3-1 ──人には、敵わないな
遅くなりましたが、第三章始動です。
「あ、もう決まったんだ? 夕闇、まだ起きてないけど」
「ああ、目覚めるまでとか言ってたら何時になるかわからないしな。容態は落ち着いてるし、問題はないさ」
蒼夜を帰した後、イーリスはあっさりと出立が決まったことを告げた。
飛空挺は用意されたのではなく、定期便の中で直近に出立するものの中から、出来るだけ遠くへ向かえる便を、蒼夜が選んだものだ。その行き先には少々物言いをつけたいところではあったが、国境を越えて内陸へ向かうとなると、たしかにそれが最適だと認めないわけにもいかず、しぶしぶ了承した上で、である。
「そう言うことだから、いくぞ」
「もう行くの!?」
まだ夜である。正確には、夜中である。…そう、彼らが騒動を起こしたのはほんの数時間前のことなのだ。
「ああ、どうせ目覚めないなら飛空挺で眠らせても同じだからな。荷は運んでくれるそうだから、夕闇だけ連れて行く」
そう言いながら、くるくると夕闇を毛布に包み、横抱きに抱え上げる。余談だが、一人を抱き上げる程度で術は使わない程度の力はもっている。
一応、とアヴィは自分の財布だけ確かめて、彼に追随した。
話は通っていたらしく、二人はすぐに飛空挺への乗船を許可されて、客室に案内された。応接室に加えて二間が続き、更に浴室まであるという、ずいぶん贅沢な部屋である。
「……貴賓室?」
「だろうな」
気負いもなく夕闇を寝かせて、イーリスは溜息を吐く。誰かがついていた方がいいだろうという判断のもと、寝台が二台ある部屋のほうだ。
「…なんで、二台?」
「なんでって、それが普通だろう?」
「……いや、夫婦用だよな? 大きい寝台で二人で寝るものじゃなかったっけ?」
疑問を口にするアヴィに、ふむ、とイーリスが答える。
「一般には、夫婦で寝室は同じでも、寝台は別というのが主流だな。──後宮を抱えるような王族ならそう言うこともあるようだが」
「ふーん…」
後宮などがあると、相手が誰か、または相手がいるかわからないから、寝台を用意する必要もない。…要は、そういうことなのだろう。だから中には、そういう相手に一室を与えて主が忍ぶ、ということも珍しくないらしい。まあ、そんな後宮を持つ国というのは、珍しいのだが。
「私は向こうの部屋を使うから、夕闇が目覚めたら起こしてくれ。当分目覚めないだろうから、起きてなくていいぞ」
「え、いいの? …なら別にイーリスがこっちでもいいんじゃ?」
「かまわないが……お前、向こうで独りで寝たいか?」
独り、を強調されてアヴィは答えに詰まる。一応、と隣室を覗き、ほんのしばらく考えてから、結論を出した。
「ごめんなさい、こっちで寝ます」
「別に謝らなくても」
苦笑しつつ、イーリスが答える。基本が一人暮らしだった自分とは違い、アヴィは目覚めてからほぼ、自分が隣にいる。最近はそれに夕闇も加わっているから賑やかだし、見知らぬ兵士たちとの雑魚寝も経験しているが、…独りで眠っていたということは、一度もない。見知らぬ場所で独り寝というのは、かなり旅慣れた者でなければなかなか厳しいと、身を持って知っている。それだけのことだからな、と。
「明日の昼に出航だそうだ。早まることはないから、まあ、寝ておくといい。船も悪くはないが、飛んだ後で寝るのはなかなか大変だからな」
眠くないな、とアヴィはこっそり思う。そんな彼にイーリスがふんと笑い。
「寝てろ。夕闇が目覚めるまで起きるな」
抵抗もなく崩れ落ちた彼を隣の寝台に転がして、一応はと毛布も掛けてから放置する。……アヴィの扱いがぞんざいになってきたイーリスだが、たぶんそれでいいのだろう。命令がずいぶんとあっさり効くようになったし。
自分の寝室と決めた部屋へ移動して、イーリスは溜息をつく。
「……まあ、飛空挺の部屋なら十分か…」
通常より細いの寝台──これはまあ、船室そのものが狭いから、仕方ないだろう。妙に長細い作りの部屋は、奥に書き物机のようなものもある。…椅子がなくて、寝台をそのまま使う作りなのは笑えるが。
寝台の上にある小さな窓は嵌め殺しで、開くことは出来ない。だが透明な硝子で出来ているらしく、外を見ることは出来た。真っ暗な発着場を行き来する小さな明かりは、出航に備える人員なのだろう。飛空挺に乗ったことはあれど、出立前の夜中に乗り込んだことなどないので、それは新鮮な光景である。
(それぞれが明かりを持っている……効率はよくないな。あれならいっそ、道程上に触媒を置いて、そこへ明かり…いや、それだと発着に邪魔なのか。だがそれなら移動式にしてしまえば……?)
