27.私は大丈夫だから、気にしないで
「あのね、怪我を治す方が先でしょ!? このおバカ!」
「バカって……。頑なにこいつが警察に被害届を出したがら、」
「今すぐ出て行ってください。重傷のフィオナさんにそんなこと、言っていいとでも?」
レイラちゃんに冷たい視線を浴びせられ、アーノルド様が困惑する。面白い。こんな表情、初めて見た。言い訳や謝罪を口にする前に、バスルームから追い出された。ドアを力強く閉めたレイラちゃんが、満足げな様子で息を鳴らす。
「さっ! 治しますよ。信じられない! 床にぼたぼた血が落ちるほど出血してるのに、放っておくだなんて」
「ごめんね、床を汚しちゃって~……」
「気にしないでください。誰にやられたんですか? ああ、なんて酷い傷」
「うーん、知り合い? 大丈夫だから気にしないで」
レイラちゃんが悲しみと怒りが混じった表情を浮かべ、くちびるを噛みしめる。黙って怪我を治してくれた。月明かりのように優しく、繊細な白い光が顔全体を包み込む。すぅっと痛みが引いていった。鏡を見てみると、青いアザが複数残っていた。
「警察に被害届を出すつもりなら、多少残しておいた方がいいと思います。でも、出すつもりは無いんですよね?」
「……うん。ありがとう、これで十分だよ。疲れるでしょ? 完璧に治したら」
「話して貰えますか? 何があったのか」
「えっ? 気分が良い話じゃないし、やめておいた方がいいと思うけどなぁ」
心配かけたくなくて、へらへら笑いながら話せば、レイラちゃんが一瞬だけ泣き出しそうな表情になる。でも、すぐ真剣な表情に戻った。
「分かりました、何も聞きません。温かいハーブティーかココアを用意したいのですが、どっちにします?」
「じゃあ、ココアで! 本当にありがとう~、助かる」
「いえ……。ゆっくりシャワーを浴びてください。タオル、好きに使ってくださいね。ドライヤーはここです」
「はーい、浴びてきます」
レイラちゃんがてきぱきと引き出しからドライヤーを出して、洗面台のはじっこに置いてくれた。助かるなぁ。色々聞かれなくて良かった。シャツワンピースを脱衣かごへ入れて、浴室に入る。熱いシャワーを浴びたとたん、体から力が抜けていった。足が小刻みに震え出す。
(うわ~……髪が泥だらけ。奥様、これで満足して来なくなったらいいんだけど)
先輩に何かされたらどうしよう。でも、ババアって呼んでたし、何かされても絶対返り討ちにするよね。心配いらないか。前みたいに、奥様が私のことを不倫女だとか、盗み癖があるだとか、真っ赤な嘘を周囲の人に言って回らなきゃいいけど……。
そうなったら引っ越そう。念のため、帰ったら荷物をまとめる。奪われた魔術手帳は、魔力認証付きのお高いやつだから大丈夫。メッセージを覗かれる心配はない。
(あとは何をするべきだっけ? 久しぶりだから思いつかないな~)
クレジットカードは奪われてないから大丈夫。あ、転職先もついでに探そう。帰ったら、引越し先と仕事を探す。魔術が使えるんだし、どこへ行っても重宝されるでしょ。胸の奥がずきりと鈍く痛んだ。先輩と離れたくない。嫌だ。あの美貌を拝みつつ、毎日楽しく働きたかったのに~……!!
