第九話「残されたもの」
夜。
屋上。
風が強い。
「……なんで撃たなかったの」
九条 澪が、ぽつりと呟いた。
隣には榊 悠斗。
街のネオンが、遠くに滲んでいる。
「……できなかった」
悠斗は短く答える。
「相手が人間だって思ったら」
沈黙。
「……甘い」
澪が言う。
「ここじゃ、それは死ぬ理由になる」
「分かってる」
悠斗は苦笑する。
「でもさ」
空を見上げる。
「それ捨てたら、もう戻れねぇだろ」
その言葉。
澪の目が、わずかに揺れた。
「……私は」
静かに口を開く。
「もう、戻れないよ」
風が吹く。
そのまま——
過去の話が、始まる。
■ 数年前
同じ東京。
まだ、すべてが普通に見えていた頃。
「澪、遅刻するよ!」
明るい声。
振り返ると、そこには一人の少女。
「……分かってる」
無表情に近い澪とは対照的に、よく笑う。
「もっと笑いなよ〜」
その少女が、澪の手を引く。
「人生楽しまなきゃ損だよ?」
「……うるさい」
でも、少しだけ口元が緩む。
その日常は——
確かに、あった。
「ねぇ澪」
帰り道。
夕焼けの中。
少女がふと聞く。
「もしさ、世界が終わるとしたらどうする?」
「は?」
澪が眉をひそめる。
「変なこと聞くな」
「いいじゃん、もしもだよ」
笑う。
「私はね——」
少し考えて。
「最後まで一緒にいるかな」
その言葉。
澪は少しだけ黙る。
「……そう」
小さく返す。
それが、答えだった。
その夜。
すべてが壊れた。
「……澪?」
暗い部屋。
少女の声が震える。
「これ……なに……?」
体が、黒く侵食されている。
「っ……!」
澪が駆け寄る。
「触るな!!」
少女が叫ぶ。
「来ないで……!」
その目には、恐怖。
「……やだ」
澪は一歩も引かない。
「離れない」
震える手を、掴む。
「一緒にいるって言ったでしょ」
涙が落ちる。
だが——
「……っは」
少女の呼吸が変わる。
目の色が、濁る。
「おなか……すいた」
その声は、もう違っていた。
「……澪」
ゆっくりと、顔を上げる。
笑う。
壊れた笑顔。
「おいしそう」
その瞬間。
澪の体が、凍りついた。
——パンッ
乾いた銃声。
少女の体が崩れる。
静かに、倒れる。
血が広がる。
澪の手には、銃。
震えている。
「……っ」
声にならない。
「……なんで」
誰に向けた言葉かも分からない。
そのとき。
背後から声。
「正しい判断だ」
振り向く。
そこにいたのは——
「……お前」
現在と同じ顔。
“狩人”。
「放っておけば、君は喰われてた」
軽く言う。
「感謝してほしいくらいだ」
澪は何も言えない。
ただ、少女の亡骸を見つめる。
「君、才能あるよ」
狩人が近づく。
「迷いながらでも撃てる」
笑う。
「そういうやつが、一番長生きする」
「……黙れ」
澪が低く言う。
初めての、明確な怒り。
「……あいつは」
声が震える。
「私の——」
言葉が途切れる。
狩人は肩をすくめる。
「だから何?」
冷たい言葉。
「関係ないよ」
しゃがみ込む。
「この街じゃね」
目を合わせる。
「全部、“餌”だ」
その日から。
澪は“駆除者”になった。
■ 現在
屋上。
風が止む。
「……それで」
澪が言う。
「私は撃てるようになった」
感情のない声。
「迷っても、撃つ」
悠斗は黙って聞いていた。
「……あいつ」
悠斗が呟く。
「狩人ってやつ」
澪は頷く。
「最初に会ったのが、あの時」
「……因縁深すぎだろ」
「うん」
短く答える。
沈黙。
街の音だけが聞こえる。
「……でもさ」
悠斗が口を開く。
「それでも、お前——」
澪を見る。
「完全には壊れてねぇよ」
澪の目がわずかに動く。
「撃てるけど、迷ってる」
悠斗は言う。
「それ、ちゃんと人間だろ」
一拍。
風が吹く。
「……変なやつ」
澪が小さく呟く。
ほんの少しだけ——
本当にわずかに。
表情が柔らいだ。
「……ありがと」
聞こえるか聞こえないかの声。
その頃。
暗闇。
狩人が笑う。
「思い出話、終わった?」
ナイフを回す。
「じゃあ次は——」
目が光る。
「続きだ」




