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魔王が逃げて、何が悪い?  作者: 冬野ゆすら
第二章 
20/64

2-2 …あ、そういえば初めての食事だったか

タイトル修正しました(2017.8)

「え、三日? この砂漠ってそんなに広いの?」

「緩衝地帯にするくらいだからな。ま、三日目には国境に着いてるさ」

 砂を踏みしめながら、二人は歩く。会話は自然と、周囲の景色やこれから行く国のものとなっていた。

 境界標を越えてしばらくは足下も堅く、砂地ではあるが草の群生もあったりして、歩くのは楽だった。しかし、ふと気づいた時には砂力の照り返しがまぶしく感じるほどになり、草もなくなった。何より、まるで砂浜を歩いているかのような感触に変わっていて、ようやく完全な砂漠に入ったのだと気がついた。


「…歩きにくい」

「砂地だからな。…ああ、言い忘れていたが、この辺りから魔物が出るから気を付けろ」

「魔物?」

「渾沌泉の水を飲むと、変質する奴がときどきいるんだ。単騎ならたいしたものじゃないが…」

 言葉を切ったイーリスが荷を卸し、弓を構えた。


「砂漠に暮らす動物は少ないが、森が近い。群ごと迷い出て、渾沌泉に出会うと最悪だな」

 ヒュッと風切り音が聞こえ、矢が地面に刺さる。そこには何もないように見えていたが、砂に刺さった軸から黒い何かが流れ出た。


「…あれ、血?」

「ああ、魔物化した証明だ。…とりあえずはあれだけだな」

 すたすたとそれに近づき、矢を持ち上げる。砂の中から、太った蜥蜴が姿を見せた。既に絶命しているらしく、動く気配はない。イーリスはそれをそのまま持ってきて、アヴィに渡した短剣を要求した。


「……捌くの?」

「ああ、血がいい値で売れるんだ。肉も売れるんだが…まあ、夕飯かな。触るなよ、結構な劇薬だ。魔物化してなきゃ血は飲めるんだけどな」

「いや、飲みたくないから」

 そんなことを言いながら手はさくさくと動いていた。首を落とし、滴る血を皮袋に貯めて、厳重に蓋をする。薬になるのは事実だが、毒性も強く、よほどの熟練者でなければ扱えない劇物である。


「慣れてるなー」

「まあな。…ああ、この種類は下顎に毒袋持ってるから、頭はそのまま捨てるぞ」

「売れない?」

「毒をか?」

 呆れたことを、と嘆息したイーリスだったが、ふと思いついたようにアヴィを見た。


「主が問う。この毒の使い方を何か知っているか?」

「ーー生き物の毒を用いて、その毒の中和剤を作ることが可能。ただし、中和剤そのものを人体が拒否する場合もあるため、諸刃の剣でもある。死に至る毒でなければ、無理に使う必要はない」

 それだけを答えて、アヴィは沈黙した。まあ、要は…毒だということらしい。


「面白いな、メモリアって」

「え?」

「私が問いかければ答えるのに、普段はわからないんだろ?」

「あー…確かに…」

 問われれば、何かの文書を読み上げるかのようになめらかに答えるが、それを本人が知っているわけではない。まるで専用の辞書を持っているかのようだと、イーリスは笑う。


「私たち妖魔は、知っているけれど言葉で答えることが出来ない。体感として理解しているという感じだな」

 そこでふと、手元の獲物とアヴィを見比べ、にこりと笑った。


「ちょうどいい。この辺りで野営しよう」

「え、もう? まだ明るいのに?」

「この辺りからは目印がないから、星を見る。暗くなるのを待つんだよ」

 何でもないことのように応え、イーリスは自分の荷をあさる。取り出されたのは、かなり大きな布と四本の棒、それを縛るための麻縄だ。

 棒は二本を山形に結わえ、布に合う幅で並べて地面に突き刺す。布端をそれに結んで垂らし、その端は内側へ折り返してから、重石代わりの荷を並べた。日陰になる辺りに布を敷けば、寝床が完成である。


