2-10 騒がせた手前、詫びに行くべきだろうな。
料理好きは、料理が苦ではないのです。
二人が砦に帰り着いたのは、周囲がかなり見にくくなるころだ。山駈けが出来るくせに何故そんな時間になったかと言えば、狼のせいである。流石に水珠に包んだままで持ち帰る訳にも行かず、一度水を換えて、洗い直していたのだ。
狩りのことなどすっかり忘れていたイーリスだが、まあこの狼で十分に釣り合うだろう。肉がダメでも毛皮は価値が高い。
「夜はどうします?」
「あの人数に食わせるものなんぞ、鍋以外思いつかん。小麦粉はあったから、…牛乳があるといいんだが」
「……ほんとに鍋料理ですね」
大体の予想をつけて、夕闇が笑う。少々手間がかかるが腹持ちは悪くない。問題は、牛乳が手に入るかどうか、なのだが。
そんなことを話しながら、厨房の扉を開ける。
そこで彼らは、歓声をもって迎え入れられた。
「…なんだーっ?」
思わず叫んだのは夕闇…ではなくてアーヴェントで、イーリスは声こそあげなかったものの、一瞬、間違いなく硬直していた。
「メシが帰って来たぞーっ!」
「兄サン! 美味いの頼んますっ」
「腹ぁ…減った……」
「薬ヤダー」
ぶふ、とイーリスが吹き出した。首筋をカリカリと書きながら、隊長殿が視線を反らす。
「まー、その…なんだ、そういうことで…メシ、頼めるか?」
うなずきはするものの、笑いが止まらなくて口を覆った手が離れない。さすがは兵士。たかが半日、美味いメシと薬だけでここまで回復するものとは思わなかった。
その隊長殿に扉の外を示し、土産を見せる。
「うへ…あんたたち二人で3匹もか。どういう腕だよ」
その言葉に幾人かが窓に駆け寄り、それを覗く。
「狼だ」
「魔狼だよな?」
「三匹獲って無傷かよ…」
傷一つ負った気配もないことに、畏敬の念が注がれた。そこで何かに気づけと、イーリスとしては思わなくはなかったが。
※ ※ ※
「亡命ねぇ…」
調書に記しつつ、隊長殿が呟いた。
イーリスはそちらを見ることなく、木ベラで鍋底をかき回している。
「そんなに大げさなものではないが。もともと世界中を放浪していたし」
「で、あんたはそれについて行くと」
「はい、敬愛する主ですから」
あっさりと言い切る夕闇に、イーリスは鍋底を睨んだままで応えを返さない。主になった覚えはないのだ。あくまで、仮の宿りを用意しただけで。
「ま、それはわからなくもねぇんだが。……けどなあ、…10年も同じ場所にいたら、そこに根付くと思うんだがなぁ……」
「人間と妖魔の違いでしょうね。根付くとか、住み着くという感覚自体が、私たちにはありませんから。イーリス様、野菜の下処理終わりましたよ」
「なら、肉を頼む。鳥か豚か…」
「あ、豚で頼んます」
「はい、豚ですね」
豚と言っても生肉があるわけもなく、塩樽でつけ込まれていた塩漬け肉だ。街が比較的近いとは言え、塩漬けではない肉を食べようと思うと自分たちで狩りに行くしかないらしい。
塩樽の中から肉が浮かび上がり、そこで身を震わせる。余分な塩がこぼれ落ち、それはきれいに樽の中へと収まった。窓から入ってきた水がそれを取り囲み、肉はその中で踊り出す。
呆気にとられている隊長殿の目の前をわざわざ肉が通り過ぎて、火にかかった平鍋の上へ。落ちる寸前に一瞬で一口大に切り分けられて、ジュジュっといい音を立てた。
さて、ここで何が起きているか?
