caii me
陽が沈んだ道を駆けていく。
ハンドルを握り、アクセルを回したくなる衝動を抑えつつ、最短ルートで彼女の家を目指す。
自分を動かすのは本能だ。
今日はもう遅い時間。本来なら明日にでも学校で『許しをもらったよ』と彼女に話せばいい。けれど、我慢ができない。今すぐにでも、彼女の声が聴きたい。
彼女はなんと言うだろうか。
バカなことをしたと呆れたり、勘違いするなと罵倒したりするだろうか。
それとも、歓迎をしてくれるのだろうか。
自分に自信が無い。俺はただの平民だ。
彼女と肩を並べるのは不釣り合いだと、自分でも理解している。
でも、抑えきれない欲求が身体中を支配する。
『キク』
また、名前を呼んで欲しい。彼女の声で、彼女だけが呼ぶあだ名で、俺を呼んで欲しい。
彼女から、また相談をして欲しい。頼って欲しい。彼女の期待に、応えたい。
上着の隙間から流れ込んでくる冷たい風。
しかし、俺の心臓は躍動して、全身が熱くなる。
今まで感じたことのない衝動。一刻も早く、彼女に逢いたい。
住宅街の一角にバイクを停め、ヘルメットを片手に早足で彼女の家の前まで来た。
彼女の部屋だと思われる二階を見れば明かりが点いている。どうやら彼女は部屋にいるようだ。
震える手を抑えつつ、携帯端末を取り出す。
しかし、どうしたものか。
家の前で立ち止まり、しどろもどろする。
なんて言えばいい。
またよろしくね、また話ができるね、またご飯にでも行こう。
思い浮かぶ言葉はどれも軽く感じた。もっと彼女との再会に相応しい言葉はないか。己の語彙力のなさに嫌気が差す。
「あ」
そんなことを考えていると、二階の窓から彼女が姿を現した。
驚いた顔をしている彼女と数秒間、目が合う。そして、彼女は窓から離れた。
『ドンドンドンッ、ガッシャァン、ドタドタ』と、家の中からけたたましい音が聴こえる。
そして、玄関の扉が開かれ、彼女が姿を現す。
「キクッ」
彼女は裸足のまま俺に駆け寄って、棒立ちしていた俺の胸に飛び込んできた。
いつも整えられていた彼女の髪は少し乱れており、俺の胸に頭を擦りつけるように彼女は泣きはじめた。
「ごめん、こんな時間に」
「……ううん、でも、どうして……」
「陽代美の親父さんから、許しを貰ってきた。また……前みたいに話をしてもいいって」
「うん……うん……」
すすり泣く彼女は、短く返事をする。
こんな時、恋人同士なら抱擁の一つでもするのだろう。しかし、俺はただ、ヘルメットを片手に棒立ちすることしかできなかった。
ひとまず安心。陽代美から伝わる熱が、徐々に熱くなっていくのを感じた。
しかし、陽代美は顔を急に上げ、俺を睨みつけた。
「キクのバカっ」
「え?」
「心配したのっ! 怪我とか、停学こととか、とにかく、沢山キクのこと心配したっ! でも携帯に連絡しても、返事こないし、学校では避けられるしっ」
「ごめ――」
言い留まる。
思い出したのは、彼女からホテルで一緒に過ごしたときに言われた言葉。
『自信を持ってなんでも言って』
彼女が俺を心配してくれたのはとても嬉しい。だが、俺もそうだったのだ。
「俺も……心配だった」
「……キク?」
「あの時、陽代美が殴られて、気が狂いそうになった。警察署の前で、泣きだした陽代美を見て、凄く悪いことをした気分になった。俺が、学校に居ない間、陽代美が変な連中に絡まれていないか……ずっと不安だった」
「……うん、大丈夫だったよ。でも、本当は、キクと一緒に文化祭をまわりたかった」
「ええと……文化祭は、楽しかった?」
「ううん、全然。会長から与えられた仕事をただするだけ。楽しいなんて、これっぽっちも思わなかった。でも、私が挫けたら、キクが悲しむと思って、頑張った」