目に見える状況から、自分ならどうやってそれを改良するか。その課程はどうするか、そんなことを考えるのは、実はイーリスの趣味である。考えるだけなので特に意味もないし、何も生み出さないし、要はただの暇つぶしだが、これが意外と楽しいので時々、思考の海に潜り込んでいる。
ただまあ、やはり色々あって疲れていたらしく、ほどなくしてイーリスも、眠り込んでいた。
※ ※ ※
静かな船室の中、夕闇が目を覚ました。そこが見知らぬ部屋の中で、店外があるわけでもないのにずいぶん狭いなと認識したものの、身体は動かない。起きあがろうにも、身体に力が入らないのだと気づき、ゆっくりと息を吐く。
隣の寝台にアヴィがいて、知らず微笑んだ。
アヴィ、と微かに呼びかける。声もまた微かにしか出なかったが、アヴィには聞こえたのか、目を覚ましたようだ。
「あ、起きたか。えっと、今どうなってるか、わかる?」
はて、と夕闇は首を傾げた。あの離れではないことくらいしか分からないし、そこにいるのがアヴィだけでイーリスがいない理由も分からない。とりあえず、声も出ないくらいに弱体化しているのは、彼の魔力を受け止めたあれのせいだろうと予想はつくけれど、それくらいだ。
「んー、まずここは、飛空挺の中だ。昼過ぎに出発だってさ。たぶんまだ、夜中だと思う」
飛空挺、と呟くことであの茶番劇の報酬だと思い出し、頷く。
「あと、…どうなってるかは、ごめん、聞いてない。何が起きたか、夕闇が起きてから話すって。あ、イーリスは隣の部屋で寝てるよ。どうする、起こすか?」
いいえ、と夕闇は即答する。まだ暗いし、自分は動けない。正直なところを言えば、今にも意識が飛びそうなくらいなので、話を聞けるかどうかも怪しいと自覚がある。
「いいよ、じゃあもう少し寝てようか。どうせ、イーリスが起こしに来るだろうし」
それは駄目なのでは、と夕闇が遠い意識の中で思う。
「へーきへーき、寝てろって言ったのイーリスだから。ちゃんと喋れるようになるまでさ、とりあえず寝てろよ?」
はい、と夕闇は素直に頷いた。アヴィは無事だったようだし、イーリスもいるなら何の心配もない。……どうせなら、アヴィの腕の中で目覚めて見たかったけれど、と口には出さずにつぶやきながら、目を閉じる。
すぐに睡魔に包まれたから、夕闇は気づかない。その一言がアヴィに伝わっていて、彼が一瞬の硬直の後、真っ赤に染まったことに。
「……この通信術、どうにかさせないとな……」
隣室のイーリスが、こっそり溜息をついた。てっきり必要時のみ通信が繋がるのだと思っていたが、…どうも一方通行で常時接続されているらしい。…つまり、今の会話が聞こえて、目覚めてしまったのだ。よほど深く眠っていたのか、既に眠気は感じないからかまわないが、…他人の睦言を聞かされるのは遠慮したい。
「……ま、アヴィが手を出すとは思えないけどな」
理性が飛ばないとは言わないが、まあ手を出すより先に熱暴走を起こして意識が飛ぶだろう。…今も物音が全く聞こえないし、さて一度のぞいて見るべきか否か、悩むところだ。
「さて、…どうするかな」
一度目覚めてしまうと、なかなか眠れないものだ。しかも彼ら妖魔は、本来は睡眠を必要としない。やろうと思えば周囲の魔素を利用して回復することが出来るのだ。夕闇が眠ったのはその限界を超えたからだし、イーリスが眠ったのはそのほうが回復が楽だという理由である。アヴィは、…たぶんまだ、眠る必要がないことを知らないのだろう。
イーリスは取りあえず、起きることにした。応接間に移動してみれば、なかなか整った部屋のようだ。夜目は効くし、と明かりは付けずにおく。
よほどの貴人用の部屋なのか、廊下側の棚には酒瓶が並べられていた。どれも未開封で、その辺りだけ冷やりとするからには、よほど気合いを入れて保管してあるのだろう。おそらくは、常時冷却の魔法で。