(帰ってからゆっくり悩もう。眠たい、疲れた)
昼間、散々歩き回ったせいで体が泥のように重たい。あ、貧血になってるかも。タオルに手を伸ばした瞬間、ぐらりと視界が揺れる。何とか髪の毛を拭いて、乾かしたあと、レイラちゃんが用意してくれたパジャマに着替える。
優しげなベージュ色の生地に、レモンと葉っぱ柄がプリントされているパジャマだった。レイラちゃんは私よりも身長が低いから、手首と足首が出た。丈が短い。へへっ、可愛いなぁ。バスルームから出ると、アーノルド様とレイラちゃんがいた。二人とも、ソファーに座ったまま、同時にこっちを見上げる。
「ごめん、貸してくれてありがと~……」
「ふらふらじゃないですか! 私の部屋に泊まって貰おうかと思っていたんですけど。歩けます?」
「大丈夫、大丈夫。ごめんね、貧血気味でさぁ」
レイラちゃんが体を支えてくれた。ありがたく手を借りて、ソファーへ寝そべる。もうだめだ、動けないかも。ココアの甘い香りが鼻腔をくすぐる。うあ~、飲みたいよぉ、ココア。まぶたが重たくて開けられない。誰かに上から、体を押さえ付けられているみたいだった。喉が熱い。吐き気がする。冷たい手が、私の額に優しく添えられた。
「熱が……。雨に濡れたから?」
「いや、散々殴られたせいだろ。俺が運ぶ」
「お願いします。病院は」
「通報されるかもしれないから、一晩様子を見よう。一晩たっても熱が下がらなければ、無理やり病院へ連れて行く。骨が折れてなきゃいいが」
「治してくださいよ、全部!」
「専門家じゃないんだぞ、俺は。無理だ。治癒魔術師がいる病院は限られてるし、地道に治していくしか……」
遠くの方から二人の会話が聞こえてくる。おかしいな、体が動かせない。アーノルド様が慎重に私を抱き上げ、廊下へ出た。熱があるって自覚したからか、どんどん体温が上がってきた。ぶっつりと意識が途切れる。何の夢も見なかった。長時間、暗闇の底で漂う。
ふと、眩しい光に照らされて目を覚ます。白い天井が見えた。朝陽の中で輝くシャンデリア、やたらと大きいベッド、肌触りの良いシーツ……。一瞬、ホテルにいるのかと思った。ぼんやり天井を眺めていたら、昨夜の記憶が蘇ってきた。真っ先に思い出したのは、奥様の、私を忌々しそうに睨みつける顔。
(そうだ。レイラちゃんの家に泊まったんだっけ)
体がまだ重い。歩けそうにないや、今日。一晩ゆっくり休ませて貰ったのに……。体を起こそうとして、失敗する。ベッド横にあったテーブルを見てみると、歯磨きキャンディ、水差しとコップ、メモが置かれていた。レイラちゃんの文字だ。頑張って腕を伸ばし、メモを掴み取る。背中が痛い! じんじんする……。あれかな、バッグで殴られたせいかな?
フィオナさんへ
おはようございます。熱が下がらなかったら、ガイルと一緒に病院へ行ってくださいね。彼は人外者ですが、人間と長年暮らしてきたので大丈夫でしょう。人について知識があり、常識的で穏やかなタイプです。安心して、頼ってくださいね。冷蔵庫に野菜スープがあるので、起きたらそれを食べてください。くれぐれも無理はせず、ゆっくり休んでくださいね。
追伸 アーノルド様が魔術犯罪課の部長に、フィオナさんは熱があって出勤できない状態だと伝えました。アディントンさんが動揺して、ものすごく心配しているので、お昼休み、体調が良かったら連絡してみてください。
思い悩みつつ、書いたのがありありと分かる文章だった。最後の方は文字が乱れてる。レイラちゃんらしい~! それにしても、先輩、動揺って……。耳が良いから、電話でのやり取りが聞こえたのかな? うわぁ、問い詰められちゃいそう。
よし、現実逃避するか。一瞬で歯磨きが完了する歯磨きキャンディを口の中へ入れ、噛み砕いたあと、水をたっぷり飲んで寝そべる。ふかふかだった。シーツは冷たくて心地良い。
(ここに奥様は来れないだろうから、一安心)
嬉しいなぁ、一人で耐えなくて済む。初めてかもしれない。奥様に殴られたあと、助けて貰えたのは。のんびりうたた寝していたら、ノック音が唐突に響き渡る。
