2-4 …流石に乾かしたいな…
派手な水音を立てたと思ったが、二人が目覚めるほどには響かなかったようで、イーリスは安堵した。逃げ出した魔王とは言え、泉に尻餅を付いた姿など見られるわけには行かない。
とりあえず岸に上がり、…溜息をついた。
「…流石に乾かしたいな…」
人と違って風邪をひくわけではないが、ほぼ全身が濡れ鼠である。身体の感覚は人間と同じなので、はっきり言って気持ち悪い。普段であれば魔衣を作り替えるのだが、緩衝地帯で不可能だということは、経験として知っている。アヴィは平気で他人の魔衣を変化させたし、これも男物に変わっているが…本来、この地で出来ることではない。
それでも念のためと魔衣の解除を試みるが…まったく、変化がない。やはりアヴィのあれは、規格外に過ぎるのだ。まあ、万が一できた後で構成出来ないというよりはマシだと諦めて、上衣を脱ぎ、絞る。しっかり叩いてしわを払い、着直した。下衣も同様に脱いでから絞り、履き直す。
それでどうにか、水が滴る気持ち悪さは抜けたので、まあよしとした。
「さて、どうするかな」
下手に座ると砂まみれになるし、と上を見る。濡れていなければ、砂くらいはどうでもいいのだが。
棕櫚しかないこの水場では、枝に寝るという選択肢がない。といって吊り床は持ってきていないし、作ることも出来ない。休憩に使った布を敷けばいいのだが、それは二人が持つ荷の中だから、取り出そうとすれば起こしてしまう。それは砂漠に慣れた身として、避けたいことだった。
「…編むか」
旅をしていたころ、教わった覚えがあった。あれは棕櫚ではなくて、稲藁や藺草、果ては雑草でも長細ければそれでいいという、ずいぶん緩い話だった。丁寧に作れば相当な手間だし、工芸品としても高い評価があがるが、まあ自分が使うだけだから、適当でいいだろう。
手近な高さの棕櫚を探し当て、イーリスは小刀を取り出した。これはアヴィに渡した短刀とは違い、弓の手入れ用に持ち歩くものだ。旅をしていたころに手に入れたものだが、手入れを欠かさずにいたせいか、未だに切れ味は衰えていない。
使うのは葉の部分だけではあるが、残しても危ないしと茎も出来るだけ元から切る。下手な木より堅く、鉛筆を削るときのように細くしてから折るという少々面倒な作業になった。それを三本、交差させて円に組む。ずれないように固定するのは、細い葉を一枚巻き付けて結ぶことにした。後は中心から外へと、互い違いになるように棕櫚の葉を一本ずつ、編んでいく。初めのうちは解けないようにと思う余りにきつくなり、がたついた。流石にそれでは座ることが出来そうになく、泣く泣くほどいてやり直したりしていたが、やがて一枚のかなり大きな茣蓙のようなものが出来上がった。中心にした茎は迷わず切り落とし、とりあえずは解けないことを確認する。
もう一枚の葉を手にとって茎を落とし、四つ編みの要領で編み始める。顔よりも大きい程度の一枚布のようなものが編み上がると出来上がっていた茣蓙の中心に重ねて、別の葉で継ぎ接ぎ、完成である。
「よし、と」
イーリスが顔を上げる。…日は高いが、どう見ても昼は回っている気がした。だが、アヴィたちはまだ、眠っているようだ。相当な疲れなのだろうと納得し、起こさずにおく。イーリス自身も休むことにして、適当な木陰に陣取った。
編み上げた棕櫚は、流石に敷布にするには小さかったが、上半身…正確には、髪に砂が付かなければいいので、それ以上の大きさで編む気はない。
ごろりと横になり、腕を枕に眠る体制になる。うとうとしながら、ふと思い出す。そう言えば確か、一度干してから使うとと聞いたような、と。
理由を思い出すより先に睡魔に包まれたので、理由は思い出せなかったけれど…まあ、いいかと目を閉じた。
そんな彼に、実は二人とも気付いている。座り込んで何かをやっているようなので声をかけようとしたが、なにやら夢中だったので邪魔をしないように寝たふりをしているうちに、また眠ってしまったのが真相だ。
もっとも、夕闇の眠りは浅く、イーリスが横になったころから薄目で様子を見ていた。完全に寝入ったと見て起き出したころにはその気配でアヴィも目を覚まし、身体を起こした。