「……ああ、魔法具か。発動したら冷気を循環させる……なるほどな」
それがわかったのは、瓶を取り出した奥に魔法陣が見えたためだ。よくよく見れば、棚板も壁も全て魔法陣が彫り込まれていて、一度魔力を通せば暫くは発動し続ける仕組みのようだ。
面白いなとイーリスは笑う。彼ら妖魔は、よほどのことでなければ魔法陣を使わない。それこそイーリスが見せたような、屋敷一つを丸ごと囲う規模でなければ、考えにも入らない。だから、人間の発想は思いも寄らないものが多くて面白い。
そこから考えると、初代はずいぶんと人間くさいなと、ふと気づく。術を掛けた道具など、ほかの妖魔が作ることはない。イーリスが持つ宝飾類は、それそのものが魔力を固形化したものであり、…存在する道具に術をかけたということはない。
「……あるんだろうな、きっと…大量に……」
封を開けた酒を硝子の杯に注ぎながら、溜息をつく。
術具職人と、二代目が揶揄していたのを聞いた気がする。しかも気軽に作るから、けっこうな数が流出したらしいとか勇者に聞いたような気もする。基本はちょっとした便利道具程度で、人間が似たようなものを作ることもあるらしいが……あの仮面のように、使い方次第では洒落にならないものも、きっとあるのだろう。今後の旅で見つけたら──回収するべきだろうか。しかし、あれのようにお手軽奇跡を起こされても困る。…いや、それを利用して初代を捕まえるという手があるか?
「……捕まえてどうする」
どう考えても、厄介事の種が増えるだけだとその考えは忘れることにして、酒を煽る。つまみはなかったが、なくても困らない。どうせ支払いはあの苦労人にいくのだろうが、まあかまわないだろう。…もしかまうなら、最初から置いていないだろうし。
「……珍しいな、貴腐葡萄酒か」
その特殊な製法故に流通量が少なく、高価となりやすい葡萄酒である。品の良い甘さで後を引くが、それ故に彼らに呑ませてやろうと半分を残して栓をする。入っていた棚の下に瓶が収められるようになっていて、どうやらそれも冷却の魔法がかけてあるようだ。落ちないように転がして、今度は別の瓶を取る。
「あ”ま”!?」
喉が焼けるように甘い葡萄酒に、思わず言葉が漏れた。絶対に奴らに呑ませよう、とそれはとっととしまわれる。
そしてもう一本──今度は独りであけられる程度のものがいいなと思いながら、封を切る。
「──ああ、これだな」
実はイーリスは甘い酒を好む。産地にも原料にも拘らないかわりに、味にはとてもうるさい。甘すぎても呑まないし、辛口は呑めないしと、なかなか面倒なのである。
だから好みに合う酒が見つかった場合、遠慮はしないことにしていた。呑ませたいものは取ってあるし問題はないとばかりに、空けてしまう。……ただ、まあ──妖魔の身体は、人間を模したものであるので、酔わないはずもない。
「……独りでこれって、空けすぎだろ……」
そんな声が聞こえて、イーリスはふと目を開いた。既に明るくなっていて、窓からも日が差し込んでいる。明け方の陽を見損ねたかと思いつつ、イーリスは身体を起こした。いつの間にか、ソファの上で眠っていたらしい。
「……ああ、起きたか。夕闇は?」
「夜中に一回起きたけど、まだ寝てる。……てことで、取りあえずイーリス?」
自分の後ろを指すアヴィに疑問を持ちつつ振り返ると、そこに浴室への扉があった。
「自分で入るなら、ここは片づけて置くけど?」
「……そんなに酒臭いか?」
「うん、すごく。だからとっとと決めて?」
冷たい瞳で自分を見る彼に物理的に叩き込まれそうな気配を感じて、イーリスは早々に白旗を揚げた。
「わかった、湯浴みしてくる」
浴室への逃亡である。
