…たぶん。
(夕闇ちゃんはどうかしらね……)
「それでもよかったかもしれないな。まさかこんなに早くお前に会えるとは、思いもしなかった」
早まったなと笑う彼のそれが冗談だと、わからぬシトリではない。けれどまた、彼の言う意味もわかった。坊やは男で、夕闇は女。そしてシトリ自身も、女の身だ。
「”変態術式”なら教えておいたわ」
え、とフェネクスが固まったのが楽しくて、シトリは笑う。びくりと少年が固まったのが視界の端に見えて、そちらへも目を向けた。
「なあに、坊や。何か知ってるの?」
「え、あの」
ちょいちょいと彼の袖を引く夕闇が、首を横に振っている。まるで、言ってはならない何かを知っているかのようだ。なんとなく、そこはシトリにも予想がついたので、とりあえずフェネクスを捕縛する。
「ってうわお前…っ」
「あらまあ、拍子抜けね?」
避けられるか弾かれるか、そこまで予想出来たから第二弾も用意したのにとシトリは彼の額を弾く。ち、とフェネクスが舌を打ち、ついでに言うと少々痛そうな音がしたが、赤くなることはない。
「ね、坊や。それとも夕闇ちゃんに聞いたほうがいい? 何があったの?」
「え、いや、別に、何でも」
「聞かせて?」
本気を出した女性――ましてや魔王さまの迫力に、雛鳥もいいところの坊やが抵抗出来るはずもない。同じく夕闇も…いや、彼女の場合は恐ろしさを肌で感じることが出来るため、それ以上の抵抗は端からする気が無かった。一応、主の意向を汲んでみたというところだろう。
「……はい」
どうにか喋らせることは出来たものの、主従関係になると性質までも受け継ぐのかと突っ込みたいほどの言葉足らずな説明であった。幸い、夕闇がまるでその場にいたかのように補足したので、何があったかは把握出来た。詰まるところ、妖魔に何が出来るかを教えるために”変態術式”を使っただけのはずが、そのまま少年を誘惑し。けれど幸か不幸かそこで術式が解けて、未遂に終わった、と。
(そうね。まあ、そういう過去持ち、だしね)
彼は妖魔の中でも特殊な生まれと育ちをしている。しかも確か、情報源にそういう輩を利用していたはずだから、まあそういったことも出来るであろう。ああ、でも良かった。過去を咎めるつもりはないが、今は別だ。第一、彼は情報源ではない……。
「何やってるのよ貴方は――っ!」
爆発と同時に鎖を引き絞ってしまったのは、仕方の無いことだろう。彼の自業自得と言っていい。何しろシトリは、彼を気に掛けていたのだ。彼の後始末を引き受けて、蒼夜たちの支援者となって、時には彼を訪れて語り合って。もちろんそれは自分が好きでやったことだから彼に責任はない。ないのは分かる。けれど。
「……道化?」
ぼそりと坊やが呟いた。
誰が道化で誰が観客か。分からなかったけれど、とりあえず坊やにも鎖を投げるべきだとシトリは決めた。頭を押さえている夕闇はこちらの味方につくようだし、問題ない。せっかくだからこの二人、ひとまとめにしてみようか。
刹那に考えを纏めると同時に、鎖を放つ、が。
「――……え?」
手応えがなかった。己の手を見れば、鎖であるはずのそれは、ただの光る粒子と化していた。少年に対しても、フェネクスに対しても。
おかしい、とフェネクスを見る。おかしい、そうこれは変だ。もちろん、彼は自分と同意の魔王だし、実戦経験は豊富だから遅れを取ることはあり得るし、術が通じなくても不思議はない。けれどこんなふうに、まるで魔素に戻ったかのような状態にすることなど誰に出来るというのか。術を『解く』か『壊す』か、そのいずれかになるはずであって、ただ崩れただけのようなこんな状態になるはずがない。
「――”盟約の書”の反応……だな、たぶん」
その視線は、坊やに注がれているとシトリは気づいた。当人は己を指して驚いたふうで、彼が何かをしたようには見えない。けれどフェネクスが言うには、「誠実」に盟友を守ろうとして、こんなことをしたのではないかということだった。その上で術者に悪意がないから、跳ね返さずにそのままにしているのではないか、と。
その説明の間に粒子は伸びてシトリへ――その心臓を取り巻いた。人間のそれとは異なるが、魔素を循環させるための機関であるから、間違いなく心臓だ。外そうにも触れないそれの反対端は、フェネクスへと続いている。互いのそれを縛るとか、何を考えているのかと、彼を睨み付ける。
「そう睨むな。元はアヴィが作った術式なんだ。発動の時に少し介入したけどな」
フェネクスがうそぶく。対等に、誠実に。どうやらその文言は、術の制御を当人に明け渡す、という形で発現したらしかった。発動の瞬間を制御出来たような気がして、ふと思いついたのだ。自分に仕掛けられた束縛術を利用出来ないか、と。
その答えが、現状である。改竄とはいかなかったが、シトリの術を乗っ取って”盟約の書”に引きずり込むことが出来たのだ。まだ彼女はそれを解こうとしているようだが、術者への還元が全く見られないことから徒労に終わることは目に見えている。どこまで自由が利くのかと空恐ろしい術である。
「まあ、無理に解く必要は無いと思うんだがな」
