☆3-11 蒼夜が頑張ってるのよ。貴方の名前でね
2020/01/30 ネタ間違いのための全面改稿 その4
ここは思いっきり変更しました。
「フェネクスさまー、ご飯、炊けましたよぅ。蒸らしますぅ?」
「ああ、頼む」
広すぎる厨房に苦戦しながら、厨房にいた面々に手伝われつつ、イーリスは次々と料理を仕上げていった。朝食ということで凝ったものは作る気はないが、せっかくだからと塊肉に塩と各種の香草を塗り込んで低温で焼いてみたり(一時間ほどかかるし、本来は数時間、出来れば数日は寝かせたいところである)、出汁を使わずにだし巻き卵を作ってみたり(卵が二倍になるが、出汁の味がない分、卵の味がしっかりわかるのでお気に入りである)、さすがにパンは無理だったので、アヴィお気に入りの薄焼きも作ってみた。巻き込む具は好きに出来るよう、野菜などは皆に任せた。ついでに蕃茄と酪乳で卵を焼いたり、卵と牛乳で焼きプティングを作ったり、馬鈴薯があったのでポテトサラダを作ってみたり、見つけた甘藷はあげた上で飴を絡めてみたり、やりたい放題である。
ちなみに炊き上がったのは白飯ではなく、かしわ飯――鶏肉の炊き込みである。どれほどの客が来るというのか、十号釜だったそれに目一杯に炊いたそれは、そのまま握り飯だ。
「さて、後は……」
「それくらいでいいわよ、すごい量じゃない」
苦笑したシトリの声に、ふとイーリスは目の前を見回した。うむ、確かに厨房の机一杯に広がっている。どう見ても、作りすぎだろう。まあ、後悔はしていないが。
「……ん? なんだ、もう上がったのか」
「夕闇ちゃんが上せちゃったから。あ、天籟たちも連れてきたけど、よかった?」
「天籟? どこにいる?」
「纏めて広間に置いてきたわ。坊やもぐったりしてたわよ」
遅かったかと苦笑する。一応、料理を始めてからしばらくして思い出し、結界は解いたのだ。まあ、せいぜいが湯あたりというところだろうし、流石にここで食べるわけにもいかないので、シトリも使って出来たものは全て、広間へ運ばせることにした。
「ふふ、美味しいわね。天籟の料理も好きなのだけど」
「懐かしいんだろう。昔はよく食べに来てたな」
「ええ、そうね」
そんな会話を交わす間にも、料理が平らげられていく。
アヴィは回復したのか楽しんでいるのか、薄焼きに葉物とか薄切り肉だとかを巻いて食べていた。天籟は全ての料理を一口ずつ食べて、味を確かめているようだ。夕闇は、……そんな彼らに恨めしげな表情である。
シトリにはその心がよく分かった。もちろん、経験があるためだ。美味しいものだと分かる匂いが辛い程度に体調が悪く、それなのに目の前で皆が大量にそれらを平らげていくのを見ると、人間ならずとも辛いのである。だから端の方で冷やされていたそれを取り出し、ほんの一つまみだけ塩を混ぜておく。無くてもいいが、たぶん今の彼女ならその方がいいだろうと、これも自分の体験からだ。
「……夕闇ちゃん。はいこれ、美味しいわよ?」
そう言って差し出したものの、夕闇はふるふると首を振ってアヴィの裏へ逃げてしまった。まあね、とシトリは苦笑する。何しろ、赤い飲み物である。呑んでみるとあっさりしているが、知らなければ手を出すのは躊躇われる見た目なのは百も承知だ。と言うことで、次なる策は被験者である。
「はい、坊や。一口飲んでごらん?」
「おれ!?」
誰も助け船を出そうとしないのは、それが何かを知っているからだろうか。それとも自分が被験者にされるのを恐れてのことか……多分後者だろうと当たりをつけながら、シトリはぐいぐいと推していく。
「美味しいのよ。二日酔いにぴったりだし?」
「――”二日酔い”。酒精を含む飲料を、自身の代謝能力以上に摂取したことで引き起こされる不快な身体的状態。夜間に酒を飲み、翌朝の起床後、顕著に現れる現象を指す場合が多い。延々とそれが抜けきらず、三日酔い四日酔いと揶揄されることもあるので、酒精の摂取には注意が必要である」
「え」
「あー……かかりが甘いんだったな……」