「疲れはとれましたか?」
「ん、へーき。すぐにでも動けそうだ」
「それは重畳。…と言っても、何もする事はないんですけどね。寝てますし」
「寝てるな」
多少離れているとは言え、起き出した二人に気付かない程度にはしっかり眠っている。しかし、昼間とは言え見張りなしで眠っていいものなのかと、アヴィは夕闇を仰ぎ見た。
「ああ…大丈夫だと思いますよ。この水場は先ほど見回りをしていたようですし。まあ、…ちょっと変な感じはありますが」
言い淀んだのは、やはり周囲の植生が棕櫚に偏っているせいだろう。それは流石に、見た目にも不自然だ。
・下手に実が生る木にすると、当てにされちゃうからね。
え、と二人が周囲を見回す。誰の声でもなく、響くでもない声だったが、不思議な違和感がある。しかし、その声の持ち主は見当たらない。
危険は感じなかったが、念のためと夕闇はアヴィに寄り添う位置へと移動した。
・あはは、警戒しなくていいよ。君の魔力のおかげで声だけ顕現してるようなものだから、これ以上出来ないんだ。
声はあっさりと種を明かすが、はいそうですかと警戒を緩められるはずはない。ただまあ、アヴィの魔力漏れはやはりなんとかするべきだろうと、身体が安定しつつある夕闇は内心で溜息を吐く。
・僕はショウヨウ。この泉に封じられてる妖魔…みたいなものかな。ま、詳しくは彼に聞いてよ。知ってるからさ。
「イーリスの知り合いか?」
・んー、そうというか、何というか。それも含めて、聞いて? 今はちょっと、贈り物しに来ただけだから。
楽しげなその声に、二人は顔を見合わせる。数瞬の間を置いて、夕闇が問いかけた。
「贈り物、ですか?」
・うん、贈り物。この泉を抜けたら、消えちゃうけどね。
声と同時に二人の足下に何かが生えた。まるで成長を早回しで見るかのようなそれは瞬く間に葉を茂らせ、実を付ける。
「これは…棗椰子?」
・そ、棗椰子。僕が顕現するほどじゃないけど、魔力が溢れてるから、返してあげる。魔力の垂れ流しは早く制御しなよ。あと君、まだ安定してないみたいだし、ちゃんとこれ、食べてね。不安なら、彼が起きてからでもいいよ。なんか茣蓙編んでたから、しばらく起きないだろうけど。
「茣蓙かよ」
「器用な方ですね…」
・ま、僕の維持に貰ってもいいんだけど…君たち、長居しないでしょ。君たちが出てった後が、暇なんだよね。
「…そうですね。もともと、昼までと言っていましたし」
その応えに、声の主はなんと思うのだろう?
「一応、逃げてきた身だしな」
・…それは、魔王を辞めたことと、関係あるのかな?
「んー…それは、どうなんだろ?」
「難しいですね。準備はしてあったようですし、もともと国を出る気ではいたようですが」
魔王を辞めたから国を出たのか、国を出るために魔王を辞めたのか。それはやはり、彼自身でなければ答えられないだろう。
・僕のことを知っているから、てっきり妖皇候補だと思ったんだけどね?
「それはないな」
「ありませんね」
ぴったりと重なった答えに、声の主がしばらく押し黙った。呆れたというよりも、たぶん笑っているのだろうなと、漏れ伝わってくる気配から推測出来たけれど。
・君たち、彼と付き合い長いの?
「いや? …今日を入れても4日だな」
アヴィが一瞬だけ考えて、そう答えれば。
「わたしは…まあ、同じにしておきましょうか」
夕闇もそれに頷いた。まだほんの数日しか経っていないことに驚きながら。
・じゃあ、君たちが付き合い長いんだ?
「いえ、同じですよ」
「え、そうなの?」
驚いたようなアヴィの言葉に、夕闇が首を傾げた。
「…ああ、イーリス様は何も仰らなかったんですね」
さてどこまで話したものかと夕闇は考える。下手な言い方をするとアヴィが怒りそうだし、しかし説明のしようもないし。
「私も、変わり種なんですよ。…たぶん、メモリアより珍しい程度に」
それで通じればよし、と夕闇はあっさり告げた。通じなくても、それ以上は言わない、と。姿を見せない相手への警戒ではなくて、アヴィの性格を鑑みての答えである。
・じゃあ、君は…もしかして、名前がないの?
