2-3 あの呆茄子ども…何を吹き込んだーー
間が空きすぎましたm(__)m
星が瞬きはじめるころ、イーリスは予定通りに目を覚ました。身体を起こして周囲を見回し、隣で眠るアヴィを見て安心したかのように微笑した。
天幕を出て空を見上げれば、記憶と違わぬ星空が広がっている。ただ、まだ薄明かりが残っているので起点となる星が見えていない。まあ、アヴィを起こして荷を片づけているうちには見えるだろうと天幕に戻りかけて、ふと動きを止める。
(…眠る前と、何処が違う…?)
それは些細な違和感だったが、魔物の出るこの地では見逃すわけにもいかない違和感だ。何かが来たのだとすれば、アヴィの魔力に惹かれてというところだろうが…ただ、何かがいたような形跡はないし、流石に気付くはずだと訝しむ。
「ああ、戻ったのか」
思わず口をついたのは、纏う衣服が男物…まあ、アヴィと同じものになっていることに気付いたためだ。
緩衝地帯に入る前ならまだしも、精髄を取り出すことすら出来ない程度にしっかりと封じられている領域で、術以外の何物でもない衣服が何故変化しているのか。というか、…自分も女性形態だったのに、何故に男に戻っているのか。術が解けたとか封じられたということなら、それは緩衝地帯に入った瞬間にそうなるはずで、半日以上経った今頃になってというのは、まったく理解が出来ない。
…だがそもそも、どうして現着しているはずの衣服や発動した術やらを変化させられるのかということ自体が謎だから、まあたぶん、これもアヴィの仕業なのだろう。意識しているかどうか、知らないが。
「アヴィの特性か、メモリアの特性か…研究しないわけにはいかないな」
楽しげに呟きながら、イーリスは立ち上がる。そろそろ火浣布も冷めただろうと温度を確かめて、くるくると丸めて仕舞う。ちなみにこれは、風と砂で炭の火が消えることがあるので、それを防ぐための措置でもある。濡れた地面の上でも火が着くし、上手く包めば火種を持ち歩くことも出来るので、けっこう重宝していた。
蜥蜴を捌くときに使った布は、水で流した上で日に干してある。もう少し丁寧に洗いたいところだが、流石に水の持ち合わせは少ないので、国境を越えるか水場を見つけない限りはこの程度が限度だろう。これも乾いているので、同じく丸める。
実は食べきっていない肉は薄く削いで日干しにしてあった。塩はないから味は微妙だが、一夜干しと言えなくもない程度には仕上がっている。日中の砂漠で保冷の術も使えないから、腐らせるよりはいいだろうという判断だ。これはとりあえず、使っていなかった清潔な布に包んでおく。まあ、鍋に入れて煮込めばいいだろう。
短剣は既に鞘に納めてあるので、またアヴィに持たせればいい。後は天幕を片づけて、出立するだけだ。
「…夕闇も呼びたいところだな」
夜の砂漠で、術が封じられている。アヴィはどう見ても砂漠の渡り方を知らないだろうし、もう一人、警戒できる頭が欲しい。毒蜥蜴程度なら、襲ってくるわけではないから踏まないようにだけ注意すればいいのだが。
「イーリス様」
聞き覚えのない声で不意に呼びかけられて、イーリスは声の主を振り向いた。その容姿に覚えはなかったけれど、深い夕焼け色の髪が風に舞うその様で、心当たりは一人だけいる。
「……夕闇?」
「はい。…初めまして、イーリス様」