額を押さえるフェネクスに、シトリがもの言いたげな視線を向ける。流石にこの状況で誤魔化す気にはならず、その必要もないのできっちりと答えを返した。面白いわねの一言で終わったあたりは、やはり女傑と言うべきか。逆に夕闇が小さくなっていて、その当たりはどうにかするべきだろうかと悩んでいる間に、アヴィが押しつけられた硝子器を受け取っていた。
「……何これ……」
「まともなものよ、安心しなさい」
とあるものを連想させる色だが、匂いは柑橘系のそれである。単体から連想されるものに匂いも近いからと組み合わされているのだが、功を奏したのかそれでも恐る恐る、アヴィがそれを口にした。
「あ。美味い」
「当たり前だ、誰が作ったと思っている」
知るかそんなこと、がアヴィの本心だが、それはとりあえず口にせず、二口目を呑んだところで、シトリが夕闇を示す。あ、と思いだして彼女を振り返り。
「飲む?」
恐る恐る受け取った夕闇は、怖々と口に運び、舌先をつける。まるで猫のようだとは、その場の全員の心の声である。びっくりしたような顔をしたかと思ったらくぴくぴっと飲み干してぷはっと息を吐き、注目を受けていることを思い出したのか真っ赤になりと、何やらとても可愛い生き物のようだ。
「……ごちそうさまでした」
「どういたしまして?」
何やらうずうずしているシトリをイーリスが抱え込み、空になったそれやら皿やらは天籟が片付けを始めた。それで終わりかと思いきや、机は再度、料理に埋め尽くされた。違うのは、甘味系が多いことだろう。
「まだ食べるんだ……」
「久しぶりだもの。ああ、みんなはもう下がっていいわ、あとはフェネクスが給仕してくれるから」
彼女に逆らう気はないのか、仲居たちは一礼で出て行って、天籟も片付けものを揃えて上がってしまった。溜息を付きつつ茶を入れ始めた彼の隙を突いて、シトリが夕闇を抱き抱える。あっという間の早業で、アヴィが気づいたときにはすでに彼女の腕の中であった。
しばらくは夕闇もジタバタしていたが、お茶が並べられたころには大人しくなっていた。一口食べては夕闇に、二口食べてはアヴィにと、まるで何というか、子供を甘やかす親のようなシトリに、イーリスの視線が生暖かい。
「どう? 美味しい?」
「えっと……その……」
問いかけられて、アヴィは口籠もる。味は分かってきたし、不味いとは思わない。先の飲み物も、悪くなかった。しかし。しかしである。
「正直に言っていいぞ。シトリの好みに合わせたからな……」
遠い目をするイーリスに、アヴィは己の感覚がずれているわけではないのだと気づき、安堵する。そう言えば、今度の甘味は彼本人が手を出していない。つまりは、そういうことか。
「何よ、フェネクス。どういうこと?」
「甘すぎるんだよ、お前に合わせたから」
むう、とシトリは膨れて見せた。見せかけなのは分かっているから、軽く流すだけである。
夕闇は不思議そうな顔で自ら更に手を出していた。もきゅもきゅと食べる顔はちょっとほころんでいて、どうやら彼女たちは好みが似ているらしい。アヴィには甘くないからと水菓子の盛り合わせを出してやったが、自分は飲み物だけで終わる算段である。この程度の量はいつものことなのだ。
「満足したか?」
「ええ、十分に。天籟の料理も素敵だけどね」
「なら、そろそろ説明してもらえるか?」
「そうね、そのつもりよ。その前に、どこまで気づいたかしら?」
「天籟と、…ああ、飛白か。それくらいは覚えがあるんだが」
「そうね、その二人は貴方が名付けたのだもの」
二人、と言われて当然に、他にいる面々は何者なのかと疑問が湧く。いや、少なくとも皆が皆、妖魔であることくらいはわかるけれど。
「ねえ、私が”学び舎”を作ったこと、覚えていて?」
「”学び舎”?」
「未熟な妖魔たちの学び舎よ。忘れた?」
怪訝な顔をしたフェネクスだったが、しばらくして思い出したのか決まり悪げな顔をした。どうやら知らないらしい坊やたちへの説明も兼ねて、念のため、どんなものか説明しておく。
「自我は安定しても術の制御がままならない同朋がね、ときどきいるの。特に、自我があやふやなうちに変な環境に閉じ込められるとそうなりやすいわ。フェネクスが救い出してきた子たちはほとんどがそうね。ある程度は、連れ歩いていたのだったかしら?」