別にこれは単なる雑談ではなく、隊長殿からの尋問である。もっとも、部下たちに何かを食わせてやりたいという隊長殿の希望により、料理をしながらの事情聴取という状態に落ち着いている。身分証明書がないので当たり前といえばその通りなのだが、……場所といい、周囲を道具や野菜が飛び交う状況といい、普通ならばあり得ない。
ちなみに隊長殿は鍛え方が違うのか、熱もほぼ下がりきっていた。咳が多少出るようだが、それは口元を覆わせることでよしとして、火を使うなら厨房も十分暖かいということで選ばれた尋問室である。
「妖魔ってのは、なんてーか…変わってるな?」
肉の匂いに鼻をひくつかせる隊長殿に、夕闇が笑う。いろいろと言葉を選んだであろうということがわかるからだ。
「あなたもね。…通りすがりの妖魔に料理を任せるなんて」
「ああ、エレーミアから来た奴らには下手に逆らうなってお達しが来てるんだよ」
「だからと言って料理はさせないと思うんだが」
「美味けりゃいいのよ、美味けりゃよ」
ふん、とイーリスは鼻で笑う。
「不味かったら砦を追い出されるということか」
「あー、無理無理、俺らじゃ無理。魔法使いの一人もいないのに、妖魔の相手なんか出来るかよ」
「……そこも不思議なんですよねぇ…これだけ立派な砦に結界まで張ってるのに、魔法使いが一人もいないなんて、普通あり得ませんよ?」
「ん? 結界?」
首を傾げる様子は、とぼけていると言うより本気で知らないように見えた。だが、砦を預かる警備隊隊長殿が結界の存在を知らされていないなど、あり得るのだろうか。
「…なんだ、気づいてなかったか?」
イーリスは鍋に牛乳を追加しつつ、小麦粉が焦げないように底をかき回すことをやめない。正確には、止められない。
「あの結界、初代の仕業だぞ」
「え?」
「私と…そうだな、二代目なら解けるかな。無視すればほぼ全ての魔力が封じられるようになってた」
げ、という顔で夕闇が青ざめる。まったく気づいていなかったようだ。しかし手は止まらない。
全面に軽く焦げ目を付かせた肉を、水を少な目に張った深鍋に入れ、火を付ける。先ほどの平鍋で軽く炒められた芋と人参が追加で投入され、火の勢いも本格的に強められた。
「…そんな状態でもきっちりと進むんだな」
「それはもう、夕闇の個性だが」
さすがに全ての妖魔にそれが出来ると思われるとまずいだろうなと応えながら、イーリスは鍋を下ろした。代わりに鉄瓶をかけて、湯を沸かし始める。
「ん? まだ何かやるのか?」
「生姜湯でも作ろうかと。蜂蜜もあったしな」
炒め煮していた分の投入は夕闇に任せ、イーリスは生姜を摺り下ろす。当然ながら夕闇とは違い、手作業だ。
「マメだねぇ…」
「用意しないと酒を飲みそうな奴らだしな。…隊長殿も含めて」
へ、と隊長殿がそっぽを向く。実は調書を取り始めたころにやろうとして取り上げられたのだ。その白葡萄酒は、安物と言うこともあって料理の鍋に投入されている。
「イーリス様」
ととととっと、夕闇が寄ってきて小皿を渡す。隊長殿にも同じものが渡された。
「なんだこれ…真っ白じゃねぇか」
「はい、牛乳の旨煮ですよ」
「まあ、こんなものか。塩を…二抓み追加して、軽く混ぜたら出来上がりでいいぞ」
旨煮について説明する間に味は調えられて、今度はイーリスも納得を見せた。
食堂での取り分けは各自──具合が悪い者には周囲の誰かが手渡すことで任せ、イーリスは外へ出た。
「……少ない方か」
そこにあったのは、積み上げられた洗濯物である。患者たちに洗い物などさせるわけにもいかず、出しておくように言ったのはイーリスだ。
「手伝いますよ」
「いや、いい。術を使うから…見ているといい」
井戸まで移動して、水に余裕があることを確かめる。ほんの数瞬だけ目を閉じるかのように集中し、術を行使した。
井戸の水が一気に空を舞い、そこへ幾つもの下着が飛び込んでいく。水の中を暴れるうちに泡立ってきたところを見ると、石鹸がすでに投入されていたようだ。やがて下着は水から排出されて、ぎちぎちと絞られた。その水は泡立った水珠に戻されたが、そこから今度はどす黒い水と泡が一抱え分、分離される。
残った水は澄んでいたが、当然のように減っている。そこへ井戸からの水が追加されて、一緒に下着が飛び込んだ。何かにかき回されるかのようにぐるぐると周り、今度は泡と濁った水が分離された。これは先の水珠と一緒になり、側溝へと流される。そしてまた、水が追加された中でぐるぐると回り出す。
水は濁る気配もなく、下着が出てきてまたギチギチと絞られる。
「あれ、それで干すの? 時間かかるぞ?」
