2-5 メモリアが妖魔とは一線を画した存在であるように、わたしも純粋な妖魔というわけではないんです。
一応ちらりと様子を見て、まだ起きる気配がないことを確かめる。
「貴方が妖魔とは一線を画した存在であるように、わたしも純粋な妖魔というわけではないんです。イーリス様は”時の迷い子”と言って下さいましたけど…亡霊とか、残滓と言う言葉が一番近いんですよ」
どういう意味だとは、聞かなかった。ただ代わりに、アヴィは指輪を見る。
「普通は、核を表に出したりはしませんが…今のわたしの核です。この身体はまだ仮のものなので…維持できるだけの魔力がなくなれば、また指輪に戻ることになりますね。…これは、気付いていたみたいですが」
うん、とアヴィは頷いた。妖皇宮で夕闇が消えたとき、この指輪に吸い込まれたように見えたから。
「正確には、その宝石ですけどね。なくさないでくださいね?」
「指に嵌めてるし抜けそうにないし、無くせるかよ」
「…遠心力と言うものは、侮れないんですよ」
遠い目をして、夕闇は呟いた。
「━━メモリアは自分のことを何も知らないと聞きますが、妖魔の成り立ちについては?」
夕闇に言われて、思い返す。イーリスは、なんと言っていた?
「イーリスに聞いたことだけ。…『渾沌が凝れば、それが妖魔だ』って」
「正解です。…では逆に、妖魔の死については?」
「それは知らない…ってか、妖魔って死ぬの?」
「死ぬというか、消滅ですね。生物ではないので、死ぬという表現は該当しないかもしれません」
「言葉遊びかよ」
アヴィの反応に、夕闇はくすりと笑みを漏らした。
「言葉遊びは人間の分野ですよ。妖魔は本質として、言葉を飾ることを嫌いますから。…妖魔ってね、意外としぶといんですよ。身体を失っても、核が残っていれば再編出来ますからね」
「再編?」
「ええ、再編です。魔力を集めて、編み直して身体を作ります」
「やっぱり言葉遊びじゃねぇかっ!」
ただの事実ですよと夕闇は微笑う。
集めるだけでは何も成り立たない。人が使う魔法は呪文によって方向性を定められて発動するけれど、基本的には一過性のもの。そうではなく、常にそこに在るようにするためには、核を中心に、複雑に編み上げる必要がある。それは、妖魔の身体においても同じなのだ。
まあ、…どの時点から、魔力の編み上げが始まるのかとか、そう言ったところは自分たちでもわかっていないし、実は人間も同じ理屈にたどり着けば、半永久的に存在する物質が作れたりするのだが。
「どうやって自分たちが生まれてくるのか、それは私たちにもわかっていません。再編については、知識にあるだけですね。実際にそれをやった、身体を作り直した妖魔がいるという話も知りませんし…成功するかどうかも怪しい話です。何より、”核”は現界で存在するのが難しい。とても、不安定ですから。妖魔の身体は、まあ”核”を守る鎧のようなものなんでしょうね」
「……え?」
アヴィの困惑に気づき、それでも説明をやめようとはしない。それが何故なのか、本人にもわかってはいないけれど。
「だから妖魔は、何を於いても”核”を守ろうとします。親しくない相手であっても、”核”だけは保護したりもしますね。反面、敵対すれば核を破壊します。壊されれば、…そこで終わり。生物で言うところの”死”に該当します」
そうやってイーリスに保護されたのだ…とは、言わないでおく。たぶん彼なら、それに気づくだろうけれど。
「さて、アヴィ。ここで考えてほしいのですが…わたしの言っていることと、貴方の答えたこと。…どこか、おかしくありませんか? どちらも間違いではないのですが…」
悪戯っぽい笑みを浮かべて、夕闇は問いかける。
アヴィは一瞬だけ考えて、すぐに答えた。
「…イーリスは、『渾沌が凝れば』と言った。けど、…身体が”核”を守る鎧だっていうなら、”核”って何なんだ? ”凝”とどう違う?」
妖魔がその本質として言葉を飾ることを嫌うと夕闇は言った。イーリスが例外ではないならば、凝りと核を使い分ける理由は何か。それは今、聞いている間に浮かんできた疑問だった。
「身体が”核”を守る鎧なら、…”核”は”凝”を守る何かってことか?」
「いい解釈です。でも、守る、と言うほどのものではないんですよ」
アヴィの返答に、夕闇は満足げに頷いた。
「”核”はただ、”凝”が纏う膜に過ぎません。…魂魄、という考え方を知っていますか?」
