25 閑話・龍泉涼夜という男
龍泉涼夜は龍泉理一を父に龍泉里佳を母に持つ龍泉家の長男、今年の春からそれなりな大学院に通っている大学院生である。
愛称はリュウ、あるいはリョウ、ご近所さんからは残念なイケメン、あるいは莉子ちゃんの残念なお兄さんなどと呼ばれている。
身長は180.5cm、四捨五入して180cmではなく正真正銘の180cmである。体重は70kg、体脂肪率は11%で小学生の頃から近くの道場で合気道を習っている。昇段試験を受けたことがないため有段者ではないがその実力はあきらかに有段者である。昇段試験を受けないのはもちろん何かあった時に有段者では都合が悪いからである。
容姿はいつも伸びた背筋にすらりとした手足、さらさらな黒髪と小顔で整った顔立ち、モデルにスカウトされたことも一度や二度ではない。父親に似て大きな目が印象的だが、おめめぱっちりという印象の父親に比べると若干男らしい切れ長である。
性格は長男らしい面倒見のよさでいわゆるガキ大将から学級委員長、そして生徒会長コースと王道を歩いたが「やっぱり面倒」と任期途中で生徒会長を辞めてしまったのは通っていた高校では初めてかつ彼だけだ。責任感は強い方だが責任感よりも優先するのが妹の莉子である。生徒会長を辞めたのは三歳年下の莉子の習い事のお迎えをしたかったためと言われている。というか事実である。
ちなみに涼夜の次のガキ大将は小梅である。近所にあいだの年代の子がいなかったわけではなく、涼夜の次に強かったのが小梅だったからという完全実力主義の結果である。
涼夜がシスコンに目覚めたのは莉子と初めて会った時だ。
おなかの大きかった母親がいなくなり、翌々日に父親に連れて行かれた病院で涼夜は衝撃的な出会いをした。
まだ小さな涼夜が父親に抱っこされながら覗いた新生児室のガラスの向こう、十人弱の赤ちゃんたちの中で明らかに一際かわいく、輝いていたのが妹の莉子だった。
「なんてかわいいんだろう」「うちの妹が一番かわいい子でよかった」とわずか三歳の涼夜は思ったのである。
数日後母親が莉子を連れて家に戻ってきてから長い長い涼夜の妹溺愛人生が始まったのだ。
自分も遊びたい盛りであろう涼夜は暇さえあれば莉子のそばへ。寝ているときは近くで静かに本を読んだり絵を描いたり。起きているときはひたすらあやして話しかけた。
心配した両親が少しは外で遊ぶように言ったが涼夜は拒否し、外で遊んで丈夫な体にならないといざというとき莉子を守れないぞという説得でようやく莉子が寝ているときに外に遊びに行くようになった。
もちろん莉子が最初に発した意味のある言葉は「にぃに」である。
そしてその頃から外に出た際には会う人会う人に自分の妹のかわいさをこれでもかと語って聞かせていたので、そしてそれは涼夜が小学生になっても中学生になっても高校生になってもそして大学生になっても変わらなかったので近所のひとびとは一人残らず涼夜がシスコンだと認識している。
いつでも莉子にべったりな涼夜に両親は妹離れが出来るかと心配したが、涼夜はあっさりと妹離れした。涼夜にしてみればかわいい妹を兄しか遊ぶ人間がいない『ぼっち』な子にするつもりなどさらさらなかったので当たり前である。
自分が小学校を卒業するときに莉子のことが心配になり、いつも一緒にいる小梅に自分と同じ道場に通わないかと誘ってみたのだが野性児で自由人な小梅に習い事なんて面倒だからイヤ!とあっさり拒否されたのは懐かしい思い出だ。
そんな涼夜であるが妹が好き過ぎて妹しか愛せない、というわけではない。涼夜にとって莉子はあくまでもかわいい妹であり、莉子に向ける愛情は恋愛感情とはまったく別のものであり、わかりやすく言えば妹では勃たない健全な精神の持ち主である。
ゆえに今まで彼女と呼ばれる存在がいたことはあるが残念ながら長続きはしなかった。
彼はそれなりなオタクでありそれを知らずに、あるいは知っていて彼女になった女性たちは涼夜についていけなかったのである。
涼夜は自分がオタクであることを隠そうとはせず、美少女の絵の描かれた紙袋などを手に提げて平気で帰宅するのでご近所さんは涼夜がシスコンかつオタクであると知っている。
また涼夜は自分の彼女を積極的にオタク仲間に紹介した。
ただのゲーマーであるくらいならまだどうにかなったかもしれないが、カバンの中には常にいかがわしいのか健全なのか表紙だけではわからない文庫本が入っており、積極的に紹介されるオタク仲間の友人の半分は残念ながら世間のひとがイメージするオタクそのままな姿としゃべり方をしており、よくわからない単語や言い回しをまじえて楽しそうに会話する中に混ざることはまず一般の女性には無理であった。
部屋に行けば仲が良さそうな家族写真の横にやたら巨乳なくせに顔立ちは幼い美少女フィギュアが整然と並び、パソコンの横にはわかるひとにはすぐわかるエロゲーソフトが積まれ、本棚はきっちり半分が漫画とラノベで、持っているDVDはほとんどがアニメである。しかも九割方彼女たちが見たことも聞いたこともないアニメである。ベッドにある美少女キャラがプリントされた抱き枕を「**たんは俺の嫁」とうれしそうに紹介する涼夜とそのベッドで抱き枕に見守られながらナニが出来るかと聞かれればたいていの女性の答えはノーなのだ。