「はいっ! どうぞ」
「おう、目が覚めてたか。さっきはぐうすか寝てたのに」
「尻尾!?」
「獣人じゃないぞ。人外者だ」
室内なのに、ダークブラウンの丸い帽子をかぶった男性が入ってくる。ふさふさの黒い尻尾に目が釘付けになった。白いシャツとキャメル色のベスト、そのへんで売ってそうなデニムズボン。どこからどう見ても普通の人間で、人外者には見えない。ふさふさの黒い尻尾を揺らしながら歩き、手にしていたトレイを私の膝の上へ置く。野菜スープと丸パン、スプーンが載っていた。
「あ、ありがとうございます……。ガイルさん、ですよね?」
「そうだ。熱は引いたか? どれ」
「わっ、待って、スープがこぼれちゃう!」
「すまん、すまん」
大きく、節くれだった指が私の額を覆う。熱がないと分かり、満足げな表情で手を離した。トレイ、テーブルの上に置きたい……。まだ本調子じゃないし、屈みながら食べるのつらいかも。言いたいことが分かったのか、指を鳴らして、水差しやコップを消した。トレイを持ち上げ、空いたサイドテーブルへ載せる。
「悪いな、気が利かなくて。人の看病なんか滅多にしないから」
「いえ、大丈夫です。レイラちゃん達は……」
「仕事に行った。今、屋敷に人はいないし、俺が看病を任された」
「うっ、す、すみません! 大丈夫だったのに、私一人でも」
「大丈夫じゃないだろう。朝になっても熱があった。このまま下がらないかと思ったぞ」
「看病してくれたんですね……。ありがとうございます」
もう一度、寝転がろうと思って動いたら、手に冷たいものが当たった。硬く、絞られた濡れタオル。私の寝相が悪くて、顔から滑り落ちたのかもしれない。ガイルさんが「忘れてた、貸せ」と言うので渡す。気になってシーツを確認したけど、濡れてなくてほっとした。
「どうする? 飯、食えるか?」
「あ、食べられます。わ~、美味しそう」
「顔色が悪いなぁ! これ、少しだけ食ったら寝ろ。無理しなくてもいいぞ」
「うー、すみません。なんか頭がクラクラしちゃって……」
「貧血だろう。ゆっくり休め」
「はい」
確かに優しくて、人間っぽいかも。ガイルさん。額を押さえていたら、野菜スープを口元まで運んでくれた。いつぶり!? 人に食べさせて貰うのって……。恥ずかしさはあったけど、座っているだけでつらいから、黙って口を開ける。
じんわり、野菜とコンソメの味が体に染みていった。はー、美味しい。レイラちゃん達が仕事から帰ってきたら、お礼を言わなくちゃ。頭がぼーっとしてきた。ガイルさんが注意深く、私のことを眺める。
「熱、上がってきたのか? 思った以上に酷いな、こりゃ」
「実家を出てからは、無かったから……。すみません、今の、聞き流してください」
「……」
「私、ちょっと寝ますね。美味しかったです、ごちそうさま」
黙って、寝そべるのを手伝ってくれた。ガイルさんに背中を支えて貰いつつ、ベッドに横たわる。さっき返したタオルを空中に浮かせ、何らかの魔術を使ったあと、ゆっくりと丁寧に私の額へのせる。あ、タオルがひんやりしてて気持ち良い。
「待ってろ。癪に障るが、凄腕の魔術師を呼んでくる」
「凄腕の……? 一時間ぐらい寝てたら治りますよ」
「ただし、あいつはうるさいぞ。デリカシーも無い。心の準備をして待っててくれ」
「えー、誰を連れてくる気なんですか。私は優しいガイルさんがいれば、それでいいのに?」
手を伸ばして、ガイルさんの袖口を引っ張る。嫌だ、一人になりたくない。一人になったら、奥様のことを思い出す。あの、私を憎々しげに睨みつけてくる青い瞳……。背筋が震えた。熱がまた少しだけ上がる。よく見れば、困惑して私を見下ろすガイルさんの瞳も青色だった。薄いけど、奥様の瞳よりも。熱くなってきた私の手を、ガイルさんが両手で包み込んでくれた。
「分かった。もう少しだけそばにいてやる」
「少しだけ……?」
「あの過保護な獣男を今すぐ連れて来た方がいいんじゃないか? 昼休みに間に合わない。夕方になっても、回復しなさそうだ」