「--いずれも人間の魂を構成する精気。魂は人の生命を。魄は人の身体を司るとされる」
え、と夕闇が目を見開く。つい先ほど、彼は自分の問いかけに答えなかったのに、と。
それはアヴィも同じらしく、自分が答えたことに困惑を隠せない。
「その知識は、…ごめんなさい、ひどい言い方をしますが…理解、出来ていますか?」
「あー…たぶん、なんとか」
夕闇は気を回したようだが、言われたアヴィは別に、ひどい言い方とは思わなかった。彼自身、自分が答える内容については辞書を読み上げているようなものだと、他人事のように認識していることもあるだろう。
「”凝”が魂で、魄が”核”…そういう意味でいいんだよな」
はい、と夕闇は頷いた。メモリアの知識は、いったいどういう仕組みなのだろうかと内心では首をかしげながら。
「”凝”が何なのか、それは妖魔の知識にもありません。魂魄についても、あくまで『そういうもの』だと言われているだけですしね。ただ、今言いたいのは…ちょっとそれとも、違うんですが」
「おーい…」
「ごめんなさい。漠然としか解っていないもので、どう纏めたらいいのか…」
本当に困ったらしい表情で、夕闇が考え込んだ。やがて考えがまとまったのか、再び語り始める。
「妖魔の身体は、確固たる意志のもとに編み上げられた魔力によって成り立ちます。だから、とても安定するし、”核”を守ることも出来ます。…そうですね、”核”自体は不安定とは言いませんが、他者の圧力があれば簡単に壊れるでしょう。そうですね、水風船。…わかります?」
「━━空気を逃がさない素材で出来た掌大の風船に、少量の水を入れて膨らませたもの。水に浮かべて釣りを楽しんだり、伸縮性のある紐をつないで鞠つきのようにして遊んだり、祭りに於いて、庶民の玩具として親しまれている」
ぶふふ、と夕闇が吹き出した。
「お前、これ期待して聞いただろ!? てかなんでそんなもん知ってんだよ!?」
「だって、何処の国にもあるんですよ、水風船って…ぷぷ、まさかこんな言葉にも答えが返るなんて思わなくて…ぷふふ」
頑張って笑いを収めようとしている。すごく楽しげで、しかしそれは本心だとわかるだけに、文句は言えない。ひとしきり笑って、どうにか折り合いをつけたらしい。
「水風船は、簡単には割れない。ですよね」
なにやら涙を拭く素振りまで見せて、夕闇はようやく話を再開した。…再開出来たと言うべきだろうか。
「例えば流木やそのほかのものが浮いているような嵐の後の海。そんなところに浮かべても、よほどのことがないと割れないと、そう思いませんか?」
言われて思い浮かべてみる。…まあ確かに、波間に揺られて流木の間を漂う程度なら、世ほどのことがない限り割れるとは思えない。うまく行けば、岩礁に打ち上げられても持つのではないだろうか。
「”凝”は、水風船の中の水…ってことか」
「はい、そんな感じです。…核があるだけでもずいぶん違うのが、わかりますよね」
「わかるけど…万が一、割れたらどうなる?」
水風船は、割れたら…破裂したら、中の水がぶちまけられる。海の中で割れてしまえば、そのまま海水に混ざって、跡形もなくなるだろう。今の例えだと、核もまたそうなるのではないかと、アヴィは考えた。
「同じですよ、水風船と。…消えて、なくなります。普通は、ね」
あっさりと答えた夕闇は、アヴィを見て笑って見せた。
「でね、こんな水風船もあるんですよ」
楽しげに、掌の上に水風船を浮かべて見せる。…それは、この明るい中にあって気のせいか、明滅しているよに見えた。
「もう少し暗いと、きれいなんですけどね。中に発光機構が入っていて、ちょっとした衝撃で光るんですよ。永遠にとはいきませんが…わたしは好きですね」
ああ、とアヴィは納得した。明滅しているように見えるのではなくて、本当に明滅しているのだ。
「これだったら、壊れても…”凝”が残る。そうは、思いませんか?」
「残るだろうな」
「残った”凝”は、どうなると思います?」
「それは━━」
妖魔としての知識がないアヴィに、その問いは難しかった。いや、簡単すぎて、その答えが有り得るのかと、そう考えてしまったのだ。
「合ってますよ、それで。渾沌の海を漂い、新たな核を纏う。…それも、妖魔誕生の一つです。ただ、…実際にそれがあったかどうかは、知りませんが」
その答えに、アヴィは引っかかりを覚えた。先ほどから、夕闇は「知らない」を連発している。まるでそれは、ほかのことなら知っていると…そう、聞こえないか?