膝を折って頭を垂れ、臣下の礼を取る彼に驚いた顔を向けて、イーリスは数歩、歩み寄り。
ぺたぺた。
「…はい?」
思わず声に出した夕闇にかまわず、その髪を、頭を、肩を、背中を、ぺたぺたと触りまくる。
それはもう、子供が玩具を触りまくるかのような勢いである。
「あの…イーリスさま?」
「…ああ、すまない。…だがおまえ、…どうしてここにいる?」
それが、と夕闇は答えに詰まった。
「気付いたら、ここにいました。…お二人とも目覚めないようだったので、少し偵察に…ああ、そういえば」
「うん?」
夕闇が遙か遠くを指して告げる。
「あちらの方角に、魔狼の群がいます。まだ、かなり遠いのですが…こちらに気付いてはいないようです」
「…アヴィを起こせ、天幕を片づける」
現界できた理由も、気付かれない程度の距離から魔狼を見つけられた理由も、ひとまずは後回しだとイーリスは指示を出す。幸い、彼が示した方角は行き先とは真逆。おそらく森の中に塒があるのだろう。気付かれたら厄介だが、やり過ごせるかもしれない。
布を外し、畳んでから支えにしていた棒を折り畳む。そのころにはアヴィも起こされて、寝ぼけ眼ではあったが片づけを手伝った。荷を詰め直せていたが、棒は片づけにくいので側面に挿して置くことにしたらしい。
「よしっと。どうした、なんかずいぶん焦って………」
荷造りを手伝いつつ指示を出していた夕闇を見て、アヴィが固まる。だが、誰かとは言わない。これだけ鮮やかな髪の色の主を見忘れることなどあり得ないから。
が、開かれかけたアヴィの口は、夕闇によって塞がれる。
「ううやっ!?」
「ちょっと今、急ぎます。落ち着いてから話しましょう?」
有無を言わさずに、微笑みながら反論を封じる。なんとなく誰かに似た雰囲気を感じながら、アヴィは頷いた。
アヴィに自分の荷を背負わせ、夕闇はイーリスの荷を引き受けた。現界したての彼に重荷を任せることにイーリスは難色を見せたが、弓を扱う必要を説かれてしぶしぶ納得する。多少は軽くなるだろうと言うことで、矢筒は奪い取っていたが。
二人で方角を確かめた後、先頭に夕闇が立つ。イーリスが殿なのは、背後から追い縋られた場合の警戒だ。その後は特に会話もなく、時折立ち止まって警戒する以外は足を止めることもなかった。
ようやく足が止まったのは、小さな水場にたどり着いてからだ。とうに夜半を越え、おそらく夜明けが近い頃合いだろう。
「どうしますか、イーリスさま」
それはもちろん、先へ進むか、ここで休むかという問いかけだ。
そうだな、とイーリスはアヴィを見た。人間と違って、歩き続けたことによる疲労はほぼ、ないはずだ。しかし、現界したてでの砂漠夜行は、精神に疲労がのし掛かる。平気な風で問いかけてきた夕闇も、万全だとは言わないだろう。
それに加えて、この先の道程を考える。記憶している限り、この砂漠に水場はない。だが見た限りは普通の森で、渾沌泉ではないようだ。天幕を張る必要がないくらいには生い茂っているし、木陰で休むにはちょうどいい。さらに言うなら、まだ隣国よりも自国寄り。落ち着いて休むのに悪くない位置だ。
問題は、いつまで休むか…だが。
「とりあえず、昼まで休むか。夕闇、お前も寝てろ」
「あ、いえ…私は見張りを」
「いいから、寝てろ。アヴィが限界だ、一緒にいてやってくれ」