「ひょっとして、先輩のこと?」
「いい、無理に喋るな。声が掠れてるぞ」
心配かけちゃった。でも、先輩と話したくない。上手く誤魔化せる自信が無いから。どんどん熱が上がってきた。なんで? 季節外れの風邪? 雨に濡れたのが良くなかったのかも……。必死で呼吸していたら、ガイルさんがおもむろに私を抱き上げ、部屋の外へ出る。
「ここまで熱が上がるなんて聞いてねぇぞ! おい、しっかりしろよ! 何かあったらレイラが悲しむ」
「し、死なないので、これぐらいの熱では……」
「不本意だが、鬱陶しいおじさんを頼るしかないな。ラッキーか? ちょうど家にいて」
鬱陶しいおじさん? 一体誰のことなんだろう。ガイルさんが慌てて、階段を駆け下りる。頭が揺れないよう、しっかり抱えてくれた。ほっとする。お礼を言いたいけど、意識が朦朧としてきた。
階段を駆け下りたガイルさんが舌打ちして、今度は廊下を早足で歩き、また階段を駆け下りる。どこへ行くつもりなんだろ……。目を開けているのがつらくて、だけど、眠るのは申し訳なくて、目を閉じたまま、必死で意識を保つ。
奥様に殴られるのも、置き去りにされるのも、今回が初めてじゃないのになぁ。どうしてこんなことで熱が出るの? 分からない。突然、ガイルさんがドアを蹴り飛ばす。
「うおっ!?」
「やっと見つけた! 手間かけさせやがって、ウロチョロ歩き回るなよ!」
「ここ、俺の家なんだけどなぁ……。アイス食う? ていうか、俺に話しかけてくるの珍しいね。どういう風の吹き回しだ?」
おそるおそる目を開けてみると、古い厨房のような場所だった。劣化して汚れたキッチンの上に、煤だらけの小窓が並んでいる。真ん中には、朽ちかけた木の粗末なテーブルと椅子が置いてあった。
そこに座っているのは、グレーのポロシャツを着た年配の男性。アイスカップの中へスプーンを突っ込み、がつがつ食べていた。ガイルさんが呆れたように溜め息を吐いて、古い厨房の中に入る。
「いいから、とっとと早く治せ! 重症なんだ」
「あ~? 人間の子なんて、一体どこで拾ってきたんだ?」
「お前の可愛い可愛い娘と息子の友達だよ」
「アーノルドたんの!? 嘘だろ、女友達なんていたの!? 俺、まったく聞いてないんだけど!」
「騒ぐから言わなかったんだろう。いいから早く治せ! 昨日、酷い暴力を受けてから熱が下がらないんだ……。人間は殴られると、脳みそがやられちまうんだろ?」
「へーえ、大変だなぁ。どれどれ」
椅子から立ち上がる音が頭に響く。吐き気もしてきた。かろうじて目を開けると、おじさんが私の顔を覗き込んでいた。沼の底のような灰色の両瞳。ひっと息を呑みこむ。反射的に体が震えてしまった。怖い、どうしよう……。こちらの反応を気にも留めず、おじさんが私の額へ手を当てる。さっきまでアイスを食べていたから、驚くほど手が冷たい。
「はあ、ふんふん。なるほどねぇ」
「どうだ? 治せそうか?」
「誰に言ってるんだい? このハーヴェイ様に出来ないことなんてないよ~ん。ほら、熱を下げればいいんだろ。熱を下げれば」
まぶたの上でぱちんと指を鳴らす。その瞬間、不快な熱が一気に引いていった。あ、楽に呼吸できる……。私を抱えたガイルさんが、焦った表情で見下ろしてくる。
「どうだ!? 楽になったか?」
「は、はい。まだ痛いところはあるけど」
「ん? 痛いところ?」
「自律神経が乱れまくって、脳みそが過去のトラウマをほじくり返してる最中だから、ゆっくり休みな~。またどうせ熱が出る。その前に何か食わせたらどうだ? チョコアイスとか」
「却下! 野菜スープとパンを食わせる。また熱が出るって?」
「うん。防御反応だなぁ。脳みそが永遠と繰り返される嫌な記憶を見て、オーバーヒートしちまってる。ぐっすり眠れば治るだろう」
「……そんなことまで分かるのか」
「人の記憶を覗くのはお手の物!」
「覗かなくても、治せるだろうに」