人間と違って、支度はさほどいらない。やろうと思えば水も召還出来るし、湯浴みに最適の温度にする程度は朝飯前だ。ただし、イーリスの場合は関知範囲にある水を召還出来るだけなので、さすがに発着場を超えての召還は出来ないし、間違って他の船の水を持ってくる可能性が高い。よって、用意されていた伝声管に意向を伝え、水を送って貰うことにした。温度は好みがあるので自分でやると言ったら、何やら喜んでいる気配が伝わってきたのでこっそりと苦笑する。
とぽぽぽぽ……と水音がして、浴槽に水が溜まっていく。どうやら水のための配管もあるようだ。ちょうどいいだけの水量になったところで、水が止まった。一度に使える量は決まっているのだろう。
「生温いな」
まるで日向に置いてあったかのように生温い水だが、透明度に文句はない。好みの温度に調整するのも、旅暮らしの中で身につけたのでお手の物である。
ちなみにこの術を知った蒼夜には「普通はそこで、自分の汚れを落とす術とかに走るんですけどね?」と呆れられたという過去もある。それはあくまで臭いが消えるだけだし、と言い訳しつつ、イーリスは気が向くとこうして、湯に浸かる。
衣服を脱がずとも、水に入ると同時に消えるので便利なものである。心行くまで湯に浸かり、頭の先まで湯船に沈んでみたりして楽しんであがった彼を、アヴィと夕闇が出迎えた。
「なんだ、起きたのか。無理はしなくていいぞ?」
「はい、大丈夫ですよ」
そんなことを言いながら近寄った夕闇が、イーリスの髪を梳き始める。余談だが、既に髪も身体も水気はない。召還術を使って、体表の水気を集めるという技を、彼は会得しているのである。
「いや、それも別にしなくていいんだが」
「いいえ、私は貴方の妾ですから」
「……いや、もうそれいいから」
「いいえ、私は貴方の妾です」
否を認めない夕闇の強引さに、イーリスがアヴィをみた。
「あー……いや、ちょっとさっき、出航を知らせにきた船員が…、まあ…うん…」
「──ああ……」
そう言えば、湯に浸かっているときに、少々騒がしかった気がしなくもない。呼びに来なかったし、まあいいだろうと思って声はかけなかったけれど……掛けるべきだったかもしれない。
「いや、まあ別にいいよ。追い返したし。──夕闇が」
だろうなとイーリスは内心で溜息を吐く。何事かとアヴィが目を白黒させている間に、夕闇が闖入者を追い払う──その図が容易に脳裏に浮かんだ。ちらりと彼を流し見て、もう少し鍛えるべきだろうかと考える。
「…今のままでいいですよ、アヴィは」
優しく微笑んで、夕闇が否定した。頼りないままだぞとその視線に乗せるが、夕闇の笑みは崩れない。…それで、いいらしい。
「それはそれとして、だ。夕闇、私に掛けた通信術だが、解けるか?」
「え、解くんですか?」
「術の制御が甘い。意図しない内容が伝わってくるが、いいか?」
「……はい?」
ちょいちょいと顔を寄せさせて、イーリスが耳元に囁く。「どうせなら、アヴィの腕の中で目覚めて見たかったけれど」──聞こえてきた、あの言葉を。
夕闇の硬直──そして、そのすぐ後に。
「な、な…なんで……っ!?」
真っ赤になった夕闇が、クッションでイーリスを叩く。アヴィが慌てて止めようとするが、一緒に叩かれた。双方からぼすぼすと鈍い音が聞こえるが、まあ流石にそんなもの、痛いはずはない。
ひとしきり二人を叩いて、夕闇は隣室へ逃げ込んだ。
「まったく、即席で作った術が甘いのは当たり前だろうに」
通信術は即座に切られたらしく、あちらの様子は分からない。今後の予定も話したいんだがと思いつつ、まあ乗船中に話せばいいことだし、急がなくてもいいかと諦める。
「……何を言ったわけ?」
「ん? …ああ、まあ…お前も聞いただろ?」
そうなんども口にしたい言葉ではないぞと顔を顰めてみせると、思い出したらしいアヴィは顔を赤くした。が、そちらは放置する。
「恐らくだが、平常なら問題はないんだろうな。疲れて制御が甘くなったから、ダダ漏れになったんじゃないかと思うが…気が抜けたとか、そういう理由だと、今後の夕闇の尊厳に関わるだろう。女だし、な」