「簡単だろ?」

「…あ!?」

 くすくすと笑うイーリスを見て、頭を掻く。作業自体は嫌ではないし分かりやすかったけれど、イーリスは指示を出しただけで、何も手伝っていないことに気がついたのだ。

 ではイーリスは何をしていたかというと、均した砂の上に敷物を用意していた。が、所々変色しているし、なにやら黒っぽい染みがあるような。


「…あの…それはもしかして?」

俎板(まないた)の代わりだ。洗ったし、日にも干した上で仕舞ってあったから問題はないぞ?」

 捌くときに砂が付かないようにするための敷布なので、俎板というほどのものではない。手頃な岩などがあればそれでもいいが、そんなものは滅多にないし、板を持ち歩くのは邪魔すぎるということで考え出された遊牧民の知恵を拝借したものだ。


「これは滅多に見ないから、捌き方は覚えなくてもいい。まあ、見てろ」

 尾を根本から切り、そこから浅く切れ目を入れて皮を剥ぐ。腹を割くときはさらに慎重な手つきになり、内臓は傷つけないよう、丁寧に取り出した。だが価値があるわけではないらしく、そのまま砂の上に放り捨てられる。


「あれ、内蔵は食べないの?」

「ああ、普通の蜥蜴なら食べるんだが、止めた方がいい」

 肉を切り分けて、これまた用意してあったらしい串に刺していく手際は、呆れるほど鮮やかだ。


「あ、そうか。これ、魔物なんだ」

 どの辺が魔物だろうと思わなくはないが、確かに先ほど姿を現したとき、あれは擬態というには鮮やかすぎた。などと考えていると、イーリスに招かれた。


「肉に串を刺すとき、少し回しながら刺してみろ。それでうまく行く」

 有無を言わさず肉と串を渡されて、恐る恐る言われた通りにやってみる。大きめに切り分けられた肉は微妙な柔らかさで、なかなか刺さらない。小さな独楽を回すときの要領で串を摘まんで回せば、確かにそのままやるよりも楽に刺さる。刺さった後はそのまま押し込めば事足りた。イーリスがそのまま離れてしまったので、後はやれということかなと残った肉と串を刺して行く。


「ああ、早かったな。じゃ、焼こうか」

 いない間に火を興していたらしく、炭が赤く燃えていた。串をその周囲に刺して炙り焼きにするらしい。

 炭をいつの間に用意したのかという疑問もあったが、それ以上に下敷きにされた布が気になってしまう。燃える気配はないが、なんだろう?


「ああ、この布か。火浣布(かかんぷ)だ。…わかるか?」

「ーー石綿を紡ぎ、布としたもの。暖炉や焚き火程度の炎であれば、汚れだけが焼け落ち、布そのものは無傷であることから名付けられた。火鼠(ひねずみ)(かわごろも)と称されることもある。ただし、その製造工程や採掘課程に於いて、肺を病む可能性が高いので注意が必要。また、古くなった火浣布も同様の危険があるため、(ほつ)れが見えたら廃棄することが推奨される」

「へえ、そういうものなのか。砂地の上だとやりにくいから、よく使うんだが…まあ、これも複製だけどな」

「それもかよっ」

 ふふん、とイーリスは笑う。どれが本物でどれが複製なのか、もう見分けが付かないし付ける意味がないように思えてきたアヴィである。


「しばらくかかるから休んでていいぞ」

「あー…、その前にさ、どうやって火をつけたのか聞いていい?」

 確か先ほど、魔法も術も封じられるといっていたはず、と首を傾げる。普通に考えるなら火打ち石だろうが、こんなに早く燃えるものだろうか?


「ん? ああ、これだよ。透鏡(とうきょう)だ。…これは知ってるよな?」

「ーー透明な素材で出来た円形の加工品。断面は中央が膨らむ。この膨らみによる集光の結果、焦点の温度が上がり、発火させることが出来る」

 まあ、つまり、虫眼鏡で火を付ける、あれである。


「…なんでそんな方法知ってんの? てか、イーリスって炎出してたよね?」

「まあここは無理だけどな。私の炎は攻撃用だから、小さくならないんだ。あの勢いの炎を森の中で出して見ろ、どうなると思う?」

「…あー…山火事だね、間違いなく」

「実際、初代がやらかしたらしいしな」

「また初代かよ!? 何者だよ、初代って!?」

「生憎と、面識はない」

 けっこう深く溜息を吐いて、イーリスは手にしていた透鏡をアヴィに渡した。周囲を蔦が囲むような装飾が施されているが、火を付けるときには邪魔にならないように考えられているようだ。