現れた巻物を示しながら苦笑するフェネクスに、当然の如くシトリは警戒を強めた。まあそれでも手を出すそのさまは何というか、猫が怖々と手を出しているかのようで、ちょっと微笑ましい。
そうして開いたそれには、ほんの二言、書かれているだけだった。
”互いに支配しない、対等な関係としての盟約である”
”ともに魔王として誠実であれ”
「……は?」
「状況を読むんだな、これ……」
アヴィとの締結とは内容が違うと、フェネクスは半眼になっていた。どういう意味か、シトリには分からない。普通の術は継承したそのままであり、術者が意識して作り替えるものなのだから。
「悪いな、せっかく出て来たんだ、また世界を彷徨きたいんだよ」
「別に、そこまで考えてないわよ」
せいぜいが反省の言葉を引き出すまでの折……お仕……説教…そう、説教のつもりである。そうでなければ、もっとしっかり彼を閉じ込めようとしただろう。
その内心が伝わったのか、うわあとアヴィが首を竦めた。
「イーリスさま……先読み、しすぎでは?」
「そう思わなくはないが……あんなものがあると、な」
夕闇の問いには、筆記板が示された。まあね、とシトリは彼の懸念を理解する。確かに、本国からはあれを通じての指令が来る。けれど、それに従うかどうかは彼女次第である。時にはあれをおいて出歩くこともあり、全ての命令に従うことは出来ないと、向こうも承知しているのだ。だから自分を縛らなくても、その心配は不要だと告げてみた。
「ああ、悪い。無理強いされるとは思ってない。……まあ、とりあえず”興図”を仕掛けて見ろ。発動出来ないはずだ」
「え」
その言葉に、シトリは慌てて”興図”を発動させた。彼の使う”興図”と違い、エレーミアへの一方通行だがその分、距離を問わないので重宝する。発動も二段階で、まずは扉のような術陣が現れる。……はず、なのだが。
「うそ……発動出来ない……!?」
そもそもの扉が現れなかった。それはフェネクスが国へ戻ることを拒否しているため、らしい。もちろん今、彼女にそのつもりがあって発動したわけではないことは承知している。それでもそうなったなら、と推測が告げられた。
「たぶん、私がいないところでなら発動出来るんじゃないか?」
「まさか」
それでもシトリはその場を移動した。己の部屋として確保してある奥間の一室で発動を試し、本来通りに術陣が現れた時点で大きく溜息をつく。軌跡を追ったのかフェネクスが姿を現すと、同時に術陣が光る粒子と化して、流れ消える。
「ここまでやる?」
「予防策だな」
予め縛っておけば、命令を無視する理由が出来る。そんな術を仕掛けた己に責が来るように仕向けられるから、ものは試しとやってみたのだと彼は笑った。
「さて、これでお前は国へ戻ることが出来なくなったわけだ」
「別に、飛空艇でも船でも帰れるわよ」
「なんだ、何か用事でもあるのか?」
ないけど、と言い返しそうになって口を噤む。もともと、国に用事などないのだ。いや、あるにはあるが、急ぎでもないし、期限もない。いつ戻っても問題はないし、戻らなくなって問題ないのだ。
「そういうわけで、道連れが増えたぞ」
「え?」
刹那の間も置かず、フェネクスはそう笑った。気づけばそこは先ほどまでいた一室で、坊やたちが目を白黒させている。何やら慌てて何かを背後に隠したようだったが、それを追求するより先にフェネクスの言葉が続いた。
「魔王シトリ。エレーミア初代妖皇の側近だ。今は役職も降りて、気ままな身分だな。国外にいることが多いから、世界情勢にも明るい。道連れとしては心強い」
ふ、と溜息を吐いてからシトリは笑った。心強いと評されて、悪い気はしない。
「アーヴェント。メモリアにして、私の従者だ。特性は――先ほど話したな。世間知らずが過ぎるから、気をつけてやってくれ」
「ちょ、それ酷い!?」
「そうね。……引き籠もりの魔王さまもいい勝負だわ」
慰めにならないどころか肯定したことには気づかず、シトリは呟いた。だがまあ、自我はしっかりしているし、問題は無いだろう。メモリアの扱い方はわからないが、要は”術が使えない”というところのはず。人間と同様に扱えばいいだろう。
「夕闇。一応は私の従者だが、アヴィの守護者だから、そちらを優先するに言ってある」
「あの。私も、その…似たり依ったり、ですので」
「あら、そうかしら?」
妖魔であり、術の使い方がわかる。それだけで十分だと笑いつつ、その額をつつく。一瞬で流し込むのは世界情勢やそのほかの知識、自分が持つ全ての情報だ。ちょっと一度にやり過ぎたのか、夕闇がその場で頭を抱えてしまったが……ま、今後のためなので許して貰おう。
「ま、こんなところかな。気ままな旅だ、仲良くやってくれ」
それだけ言い終えると、フェネクスはまだ残っていた皿から、普通に摘まんで食べ始めた。それきり何も、言おうとしない。
「おい」
「イーリスさま?」
「フェネクス?」
ちょっと待て、と詰め寄ったのは、他の全員である。
最終的に虹の由来と、国で何があったかを備に吐かせて、シトリはようやく納得したのである。
いつの間にかブックマークが増えている……感謝です。そして初期から読み続けているコメントくれた方、ほんっとうに感謝ですっ!