言われてようやく、黙りこくっていたアヴィを見る。…目が据わっているように見えるけれど、どうやらほぼ、意識が飛んでいるらしい。
「……そうしたほうがよさそうですね」
苦笑しつつ、夕闇は頷いた。
「お前、魔力は見えるんだったか?」
「そうですね、見ようと思えばうっすらと。…ああ、今のアヴィはダダ漏れですね」
イーリスの言わんとしたことに気づき、現状を伝える。本来は意識して視界をあわせるのだが、その必要もないほど魔力があふれまくっていた。
「なんか、とんでもない量ですが…いいんですか、これ?」
「よくはないが、あと二日くらいは持つだろう。まさか二日で飽和するとは思いもしなかったから、予備がないんだ」
指輪をアヴィに持たせたのは、とりあえず夕闇を保護するためだ。一度存在が安定してしまえば、指輪を本人に持たせ、アヴィには別の何かを渡す気でいた。人間が作る魔法具に魔力の放出を禁じるものもあるし、手に入るようならそれを、無理そうならまた何か作って応急処置をするつもりだったがーーまさか砂漠にいる間に夕闇が現界出来るとは思いもしなかった。
…と、いうか。
「…お前、まだ安定してないんじゃ?」
「どうでしょう…その辺りはなんとも……」
自分の腕を動かし、拳を握ったり開いたり…とりあえず、動くことに支障はないようだ。ただ、どことなく儚い印象が拭えない。やがて、何を思ったか夕闇が泉を覗き込んだ。
「…ああ、まだ万全とは行かないようです。自覚はありませんが、よくお気づきになりましたね」
「なんとなく、な。…ああ、やはり薄いか」
水面に、夕闇は確かに映っている。けれど、隣に並ぶイーリスに比べれば、絵の具を水で薄めたかのように淡い状態だ。
「薄いっていわれると、なんか傷つきますね」
「他に言いようがないだろう。…とりあえず、休憩の間はアヴィから離れるな。寄ってくる奴は私が始末する」
まったく傷ついた様子なく笑う夕闇に、憮然とした顔でイーリスが応える。始末するというのは、その弓でということだろう。
「数がいたら、起こして下さいね?」
「ああ、必要だったらな」
荷を卸し、毛布を二人分取り出してアヴィに持たせ、夕闇は彼を引きずっていく。泉から離れた木陰を利用するのだろう。
「……とりあえず、見て回るか」
あの様子なら、何かあっても夕闇が目を覚ますだろうと考えて、イーリスは泉の縁を歩き出した。
水はきれいだが、生き物がいる様子はない。試しに一つ、大きめの石を拾ってみたが、やはり何も動きはなかった。その石には苔が生えているけれど、ごく薄い。
「となると、出来てからさほど経っていない泉か」
最後にこの砂漠を訪れたのはいつ頃だったか、覚えがない。何をしたかとか、何のためのに砂漠を抜けたかという理由は覚えているのだが。ただまあ、忘れるくらいには昔の話で、そのころにはこの泉がなかったのだろう。棕櫚がそこそこ定着しているところを見ると、二、三十年は経っていそうだが……植生がずいぶんと偏っている。というか、…棕櫚しかない。
「いや、ありえないだろうそれ」
棕櫚の種が落ちて植生を作り上げること自体は不思議ではない。種は薬になるが、果実は毒なのだから。けれど、棕櫚の種しか落ちないとか、棕櫚以外が育たないとか、それはどう考えてもあり得ないのだ。灌木や覇王樹などの水が少なくても育つ植物もないし、自然界ではあり得ない現象だ。
…では、人工の泉なのか?