「……まあ、正直に言えば、持て余したんだ。あの頃は屋敷があったわけでもないし、皆を引き連れての救出作戦とか無理な話だからな。だから、エレーミアから接触があったときに、その……まあ……」
話を振ってみたら引き取ったのに、そこで口籠もる辺り、どうやら自分が何をしたのか認識はしていたらしい。だが、そこで続きを引き取ろうとは思わない程度の意趣返しは許されるだろうと、シトリは素知らぬ顔である。
「すまん、押しつけたことは謝る。悪かった」
あっさり陥落し、フェネクスは頭を下げた。あらあら可愛いとシトリは満足である。何しろその当時から礼を言われた覚えはあるが、詫びられた記憶がついぞなかったのだ。迷惑を掛けたことをまず詫びて、その後で礼を言うのが心ある対応ではないか、とは心の奥底に封印してあった思いである。
「そうね、けっこう大変だったわ。ちょうどいい暇つぶしにはなってたけどね」
シトリ自身は外政宮の長である。しかし、その地位はあくまで庇護者としての飾りであり、実際の外交は全て、部下たちが行っていた。何しろ魔王さまなので、下手に出向くと威力誓約という噂が出かねないためだ。だから実はとても、暇を持て余していた。文句も言わずに引き受けたのは、そういう話もあるのだ。
暇つぶし、と聞こえた気がしたが、事実であるし問題は無い。公言はしていないけれど、エレーミアでは誰もがそれに気づいていたはずだ。
「大半の子は、妖皇宮で役人をやってるわ。何もしてない子も、もちろんいるけどね。ここにいる子たちは、世界に出たがったのよ。貴方みたいにね」
「……」
ウィンクつきで教えてみると、フェネクスは半眼になった。あらあら何が気に入らないのと笑うシトリから、坊やたちがちょっとだけ距離を取る。
「……お前、知ってるよな?」
物心ついたころから放浪していて、気が向くままに好き勝手したら死にかけて、そのせいで魔王の称号を押しつけられたという過去を、シトリは知っている。
「おかしいわよね、どうしてその話を聞いた上でみんな、「世界へ出たい」と言うのかしらね?」
もちろん、シトリは彼から聞いたとおりの話を教えている。彼に称号を与えたのは二代目の妖皇陛下だが、そちらからも似たような話を聞いたから、事実として間違いないだろうと。
そこに彼がやらかした失敗談や、紛争一歩手前までやらかして後始末に苦労した話やらもきっちり付け加えるのだが、それでもかなりの人数がそれを希望する。実は彼の失敗談を聞いたからこそ、自分が補佐をしなければという使命感に駆られた者が少なくないことを、彼らは永遠に知らないままだろう。
この”隠れ宿”は、そうした経緯で作ったのだ。ここで働き、町中へ出ても問題ないくらいになるまでの修行の場なのである。なお、客人兼監査官はそういうことに理解のある人間たちや、ちょっとした遠出を楽しむ同朋である。ちなみにシトリは、彼らがフェネクスを賭けの対象にしている話を全く知らない。知っていれば面白がって全ての宿に招待したことだろう。
「いいのか、それで……」
「ええ、問題ないわ。お得意様を無料招待しているだけだもの。心付けは断らないけどね」
そうか、とフェネクスが遠い目をする。逆にそれでは、これだけの建物を維持する費用とかはいったいどうやって捻出しているのか、気になるところだ。妖魔に生活費が必要ないとは言え、またそこは別の話なのだから。
「隊商からよ。知ってるでしょ、エレーミア隊商団よ?」
「隊商団? ……国庫からという意味か?」
「え。違うわよ、隊商からよ?」
「だから、国庫だろう?」
「違うってば……貴方、興味がないにも程があるわよ?」
どう説明すればいいのよと、シトリは頭を抱えた。もしかして坊やも、と困り果てた顔でアヴィに視線が向けられて。
「……エレーミアってさ。貨幣制度、ないんじゃなかったっけ?」
「ええ、ありませんよ。交易の国ですから。ある程度は金銭での取引もあるとは思いますが、少なくとも自国では貨幣を造りませんし。外貨も別に、必要はしていませんね」
「ちょっと……坊やたちのほうが話がわかるって、どういうことよ?」
フェネクスの額を小突いてから、シトリは溜息を吐いた。