ガイルさんが舌打ちして、何も言わずに廊下へ出る。お礼を言うべきなんだろうけど……。私の肩を支える手に力が入っていた。ガイルさんの顔立ちに浮かぶ静かな怒りを見て、何も言えず、もう一度まぶたを閉じる。
疲れた。積極的に質問する気になれない。今はただ、ゆっくり休もう。奥様の顔がちらついたけど、頑張って消す。部屋に戻って、ベッドへ優しく降ろされ、またスープを口に運んでくれた。
「あのおかしなジジイが言ってたことは忘れろ。気にするな」
「……はい。記憶を覗いたって言ってたけど、全部は」
「あいつは嘘が吐けない呪いにかかってる。あれこれ聞いたら、傷付くのはお前だ」
「嘘が吐けない呪い?」
ガイルさんが眉をひそめつつ、私の口へスプーンを突っ込む。呪いってそんな、誰が? さっきのおじさん、アーノルド様のお父さんだよね。つらい目に遭ってきたんだ。
「そう。昔、子どもの頃だったか? 美しい人外者を見て、ブース、ブース! とバカにしたせいで呪われた」
「思ったよりもくだらない理由だった!」
「ああ見えて、人間嫌いだから近付かないように。いいな?」
「はい。だから、警戒してたんですね……」
「ハウスキーパーでさえも入れたがらない。パーティ-なんてもっての外だ。他人であるお前を招き入れたから、どうせあとでぐだぐだ文句を言う」
「すみません。勝手に入っちゃって」
頼らない方が良かったかもなぁ。ガイルさんがふっと笑って、こんがり焼けたパンを半分にする。半分になったけど、まだまだ大きいパンの欠片を私の口の中へ突っ込んだ。
「気にしなくてもいい。連れて来たのはそっくりさんだ」
「ふぁりやほうほらいまふ……」
「沢山食え。沢山食ってから休んで、過剰に心配してる自称彼氏に連絡してやってくれ」
「自称彼氏!?」
「エディの魔術手帳を借りてきた。持ってないんだろ? 今」
「あ、はい。一目でエディ君の手帳だと分かるデザイン! いいな~、私もそれにしようかな~」
真っ赤な革の生地に、銀糸でドラゴンの刺繍が施されていた。中央で輝いているのは、微笑むレイラちゃんの写真。薔薇といばらの刺繍がレイラちゃんを守るようにして、取り囲んでいた。
へー、こんなデザインの魔術手帳を持ってたんだ、気が付かなかった。普段、先輩の顔しか見てないから、デザインなんて目に入ってこないんだよね……。ちょっとだけ反省。もう少し周りを見よう。
「レイラの写真を入れるのか? お前がぁ?」
「違う、違う! 先輩の! 先輩の写真を!!」
「落ち着け、熱が上がっちまうぞ。……さて、連絡するか」
「えっ!?」
「元気そうに見える」
「いや、こまっ、ちょっと待って、私、お腹が痛いかも……!!」
「嘘だろ、絶対。心配してるから、ちゃんと話してやれ」
ばたっとベッドに倒れ、お腹を抱え、痛がってるふりしても効果なし。ガイルさんが「もしもし? エディ。目が覚めたぞ」と言ってる。うわああぁ~、どうしよう! 絶対絶対、先輩に問い詰められる。なんて言って誤魔化す? 階段から落ちたことにする? いっそのこと……。
「ほら、話してやれ」
「は、はい」
「もしもし、フィオナ? 大丈夫か?」
「先輩、おは、おはようございます……」
昨日も会ってたのに、久しぶりに声を聞いたような気がする。先輩の低い声が、普段よりも胸に響いた。数秒ほど、先輩が押し黙る。後ろでエディ君が「頑張れ! 頑張れ!」と言って騒ぎ、苛立った先輩に一喝されていた。
「こいつらがうるさいから移動する! どうだ? 体調の方は」
「あ、熱、下がりました……。昨日、すみませんでした」
「フィオナが謝るようなことじゃないだろ。隠したいんだって?」
「うっ!」
「二人から話を聞いた。怪我をして、夜、ずぶ濡れで駆け込んできたとだけ」
「ぜ、全部バレてる~……!!」
「昨日、どうして俺に連絡しなかったんだ?」
「へっ? そこですか?」
てっきり何があったのか、質問責めにされるかと思ってたのに。先輩が黙る。予想外の質問で戸惑った。寝起きだから、頭が働かない。
「連絡しなかった理由って、夜、遅かったし……」
「アーノルドとそこまで仲良くはないだろ? 違うか?」