いや、そんなはずはない。そんな無駄な労力を払う理由はないし、術も魔法も封じられるこの地に於いて、誰がそんな真似をするのか。まして人工であるなら、棗椰子や映日実を植えるはずだ。
とりあえず、と散策を続けることにする。水場を中心に、木が生い茂る方角へ進むのはそちらに何かしらあるだろうという推測だ。まあ、単純に水の道が通っているだけの場合もあるのだが、目印にはなる。
だが、何も見つからない。時間経過とともに、イーリスの表情が険しくなっていく。
「長居はしない方が良さそうだな」
一回りして、そう結論づけた。
棕櫚以外、全く何もなかった。昼間だと言うことを差し引いても、生き物の気配がなさ過ぎる。水辺にあるべき足跡もなく、僅かに苔が生えた石が転がるのみで、魚がいない。地下水が湧き出た水場なら、魚が射ないことはあり得るけれど…しかし、棕櫚しかない森にある、魚のいない泉など、不気味としか言いようがないではないか。
とはいえ、自分はまだしもあの様子のアヴィを連れて行くのは無謀だろう。やはり、予定通り昼までは休ませるべきだと判断する。
…問題は、目印のない砂漠を昼日中、どう渡るか。星から方角を見るつもりでいたから、方位磁針は持ち出さなかった。陽の方角から大凡は分かるけれど、正確ではない。下手に動けば、本来の道程から外れることになる。
どうするかを悩みつつ、二人を探す。程なくして、低めの棕櫚の木がつくる木陰に眠る二人が見つかった。
「アヴィはともかく、夕闇…お前もか」
苦笑しつつ、すぐ近くの木陰に陣取ってみた。ここまで正体なく眠っているということは、危険がないということだろうか。夕闇の疲労はそこまでのものに見えなかったし、その可能性は高い。
しかし…やはり不自然過ぎる。いかに水がきれいでも、生き物が何もいない。水の補充は出来ても、それだけでは先へ進めない。
『だからいいんだよ。そんなところに長居しようと思わないだろう? ま、無理だけどね。せいぜい一日が限界だし』
イーリスは弾かれたかのように顔を上げた。聞こえたわけではなく、記憶から届いた声だと認識した上で、泉へ走る。
あれは、二代目の声だ。そう、無理矢理に付き合わされた砂漠行の中で一度だけ、泉を見た。行き逢うこともないだろうが、存在だけ覚えておいてくれと、そう言われて。
二代目はあのとき、何をした?
すでに術を、魔法を封じられたこの地で、何を?
「封じられたのは、術と魔法…そういうことだろう?」
履き物が濡れることも構わず、泉に踏み入る。冷たい水は澄んでいて…魔力に馴染んだ。
「逍遙!」
だから、魔力を解き放ってただ、呼びかける。記憶にある二代目妖皇が呼びかけた、あのときの同じように。
「…っ……」
水面がさざめき、霧が立ち上る。放出した程度では足りないと言うかのように、魔力が更に吸い上げられていく。その感覚は気持ち悪いとしか言い様がないものだったが、やがては落ち着いた。そこへ、声が響く。
「久しぶり」
声を追うかのように人影が出来て、少年の姿を取る。どうやら顕現するだけの魔力は供給できたようだ。
(まだ余裕がある…あのときほどではないな)
それはむろん、妖皇の罠を潰したあのときと比べて、だ。魔道具相手ではないから、ある程度で加減はされるだろうと考えてはいたが、それで正解だったらしい。
「っても、顔を合わせるのは初めまして、だね。君が、今代の妖皇かな。それとも候補?」
その少年がこの泉の化身であり、『逍遙』だと二代目に教えられている。……確か、初代がそう呼んでいたのだとか言っていた。
そして彼が言うとおり、顔を合わせたことはない。
「…いや、どちらでもない」
「え、違うの?」
思いがけない問いかけに、イーリスは面食らった。そしてそれ以上に、彼も面食らったらしい。
大げさなくらいに目を見開いて、少年はイーリスを見直した。眇めた目で、まるで彼を見定めるかのように。
「ああ、確かに君は、頂点に立つ器じゃないね。寧ろ、支え手か。ふぅん…あいつ、何を考えたのかな」
それが初代のことなのか、それとも二代目のことなのか…判断が付かなかった。そして自覚はあっても、はっきり言われると微妙な感覚に襲われるのだと言うことを、イーリスは思い知らされた気分である。
「まあ、いいや。改めて、初めまして、だよね。名前を教えてくれる?」
名乗って良いものかと、一瞬だけ躊躇した。…だが、自分は…呼び名とは言え、彼を呼びだしたのだから、名乗らないのは礼儀知らずというものだろう。
「イーリス。…それが、今の私だ」
「いい名前だね。よろしく、虹の君」
逍遙は手を差し出したが、イーリスはその手を取らない。何かあるのかと首を傾げ、少年は言葉を重ねた。