「使い方は先代に聞いた。()がないと使えないのは不便だが、まあ人間と違って炎は必須じゃないしな」

「え?」

「えって…別に暖を採る必要はないぞ? 今も別に、暑くないだろ?」

「……へ?」

 気づいてなかったのかと、イーリスは苦笑した。


「考えて見ろ、砂漠だぞ?」

「ーー一年を通して雨が降らず、樹木が育たない。一日の温度差は大きく、砂漠を行く際には日除けと防寒具を用意するべきである」

「だろ?」

 うん、とアヴィは頷いた。考えてみれば至極当然で、気にしなかったことのほうが不思議なのだ。


「服がある程度の調整をしてるんだ。感覚的には人間と大差ない。…脱ぐなよ、日光からも守られてるから、火膨れを起こすぞ」

 聞いた瞬間にアヴィがやりそうなことは、前もって釘を差す。…けっこうぎりぎりで、アヴィは思いとどまった。

 何かとても分かりやすい気がする、とイーリスは内心で呟いた。


「これから先、人間として旅をするからな。周りの様子に合わせないと怪しまれるから気をつけろよ?」

「はい、ご主人様」

 とは言え、…実際に暑くないのだから、なかなか難しいものだ。


「…で、この透鏡も複製?」

「いや、これは水晶を磨いた奴だ。職人に注文してな。…どうした、疲れたか?」

 膝を抱え込むアヴィにさわやかな笑顔を向けながらイーリスは問いかける。むろん、わざとである。


「基準が分からねぇ…!」

「そうか? 簡単に手に入るものは、複製にしたりしないんだが」

「……なんでそんなものが簡単に手に入るんだ…研磨とか大変だろ!?」

「値は張るが、装飾品の類なら難しくはないな。…ああ、これも職人に作らせた奴だよ」

 耳飾りを示し、思い出したかのようにイーリスは答えた。


「ああ、それはきれいだと思ったんだ。どうやってんだろな、中に模様が入ってるけど」

「模様? …ああ、模様じゃないよ、これは」

 飾りを両方とも外し、透鏡と引き替える。アヴィは受け取ったそれをしげしげと見つめたが、やはり模様にしか見えないようだ。


「…これ、左右で違うんだな?」

「だから、模様じゃないって。術で奏鳴琴を封じたんだよ。どこかで落ち着いたら取り出すけど、持ち歩くには便利だからな」

 とは言え、封じたときには持ち歩くことになると思っていなかったから、怪我の功名と言えるかもしれない。


「さて、残念だが休む時間はなくなったようだな」

「え、なんで?」

 耳飾りを返しつつ、アヴィが聞き返す。ニヤリと笑って、串を差し出す。


「焼けたぞ」

 ちょっと、早い気がした。というか、…早い、かなり。表面は確かに焼けているが…中身はかなり、赤い。


「……ホントに焼けてる? 生焼けじゃない?」

「大丈夫だ。ほら、串が通るだろ」

 使われていない串を刺し、それが簡単に通ることを示す。確かに、生肉であれば通すのに手間がかかることは確認済みだ。

 それならばと受け取って、かぶりつく。


「あっつっ!?」

 叫んだアヴィに、イーリスが黙って水を渡す。どこから取り出したかなど気にする余裕もなく、アヴィは慌てて水を含んだ。


「焼きたてだぞ?」

「熱いと思わなかったんだよ…」

「…服は、服だからな」

 アヴィから視線を逸らしつつ告げるその理由は、実は旅を始めた当初にイーリスも経験したことだ。あくまでも服なので、外気や日光、炎からもある程度は守ってくれるが…その必要がない口の中までは、関知されないのである。

 幸い、イーリスとは違って魔力生成型なので、治りは早い。恨めしげにイーリスを睨みつつ、今度は慎重に肉をかじる。


「…そんなに、堅くないんだな」

「ああ、そういう蜥蜴なんだ」

 ざくりと歯が立ち、咬みちぎることに苦労はない。歯応えも堅すぎず、イーリスが言うとおり生ではない。…しかし、とアヴィはいぶかしげにイーリスを見た。


「ぜんぜん、味がしないんだけど?」

「味?」

 焼けていることは分かるし、触感もいい。あまり匂いがしないのは、脂身がない肉だからだろう。その辺りは好みにもよるし、気にはならない。ただ、あまりにも味がなかった。いったい何を食べているのか、さっぱりと分からない。調味料や香辛料が足らないという段階ではなく、肉そのものの味すらもしないのは、まったく理解が出来なかった。


