☆3-8 ひどくね? この扱い、いくら何でもひどくねぇ!?
2020年1月30日 全面的に修正しました。展開自体は変わっていません。
アヴィが目を覚ましたのは、部屋に差し込む日がかなり強くなった頃だった。むわりと漂う酒の臭いに辟易し、思わず距離を取ってから、それが夕闇だと気づき、ちょっとだけわたわたする。が、戻ろうとはしない。もちろん、昨夜のことを覚えているからだ。
(……あのまま放置かー)
布団こそ用意してもらったようだが、誰もいないし、どう見ても昨夜の宴会場だ。どうして一つの布団に放り込まれていたのかはまあ、気にしないことにして置こう。放置されていたことは全く文句はない。自分だって放置したいし、布団を用意してくれただけで十分だと思う。出来れば別の布団にしてほしかったが……用意されているところを見ると、引き離せなかったのだろうか、もしかして。
あの様子ではそれもまたありなんと、アヴィは深く溜息をついた。
(……どうしろってんだ……)
出来れば忘れていてほしいのが、アヴィの本音である。あれを知らぬふりでやり過ごすとか、そこまでの鬼畜ではないつもりだ。しかし。しかし、である。出会ってほんの数週間なのだ。まして旅空で連れがいて、しかも自分たちの主であって、主は独り身で。……流石にそれは、従者としてどうかと思うのである。出来ればいずれ、どこかに落ち着けそうになったら改めて。ということにならないだろうか。
身動ぎすらしない夕闇を見つつ、そんなことを思う。イーリスが聞いたら「阿呆」の一言で切り捨てられること間違いなしである。彼的にはきっと、夕闇を押しつける相手が出来て万々歳だろう。
「……大丈夫、だよな?」
呼吸がいらない身体であることは理解したから、そこはまあ、いいとしよう。しかし、すでに周囲は明るいのである。自分でさえ目を覚ましたのに、まったく動かない彼女は本当に大丈夫なのだろうか。そう言えば「妖魔であっても毒は効く」とか言っていたし、酒も同じだとすると、これはちょっとやばい状態なのではなかろうか。イーリスなら酒精を抜けるとか聞いた気がするけれど、これはどう見ても放置だし。彼に頼るのではなくて、何か自分でやったほうがいいかもしれない。何か……何か、酒を抜く方法はないか?
「――”酒を抜く”。基本的にはとにかく水分をとり、体内のアルコール濃度を薄めることが重要となる。命の危険を伴う方法でよければ、サウナや熱めの湯船などでアルコールを蒸発させる方法もある」
自分の問いに答えが返ったことで、アヴィはちょっとだけ驚いた。今後ちょっと便利かも知れないと思いつつ、その内容に溜息をつく。前半はともかく、後半は無茶もいいところである。いや、妖魔であるならその手も使えるのかもしれないけれど、やりたくないし、自分にはやってほしくない。水を飲ませるのが手段のようだが、意識がない相手にどうやって?
思いつかなくもなかったが、流石にそれはやりたくなかった。それに、一口や二口で効果があるとは思えないし、そうなるとどれだけ大量に飲ませればいいのかという話になってくる。するともう一つの手段で湯船に放り込むべきか。
「いやいや何考えてんのオレ、女の子を湯船に放り込むとかダメだろ!?」
一瞬で正気に返ったかのようにアヴィは頭を振った。やるならせめて、仲居の姐さんたちにお願いしなくては。というかそれをした方がいいかどうか、判断を仰ぐべき相手は、どこにいるのか。
「まあ、酒を抜くならそれもありだぞ?」
「へ?」
「けっこう苦しいから、後で恨まれるかもしれないけどな。まあ一緒に入ってやれば、大丈夫だろう」
「却下っ!!」
「なら、放置でいいさ。酒が抜ければ自然に目を覚ますから」
湯上がりの風情で現れたイーリスは笑ってそれだけ告げた。実際のところは分からないが、自分はそうなるよと。
「何しろ動くと辛いからな。基本は頭痛だが、後は怠かったり眠かったり。……お前は大丈夫そうだな?」
「あー…まあ、そんなに呑んでないから」
「賢いな。夕闇もその程度でやめていれば、問題なかったんだが」
この様子だと、当分は目覚めない。散々酔っ払いどもを相手にしてきたイーリスは、自身の経験からそう判断していた。さて、どうするか。彼女が目を覚ましていれば、説教という話もあったのだが、それは却下だ。そうなると、第二弾として。
「――アヴィ」
心配そうに彼女を見るアヴィは微笑ましいが、出来ることは何もないのだ。人間で言う泥酔状態からは脱しているし、命の危険などないし、自分が何をしたか理解したら羞恥に溺れるだろうから、アヴィがいないほうがいいだろう。という内心はおくびにも出さず、彼の肩を掴んだ。
「な、なに!?」
「酒の臭いを落としてこい。先客がいるから、教えてもらえ」
刹那の間を置いて、アヴィが消える。直後、大浴場のほうで水柱があがったことで、一仕事終わりである。
