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魔王が逃げて、何が悪い?  作者: 冬野ゆすら
第三章
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3-3 待て、ちょっと待てイーリス

 アヴィが目を覚ましたのは、その日の夕刻を過ぎたころだった。悪夢は見ずに済んだのか、そこそこ回復したようだ。

 ちなみにその間、イーリスは甲板で日に当たりながら居眠りをしていた。…夕闇などはそれを何かの策かと誤解しているようだが、正真正銘、居眠りである。


(魔法の塊のこの船で、何が出来ると思ってるのやら)

 船そのものは、まっとうな手段で作られている。しかし、飛ばす為の手段は人間たちの魔法であり、そんな中に術を放とうものなら何が起きるか、予想が付かない。実際、そこだけはと散々に言い含められているので、せっかく作った百群も放つことが出来ず、止まり木で眠っている。


「…ごめん、いらねぇ。見たくねぇ」

 目の前に置かれた菓子を見るなり、アヴィが口元を押さえて目を反らした。どうやら、まだ引きずっているらしい。


「…あんな夢みたら、絶対ひきずるって……」

 恨めしげに呻く彼に、二人は苦笑した。イーリスは…まあ若い頃はあったかもしれないが、すでに齢数百年を数えるから今更で、夕闇はまあ、自分ならあり得るかもしれないなという同意のものという違いはあったけれど。


「ま、それはそれとして、だ」

 二人をソファに座らせて、イーリスは一人用のソファに腰掛けて、その肘掛けに頬杖をつく。


「何があったか、二人とも理解しているか?」

 彼の言葉に、ぎくりと二人が顔を見合わせる。

 イーリスとしては責める気はないのだが、人間が死にかけた以上は放置するわけにもいかない。


(別にかまわんのだがな…きっかけを作ったのは奴らだし)

 完全な自業自得である。最初から素直に正体を明かせば、少なくともあの結果は避けられただろう。それで死人が出たとしても、彼らを責めるのはお門違いだ。だが今後のことを考えると、行く先々で騒動が起きるということだけは、避けておきたい。まして、ちょっとした注意で避けられることであるなら。


「ま、簡単に行こうか。まず、アヴィ。仮面を壊したことは、覚えているか?」

「えっと…、はい。覚えてます」

 別に畏まらなくてもいいんだがと思いつつ、質問を続けることにする。


「方法は?」

「方法?」

 ふとアヴィが腕を組む。そして考えているらしい素振り。…しかし、だんだんとその姿勢が崩れていく。

 口元に手を当てたり、額を押さえたり、また腕を組み直したり、コメカミを押さえてみたり、両手で頭を押さえてみたり、して。


「思い出せん」

 だろうな、とイーリスは内心で溜息を付いた。一瞬で言葉遣いが戻ったことは、…まあ、アヴィだから仕方がないと気にもしない。


「で、夕闇。自分が何をしたか…なぜそうしたか、わかるか?」

「……あの…あの時点では全くわかっていなかったんですが、……今は、方法も含めて…たぶん、教えられるくらいに……」

「いや、教えなくていい。やらないようにだけ気をつけろ」

 本当に理解しているのか不安になるが、……まあ、大丈夫だと思いたいところである。それでもたぶん、と内心でため息を吐く。おそらくきっと、アヴィの危機と思えば躊躇わないだろう。それはもう、自分も同じことなので、その状況を作らないように気をつけるしかない。

 まずは、アヴィに基本を叩き込む必要があると、イーリスは思考を切り替えた。


「アヴィ。とりあえず、仮面を壊したこと自体はどうでもいい。あの状況なら、私も壊しただろうしな。問題は壊し方だ」

「壊し方? …何やったかなんて、覚えてないけど」

 壊したのはいいんだ、と呟きつつアヴィが応える。


「魔力を流しただけだろうな。それも、私か夕闇なら消滅する量を」

「え?」

 夕闇を振り向くと、彼女は静かに頷いた。


「……え?」

 イーリスに向き直れば笑みはなく、渋い顔だ。


「あの仮面な。……初代妖皇の作品だそうだ。初代は妖魔には珍しく、道具に半永久的な術を掛けることを得意としていたらしい。あの仮面はその一つだということだな」

「初代妖皇って…あの朝顔作ったヤツ?」

「……ああ、そうだな。うん、あれもそうだな……そう言えば、処分せずに出てきたな……」

 苦虫を噛み潰したような顔で、イーリスが遠くを見る。逃げ切った後、朝顔は改めて処分にいく予定だったのだが、すっかり忘れて飛び出してしまったことを、今更ながらに思い出したのだ。そしてあれは、植物であるので……成長する。自力で。いつか館へ帰るとき、きっと周囲はあれに埋め尽くされていることだろう。