「え?」
またも入れ替わったアヴィである。そのままイーリスの手を握ると。
「うわっ!?」
「おいアヴィ!?」
いきなり水飛沫を浴びることになり、二人して顔を庇う。
「ごめ、まさかこんなに飛ぶと、思わなくて」
「考えなくてもいいから、何をやるか一言言ってくれ?」
彼らの目の前では、…洗い上がりの下着たちが、自力で高速回転している。イーリスが空気の壁を作ったので、とりあえず豪雨の如き水飛沫からは解放されたのだが。
「ほらほら、水気が減っただろ、これなら、乾くの早いぞ?」
「…要は、遠心分離機か」
「……知ってんの?」
「錬金術師の知人にな。そうか、こんな使い方があったか」
どこか疲れた雰囲気だったが、イーリスはあっさりと意図を理解した。まあ、要は遠心力で水を吹き飛ばそうと言うことだが、それを結界も張らず入れ物も使わずでやってしまえば、当然の結果である。
出来上がったものは籠に放り込み、しばし思案気に佇む様子を見せる。不安に思ったらしいアヴィが声をかけようとした、まさにその瞬間にイーリスがにやりと笑った。
「…よし、組み替わった。アヴィ、魔力を借りてるぞ」
「事後承諾かよ!? てか気づけよ夕闇ッ!?」
「無理だろう。契約を交わしたのはお前だし…主にはそれが許されるからな。濡れるよりマシだと思っておけ」
思わず八つ当たるアヴィに、イーリスが笑う。
そのやりとりの間にも、残っていた洗濯物たちが次々と水珠に包まれていた。先ほどとは違い、小さな水珠が大量に発生している。
呆れたようにそれを見ながら、アヴィが問いかけた。
「えっと…これのせいか、俺の魔力使ったのって」
「ああ、流石にこれだけとなると心許なくてな」
纏めて一つでも出来なくはない。ただそれをやると、最後の水気飛ばしで被害を被る。その段階で小分けにするより、最初から小分けでやった方が、術の処理が楽…ということである。
「…でもさ、これ…どうすんの?」
「雨が降る気配はないし、……まあ、紐でも渡して風に当て続ければ、朝には乾いてるだろう」
そのまま隊長殿に了解を取り、中庭の窓から窓へと綱を張り巡らせて、洗濯物は無事干されたのである。ちなみに風は、これまたイーリスの術であった。
そんなこんなで仕事を終えて、イーリスたちは砦の中に…まあ、食堂へと戻った。一歩を踏み入れた瞬間に、何やら鬱陶しい気配を感じた彼らだったが、とりあえずは隊長殿の元へと向かう。
「貴様が詐欺師か!」
「いきなりだな、おい」
あまりの言い草に、イーリスは半眼になる。こっそりとアヴィを盗み見るが、とりあえずは目を白黒させているだけで、平気なようだ。
「なんだ、この……」
視界に入れるのも面倒だと、疲れ切った顔の隊長殿に問いかける。お貴族さまっぽいのは、見ればわかるのだが。
「あー……領主様お抱えの薬師殿だそうだ。ほれ、薬師の徽章つけてらっしゃるだろう」
口調にはまったく敬意が感じ取れなかったが、襟元には確かに徽章があった。が。
「すまん、他国の薬師の徽章までは覚えてない」
「だよなー。俺もさっき、徽章鑑で確認したくらいだし」
敬意を払う気が欠片もないらしい隊長殿が同意する。
「確認したのはかまわん、事実だと理解したのだろう!?」
「いやー、…それが本物かどうか、こんな辺境の一隊長じゃ判りかねますぜ。…あのな、薬師でもないのに勝手に薬を調合したって、怒ってんだよ」
激高した様子で薬師を名乗る男が割り込んで来たが、軽く躱す辺りは、ずいぶんとこの手の騒動に慣れているようだ。
「勝手にも何も、…ここの備品を必要なだけ使ったに過ぎんが…?」
困惑した表情を作り、イーリスが応じる。それが苦しい言い訳だとアヴィは思ったし、むろんイーリスも承知していた。
「だよなあ。金取るわけじゃねぇし、俺らだって勝手に使っていいんだし…別に問題ねぇんだけどさぁ」
どうやらこちらも、判っていて乗る気らしい。ちらり、と薬師殿を見て。
「妖しい薬は飲むな、自分の薬を買え。だってさ」
「──ああ」
そう言うことかとイーリスは納得した。が、その金額を聞いて、鼻で笑う。
「馬鹿馬鹿しい。下手をすれば一生かかって払いきれない額じゃないか」
「そうなんだよな。桁が違っててよぅ…買えるかってーの」
それは一般人の月収のおよそ二倍の金額である。それが一服分で、日に三回を七日分。四二ヶ月分の月収など、どうやって支払うと言うのか。
「命と引き替えの額だ、高くはあるまい。私のような高名な薬師から買えるのだ、安心だろう?」
「高いんだよ、お貴族さまじゃねぇんだからよ、こっちはさぁ」