※ ※ ※
「な゛に゛?」
背中に何か衝撃を感じた同時に、視界がぼやけた。呟いたつもりの口からは、ぶくぶくと泡が出ている。そして周囲は温かく、自分は動きにくい。
そこまで把握した結果、そこが湯の中だとアヴィは理解した。つまりは彼に、いきなり転移させられたのである。他に方法があるだろうと半眼になるが、とりあえずは上がってからだと手足をばたつかせ、水面を目指す。説明下手だと自己申告はあったけれど、これは絶対に違うだろう。下手なのではなく、面倒がっているだけだろう、どうみても。自分は彼の従者なので、彼を諫める権利があるはずだし、とっとと上がって彼を見つけてちょっとばかり説教するべきだろう。
そう言えば先客がいるとか言っていたが、そこもやはり言い聞かせるべきではないだろうか。他人に迷惑をかける遣り方など、わざわざやることではないだろうし。
そんなことを漠然と考えていたアヴィだったが、……己の主が甘い性格ではないことを、すぐに知ることとなった。
湯船――に沈む、死人のような顔色の天籟を見つけてしまったのだ。
「ひどくね? この扱い、いくら何でもひどくねぇ!?」
「あはははははは」
引き上げてから理由を聞いてみると、風呂酒に付き合ったら酔い潰されてそのまま放置されたとか、非道もいいところである。本人が諦めきった顔なのは気になるが、その理由を聞いても答えは返らない。
「いやー、まあ、…死にませんし、俺ら」
「そういう問題じゃないからな!?」
ははー、と溜息だけが返される。天籟からしてみれば、この程度で済んだしな、という僥倖レベルの話なのだ。だって、彼を賭けの対象にしたとかばれたわけだし。いちおう酒精もある程度は抜かれているので、この際だからと完全に抜けるまで死んでいるのも悪くないかと開き直ったところだったのだ。
もっとも、すくい上げられた時点でその考えは霧散している。やはり陸での生活が当たり前である以上は、湯船は浸かるものであって浮くところではなく、まして漂うとか沈むとか、それはもう湯船ではないのだと、正気に返ったのである。…それは多分に諦念を含んでいたが。
「てか深すぎるだろ湯船!?」
「あー。うん、まあ一般的な湯屋とか考えると、深いよなぁ……」
立ち湯と呼ばれる、深い湯船を売りにした宿があることは、天籟も知っている。というか、一度敵情視察と銘打って楽しんだことがある。そのときに驚いたのだ、あくまで立てて、歩ける程度の深さしかないのだということに。まあこの深さだと人間には危険だから、それは仕方が無いかもしれない。…いちおうこの宿、人間のお偉いさんも来るのだから。
「……俺、臭い?」
「はい?」
「湯船に叩き落とされるほど、酒臭い?」
ひとしきり叫んで気が済んだのか、アヴィはそんなことを言った。ああそれね、と天籟は笑うしかない。酒を呑んで水浴びも風呂もなしに眠ってしまうと、翌朝はかなり臭い。それも酒とかそんなことがわからないような嫌な臭さになるのだ。これはもう、酒という飲み物の特性なのだろう。人間の客人も、宴会をした仲居どもも皆、そうなのである。比較的酒に強く、後始末を引き受ける事が多い天籟としては、せめて全員を風呂に放り込みたいところなのだ。ちなみに以前、仲居たちにそれをやって、風呂を破壊されてしまったので二度とやらないと、心に決めている。
「そうかぁ……臭いんだぁ……」
へこみつつ、アヴィは顔の半分まで湯に浸かった。温めであるものの、十分に温かい。朝日はさほど強くなく、心地よい日差しだし。この際だから堪能しておこうと、開き直り気味である。
「潜り込んでもかまいませんよ? 掛け流しだし、ほかに客もいないし」
「んー、それはちょっと、なんか違うから」
”温泉”。地熱などで温められた水が湧き出たもの。出で湯。効能や温度は様々であり、中にはその成分によって色が変わり続ける温泉もある。なお礼儀としては、入る前に掛け湯で己を清めることと、髪の毛などを湯につけないことが推奨される。
と、彼の中では警告が発せられていた。うん、それを言うと湯船に叩き落とされた時点で礼儀もへったくれもないわけだが。ついでに言うなら、水中での呼吸が不要ということは理解したが、まだ納得出来ていないのだ。夕闇に引きずり込まれたこともあり、ちょっとした精神的な傷である。
(あれ、そう言えば何か……)
驚いている間の出来事だったから、全く覚えがない。滑らかで柔らかい何かに包まれたような気もするが、それだけだ。その感触を思い出しかけて、アヴィはぷるぷると首を振る。思い出してはいけない、たぶん身体のあらぬところが熱を持つ。まったく、夕闇は何を考えているのか、己が女だと――人形だからと言って、女に思われないとか、まさかそんなことを考えたのか。女ならもっと警戒心…いや慎み…うーん……?