 そう思うと、更に帰る気がなくなっていくイーリスである。


「……朝顔(あれ)は植物の性質を利用しているから、増えるのも育つのも、種任せだけどな。…そうじゃないものに、半永久的に持つような術を掛けようと思ったら、どれだけの魔力がいると思う?」

「魔力?」

「術と言っても、紋様術だが。魔力で直接描くか、液体にした魔力で描くかの違いはあるが、とんでもない魔力がいるぞ?」

 実演して見せたいところだが、…魔力の塊の中に術を紛れ込ませるわけにはいかない。何かいい例えはと考えたところで、思い出した。紋様術は、館で一度だけ、見せてある。


「私の館に結界を張って見せただろう。あれも紋様術の一種だ。あの一瞬でも、私の魔力なんぞほぼ使い切る。規模が小さいとはいえ、半永久的にかけようと思ったら同等か、それ以上の消費だぞ?」

 言外に、やるなよと含めてそれだけ告げる。


「…初代さんって、なにげにすごい?」

「ああ、そうだな」

 理解していないことに気づき半眼になるが、それならそれでと切り口をかえることにする。


「二代目妖皇でさえ、魔力を操る量が追いつかないと言っていたくらいだ。…そんな化け物がつくった道具を、お前は壊したんだよ。どれほど危険だったか、理解しろ?」

「え、でも。…おれ、けっこう平気で…」

「平気じゃなかったですよ!?」

 夕闇が思わず、と言った様子で叫ぶ。イーリスは額を押さえて、そういう認識かと呟いた。


「魔力の放出が止まらなくて、身体が失われかけてて、だからわたしが……!」

 ぶるり、と夕闇が身体をふるわせる。思い出したことによる恐怖だと、イーリスは気づいた。

 がくがくと身体をふるわせる彼女をアヴィが慌てて抱きしめるが、震えは止まらない。


「夕闇!」

 一瞬遅れて、イーリスがその名を呼んだ。びくりと身体を震わせた夕闇が目の前のアヴィを見て、すこし、震えを納める。視線だけでイーリスを探し、見つけて息を吐き、ようやく震えは止まった。


「……初めは、仮面に魔力が吸われているのかと思いました。だから、仮面を切り離して…でも、流出が止まらなくてなんの意味もなくて……イーリス様がすぐに来て下さったから、だから間に合ったんですよ?」

 ぎゅっとアヴィを抱きしめつつ、夕闇はそれだけ答えた。その続きは、イーリスが引き受ける。


「…その辺りは正確じゃないな。夕闇が私を呼びつけたから間に合ったんだ」

「……え?」

「えってお前……自覚してなかったのか」

 イーリスは呆れて嘆息する。


「召還術だ。夕闇が私を呼び寄せた──二代目でさえ、本人の同意なしに召還するなんて至難の業なんだが?」

「え、無理ですよ。わたしにそんな…移動術も使えないわたしに、そんなことが出来るはずがないじゃないですか」

「移動術と召還術はまったくの別物だ、そこは不思議じゃないな」

 きょとんとした顔の夕闇は、それが事実と思えないようだ。だが、事実として呼びつけられているし。


「何が起きたかと思ったよ。夕闇の悲鳴が聞こえたと思ったら目の前にいて、しかもそのまま気絶するし。お前はその向こうで動かないし、苦労人と見たことのない男が倒れているし。……夕闇に感謝しろよ?」

 術をその場で構築すること自体は、別に不思議ではない。そもそも、妖魔は必要に応じて術を構築し、行使する存在だ。そしてそれも、人間が使うような魔法とは比べものにならないくらいに融通が利く。故に、火事場の馬鹿力的に何かをやらかしても、不思議はないというあたりが、イーリスの見解だ。問題は、…説明できると言ったくせにその辺りの自覚がない夕闇かもしれない。他に何が出来るんだろうと、内心では楽しみな彼である。