「イーリスの話だと、そうは聞こえなかったけど…?」
「ええ。わたしが話した現象は、あくまで可能性です。…少なくともわたしは、そうして生まれた妖魔がいるということを知らないので」
またか、とアヴィは夕闇を見る。…その視線はまるで、詰問する子供のように鋭い。
「誰かだった”凝”か、誰でもない”凝”か、それはたいした違いではありません。核を纏った時点で、新たに生まれかわるのですから。…ああ、妖魔の知識は、生まれるそのときに、混沌の海から拾い上げているのかもしれませんね。長く生きている妖魔ほど、人の世について知らないようですから」
「じゃあ夕闇は、けっこう若いんだ?」
「どうでしょうね。わたしはそれとは違いますから…同じ尺度で測ってもいいんでしょうか?」
それが棗椰子のことを言っているのだろうとすぐにわかった。妖魔は食事を必要としないから、ものを食べるなどというのは完全に趣味の範疇だ。まして現物と、干し果物にすることまでも知っているとなると、…イーリス並の物好きということになってしまうが。
「わたしはね、核を失った”凝”なんです」
水面を見つめる夕闇の、その顔色は青白い。まるで何かに怯えるかのように。
「失った理由を覚えてはいないのに、”凝”になったということだけは理解していました。自分のことを何一つ思い出せないのに、消えたくなくて…核を持とうとしなかった。新たな核を纏えばこの自我が消えて、新しい妖魔になる…それが嫌だった。わたしは、わたしでいたかったんです。なぜ消えたくないのかと、それすらわかっていないのに」
ふと、夕闇が笑う。どこか皮肉げな…まるで自らを嘲るような、そんな目で。
「だから、…漂う核を見つけたときに、莫迦なことを考えたんです。すでに自我のある核に寄生すれば、…自我を保てるのではないかって」
その視線が向けられたのだから、アヴィとしては素知らぬふりなど出来ようはずもない。イーリスが何も言わなかった、それはたぶん、…本人が言うまで、触れずに置こうと考えたからだろう、と。
「私は、現界での再編は無理だと判断したんでしょう。一か八かで混沌の海へと戻り、…そこでの再編にも失敗した。たぶん、そういうことだと思います。再編に失敗した時点で記憶は飛んでしまって、自分が何者だったかとか、覚えていないんですよ。でも、一度そうやって滅びかけたことだけは知っている。だから、残滓なんです」
これで話は終わり…まるでそう言うかのように、夕闇は口を閉じて、沈黙が周囲を満たす。
「…一つだけ、聞くけどさ」
幾度目かに風が水面を渡り、さざ波が立つ。それが合図だったかのように、アヴィが問いかけた。
「……はい」
思いの外はっきりした声で、夕闇が応える。
「お前、後悔してる? …全部、ひっくるめて」
思いも寄らぬことを言われた…まるでそんな顔で、夕闇がアヴィを見る。
沈黙が続いて、ふたたびアヴィが口を開こうとした、そのときに。
「してません、後悔なんか」
揺らいでいたのが嘘であるかのように、夕闇が応えた。
「なら、問題ないな」
「……え?」
「いや、だって何かあったってわけじゃないし。お前がいなかったら、イーリスと二人旅なわけで…まあ別に、嫌じゃないけどさ、それは。人数、多い方が楽しいし」
ほんの一日共にいた。それだけの付き合いなのに、誰か一人が欠けるという想像は、すでに難しい。それが何故かはわからないけれど、…まあたぶん、核を共有していたからとか言う理由ではないことだけは、確かだとアヴィは思う。
だからそれは本心で、…でもまああれだけ怯えていた夕闇がそれをすぐには信じられないだろうということも、見当はつく。
後はまあ、…付き合いが短いとは言え、それで自分が怒るとか何か、そう考えたことだけは、納得がいかない。…だから。
「まあ、取りあえずはさ」
手を伸ばし、その胸座を掴んで引き寄せて。
「自分のこと、残滓なんて言うな。二度と」
その言葉を理解した夕闇が笑ったその瞬間に、手を離した。
…当然、その下は泉である。
珍しく連続更新しました。
もうちょっと頑張りたいけど。