「あー……まだ呑む気だなぁ……」
「え」
ドツボに嵌まりかけたアヴィを引き上げたのは、天籟のその一言だ。示されたのは奥まった処にある階段で、何やらイーリスがそこを上がっていったらしい。どうしてそれで分かるのかと言えば、酒盆一揃いを手にしていたからだとか。
アヴィの目が半眼になる。
「今し方一人酔い潰してまだ足りないのかよ……」
「あははははは……酒飲みなんて、そんなもんだよ。変な酔い方しないし、いいんじゃね?」
「……お前がいいなら、別にいいけど。警戒心なさすぎだろ……」
被害者があっけらかんと笑っていたら、もうそれ以上問い詰める理由はないのである。しかし、自由だ。自由すぎる。確か彼は国と……もう一つの国から追われているはずなのに。
「ん? 警戒って?」
「あー」
国から飛び出して追っ手がかかっているはずで、隣国でもやらかして追っ手がかかるかもしれなくて、なのに飛行船から離脱するし、”興図”を使ってまで宿を探して移動するし、従者は放置したと思ったら風呂へ投げ込むし、どうせなら”興図”を使ってもっと遠くへ逃げればいいものをのんびりしているどころか朝から酒風呂で、自由が過ぎるにもほどがある。と仕舞いには彼への愚痴となっていたが、概ね、間違ってはいないはずだと力説する。
「十分、警戒してるじゃん、それ。”興図”で移動したら、追える人間なんかいないし」
そもそもが、”興図”というのは、地図を素地にした移動術の総称である。現実の地図を素地とする術や、天文図――星の位置を素地とする術もあるが、基本的には妖魔以外の存在では耐えられない。事前準備があれば追跡自体は可能だが、どこへ行くかわからない相手を補足し続けようとするなら、かなり大掛かりになってくるだろう。
そういう視点から考えると、十分に警戒していると、彼は言うのだ。
「あと、この宿に来てからのこと言ってるならさ、それこそ問題ないぞ? 人間、いないし」
「え?」
「あれ、気づいてなかったのか?」
気づくも何も、区別がつかないんだがとアヴィは半眼になる。言われてみて、天籟も大いに頷いた。確かに自身も、その気で相手を見ていなければ見逃すことはある。正直なところ、アヴィが人間だと言われても納得しそうなのだ。
「――あー…だからあれかぁ。いやでも、だからって普通は警戒するよな!?」
思い返してみれば、宿に入るとき、イーリスの様子が変だったのだ。もしかしたらあのとき、従業員が何者なのかに気づいたのではなかろうか。だとすれば、そこからの彼がまったく警戒する気配なく過ごしていることも合点がいく…いや、それはどうなのだろう。自分の地位や力の自信があるとしても、相手は妖魔とやらのはずで、自由に術が使えると言うことは「何をやらかすかわからない存在」とも言える。もちろん、彼がそれを忘れているはずはないけれど、しかし、だとすれば多少の警戒は必要だと、普通はそう思うものではないのだろうか。
「いや、返り討ちになるだけだし、実際、犠牲者出てるし。俺たちじゃ束になったところで敵わねぇお人だよ?」
「は!?」
彼の言う「犠牲者」、それはもちろん女将である。夜明けとともに解放されたらしいが疲労困憊で、ぐったりと眠っているらしい。なので今日、宿は開店休業である。
妖魔って、けっこう残念なところがあったりするんですよね。