「…あ、そういえば初めての食事だったか」

 イーリスの説明によると、魔力の実体化であるために、本来は水も食事も必要としないのが彼ら、妖魔の身体である。故に、模倣された人体に過ぎない実体は、味覚だけが非常に未発達な状態らしい。


「味わうだけなら、精髄を吸い上げるという手もあるが…」

 言いながら、イーリスは肉に手をかざす。…特に何も、起きたようには見えないがと思いつつ、アヴィはかなり期待している。


「…あ、緩衝地帯か」

 すまん、と片手をあげる。…つまり、何かしようとしたが、術も魔法も封じられていて失敗したということか。


「…イーリス…?」

 怨めしげに睨みつけるが、それ以上のことは出来ようはずもなく、諦めてもう一口をかじる。


「…あれ? この身体ってさ、食事を必要としないんだよな?」

 もそもそと咀嚼しつつ、浮かんだ疑問を問いかける。


「まあ、基本的にはそうだな」

 焼きあがった串焼きを口に運びつつ、イーリスが答える。


「食べたものってどうなんの?」

「飲み込んだ時点で、分解と同時に吸収されてるな。…ああ、変なものを食べると体調を崩すぞ。人間と違って薬も効かないし、吐き出すことも出来ないから、あまりひどいものを食べるとのたうち回ることになる」

「怖っ」

 便利に思えるこの身体も、良いこと尽くしとはいかないらしいと肝に銘じるアヴィである。


「イーリスはさ、最初にものを食べたときってどんな感じだった?」

「…流石に覚えてないな」

 そう答えたイーリスだったが、何やら奇妙な顔をした。…もしかしたら、思い出したくないようなものをたべしまったのかもしれない。先ほどは「のたうち回る」とか言っていたし。


「…旨いと思ったのは、弓を教えてくれた猟師が取った兎だな。一羽しかいなかったから、いらないと言ったんだが…味わって見ろと無理矢理食わされた」

 どれくらい経ったかなと、淡い笑みでイーリスが呟く。

 それまでは苦い、甘いなどが分かる程度だったのに、そのときに猟師がかけてくれた言葉で、旨いという意味がわかるようになったのだ、と。


「ゆっくり噛みしめな。肉汁が出てくるだろ。匂いもするはずだ。それが気に入ったら旨いってことで、気に入らなかったら…まあ、まだ早いってことだな」

 覚えていた、とイーリスは笑う。あいにくと、ここにあるのは蜥蜴で肉汁はあまり出ないし、兎は鍋だったから、ずいぶんと違うけれど。


「…そうだな。明日は鍋にしてみるか?」

 笑うイーリスがいい表情(かお)するなとの感想はこっそりと心の中に留め置いて、とりあえず、その言葉通りにゆっくり噛みしめてみることにした。


「…すぐには無理、かな。でもまあ、…嫌じゃ、ない」

 なんとなく。本当になんとなく、味があるような気がした。ただそれが、旨いも不味いもなくて、味があるような気がするという、その程度でしかなかったが。


「ま、そこは仕方ないな。…ああ、あと食べる量には気を付けろよ。満腹感がないから際限なく食べられるぞ」

「ぅ?」

 二本目の串に手を伸ばしたアヴィが固まる。その手に串を乗せながら、イーリスは笑った。


「今はいいさ。砂漠を抜けるまでに、味わえるようになるといいな」

「ン。…抜けるまでって?」

「今から向かう国は、交易で発展した国でな。いろいろな食材が集まるんだ」

 そして当然、それらを調理する料理人もいるし、店もある。中には貴族に請われて夜会の料理を請け負う凄腕もいるという。問題はそれらの知識が、実体験とは言え数十年前の話だと言うことくらいだ。


「イーリスって、けっこうお爺ちゃん?」

「たかが二百年で年寄り扱いはないな。初代なんか、四、五百年生きてるって話だぞ」

「へ?」

「だから、身体が作り物だと言ってるだろ。寿命の概念がないんだよ、人間と違ってな。だから一人で国も作るし、世界を回る」

「あ、いや、そこじゃなくて」

 そこにひっかかったことも確かだが、それはすぐに身体の作りを考えれば不思議はないことだと気が付いた。既に妖皇が三代目だというから、てっきり初代・先代は死んだものだと思っていたのだが。