「まあ、そうなんですけど。頼りやすいというか、前、アーノルド様ファンが暴走して、私に迷惑をかけているので、遠慮なく甘えられるというか……?」
「じゃあ、今度から俺を頼ってくれ。前にもしたな、こういう会話」
「うっ、すみません! でも、プライベートでしょ? 仕事なら頼るけど、プライベートで先輩に頼るのはちょっと」
迷惑をかけたくない。アーノルド様はいいんだよ、アーノルド様は。あの人のせいで色々あったし、ひねくれてるし、はっきり言って、アーノルド様に嫌われてもいいんだよね。傷付かない。でも、先輩に嫌われたら立ち直れないから。
はっと正気に返って、俺はプライベートでも仕事中でもフィオナを助けなくちゃいけないのかって、思うかもしれないじゃん! 何としてでも避けたい。このことが上手く説明できなくて、一旦、先輩の返事を待つ。だけど、何も言ってくれなかった。沈黙に耐え切れず、私から話しかける。
「もしもし? あの、どうしてそんなことが気になるんですか? 質問責めされないのは助かるんですけど……」
「何でもない」
「何でもないって思ってる声じゃないでしょ!? はっきり言ってくださいよ」
「踏み込まれたくないのは分かった。心配しなくても、ずけずけと踏み込んだりしない」
「踏み……?」
「体調が悪い時にしつこく連絡してすまなかった。それじゃあ」
「えっ!? あ、魔術手帳失くしちゃったので、また改めて連絡先交換しましょうね! 大丈夫ですか!? 連絡先交換したくないって言いませんよね!?」
先輩が苦笑する。ああ、もう、じれったい。表情が見えないから、何をどう思っているのか分かんない。直接会って、確かめられたらいいのになぁ。
「約束ですよ! 連絡先交換しましょうね。あと、先輩に渡したアルバム、捨ててませんよね? 先輩の写真だけど、私のものなので」
「人のものを勝手に捨てたりしない。いいからゆっくり休め、おやすみ」
「え? まだ寝るつもりは……」
「かなり具合が悪そうだ。無理してるんだろ? こういう時は周囲に甘えて、ちゃんと休んだ方がいい」
「はい、分かりました」
泣きそうな声が、自分の口から出てきた。私は先輩が何を考えているのか分からないけど、先輩は分かるんだ。そのことが無性に嬉しくて、だけど、悲しくもあった。空回りしてるような気分に苛まれる。
「じゃあな、おやすみ。またあとで」
「……ん? またあとで? わっ、切れた!」
「少しはエディ坊やと話せるかと思っていたが。まあいい」
「エディ坊や?」
「赤ん坊の頃から、俺はエディのそばにいる。つい、口ぐせでな。本人にはいい加減やめろと言われてる」
「へ~」
「食え。顔色が悪くなってきた」
「ど、どうも……」
スプーンを口の中へ突っ込まれた。じっくり煮られ、繊維が柔らかくなった野菜を噛みしめる。背中の傷が痛み出してきたし、一旦寝よう。またあとでって、ここに来るつもりなのかな? 二時間ぐらい、休んだら帰るつもりでいるんだけど。野菜スープを全部飲み終え、ふわふわの丸パンを引き裂く。美味しそう。バターがあれば最高なのになぁ。
「二時間ぐらい休んだら帰りますね。起こして貰えませんか?」
「は? エディとレイラが帰ってくるまでいろよ。大体だ、あの猛獣男がこっちに来て、お前の姿が見当たらなかったら、俺のせいにされるだろうが!」
「えっ!? ガイルさんのせいって……?」
「俺がお前をどこかへ隠したって疑われちまう。恋する獣人は厄介なんだ」
「いや、よく勘違いされるんですけど、私と先輩の関係は」
「とにかく! 気にせず眠ってろ。頼むから」
「はーい……」
こっそり帰ったら怒られそうだし、大人しく眠ろう。もそもそとタオルケットに包まり、目を閉じる。お腹がいっぱいになったからか、すぐに眠気がやってきた。良い夢が見れそう。さっきとは違って、手足に嫌な熱さがこもってない。肌触りがいい枕に頬擦りし、深く息を吸い込む。ここは安全圏。安全圏だからもう大丈夫。気を抜くと、震えそうになる片手を握りしめながら眠った。