「違った? ぼくもちょっと特殊な存在でさ…どちらかというと、メモリアに近いんだよね。…君に相応しい名前だと思うよ?」
「……お褒めいただきまして恐悦至極」
けっこうな棒読みであったが、逍遙は笑うだけだった。それでいて、その言葉の本来の続きを促すようにイーリスを見る。
「魔王はやめてきた。…ただのイーリスだ」
「え。…そうなんだ」
心底から驚いたと、少年は笑い、ようやく差し出された手を強く、強く握りしめた。そう、イーリスが呆れるほどに。
「一応、聞いておく。私は何か、気に障ることをしたか?」
「え? してないよ?」
子供の力と変わらず、嫌がらせとするには弱すぎる力だったけれど一応、聞いてみた。まあ、答えは予想通りだったけれど。
「…それなら、もう少し力を加減したほうがいい。知らない奴にやったら誤解されるぞ」
「え、…そうなの? 二代目はこれでいいって言ったけど。どうせ、僕を呼べる人の前にしか出られないし」
「いや、そういう問題じゃないから」
離された手で額を押さえつつ、イーリスはそれだけ答えた。
目を何度も瞬かせて答えた逍遙は、見た目通りの子供…それも、かなり素直な子供のようだ。
(あの呆茄子ども…何を吹き込んだーー)
逍遙の名を知らずとも、この彷徨う泉の存在を知られたら芋蔓式にバレかねない。いまのように水の中で呼びかける必要はあるけれど、この儀式もどき自体は人間界にも『禊』という風習で残されている。偶然に気付く者がいてもおかしくはないのだ。
「じゃ、気を付けるよ。変だな、僕もけっこう、知識はあるはずなのに」
「メモリアの知識は、ただの知識だ。礼儀やしきたりについては範疇にないと思うがな?」
それはアヴィと過ごしていて、何となくそう思っただけのことだ。事実はわからないけれど、あながち間違いでもないだろう。
「…ああ、そういう考え方もあるのかぁ…たしかになー」
なにやら納得したらしく、逍遙は頷いた。
「そういうの、研究してみたいって思わなくはないんだけどさ」
無理なんだよね、と明るく笑う。
「…砂漠から離れられないからか」
それにしたって、研究くらいは出来るのではないか…まあ、それに付き合うメモリアがいれば、という前提ではあるが、イーリスは疑問を持った。
「離れられるよ?」
あれ、という顔をで逍遙がイーリスを見て、え、という顔でイーリスが彼を見る。
「えと、離れること自体は出来るよ? ただ、現界するのに必要な魔力が…ね? 今はメモリア君の魔力で何とかなってるけどさ」
逍遙の説明によると、この水場自体が緩衝地帯を覆う結界の産物に当たるらしい。地下水脈から水を汲み上げているのは逍遙だが、それを可能にしているのが結界が送り込んでくる魔力であり、作成当初はいろいろと衝突があってけっこうな量だったが、落ち着いたこの数十年は、泉としての出現も厳しく、ほぼ眠っているのだとか。
「ま、外へ行くと周囲の魔力、根こそぎで吸い取っちゃうしねぇ」
「根こそぎ?」
「うん。だから、初代は僕に砂漠をくれたんだよ。…ここなら、人にも妖魔にも追われないからって」
そうか、とイーリスは呟きで応えた。生憎と初代を知らないので、それ以上のことは言えないのだが…無謀をするだけの莫迦ではなかったらしい。
「ねぇ、あの莫迦の居場所ってわかる?」
「いや…時折便りがあるとは聞くが。四代目なら突き止められるかもな」
「それはなんか、望み薄だねぇ。…君に伝言を頼んだほうがはやいかな?」
「…逢える保証などないぞ」
一応、言ってみる。そんなことは、逍遙だって百も承知だろうが。
「しびれ切らして砂漠を飛び出す前に、会いに来い」
ぷくっと頬を膨らませた少年が、それだけ告げた。見た目に相応しい子供の仕草に、イーリスは思わず笑って、それから頷いた。
「引き受けよう。伝言が早いか、お前が飛び出すのが早いかは知らんが」
「それでいいよ。じゃ、それで忘れてたことは許してあげる」
ウィンクを飛ばされて、イーリスは内心で冷や汗を流した。自分が忘れていたということを知っている…つまりは意識があったということだ。
「それから、予言をあげる」
逍遙がイーリスを見つめ、その瞳を輝かせる。白、或いは透明に…まるで水面が煌めくかのごとく。
「君は、国を興してはいけない」
「国?」
それは思いがけない言葉だった。国を興すなど、…初代ではあるまいし、あれを見てきた以上、その気になるわけがない。
「君が壊れるよ。そして皆が悲しむ、君を失って。だから、国を興してはいけない。君の能力は、あくまで支え手だから。十全に能力を発揮出来る場所を見つけたなら、それ以上を望んではいけない」
それは、とイーリスは言葉に詰まる。十全に能力を発揮できる場所。…それはつい昨日、捨ててきたのではなかったか?