オタクな部分だけでなく妹を溺愛しすぎることも彼女になった女性たちがひいてしまう大きなポイントであった。
涼夜の妹の莉子は大変にかわいらしい少女である。本人は中の上という評価をしているが10人中8人は上だと答えるだろう。残りの2人は好みの問題だ。
(莉子は自分は全然もてなかったと言っているがそれは莉子のことをいいと思った男の子の多くが涼夜の存在に気力その他で負けてしまうからであり、転校の際にではあるが勇気を振り絞って莉子に告白した過去の三人の男子はある意味勇者であり、涼夜の脅威がなくなる場所へ行くとわかっていての告白はある意味ヘタレであった)
彼氏はオタク、それも重度の。二次元の美少女キャラを愛し、そして彼が溺愛する三次元の妹はどう見ても自分よりかわいい。
そして彼女たちは疲れ、傷付き、何かをあきらめて涼夜のもとを去るのだ。
そのことにもちろん涼夜だって傷付くがそんな時は二次元の嫁と妹の存在が涼夜を癒した。
そんな彼にとって今回の事故は人生最大の悲劇であった。
普段は学校の研究や実験で時間が読めないので定期的なバイトはせず、研究室の先輩のつてで確実にあいている時間だけ工場の流れ作業のアルバイトをしていた(山パンではないので安心してほしい)
そのアルバイトの休憩時間にあの事故がニュース速報で流れたのである。
まさかと思いつつも莉子の携帯にかけるがコールするのみで留守番電話に切り替わる。続けて自分の携帯のアドレスに入っている小梅と千花にも電話をするが二人とも出ない。涼夜はいそいで小梅の実家の番号を調べた。小梅の母親に父親を呼びだしてもらう。クラシックの保留メロディが途切れた。
「もしもし?」
「おじさん、俺です、涼夜です。そこにテレビありますか?」
「テレビ?どうしたんだ?」
「京都で事故があったみたいです。莉子や小梅の携帯に何度かかけたんですけどつながらないんです。たまたま出られないだけならいいんですけど落ち着かなくて。小梅の携帯ってGPSついてますか?」
「ちょっと待ってろ、こういうのはあんまりいい気持ちしないけど涼ちゃんが莉子ちゃん心配でしょうがないんだろ、小梅の居場所調べるから少し待っとけ」
「お願いします」
再びクラシックの保留メロディが流れる。
「涼ちゃん、今どこだ」
「バイト先ですけど」
「早退させてもらってすぐ帰ってこい」
「おじ、さん」
「まだわからねえ、わからねえが万が一だ。わからずに心配するより京都旅行に行くぞ。莉子ちゃんのアパートにみんなで雑魚寝もいいだろ」
涼夜がちゃんと覚えているのはここまでだ。
ここからは記憶が写真のように断片でしかない。
品川駅の改札で小梅の両親と自分の両親と五人で切符を買っているところ。途中でみた名古屋駅の看板、ひとで溢れかえる京都駅、どこかの会議室のような部屋でパイプ椅子に座っているたくさんの知らないひとたち、遅れてやってきた千花の母親と抱きあう自分の母親、深夜ワゴン車に乗せられる莉子とそれに付きそう父親。
京都からどうやって東京に戻ってきたのか帰りの記憶はさっぱりない。
通夜から告別式の記憶も途切れ途切れだ。今まで見たことがないほど憔悴しきった父親を叔父がフォローしながら式をすすめていたのを他人事のように眺めていたような気がする。莉子と小梅のための読経が短すぎやしないかと内心憤っていたりもした。
出棺の前、莉子のまわりを花で飾るとき、莉子は小説にあるようなただ眠っているようにはなんては見えなくて、見たこともない肌の質感は涼夜の知る莉子の寝顔とは全然違っていた。数日後、涼夜はなぜあの時莉子の頬を撫でてやらなかったのかと後悔する。
莉子を失い抜け殻のようになっていた龍泉家に小梅の曽祖母がやってきたのは告別式の翌々日だ。曽祖母は勝手に龍泉家に上がりこみ食事の支度をして家族を椅子に座らせて帰った。
その次の日は曽祖母だけでなく小梅の祖母も来て勝手に食事の支度と洗濯をして帰って行った。
それからは近所のひとがかわるがわる来て食事の支度や掃除をして帰る。誰も何も言わずに家事だけをして帰って行った。
一週間が経ち麻痺していた心が周りに目を向けるようになり、涼夜たちは少しずつ日常を取り戻していった。
あれだけ莉子をかわいがっていた涼夜は大丈夫だろうかと親族も近所のひとも心配したが思いのほか涼夜は強かった。
なぜなら涼夜はまだ莉子が死んだという実感ができなかったからだ。それに加え、誰にも言っていないが不思議なことがいくつかあった。
閉めていたはずの窓が開いていたり、莉子のクローゼットの中の洋服の位置が変わっていたり、莉子の私物だけでなく家の中のものが勝手にずれていたり。涼夜の父か母がやった可能性はゼロに近いのは眠れなかった涼夜が証明できる。
だから涼夜は莉子は死んでしまったけれどまだ完全には死んでいなくて、自分たちのまわりにいるのではないかと考えた。頼むから幽霊でも怨霊でもいいから出てきてはくれないかと。その存在を感じさせてはくれないかと。
であるから莉子からの電話は涼夜にとっては当たり前と言えば当たり前の出来事だったのである。




