第19話 魔界の林檎のお味や如何に??
何か少し嫌な予感がした。いや、もちろん勘違いであればいいのだけれど……
ちょっと急ぎ足で事務所に帰る。冷蔵庫のある炊事部屋の扉を開けると……
「せ、せせせせせ、せ、先生!!」
廣田先生が机の上でぐったりしている。そして、その横には、例のマリンダさんから届いた林檎が半分に切られている!ということは、残り半分は……
慌てて先生の身体に手を触れ、少しゆすってみる。ま、まさか……死んじゃいないよな……
「え、ああ、うん?あ、薗木くん。おはよう。どうしたの?そんなに慌てて」
「あ、先生!よ、よかったぁ。『おはよう』じゃないですよ」
「びっくりしました」
城石さんも少し驚いていたようだ。
「どうしたの?ちょっと寝てただけなのに」
「ええ!先生。何ともないですか?」
「何ともないよぉ。ぼくが急に死んじゃったと思ったの?」
「ええ、まあ、そんな風に見えまして」
「確かに年寄りだけど、まだまだこんなとこでポックリ死ぬつもりはないよ」
「お身体、何ともないですか?」
「え、何ともないよ。というか、ちょっと寝てすっきりしたら、50歳くらい若返ったかのようにピンピンしているね。今」
「先生、この林檎、食べました?」
「あ!?ばれちゃった!?」
「すぐ横に『証拠』が残っていますので」
キレイに半分に切られてお皿に乗せられている例の林檎を指さす。
「あちゃあ!ごめんね。薗木くんが相談者さんからもらったって聞いてたんだけど、誰も手を付けてないし、ずっと冷蔵庫に入っているからさ。何かもったいないなぁって思って。やっぱり、一言キミにいわないといけなかったよね」
「あ、いや、そこは全然いいんですよ。この冷蔵庫に入っている物は、みんなの物みたいなもんですから」
「いやぁ。ごめんね。今度から気を付けるよぉ」
林檎を勝手に食べられてしまったことは、別に気にしていない。というか、この冷蔵庫自体、事務所のみんなの共有スペースだ。廣田先生の相談者や依頼者から届いたお中元とか、お歳暮とかお裾分けしていただいたことだって、何回もある。それに普段の『普通の贈り物』であれば、おれから廣田先生や松井さんにお裾分けすることも当たり前だ。この冷蔵庫の中に入っている物については、まさに共有で、誰かが単独の「所有権」を主張できるものでもないというのが事務所内の共通認識、慣習であると思う。
「でも、この林檎、すごく美味しかったよぉ。おやつのデザートと思って食べちゃった。切ってくれたのは、松井さんだし、松井さんも食べていたから、松井さんも『共犯者』かなぁ?」
「いや、そこはもう大丈夫ですから」
「でも、なんで急に眠くなっちゃったんだろ?昨日珍しく夜遅くまで起きていたからかなぁ」
「この林檎のせいですかね?」
「そんな睡眠効果のある林檎なんてあるぅ?すごく美味しかったよ」
「味は、良かったんですね」
確かに、切られた林檎の中身を見てみると、とても瑞々しくて美味しそうだ。普通の林檎よりも色はより白いように見える。外側の鮮やかな赤色と内側の瑞々しい白の対比が美しい。思わず見とれてしまう魔力のようなものを秘めた林檎だ。
「松井さんも食べたっておっしゃってましたね。松井さんは?」
「どうしたんですか?みなさん」
「あ、松井さん」
何事もなかったかのように松井さんが現れた。
「お身体、何ともないですか?あの林檎、食べたんですよね」
「はい。すごく美味しかったですよ。あんな美味しい林檎は初めて。あ、薗木先生に無断で勝手に食べちゃって、ごめんなさいね」
「あ、いや、そこは問題ありませんので」
「あんな美味しい林檎、ずっと冷蔵庫に入れっぱなしでもったいなかったですよ。もっと早くみんなで分ければよかった」
どうも松井さんは何ともないようだ。
「眠気が来たりしてます?」
「え?私は何ともないですよ」
「廣田先生が机でぐったりしていたので、びっくりしたんですよ。どうやら寝ていただけだったみたいですけれど……」
「ああ、そういうことですか。最近は、いや、昔からかな。廣田先生、結構机に向かいながら寝てましたよ。昔は仕事に打ち込んでいたら、いつの間にか寝ちゃってた、なんてこと、よくあったじゃないですか」
「ああ、そうだったっけ?」
「それに、最近は、事務所でテレビ見ながら寝ていることも珍しくないですね。私、見てますよ」
「あ、そうなんですか?」
「コラ!そんな恥ずかしいこと、若い人たちにバラさないでヨ!はっはっは」