表情をこわばらせたイーリスに、逍遙は額を合わせた。コツンと音がする程度に、強く。
「予言だよ?」
楽しげに笑って告げる。イーリスが戸惑うよりも早く、その意味も。
「僕の予言はいつでも、未来だけ見てる。ずっとずっと先のことだよ。君の心当たりは、的外れさ」
子供を宥めるかのように、その頭をぽんぽんと撫でる。そうされても拒む気にならなかったのは、それほどまでに彼の予言が衝撃で、自分の考えが間違っていたことに安堵したからだろうか。
「でもそうなると、君がこのあとで国を作りたくなるかもしれないってことなんだけど」
そう言われて、一瞬だけ考えてみた。
「…ない。どう考えても、ならない」
即、結論である。どう考えてみても、拒否の一言しか浮かばない。そもそも初代だって、国を作りたくて作ったわけではないと聞く。二代目は受け継いだだけだし、…受け継ごうとどうして思ったのか、そう言えば聞いたことがなかったと気付いたけれど、それはいつか、問い詰めることにした。
「あはは。あいつらといたなら、国を作ることの大変さは知ってるだろうし。…大丈夫かな」
「…ああ。予言はありがたくいただいておくが、まあ役に立つことはないだろうな」
応えに満足したのか、逍遙は身体を離した。
「それでいいよ。予言なんてそんなものさ」
予言、占い、予測…それはあくまで未来を見据えるためのものであり、縛られるためのものではない。予言を与えておきながら、逍遙はそう言って笑った。
「ありがとう、思い出してくれて。出来れば彼らにも、教えておいて欲しいな。いつかどこかで、出会えたときのために」
ああ、とイーリスは頷いた。それは間違いなく別れの言葉で、…あの国に戻る気のないイーリスにしてみれば、永劫の別れにも等しいものだったけれど。
「限界か」
「そうだね。もともと、貯め込める魔力は少ないし。あ、でもこの泉はもう少し残るから、日が落ちるまで休んでいくといいよ。君も不眠不休ってわけにはいかないでしょ」
「まあ…そうだな」
実はアヴィの魔力を吸収出来るので、砂漠を抜けるくらいまでは不眠不休でも動けたりする。それでもやはり、眠るか眠らないかで、頭の冴えは違うから、逍遙の勧めは的を射ている。
「じゃあ、バイバイ」
「ーーまた、な」
イーリスの言葉にちょっとだけ目を見開いた逍遙は、そのまま笑って姿をーー消す、寸前に。
「うわっ!?」
イーリスの胸を突き飛ばし、水面に落として消えた。してやったりと笑う彼を、派手な水飛沫を跳ね上げたイーリスは見たのだろうか。
逍遙と初代の関係も書きたい……