怒ることはなく、ただ馬鹿馬鹿しいと持っていることが判る、そんな口調である。
「貴族でもそんな金額を払うのは正気と思えんな。…宮廷付き薬師でも、そこまで暴利は取るまい。いや、彼らなら慈善事業とでも言えば、格安で薬を売るか。ああ、よほど判りやすいな」
心底呆れたと言わんばかりの声音で、アヴィが首を竦める。隊長殿は面白そうに彼を見ているだけだ。
貴族であれば名声目当て、金は二の次。成り上がりや貧乏貴族は名声よりも金…ということである。実際、宮廷付きの薬師になれるのは貴族と決まっているし、地位にふさわしい人物であることを命題とする彼らであるから、金の亡者になるはずがない。…表向きは、だが。
「……よかろう、砦の者たちには無償で提供しよう」
翻されたその態度に、イーリスが目を細めた。もっとも、欠片の笑みすらも浮かんではいなかったけれど。
「だが貴様は領主の許可なしに砦の備蓄を使ったな。薬師でもない者が備蓄の薬草に手を着けるなど、許されることではない。領主様の元で申し開きをしてもらおうか」
「乱暴だな、おい」
「何しろ、本来はこの薬草の売り上げで貧しい人々への施しが行われるはずだったのだ。それをダメにした以上は、責任はとるべきだろう?」
本当か、と念のため隊長殿に視線を投げる。
「聞いたことねぇなぁ」
「だろうな。備蓄の薬草を売り払うならまだしも、病人から搾り取った金で施しなど聞いたことがない。それに、事実なら命令書の一つは発布されるだろう。あるのか?」
ぐ、と薬師サマは言葉に詰まった。さてこうなると、どこからがこの薬師サマの考えなのか、見極める必要が出来てしまう。…さほど難しくはないのだが。
「…だが、だが貴様、薬師ではないのだろう? 生死に関わるような薬の調合は、この国では薬師以外に認められていない。この事実は、うごかせんぞ」
にやにやと気色悪い笑みを浮かべながら、薬師サマが告げる。苦虫を噛み潰したような顔になった隊長殿に確認するまでもなく、何処の国でも同じような条項はあるものだから、イーリスとしても、そこを否定しようとは考えない。
「黙っていてほしくば、それなりのことをしなければなぁ?」
守銭奴だ、とかなり近場で声が聞こえた。視線だけを投げれば案の定、アヴィである。分かり切ったことを、とイーリスは苦笑する。
相手としては、最初からこの辺りを落としどころにするつもりだったのだろう。だから最初に大きく出た。気の弱い者なら、あるいは事なかれ主義だったり、無知なものであれば、素直に従うかもしれない。だが、とイーリスは考える。国の面々を、現役で外交に出ていた頃の知人までも思い浮かべて……首を傾げる。
いないのだ。こんな三流の脅しに乗りそうな者は。面倒がって首をすげ替えることならやりかねないが…。
「どうした?」
「いや、国にこんな脅しに載るような奴が入る気がしなくてな」
「…あ、悪い、どこの出身かって言ってねぇわ」
「え」
「いや、だってあんた、旅券持ってないだろ?」
ああ、とイーリスも思い出した。隊長殿があっさり信じただけで、エレーミアの住人だという証拠は示していない。砂漠から来た以上は疑う理由もないというだけのことだ。
「隊長殿。この地の領主は、どんな人物だ?」
「さぁなぁ。着任の挨拶に行ったときにあったきりだしなあ…まぁ、酒の趣味は悪くなかったな。あと、けっこうな大酒のみだった気がするなぁ」
唐突な問いかけだったが、隊長殿は平気で答えた。答えは朗報、つまりは、砦の責任者とは言え、たかが兵士と酒を酌み交わせるような漢だということだ。となればもう、答えは出たも同然だ。
「騒がせた手前、詫びに行くべきだろうな。ついでに旅券の発行を頼んでみるか」
「旅券が主目的だよな、それ?」
ほったらかしにされた自称お抱え薬師の顔が、歪み始めている。頃合いか、とイーリスは内心で呟いた。
「…さきほど、徽章鑑があると言ってたな。エレーミアも載ってるか?」
「ああ、あるぜ。あんま、数はないようだったが」
「絶対数が少ないからな。…紙と朱肉、貸してくれるか?」
耳飾りを外しながら、イーリスが問いかける。金属部分を外し、何やらカチャカチャと組み合わせて──太めの指輪のようなものを作り出した。
受け取った朱肉に輪を一回りさせ、そのまま紙にも一周させる。出来上がったそれは、印鑑といって差し支えのないものである。
「照合してくれ、載ってるはずだ」
指輪や徽章は面倒だし目立つと拒否した結果、イーリスの徽章は絡繰り仕掛けなのである。
明治時代には、シチューのことを”旨煮”と言っていたみたいです。・・・たぶん、明治時代だと思う。牛鍋とかあるし。




