↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
16/30

第16話|夢

俺の部屋で麻朱(まあか)と夕食を摂るのが、いつの間にか週末の習慣になっていた。今夜も、テーブルに並べた出来合いの惣菜を挟んで、他愛もない話をしていた。


「今日、宮之原先生に、中間発表のテーマの絞り方について相談したら、"そういうのは瀬戸くんに聞いた方が早いよ"って丸投げされたんですよ。結局、先生に聞いた意味がなかったっていう」


「昔からそうだよ。今更驚くな」


「要(かなめ)さんも否定しないんですね」


「否定する要素がない」


麻朱が、くしゃっと笑う。皿を片付けた後も、麻朱はソファに座ってノートパソコンを開き、別の講義の課題レポートに手をつけ始めた。


「麻(ま)あ……」


「はい?」


「……いや」


言いかけて、やめる。まだ、その一文字すら、うまく言い切れない。麻朱は、それ以上追及せず、ただ嬉しそうに肩をぶつけてきた。


「週末ぐらい、根詰めすぎず休んだら」


「要さんに言われたくないんですけど」


麻朱が、じとっとした目で、俺の手元の資料を指差す。何も言い返せなかった。


その遣り取りに、既視感のようなものがよぎった。


◇


前世にも、似たような夜があった。


エイエル陛下が他国の使者との会談のため、王宮を数日空けていた時期がある。その間の政務を代行するよう任されていた俺は、連日、深夜まで書類に目を通していた。自分の執務を終えて自室へ戻る道すがら、俺はいつも、マアカ様の執務室の前を通った。彼女もまた、灯りを絶やさず、夜遅くまで羊皮紙に向かっていたからだ。


ある晩、いつもより遅くまで灯りが消えないのを見かねて、俺は珍しく戸口から声をかけた。


「――夜も更けております。そろそろお休みください」


「あら。セタルにそう言われる日が来るとはね」


マアカ様は、筆を置かないまま、そう返された。


「陛下がいらっしゃらない間くらい、誰かが目を光らせておかないと、王妃陛下はすぐ根を詰められすぎますので」


「セタルにだけは、言われたくないのだけれど」


その声には、咎める響きはなかった。むしろ、どこか楽しげでさえあった。俺はそれ以上何も言わず、一礼して、自室へと戻った。


結局、マアカ様がその夜、筆を置かれたのがいつだったのか、俺は知らない。何の変哲もない、記録にも残らない夜だった。それなのに、なぜか今も、あの灯りの色だけは、はっきりと思い出せる。


◇


「――ねえ、要さん」


麻朱が、ノートパソコンの画面から目を離さないまま、ふと呟いた。


「前にもこんな会話したことあったっけ?」


指先が、一瞬止まった。


何気ない問いのはずだった。だが、頭の中で再生していた記憶――灯りの下で交わした、あの一言一句――が、そのまま今の遣り取りに重なって聞こえてしまって、俺は返す言葉を一拍分、失った。


根を詰めすぎだと窘め、窘め返される。それだけの、ありふれたやり取りだ。まさか彼女が、俺の中の記憶そのものを覗き見たわけがない。分かっているのに、心臓は勝手に、大きく一つ跳ねた。


「……いや、どうだったか」


なるべく平坦な声を心がけたつもりだったが、うまくいった自信はなかった。


麻朱は、特に気にした様子もなく、画面に視線を戻す。


「そっか。じゃあ、ただのデジャヴかな。それとも、夢で見たのかも」


「……夢?」


聞き返す声が、我ながら硬くなる。


「そう。最近、変な夢見るんだよね」


麻朱は、ノートパソコンを閉じ、ソファの背もたれに体重を預けた。半分眠りかけているような、力の抜けた声だった。


「なんか、古代の世界に暮らしてるみたいな夢。乾いてて、日差しが強くて。石造りの街で、普通に生活してる感じ」


指先で、宙に何か描くような仕草をする。


「こないだ現地で見た、遺跡とか博物館の影響、受けすぎですよね、私」


麻朱は、自分の想像力を茶化すように、くすりと笑った。俺は、何か相槌を打とうとしたが、うまく言葉にならなかった。喉の奥に、小さな塊が引っかかっているような感覚があった。


「昨日なんてね」


麻朱が続ける。


「夢の中なのに、机に向かって書き物してたの、私。研究室でもあるまいし」


くすくすと笑いながら、麻朱は続けた。


「課題レポートやらなきゃって焦りが、そのまま夢に出てるんですかね、これ」


「……何に、書いてたんだ」


声が、思ったより低く出た。


「それが、羊皮紙にインクで、なんだよね。灯りも、蝋燭の火っぽくて」


麻朱は、目を閉じたまま、その情景を確かめるように、少し間を置いた。


「なんでだろ。全然知らない景色のはずなのに、なぜか、ちょっと懐かしい感じがしたんだよね」


その一言に、心臓を、鈍い重さで殴られたような気がした。


「……その夢に、誰か出てくるのか」


できる限り、何でもないことのように聞いたつもりだった。だが、自分の声が、いつもより硬いことに、自分自身が一番気づいていた。


「どうだっけ」


麻朱は、そう言ったきり、しばらく黙った。眠気に呑まれかけているのか、それとも、本当に思い出せないだけなのか、俺には判断がつかなかった。


「目が覚めたら、大体忘れちゃうんだよね、夢って」


そう言って、あくびを一つ漏らすと、麻朱は、そのまま俺の肩に頭を預けてきた。規則正しい寝息が、それから数分もしないうちに聞こえ始める。


思い出した様子は、どこにもなかった。ただの、荒唐無稽な夢だと、本人も思っている。


それを確かめて、俺は詰めていた息を、そっと吐いた。安堵と呼ぶには、後ろめたさが勝りすぎていた。


眠る麻朱の横顔を見ながら、俺はふと思う。


あの夜、灯りの傍らに立つことしかできなかった俺と、今、隣にいる彼女に何も言えずにいる俺と――距離は、随分縮まったはずだった。それなのに、伝えられずにいることの数は、少しも変わっていない気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。