一応、という言葉は飲み込んで、イーリスはそれだけ答えた。
「あ、女性の認識あったんだ」
「どういう意味だ、それは」
アヴィの呟きに、イーリスが半眼になる。しかし、彼も引く様子はない。
「いや、妾のふりとか、女性にさせることじゃないし? その癖、放置したし?」
「放置したのはお前がいたからだ。……ふむ、なら次の町からはアヴィが色小姓にでもなるか? いや、いっそお前たちを夫婦ということにして」
「イーリスさま! アヴィに変なことを吹き込まないで下さいっ!」
閉じこもっていた夕闇が部屋を飛び出して、一瞬でイーリスの口を塞ぐ。にやりと笑った彼に策略だと気づかされた夕闇だが、首を傾げているアヴィをじっと見て、一言。
「アヴィ。その言葉は考えなくていいですよ」
「へ? あ、いや…その…」
「か・ん・が・え・な・く・て・い・い・で・す・よ」
「……はい」
その迫力に、イーリスが呟いた時点で理解したよとは言い出せないアヴィであった。
笑いながら自分の手を外すイーリスに、夕闇は恨みがましい目を向けるが、何も言わない。
「まあ、冗談はこのくらいにしておこうか」
イーリスが告げたところへ霧笛が鳴らされた。長く途切れないそれは、出航の合図だとイーリスは知っている。
「せっかくだ、甲板へ出よう。飛空挺なんか、そうそう乗らないからな」
二人に否があろうはずもなく、イーリスが先導するままに甲板にあがる。なお、外へ誘われた時点で、夕闇の衣服は活動的なワンピースに、アヴィの衣服は砂漠での旅装に改められている。イーリスに至っては、…祭りの時の衣装から飾りを外し、色合いも灰青色を基調としただけの袴姿である。
それでいくのかと半眼になったアヴィに、イーリスは片目を瞑って見せた。夕闇が苦笑したところを見ると、何か意味があるのだろうかと疑問が湧き出るが、まあ彼らが答えるような気もしないので、気にしないことにした。そして、後日にそれが正解だと彼は知る。単純に、イーリスはその衣装が気に入っているだけであり、行く先々で正装代わりに着用するのだ。
「けっこう、いますね」
「ああ、定期便だと言う話だからな。それでも乗客は少なくて、荷が相当量を占めるそうだが」
彼らの他にも、出航を甲板で向かえる客は少なくなかった。何れも立派な身なりであることから、そこそこの地位や資産がある乗客が多いようだ。
「ここから内陸へ向かって、順調にいけば七日で着く。そこからはまだ決めてないが、あまり長居はしたくないな」
「決めてないんですか?」
「ああ、世界中を旅したいだけだしな。──到着地はエアフォルクだ」
え、と夕闇が驚いた表情でイーリスを見る。しかし、彼が何か言う前に、霧笛が一際大きな音で鳴らされた。かき消された会話が戻るよりも先に、船がゆらりと体を震わせる。
出航だ、とアヴィが呟く。イーリスは二人の腕を取り、船縁へと連れて行く。そこから下を覗かせると、うわぁ、とアヴィの感嘆の声が聞こえて、夕闇はただ、息を呑んだ。
「魔法で作られた疑似精霊だ」
予想通りの反応に満足しつつ、イーリスが告げる。
そこには、さまざまな姿の精霊たちがいた。
「大地の精霊は、力強さを司る。故に、──船を持ち上げる」
彼らの乗る帆船を、まるで小舟であるかのように持ち上げる屈強な男たち。
「大気の精霊は、彼らから船を受け取り、沈まぬように支える」
幾人もの乙女たちが、船のそこかしこに取り付いて男たちから船を受け取る。
「風の精霊が船を導く」
大きな翼を持つ鳥たちが、その翼で船を導き、空を往く。
それはむろん、一人の人間によるものではない。幾人もの魔法使いたちが決められた役割を果たすことで成る魔法だ。
「──人には、敵わないな」
それが、イーリスが旅を続ける理由である。