「おれ…、人殺すとこだった…?」

「あ、お前じゃないぞ、周りが倒れたのは。夕闇の仕業だ」

「へ?」

 イーリスにそれ以上の説明をする気はないらしく、夕闇に視線を投げる。夕闇は恨めしげにイーリスを見てから、話し始めた。


「魔素吸収型の妖魔の中に、ごく一部ですが人間の生命力を魔素と同様に扱う者がいます。で、まあ…わたしもその一人だったようでして」

 転移術は、妖魔を以てしても魔力の消費が激しく、周囲に潤沢な魔素がなければ使用者が瀕死に陥ることもある。とうぜん、あの会場に潤沢な魔素などあるはずがない。


「人間の生命力は、若い妖魔一人分くらいには充当出来ますから……でも、わざとじゃないですから、ね」

 それ以上を言わないのは、今にして思えば自制する気はなかったとわかるからだろうか。二人が倒れていたということは、無意識に双方から吸い取ることで加減したのかもしれない。


「お前に何かあれば、夕闇が暴走する。そうなると、旅を続けるのが難しくなる。──今のようにな」

 現状──彼らはどう見ても、逃げているのだ。長居する気がなかったとは言え、自らの意志で旅路を急ぐことと、追われるように必死に逃げることは、同義のわけがない。


「だから、多少は自重してくれると有り難いな。ま、…行っておきたいのはそれだけだ。で、次の目的地だが」

 それだけ言って、イーリスは地図を広げた。街を歩いている間に入手しておいた、最新の地図である。

 地図を埋め尽くす一つの大陸に点在する、幾つもの名前。それらは全て都市国家だ。実はこの世界に置いて、現状で明確な領土を持っているのはエレーミア皇国と、それに隣接する大公国の二つきりである。


「待て、ちょっと待てイーリス」

 国の成り立ちをそのまま説明しようとしたイーリスに、アヴィが待ったを掛けた。まあ、当然だろう。彼からしてみれば、よほどの説教がされるはずという覚悟もしたのに、あっさりと話が変わってしまったのだから。


「なんだ?」

「なんだじゃなくてな? もうちょっと、何か…何か、ない? てかあるよな、普通はもうちょっとあるよな!?」

 にやり、とイーリスが口の端をあげた。


「叱って欲しいのか?」

「いや欲しいとかじゃなくて、だから…」

 何か言え、と夕闇を見るが、視線は逸らされた。


「そもそも、奴の策に乗ったのは私だからな。責める資格はないと思うが?」

「や、…でも……えー……」

「人との騒動は後を引く。だから、自重しろ。言いたいことはそれだけだな」

「……ほんとに……いいんだな」

 どうやら本気で言っているらしいとアヴィは悟り、息を吐いた。


「──気を付ける」

「ああ」

 コツン、とアヴィの頭を拳で鳴らし、今度こそそれで手打ち、ということにした。


「さて、話は戻るが──次の国だ。飛空挺が下りるのはトランジット市。その名の通りの中継都市だ」

 示したのは、幾つもの街道が交差する地点にある、かなりの広さの都市である。その形状も、街道に沿って延びる不思議な形をしていた。


「元々は、ちょっとしたオアシスがあったことから旅人の休憩所として整備されていたそうです。旅商隊(キャラバン)の基地になったころに温泉が見つかって、本格的な保養地として発展を遂げたそうですよ」

「温泉。──地下水の中でも地熱で温まり、その土地の平均気温以上の温度を保つものを指す。さまざまな泉質があり、浴用または飲用することで、健康促進や病気の治療に効果が出ることがある」