そう言いながらも、廣田先生は笑っていた。相変わらず柔和な笑顔が魅力的な先生だ。
「あ、体調というところでいうと、何だか私も50歳くらい若返ったみたいに、妙に元気なんですよ」
「え、松井さんも?あの林檎の効果かな。すごいね」
「薗木先生も、城石さんも、食べてみたらどう?」
「え!!」
早速、松井さんが残っていた半分の林檎をさらに半分にして、さらにそれを半分に切ってくれた。おれと城石さんの前には、例の林檎が4切れに分けられて並んでいる。
「さあ、どうぞ」
「あ、はい……」
城石さんと目を合わせる。
ゴクリッ。
「大丈夫ですよね……」
城石さんが心配そうに声をかける。
「何言ってんの。美味しかったよぉ」
廣田先生は、何というか、本当に少しいつもより元気なように見える。
「あ、もしかして……若返るのを心配しているの?キミたちが50歳若返ったら、どうなっちゃうんだろうね?はっはっは」
たぶん廣田先生は冗談のつもりで言っているのだろうが、おれと城石さんの頭には「もしかして?」という考えがよぎっている。
「はい。でも、食べてみようか」
「せ、先生!?」
「きっと大丈夫だよ」
「そ、そうですか」
「さっきから何をそんなに心配してんの?ただの林檎だよ?おいしいよ?林檎嫌いなの?」
「あ、いや、そういうわけじゃないのですが……」
「わかりました。それじゃあ、私、いきますね!」
「え!!」
城石さんが、意を決して林檎を一切れ口に入れた。
城石さん、勇気あるなぁ。
それなら、先輩としても覚悟を決めるしかない!
「いただきます!」
思い切って、城石さんに続いて一切れ林檎を口に入れた。
「!!!」
城石さんとふたり、顔を合わせる。
「う、美味い!!」
「おいしぃ~~~!!」
それは、今まで食べた中で、間違いなく最高に美味しい林檎だった。いや、今まで食べた果物の中で、間違いなく一番だ。瑞々しい甘い果汁が口の中に広がる。まるで白桃と林檎と蜂蜜を混ぜたような芳醇な甘さだ。かといって、甘すぎるわけでもない。シャキシャキとしたしっかりした噛み応えに、その適度な甘さが混ざり合う。以前、廣田先生のお客さんから届いた最高級宮崎産マンゴーというのをお裾分け頂いて食べたことがあり、それが自分の中では「自分史上最高果物」だったのだが、今回の林檎は、それを圧倒的に超えていた。
「ね、おいしいでしょ。こんなのずっと冷蔵庫に眠らせておくなんて、もったいないもったいない」
「ほ、本当ですね!すみませんでした」
「いやぁ。薗木くんも、このところ忙しかったんでしょ」
「ええ、まあ、ははははは……」
もう一切れずつも、城石さんとひとつずつ食べて、「実食」は終了した。林檎は全部で4つあったはずだ。あと3つ分も、こんな楽しみが事務所のみんなでできると思うと幸せな気分になる。
はて、肝心の効果はというと……特に眠気を感じることはなさそうだ。そして、確かに何だか妙に元気というか、気持ちに活力が湧いてくる感じがする。まだ30代なので、50年若返ることはできないが、10代の頃の体力と気力に戻ったような感覚だ。
「何か、確かに元気になったような気がしますね」
「不思議な林檎ですね」
「産地はどこだろうね?薗木くん、知ってる?」
「ええ、いや、その……私もよくわからないですね」
「送ってくれた相談者さんから聞いてないの?」
「ええ、まあ……」
「日本産じゃなさそうですよね」
「ええ、はい」
「そういえば、何かすごい木箱に入っていましたし、私じゃ読めない文字で手紙も入っていましたね。どこかの外国産かもしれませんよ?」
松井さんが、事務所に届いた時のことを説明する。あの木箱と手紙を見ると、そう考えられるか。
「そうかもしれませんね」
ここで「魔界の林檎を人間界の土地で育てたものだそうです」と言ったところで頭がおかしい人と思われるに違いない。いや、冗談ってことで通じるか?でも、ここはとりあえず「どこかよくわかんない外国産」ということにしておこう。その説明なら、嘘ではない。たぶん……
「さて、美味しいおやつを食べたことだし、ぼくはもうそろそろ帰ろうかな」
「あ、私も帰りますよ」
「はい。お疲れ様でした」
時刻は夕方5時くらいだ。廣田先生も松井さんも、最近はこれくらいの時間にはもう帰宅することが多い。
「あ、そういえば、また事務所の玄関のところに薗木先生宛の手紙が付いた木箱が置いてありましたよ。先生のデスクに置いてますからね」
「ええ!またですか!?」