「……陽代美が関わった文化祭は、他の皆からすれば凄くよかったと思う。俺も、来年は参加したいから、その時は一緒に文化祭をまわろう」
「うん……でも、キク。約束破った」
「約束?」
「秋になったら、キャンプに行こうって、約束した。でも、もう冬になっちゃうよ」
彼女の言葉を聞いて、頬に冷たい風を感じた。
夏に約束をした秋になったらキャンプへ行こうという話。時期を考えれば、これから計画をしても遅い頃合いだ。
「ごめん、九月頃から忙しかったから」
「キク、私に隠し事してた……亜由から聞いたよ。色んな人たちと危ない事をしてたって」
「……余計な心配をかけたくなかったんだ」
「余計に心配する! キクは、優しすぎるの! もっと、私に……頼ってほしいのに」
感情剥き出しにした陽代美。そこで自分の顔に違和感を覚えた。
ピクリと頬の部分が動いて、視界の上下が狭まり、唇が横に伸びていく感覚。
「あ……」
「どうした?」
「キクが……笑った」
自分ではわからなかった。
なぜ、ここで俺は笑ったのか。理由を挙げるとすれば、きっと嬉しかったのだ。
彼女も、同じ気持ちでいてくれたこと。離れていた間も、互いのことを考えていたと知って、死んでいた表情筋が息を吹き返したのだろうか。
「陽代美」
「うん……」
「生徒会選挙、頑張ってな」
「……他に言う事ないの?」
「あとは……春になったらキャンプへ行こう。その時までには、準備もできると思うから」
「うん、他には?」
「む」
さっきまでの悲しそうな顔はどこへやら。
悪戯な笑みを浮かべる陽代美は、楽しそうに俺からの言葉を求めてくる。
彼女に伝えたかった言葉は沢山ある。しかし、一つだけ、本当に伝えたかった言葉を口にした。
「陽代美に、頼みたいことがある」
「……なに?」
「陽代美が、困ったことや助けが必要な場面があったら、俺を真っ先に呼んで欲しい」
「ん?」
「誰よりも速く、駆けつける。どんなことでも、手伝うから」
「待って。なんか、おかしくない? それって私の方からお願いすることなんじゃない?」
「いや、おかしくはない……気がするのだが。なんか自分で言っていて、わからなくなってきたな……」
「フフッ、なにそれ。キク、おかしい」
久しぶりに彼女の温かい笑顔を見た。
本当は、なにもおかしいことなんて言っていない。俺は彼女から一番に頼りにされたい、承認欲求と独占欲が入り混じったワガママな願望。それでも真っ直ぐな俺の想いだった。
「それじゃあ、私が生徒会長になった暁には、キクに沢山甘えちゃおうかな」
「ああ、できれば肉体労働で頼む」
「うん、頼りにしてるね」
月に照らされた彼女の笑顔。
この世界で、俺だけに与えられた、我らが女王様からのご褒美だった。
***
日常が戻ってきた。
朝の新聞配達をしばらく休んでいたせいか、体力が落ちたのを感じた。しかし、一週間も経てば以前のような時間配分で配達ができるようになった。
違うところを挙げるとすれば
「おはようございますっ」
「やあ、おはようっ」
恰幅のいい男性に新聞を手渡す時、俺から挨拶をするようになったことだろうか。
いつもは受け身だった事柄も、自分からしてみるのも気分がいい。
ひと眠りして学校へ向かう途中、空を仰ぎ見れば雲一つない快晴。
今日は特別な日だ、まるで天が彼女を祝福でもしているかのような晴天は清々しいと感じた。
教室に入り、何人かのクラスメイトと挨拶を交わして席に着く。
そして今日の授業は特別編成。朝のHRが終わり、俺と数名のクラスメイトは体育館へと向かう。
「菊地、ここから真っ直ぐ椅子を並べてくれ」
「わかりました」
生徒会選挙当日。
会場となる体育館にパイプ椅子を雛形先生の指示通りに並べていく。
数十名の生徒と、数名の教師たちで千を超える椅子を並べていくのはなかなかに大変だ。