「ーー申し遅れました。わたしは、夕闇と申します」
「俺は、アーヴェント」
・…へぇ、おもしろい偶然だね。
「偶然、ですか?」
・うん。すてきな偶然だ。
声から楽しげな気配が伝わってきて、とりあえずそのことを聞くのは無粋だと、そんな気がして問いは控えた。
・ちょっと奮発しすぎちゃった。もう、限界みたいだから、行くね。
「え」
「限界、ですか?」
・うん。もう行くよ。今度、逢えたら僕の名前を呼んでね。楽しみにしてるから、さ。
その声を最後に、気配が消え去った。しばらく二人とも黙り込んで、…ぽつりと夕闇が呟いた。
「…溶けました」
「溶けた?」
「ええ、この泉に。…彼は、実体を持たない妖魔のようですね」
自分もそれだとは言わないでおく。まあ、指輪が鍵だと気付いているようだし、いずれは気付くだろうけれど。
そしてそのアヴィの視線は、…残された果物の房に落とされる。
「…食い物、だよな?」
「ええ。…まあ、人間は干したものを食べると聞きますが。…わかります? 棗椰子のこと」
「? …いや、知らない」
その応えに、ああと夕闇が笑う。
「やっぱり、イーリス様でなければダメですか」
「ダメって…あ、そか」
そう言えば、イーリスの問いかけしか聞いたことがなく、応えたこともない。今夕闇がやったのは、その確認も兼ねてということか。
「どうします、これ?」
そこにあるのは一房、一抱えもある大量の実である。木はいつの間にか消えていた。
「んー…イーリスが起きてからでいいんじゃないか?」
「…そうですね。そうしますか」
じゃあ、と棗椰子を抱えてイーリスの方へ持って行く。…その顔の前に積み上げたのは、どう考えても悪戯だろう。
「…おどろくだろうな、あれ」
「ええ、きっと」
戻ってきた夕闇は、今度はアヴィを引っ張って泉へと連れてきた。
「気持ちいいですよ」
縁に座って、足だけを浸す。同じようにアヴィも靴を脱いで足を浸した。むろん、服が濡れないように、だ。
確かに、気持ちいい。どうせ暇だし、いっそ水に飛び込もうかと考えたところで、夕闇が制止する。
「乾くまで、どうするつもりです? 人と違って風邪はひきませんけど、気持ち悪いですよ?」
「あー…。納得した」
生乾きの服を着る気持ち悪さ。それは想像できなかったが、気持ち悪いことだけはわかる気がしたので同意する。
だがそうなると、…やることがない。
「…飛び込もうとは思ったけどさ、なんでわかった?」
「私も飛び込みたいですし、…イーリス様、飛び込んでたみたいですから」
「え。先越されたのか」
そう言えば棗椰子を置きに行ったときに、何か固まっていたように見えたが、そういうことかと腑に落ちた。
「かといってまた寝るってのもなー…」
「流石に飽きますね、それは」
しっかり眠って、更に先ほどまでも眠っていたのだ。流石にもう、十分に休んだと思うし、疲れもない。眠れるとは思えなかった。
手持ち無沙汰の風情で、アヴィが縁に生えていた葉を千切る。何を思ったか、それを咥え…いや、かじり始めた。
「…不味い、ですよね?」
恐る恐る、夕闇が問いかける。
「だと思うんだけど…おれ、味がわからないから」
「ああ…っていえ、不味いですから、それ。止めましょう?」
どう見ても、ただの雑草である。むろん、鼓草のように茹でれば美味しい草もあるが、どうみてもこれは食用ではなさそうだ。
「まあ、別に毒じゃないよな?」
「…毒じゃないですけど。毒だったらのたうち回るし、解毒剤も効かないと、イーリス様に釘を刺されてますよね?」
「いやまあ、…これくらいなら」
「やめてください。見たくないんです、貴方がのたうち回るところなんて」
それが笑いを含まない声だったからか、アヴィはかじるのを止めた。一瞬考えていたようだったが、その手が動き、何やら作り出す。
葉の先を内側に織り込み、筋に沿って縦に三つの切り込みを入れる。左端の切れ目を折らないように曲げて、右端の輪っかを通した。それを、反対側も同じように。
「…草船ですか。よく知ってますね」
「まあ、何となく。…ここが川だとよかったんだけどな」
泉にそれを浮かべ、水を蹴る。一瞬はその波に乗って遠ざかったものの、すぐに戻って…対流があるのか、岸に沿ってゆっくりと流されていく
「まあ湧き水と相場が決まってますし、多少は流れもあるんでしょうね」
「ああ、そっか」
しばらくはそれを眺めていたが、対して時間も経たないうちに見えなくなった。そうなるとまた、することがなくなってしまう。