「…生きてんの、初代さんって?」

「らしいぞ。私は会ったことがないから知らんが」

「…てことは、先代さんは?」

「ああ、健在だ。二十年位前に三代目に皇位を譲って、姿を消したが」

「生きてんの、それ!?」

「二人とも、交易船が言伝を持ってくるからな。…ま、ただの近況報告がほとんどだが」

 魔王筆頭であるレディへの言伝だが、秘匿の必要がない場合は彼女から皆に伝わる。むろん、それを見越してのことだろう。


「…あれ、交易? 貿易じゃなくて?」

「ああ、…まあ、貨幣制度がないからな、この国」

「ないの!?」

「必要か? というか、成り立つと思うか?」

 イーリスに言われて、アヴィは少し考えて見た。

 そもそも交易とは、品物を交換することが目的だ。互いの持つものを同等の価値であると納得しあえば成立する、いわゆる物々交換がこれにあたる。この場合、貨幣は『交換する価値がある物品』の一つとして扱われているに過ぎない。

 翻って貿易になると、物々交換ではなく、貨幣が目的となる。手持ちのものとの交換を成立させるには、まず貨幣を用意し、それをもって購入しなければならない。その際に、相手に自分の持ち物を買い取って貰うこと出来るが、いずれにしても、商品は貨幣或いは手形などの現金と同様の価値があるもので購入することになる。

 で、問題はそこで出てくる。衣装を簡単に模倣する彼らに、貨幣が模倣できないものなのか、と。


「…そか。駄目だ、信用がない」

 物々交換であれば、自分の目利きで納得すれば成立する。しかし、貨幣は…偽金はどこの国でも重罪だ。各国と同じように貨幣を鋳造したところで、複製かもしれないという疑いが濃厚すぎるこの国では、成立しない。書面で成り立つ手形など、更に信用されないだろう。


「正解。…それはわかるんだな」

「ン?」

「いや。…ああ、そういえば会話は成立してるのか」

「会話??」

「ああ。…なんというか、辞書を読み上げてるような感じだなと思ってたから」

「あー…うん、そんなとこはあるな」

 それはアヴィ自身も感じていたことだから、意味は分かった。それがメモリアの特性だろうと勝手に納得していたが、そうではないのかもしれない。


「…なあ、イーリスはさ、メモリアがどんなものだと思ってる?」

「破天荒な奴」

「……はい?」

「妖魔が知るはずのことを知らず、問いかければただ、答えを返す知識の塊。自我を得れば破天荒な存在となるが、自我なくして存在し得ぬ、妖魔とは一線を画する存在」

 それが、妖魔の間に伝わるメモリアの全てだとイーリスは答えた。だからまあ、破天荒な存在なのだろうと、それだけを念頭に置いていたらしい。


「伝わるというのも正確じゃないな。まあ、そういうものだと知っているということに過ぎないんだ。人間と違って、知識を後世に伝えるとかそういう感覚がなかったからな」

 人間との交易を初めて、ようやくその必要性が理解され、一部の妖魔は編纂などを始めているらしい。だがまあ、寿命がない彼らがやることなので、ほぼ永久に終わらないだろうと目されているが。