そして椅子を並べていく最中に、目の端で彼女の姿を見る。どうやら、現在の生徒会長と本番の打ち合わせをしているようだ。
そんな彼女の姿に、心の中で声援を送り作業に戻る。
会場の準備が整い、三年生から順番に体育館に入場をしていく。
そして三年生の列から柴原先輩たちを見つけ、先輩から小さく手を振られ会釈で応える。
数日前に聞いた噂では、柴原先輩は守邦高校仕切り役を近々引退するそうだ。
守邦高校全学年の生徒が体育館に集合し、生徒会選挙が始まる。しかし、立候補者は二名。とりあえず形式に乗っ取った行事を粛々と進行するだけだ。
最初に現職の生徒会長が挨拶をする。彼女の話によれば、今回の選挙は各役職に立候補者が不足している状態らしく、選挙後にも広く役員を募集しているそうな。
そして、生徒会の活動を振り返って楽しかったこと、大変だったことを冗談交じりに話を終え、深々とお辞儀をする彼女に大きな拍手が全校生徒から送られた。
そして、生徒会長だった空橋先輩からバトンを受け取る我らが女王様が壇上に立つ。
その姿は、実に立派だった。
金と銀の中間にあるような髪色をなびかせながら、彼女の透き通るような声が体育館内に響き渡る。
『この度、生徒会長に立候補しました、二年C組、陽代美莉愛です。私が生徒会長に立候補した理由は……守邦高校に通う皆さんが仲良くなればいいと思ったからです』
少し会場がざわつく。
皆が仲良くなんて漠然とした目標に庶民は驚くだろう。しかし、このぐらいで驚いてもらっては困る。見た目はギャルだが中身は公正な女王様。そして我らが女王様は強欲でもあるのだ。
『近年、守邦高校だけに限らず、インターネットを介した問題に私たち高校生が巻き込まれる出来事が増えています。どうすればそんな問題に巻き込まれずに済むか、私なりに考えてみました。これは、私の個人的な意見になりますが、ネット上のやり取りが盛んになった引き換えに、人と人同士の直接的な関係性が希薄になったからではないかと、考えます』
椅子に座って周囲に耳を澄ませば、困惑する声が聴こえる。
彼女の演説内容は、恐らく知恵のまわる親友が助言でもしたのだろう。偏差値低めな守邦高校の生徒たちには少々難しいかもしれない。
『そこで、私が生徒会長に当選したら、学校行事に力を注ぐのは勿論、学校生活をより楽しく、誰もが充実した時間が過ごせる場所にしていきたいと思います。そして……』
彼女が一つ間を置く。
『困っている人を見かけたら、誰かが手を差し伸べるような、そんな素敵な学校にしていきたいと思います。そのためにも、私は誰からの相談や悩みも、解決のために協力することを約束します』
再び会場がざわつく。
千人を超える生徒たちの悩みを、全て引き受けると彼女は宣言したのだ。
誰が想像できるだろうか。一介の女子高生が千人を超える生徒たちの悩みを請け負う姿を。
『私はこの学校が、守邦高校が大好きです。大好きな友達との時間、大好きな人と過ごす時間を、将来悔いが残らないようにしたいと思います。ぜひ、皆さんの温かい一票をよろしくお願いいたします。ご清聴ありがとうございました』
お辞儀をする彼女に大きな拍手が送られた。
『やっば、流石は女王様だね』
『あんなこと言えるの莉愛ちゃんだけだよねえ』と周囲の女子はひそひそ話をしている。
俺も手を叩く中、周囲のクラスメイトを見れば満足した表情で手を叩く人物が多くいた。その中には、これまで彼女に相談をして、問題や悩みを解決してもらった人物もいるのだろう。
実績はある。陽代美はきっと、これから多くの相談を受けるだろう。そして俺も、そんな彼女の力になりたいと、強く思う。
どうやら、我らが女王様は、皆の女王様になるようで。