そう、エレーミアは自由交易の国である。自由なので無税であって、実は国にはほとんど収入がない。しかも交易とは即ち物々交換であり、外貨が獲得できない。せいぜいが、隊商の滞在費用くらいである。なので、国からの支援というのは、物理的…まあ、調度品の類いが時折届く程度なのだ。
その場合は隊商団も同様ではと思われがちだが、そうでもない。彼らは国籍こそエレーミア妖皇国だが、ほとんど国には寄りつかないのだ。世界各地にエレーミアの特産品を売って回り、時には魔物退治屋の真似事などをする集団なのである。そしてその団員は、大半が彼らの同朋、妖魔である。
「エレーミアは変化がないから、飽きるらしいの。妖皇宮の中からも時々希望者が出るのよ。……みんな、魔王さまの真実を知らないから」
「……教えていいんだぞ?」
「夢を壊さないであげて?」
何しろ妖魔という輩は、その精神のありように存在が左右されるのだ。救出が必要だった拾い子たちの精神が強いことは珍しく、自我が安定したとは言え、出来ればあまり揺さぶりたくない。その結果として、魔王フェネクスの英雄譚は増える一方なのである。
「……無理があるだろう? 百年だぞ?」
「蒼夜が頑張ってるのよ。貴方の名前でね」
「……は?」
「素敵な崇拝者ね?」
口をへの字にした笑顔でシトリは告げた。彼の功績のほとんどが、フェネクスの指示によるものと位置づけられていて、それは彼の意思なのだ。人間相手であれば百年は長いけれど、妖魔たち相手なら別に長くはない。そんな感覚なので、人間たちの間でどんな扱いになっているのか、あずかり知らぬところである。
「な…んの、利があって」
「目立たずに済むからだと思うけど? ああ、貴方ほどの無茶はしてないから、放浪魔王の恐怖は薄れてるかもしれないわね」
「それが薄れたら意味がないだろう!?」
実際、そのせいで面倒なことになったのだ。いや、自分がそれだと信じない輩がいたら同じ結果だから、そこはもう関係ないのかも知れないけれど。
「あるわよ? あら、貴方狙って恐怖を振りまいてたの?」
「それは、……」
あっさりと、シトリは答えた。交易の国として定着しつつある今。そして妖魔を虐げるより、保護して送り返した方が絶対的な利があること。その二点が保たれれば、恐怖など伝説の彼方で問題はないのだ。
彼が口籠もったのは、狙ったわけではないのが事実だからだ。ただ、何も考えていなかった。とにかく同朋を助けたくて、それだけでやっていたらいつの間にか恐怖の放浪魔王とかいう噂になっていた。そのことを知ってからも遣り方を変えなかったのは、それもまた、妖魔の一面であるからだ。誠意には誠意を。恩には恩を。理不尽な扱いにはそれなりの対応をすると、知られていて損はない――相手にとっても、自分にとっても。
知られていたほうがいい。それは、今も変わらない彼の考えだ。恐怖の伝説まではなくてもいいが、それが出来る存在だということ――妖魔の一面は、知らしめておいた方がいい。
(蒼夜が判断したなら……まあ……)
彼は昔から、情報収集能力に長けていた。噂を操り、見事に情報を引き出すこともしていた。勿体ないと思わなくはなかったが、解放したのだから好き勝手に生きればいいのに、何故にこんなことになっているのか。そもそも、助けが欲しければ声をかけろと言ってあったはずなのにどうしてシトリとつるんでいるのか。土産を送ってくるだけという平和な日々に安心しきっていたら、何やら自分が世間から取り残されているようだし、いったいどうしてこうなったのか。納得は出来ないけれど、それが時勢だと飲み込むくらいはして見せよう。それくらいしか、対価を受け取らない彼にしてやれることがないのだから。
その胸中を彼らが聞いたら呆れられるだろう。別に文句を言えばいいのに、お人好しが過ぎないか、と。
「……待て。蒼夜がいるのは旅芸団じゃないのか?」
「そうよ?」
「なんでそれが、隊商団になるんだ?」
「ああ、別だもの。蒼夜がやってるわけじゃないわよ?」
「……ちょっと、待て。説明してくれ、全部?」
妖魔ってのは生活費があまりいらないので、けっこう収入に無頓着な奴が多いみたいです。
そんな奴らを束ねるシトリさん、大変。