「私としては、…渾沌領域に迷い込んだ人間の残滓が何か、変化したものではないかと思っていたが?」

「…残滓ねぇ」

 意味は分かるし、妖魔でさえ存在が困難なあの空間に人間が迷い込んだら、流石に命はないだろうとも思う。しかし、それでも耳障りな言葉に思えた。


「それであれば、知識の塊と会話が成立する理由も成り立つと思ったんだが…まあ、これはないな」

「…あ?」

「あって欲しくない、が正しいか。…そんな理由で会話が成立するなら、私たち妖魔も何かの残滓だということになるからな」

「……ああ、そこが重要なんだ」

 アヴィは笑った。イーリスが食べ終えた串を火にくべるのを見て、自分も同じように火にくべる。


「或いは、何者かの生まれ変わりか」

 イーリスの視線が、アヴィを射る。ああ、とアヴィは気づいた。おそらくは、こちらが本命だ。


「もう少し落ち着いてから聞くつもりだったが…ちょうどいい機会だ。教えてくれるか?」

「…なんで?」

 アヴィは視線を逸らし、炎を見つめた。


「大切なことなの、それ?」

「いや?」

 思い詰めた声のアヴィに、イーリスはニヤリと笑って応えた。


「ただの好奇心だ」

「……っ!!」

 拳を握りしめるアヴィから、一瞬だけ風が放たれた。煽られた火浣布がイーリスに巻き付くが、落ち着いた様子でそれをはがし、火にくべてしまう。


「わ、え、ちょ…ごめっ」

「? 何がだ?」

 火浣布が燃え上がったように見えたけれど、それはただ風に煽られた炎が広がっただけだった。実際に燃えてはいるのだが、それは特性としての汚れが燃えているに過ぎない。…ということは、ほどなくして火が消えたことで思い出した。


「えと…その、火傷とか…」

「ああ…別に問題ないな。炎が風で煽られた程度だ。…まあ、髪をほどいていたら危なかったかもな」

 言われて見れば、確かに三つ編みにされていて、しかも服の中に仕舞われている。これはつまり、何度かにたような状況で危ない目に遭ったということだろうか。

 そしてその髪の持ち主は、…なぜか、満足げに笑っている。


「えっと…イーリス? なんで笑ってるのか、聞いていい?」

「ーー笑ってたか、悪い」

「いや、ぜんぜん悪くないけど」

 悪くない。悪いわけではないが…ただ、怖かった。下手をすると炎に巻かれるかもしれなかったのに、すごく楽しげに笑っているのだから。


「ここは、緩衝地帯だ」

「え…うん」

「今の風、何だと思う?」

「え…あ、あれ?」

 楽しげに、イーリスが問いかける。答えは簡単に分かったが、しかし。…術も魔法も封じられる、それが緩衝地帯だったはず。


「術でも魔法でもない…ただ、魔力が放たれただけだ。でも、消えなかった。この緩衝地帯に、そんな抜け道があるなんて思っても見なかったからな」

 だからさ、とイーリスは告げた。 


「知りたいだけさ。自分の答えが正しいかどうか、な。…先代に言わせると、初代に負けない好奇心の塊らしいからな、私は」

 それが答えだとアヴィは気づき、…しかし、彼のようには笑えなかった。


「…寝るっ!」

 あんな聞き方をする必要はなかったのだと気づき、こみ上げてきた恥ずかしさに耐えることも出来ず、用意されていた天幕に逃げ込んだ。

 イーリスが笑っているだろうことはわかるけれど、顔を見られなくて、見られたくなかった。

 (ちぢ)こまっているうちに眠気を感じ始めた頃、天幕にイーリスも戻ってきた。


「火の始末をしていた」

「あ…そか…」

 すぐに来なかったのはそれだけではなくて、逃げていったアヴィを追いつめないためでもあったけれど、それを言う気はないようだ。


「俺はさ、誰かの生まれ変わりとかじゃないよ」

 半分以上の眠りの中で、アヴィは呟いた。


「そうか」

「自分がどこの誰だったとか、そういうの…何にもない。だからたぶん、誰かの生まれ代わりとかじゃない…イーリスは?」

「私もないな。そのほうが、気楽でいい」

「気楽…?」

「前世で何が出来たとか、出来なかったとか…そんなものに縛られるなんて、ぞっとする」

 はは、とアヴィは口の端だけで笑う。なんだ、と安堵する。


「イーリスってほんとに…、好奇心の塊…」

「初代ほど無謀じゃないけどな」

 そうかなあ、と口の中でアヴィが呟いたことに、イーリスは気づいただろうか。


 冒頭に出した「毒蜥蜴」は、アメリカ、メキシコあたりに実在します。一般の毒蛇と同じく、咬まれると毒がそそぎ込まれるタイプで、ペットとして飼育可能(ただし自治体の許可必須)だそうです。

 まあ、食べないと思いますが、日本は蝮酒があるからなー…食べる国もあるかもなー…。

 砂漠では蜥蜴を食べることもあるようです。「蜥蜴の血」は虫食文化があると飲むこともあるようですが…『三つ目がとおる』以外で見たことがないんですよね。手塚治虫先生はどこからあのネタを拾ったんでしょうね?

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