 おや、と夕闇が笑った。またか、とイーリスも頬を緩め、当人は大きく溜息をついた。


「ま、妖魔(わたしたち)には関係ないんだがな。…しばらくぶりだな、それ」

「そういや、……そうかも」

 街中でそれを見られると面倒だから実は避けていたイーリスである。


「で、せっかくだからしばらく滞在しようかと思うが、どうだ?」

「え、いいのか?」

 イーリスの言葉に、アヴィが疑問を投げかけた。かなり慌ただしく飛び出して来たから、先を急ぐものだと思っていたのに、と。


「私相手に追っ手を出すほど、人材はないだろうな」

 笑いながら言う彼の顔が怖いと、アヴィはちょっとだけ夕闇の陰に隠れようとする。そんなアヴィを楽しそうに撫で撫でしながら、夕闇が付け加えた。


「魔王様ですからね。人間の追っ手なんて、あしらうまでもありませんよ」

「話はついているしな。あるとすれば辺境公個人の追っ手だが、まあ気にしなくていいだろう」

「いやあの、俺、何にも出来ないんですけど!?」

 アヴィの悲鳴に、ふむとイーリスは首を傾げた。


「夕闇。今後、可能な限りアヴィと行動を共にしてくれ。最優先はアヴィでいい」

「はい、承ります」

 よろしくね、と夕闇はアヴィに笑いかける。かわいい女性に守られることに少々情けなさを覚えながら、アヴィは手を差し出した。


「よろしく」

 一瞬戸惑ったような様子を見せた夕闇だったが、すぐに理解してその手を握り、ついでに少し引き寄せ

て、その首筋に唇を落とした。

 同時に、船ががくりと揺れる。


「……なっ!?」

 ほんの僅かではあったが、不意に地面がなくなったかのような奇妙な浮遊感を覚え、アヴィはソファにしがみついた。

 対して二人は、平気な顔である。


「え、何ですか今の?」

「あ、悪い。言い忘れてたが、船の中で術を使うなよ。疑似精霊に影響が出るそうだ」

 接触程度で影響が出るほどの緻密さに、イーリスは呆れ顔だ。魔法の一つでも打ち込まれたら、この船簡単に落ちるのではなかろうか。


「言って下さい、そういうことは先に! 接触術(キス)程度で影響が出るって、そんなの飛ばすんですか、人間て!?」

「やばすぎるだろ、それ!?」

「だがこれがないと徒歩だからなぁ。後は馬車か…面倒だぞ?」

「いや、そう言う意味じゃなく」

「ええ、そう言う意味じゃないんですが」

 言いたいことはわかるが、とイーリスは笑う。


「徒歩だと十日の距離だからな。何かが起きなければ問題ないんだろうさ」

 そう言って、ちらりと夕闇をみた。


「…そういや、今の何?」

 その視線にふと思い出し、アヴィが問いかける。


「通信術ですよ。魔力を通す為の経路のようなものですね。何かあったときに便利ですよ」

「便利って…いや俺が何かやらかす前提?」

「ですよ。……ですよね?」

 視線を向けられたイーリスは無言で頷いた。


「やらない理由がないな」

「一、二年は監視がいりますね」

「その前に教育してやってくれ……」

 監視しなくていいように教育すること、それこそが急務である。

 そこへ、ととととん、と扉を叩く音が響いた。


「失礼します。イーリス様はご在室でしょうか」

「ああ、いいぞ入って」

 失礼します、と入ってきたのは上等の制服に身を包んだ船員である。


「機関部に異常が発生したため、地上に降りての整備となります。数日かかる見込みとのことで、これよりも小型の飛空挺でよろしければ、お乗り変えいただけますが、いかがなさいますか?」

 うわぁと内心では首を竦めるが、表には出さずに考える。地図上は、この辺りに何もない。整備ともなれば術は使えないし、その間確実に退屈するだろう。急ぎではないが、まああの国からは早く離れたいところだ。…と、なれば。


「では、頼む。ああ、荷は自分たちで運ぶから、触らないでくれればいいよ」

「はい、畏まりました」

 残念ながら、温泉は少し、先送りである。


   ※ ※ ※


 明けて翌日。


「……小さいな」

 用意された飛空挺を見て、イーリスが呟いた。


「まあ、小型だって言ってたしな?」

 さすがにちょっと小さいようなと思いつつ、アヴィが応える。


「飛空挺って言ってましたよね?」

 夕闇が首を傾げて呟けば。


「まあ、本来の飛空挺はこういうものらしいんだが」

 イーリスが台詞と共に溜息を吐いた。


「で、これ何だって?」

「複葉機とか言ってたな。主翼が二枚あるからだそうだが、わかるか?」

 イーリスの問いかけに、アヴィは半眼になる。


「複葉機。──飛行機において、揚力を得るための主翼が二枚以上あるものを指す。動力機関が非力で速度が出ない機体において、翼面積を大きくすることで必要な揚力を確保することを目的とする。速度よりも小回り重視であり、曲芸飛行などに利用されることもある」

 一気にそれだけ言って、アヴィはガシガシと頭を掻いた。


「だからさー」

「悪いな、これは私も初めて見るんだ。船の形をしていない飛空挺があるとは聞いていたが」

「実用化されているんですねー」

 興味津々と言った二人に苦笑して、文句は引っ込めることにしたアヴィであった。

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