一瞬、アヴィをからかってみようかなと考えて視線を送る。何を感じたものか、アヴィがびくりと身体を震わせて、夕闇を見る。油が切れた機械であるかのように、ぎぎぃと音を立てそうなびくつき具合で。
「…なにか、考えただろ…?」
「……否定はしませんが…止めておきます」
勘は鋭いなと、夕闇は苦笑した。こういうお遊びはイーリス相手だと楽しそうだが、アヴィに関しては大変なことになるだけにしか思えないので、下手な手出しはやめておこうと心に決める。まあいずれ、少々驚いてもらわなければ成らないのだが。
とりあえずその答えで油が差されたのか、アヴィはまた泉に向き直った。
「夕闇はさ。…イーリスのこと、何か知ってる?」
「…貴方と同じくらいだけ」
「そか」
その問いかけがどういう意味か解っていて、その上で夕闇は答えを付け加えた。
「魔王がどういう存在とされているかなら、識ってますよ」
弾かれたように、アヴィが顔を上げる。先ほどとの違いを考えると、笑わずにはいられなかった。
「一言で”魔王”といっても、国や宗教、時代によっても解釈はかわります。妖皇が納めるこの国に於いては、”妖皇の側近”程度の意味合いですね」
「…側近なんだ」
「ええ。妖皇によって任命されるので、そこそこの実力者ということになります。称号を与えられて、以後はそちらが呼称として使われます。序列はまあ、妖皇の心一つで決まるので、あまり気にしなくていいでしょう」
それは確かに、イーリスが言っていたような気がするなと…ほんの数日前のことを思い出す。
「外の国に於いては…難しいですね。隣国やその周辺の国々は、”厄介な外交官”という扱いですが、そのほかの国は…まあ、お伽噺のような存在であり、魔物の王だと…そういう認識のようです」
「いやまあ…そうだろうなあ…実のところは? 魔物の支配とか、可能なのか?」
「まあ、強いものに服従するのが野生の獣ですから、そういう程度には。操るのは…どうでしょうね。イーリス様はそういうことをする性格に思えませんが」
「あー…イーリスはやらないだろうなあ」
地図を使って周囲の見回りとか情報収集とか言っていたし、まあやらないのだろう。
「……宗教は?」
「彼らは自分たちの教義による存在以外、歯牙にもかけません。まあ主に、人間を滅ぼそうとする邪神の扱いですね」
「めんどくさそう…」
「ええ、面倒ですよ。正体がばれたら、皆殺しにするか、逃げるかの二択でしょうね」
「……夕闇さん?」
思わぬ言葉を聞いたアヴィの問いかけから顔を逸らし、夕闇は話を締めくくる。
「いずれにしても、魔王だということは知られないようにするほうがいいでしょうね」
「うん。それは解る。…解るけどさ? 今、すごいこと言ったよね?」
流せなかったか、と夕闇は舌打ちをする。別に、人が嫌いとかそう言うことはないのだけれど、と。
「宗教は嫌いなんですよ。宗教に狂った人間は、質が悪いから」
そして次いで、というかのようにイーリスをみた。姿勢も変わっていないから、眠り続けているのだろう。
アヴィを振り返り、…その口に咥えられようとする雑草を奪い取る。
「ですから、やめましょう?」
「いやー…暇だし」
「暇だからで雑草をかじるんじゃありませんっ」
どうしてこんな子供を諭すようなことをしなければならないのだろうと内心で愚痴りながら、草を捨てて代替案を提示する。
「棗椰子、試しましょうか。一つくらいなら大丈夫でしょうし、味覚も確認出来ますし」
とっさの思いつきではあったが、まあ雑草ほどは悪くないだろう。そして言ったとおり、棗椰子を一つずつ摘んで来た。
「美味しい棗椰子ですね。人間は干したものを好むようですが。種がありますから、気をつけて」
その小さな実は、一粒と言う表現が相応しいかもしれない。すでに一粒を食べていて、もう一つをアヴィに手渡しだ。
「美味いの、これ?」
「美味しいと思いますよ。…あ、でもかなり甘いですから…好みは分かれるかもしれませんね。…あ」
取り出された種は、その場で溶けた。そのまま、夕闇の手に沁みたような気がして、アヴィはその顔を見る。
「ああ…本当に魔力で形作られたものなんですね。身体が楽になります」
「…楽って?」
あ、と口元を押さえる様子から、あからさまに失言である。たぶん、言っても問題ない程度の。
「…まあ、体質ですよ、わたしの。聞きます?」
「……聞きたいけど、…いいのか?」
「イーリス様は承知の上ですから、問題ありませんよ。……ただ、面白い話ではないので、それだけ承知してくださいね」
一応ちらりと様子を見て、まだ起きる気配がないことを確かめて、語り出した。
”鼓草”は、たんぽぽのことだったりします。




