第六話「飢え」
静かすぎる朝だった。
カーテンの隙間から、光が差し込む。
——平和な、はずの時間。
「……ッ」
榊 悠斗は、目を覚ました瞬間に息を詰めた。
喉が焼ける。
胃の奥が、空洞みたいに冷たい。
「……なんだよ、これ」
ゆっくりと起き上がる。
だが——
視界が歪む。
耳鳴り。
心臓の音がうるさい。
ドクン
ドクン
ドクン
「……腹、減った」
呟いた瞬間。
違和感に気づく。
——“普通じゃない”
ただの空腹じゃない。
もっと、深い。
もっと、危険な何か。
「起きた?」
ドアが開く。
九条 澪が入ってくる。
「……顔、最悪」
「だろうな」
悠斗は苦笑する。
「これ、何だよ」
澪は少しだけ目を細めた。
「後遺症」
「は?」
「暴走の代償」
短く言う。
「捕食衝動が強化されてる」
悠斗は黙る。
「……つまり?」
「簡単に言うと」
一拍。
「常に“喰いたい状態”」
「……は?」
その瞬間。
ぐぅぅぅ……
腹が鳴る。
だが——
悠斗の視線は、澪に向いていた。
細い首。
血の流れる場所。
「……ッ」
思わず目を逸らす。
「見んな」
澪が冷たく言う。
「分かってるよ……!」
悠斗は頭を抱える。
「マジでやばい……」
澪はポケットから何かを取り出した。
小さなパック。
「これ、飲んで」
「またそれかよ」
「いいから」
悠斗は受け取る。
中身は黒い液体。
嫌な予感しかしない。
「……これ何」
「代替栄養」
「答えになってねぇ」
「要するに」
澪が淡々と説明する。
「人間を喰わなくてもいいようにする薬」
一瞬、沈黙。
「……それ先に言えよ」
ゴクッ
飲み込む。
次の瞬間。
ドクン
体が震える。
だが——
さっきまでの“飢え”が、少しだけ引く。
「……マシ、かも」
「完全には消えない」
澪が言う。
「我慢するしかない」
悠斗はため息をついた。
「地獄かよ……」
そのとき。
コンコン
ノック。
「入るよ〜」
軽い声。
ドアが開く。
現れたのは——
「お、新人くん起きてるじゃん」
明るい男。
ラフな服装。
軽そうな笑顔。
「誰だよお前」
「失礼だなぁ」
笑いながら手を振る。
「俺は朝比奈 迅」
親指で自分を指す。
「一応、先輩」
「……胡散臭ぇ」
「よく言われる」
あっさり認めた。
迅は悠斗をじっと見る。
「へぇ……」
興味深そうに近づく。
「これが例の“適合者”か」
その瞬間。
——ドクン
悠斗の中で、何かが反応した。
「……ッ」
視界が赤くなる。
「おいおい」
迅が笑う。
「そんな目で見るなって」
「見るな……って……!」
止まらない。
さっき抑えたはずの“飢え”が、また溢れる。
「やば……」
澪が銃に手をかける。
「悠斗——」
「来るな!!」
叫ぶ。
だが体が動く。
無意識に、迅へ踏み込む。
「っと」
迅が軽く避ける。
「マジで来るじゃん」
「止まれねぇ……!」
黒が溢れそうになる。
「……チッ」
澪が構える。
その瞬間——
「まぁ待てって」
迅が手を上げた。
次の瞬間。
——バンッ!!
強烈な衝撃。
悠斗の体が吹き飛ぶ。
壁に叩きつけられる。
「がっ……!」
何が起きたか分からない。
「落ち着けよ」
迅がゆっくり歩いてくる。
さっきまでの軽さが消えている。
「それくらい制御できねぇと」
目が鋭い。
「すぐ“処分”だぞ?」
悠斗の呼吸が荒い。
だが——
その一撃で、少しだけ冷静になる。
「……っはぁ……」
黒が引いていく。
「ほらな」
迅が肩をすくめる。
「刺激与えりゃ戻る」
「荒療治すぎるだろ……」
悠斗が苦笑する。
澪は小さく息を吐いた。
「助かった」
「貸し一つな」
迅が笑う。
「覚えとけよ」
迅が指を立てる。
「お前の敵は外だけじゃない」
トン、と悠斗の胸を軽く叩く。
「中にもいる」
悠斗は無言で頷く。
窓の外。
いつも通りの東京。
だが——
「……腹、減った」
その呟きは、止まらない。
その頃。
どこか別の場所。
暗い部屋。
誰かが笑っていた。
「いいねぇ……」
モニターに映る悠斗。
「壊れかけが一番、美味い」
舌なめずりする音。
「さぁ——」
低い声。
「どこまで耐えられる?」




