自分の気持ち
刻々と時間が過ぎていく。
今か、今かと待ちながら居酒屋のお手洗い前で待つこと一時間は経過しようとしていた。
しかし焦りはない。腹が満たされた影響か、落ち着いてじっと奥の座敷のふすまが開くのを待つことができた。
その間、陽代美の義父になんと話そうか思考を巡らせた。
俺と陽代美は恋仲ではない。しかし、また普通の友達に戻りたいと伝えても、効果は薄いように思える。縁を切れと言われた手前、説得できそうな言葉が思い浮かばない。
そもそも許しを得る前に、己の意思はなにかと自問自答をする。
陽代美とまた話がしたい。食事にだって行きたい。なぜ、そう思うようになったのか。
陽代美がさらわれたときも、身体が勝手に動いた。彼女に傷ついて欲しくないと、本気で願った。
自分の気持ちは、どこにあるのか。
今ここにいるのも冬樹にそそのかされた、と言い訳はしたくない。自らの意思だ、それは間違いない。では、俺がここまできた原動力は――
悶々としていると、座敷のふすまが開き目的の人物が現われる。
顔を伏せ、目の前を陽代美の義父が通り過ぎるのを待つ。そしてお手洗いに入ったことを音で確認して立ち上がる。
まずは許しを得よう。彼女への気持ちを整理するのは一旦後回し。何度か深呼吸をして心を落ち着かせる。
そして、目的の人物が再び現れて話しかける。
「あの、すみません」
「うん――ッ、き、きみは、どうしてここにっ」
「待ってください! なにも、するつもりはありません」
慌てて両手をあげて、脅威ではないことを伝える。
考えてみれば、彼からすれば俺は前科者で暴行犯。警戒をされて当然だ。
俺を少し見て、警戒を解いた彼はコホンと咳払いをしたところで両手を降ろす。そして目と目が合う。
彼の顔は言い表すのであれば困惑。居酒屋に高校生がいて、しかも娘と縁を切れと宣告した人物がいては驚くのも無理はない。
「高校生のきみが、どうしてこんな場所にいるのかね?」
「貴方に、話があって来ました」
「……いいだろう。その前に、立ち話もなんだ。座ろうか」と、彼は俺がさっきまで座っていた長椅子に腰掛けた。
彼に続いて隣に腰かけ、少しのあいだ沈黙が流れる。
お互いにどう切り出していいのか迷っている。しかし声を掛けたのはこちらなのだから、話を始めるのは俺の方からがいいだろう。
「申し訳ありません。飲み会の最中に――」
「構わないさ、今日はただの顔見せだからね。あと、変にかしこまる必要はないよ」
「はい、ありがとうございます」
隣に座る人物から少しばかりアルコールの香りが漂う。
こうして落ち着いて話せば、陽代美の義父はいい人なのだろうと想像がつく。
だからこそ慎重に、誤解を与えないように努めて話を切り出す。
「今日は……莉愛さんとのことについて、相談があってきました」
「……菊地くんが私のもとに訪れた時点で、そんなところだろうとは思っていたよ。随分と大胆なことをするじゃないか」
「はい、莉愛さんの友人から提案をされました」
「なるほど、沙織ちゃんかな。それでは、君の相談、もしくは要求を訊こうか」
「……莉愛さんと俺の、縁を切れとの話、なかったことにしてもらえないでしょうか?」
「……」
「勿論、なんらかの罰が必要なら甘んじて受けます。もし、警察の厄介になれと言うのなら――」
「おいおい、私の苦労を台無しにしないでおくれ。それに警察も君に関わっていられるほど暇じゃないよ」
「……すみません、でも、他にどうしていいか――」
「ううん、困ったねえ」
そう言って彼は溜息をつく。
店内の座敷からどっと笑う声が聴こえて、会話が少しばかり中断される。
そんな中でも、彼はじっと前を見据え、口を開く。
「菊地くんに、いくつか質問をしたい」
「はい」
「君が警察にした証言。あの話の中に『嘘』はあるのかい?」
「……それは」
「安心して欲しい。私も今更警察に真実を伝えようとは考えていない。正直に、あの夜に起きた出来事を教えて欲しい。これは経験則でね、嘘が得意な人物と不得手な人物はなんとなくわかるんだ。そして菊地くんは、嘘が苦手だろ?」
見透かされていた。
雛形先生も言っていたが、俺の証言に大人たちは疑問を抱いていたのだ。
もし、陽代美の義父が嘘をついて警察に証言をした場合、捜索隊のメンバーはどうなるか。だが、こんなことを南条たちに話せば、また怒るだろうか。
一つ息を吐いて、俺は真実を口にする。
「あの夜、莉愛さんと守邦高校の一年女子が男六人組にさらわれました。俺は、莉愛さんの位置を携帯端末で知ることができたので、一人で莉愛さんが捕らわれていた廃墟に向かいました。そこで俺は……誘拐犯である男たちから暴行を受けました。そして、強姦魔たちを追っていた二年生男子グループが助けにきてくれて、莉愛さんも、俺も救われました」
「それでは、男たちに暴行を働いたのは菊地くんではないと?」
「いいえ、俺も少なからず抵抗をして、彼らと取っ組み合いになりました。でも、一人では、ほとんどなにもできませんでした」
「……そうだったのか。男子グループ、つまり、君の他にも多くの人間が、莉愛をさらった連中を探していたということかい?」
「そうです。被害にあった女子が守邦高校に多くいたこともあり、三年生の先輩たちが主体となり、女子たちを襲っていた犯人捜しをしていました」
「危ないことを……しかし、そのおかげで莉愛は助かったわけだな」
初めて自分の口から真実を話した。
隣に座る義父は、顎に手を当てて考える仕草をしている。
「あの、このことは」
「わかっているよ。他言するつもりはない、約束をしよう。しかし……そうか、菊地くんは一ヶ月の停学処分を受けたと学校から聞いたが、他の人物を庇ってのことなんだね」
「……一人で停学を受けたのは、俺の意思です」
「そうか……いい友人を持ったみたいだね」
「……はい」
少し、顔が熱くなる。
いい友人かはさておいて、他の人から認められるのはなんとなく恥ずかしい気がした。
そして、俺の話を最後まで聞いた義父は何度か頷き、俺を見る。
「最初はね、君のような真面目な人物が、どうして一人で暴行まがいなことをしたのか疑問だったんだ」
「え……真面目って、俺のことを莉愛さんはなんて言っていたんですか」
「いいや、莉愛から君の話はほとんど聞いていないよ。私の個人的な意見だ」
「それは、どうして俺が真面目な人物だなんて……」
俺がそう言うと、義父は薄く笑みを溢した。
彼と話をするのはこれで二度目のはず。それだけで俺への具体的な印象を持たれることに疑問を感じた。
すると、義父は目の前にある灰皿をぼんやりと見つつ、話を始めた。
「私の親はね、漁師をしているんだ。そして私がまだ幼い頃、不漁のときなんかはアルバイトをして家計を支えたもんだ」
「はあ……」
「中学生のころなんかに新聞配達をしたりしてね。私は朝が弱くて、何度も遅刻をしたり誤配達をして叱られたよ」
「新聞……配達……」
「そんな経験もあってか、将来は金持ちになってやると意気込んで勉強に明け暮れたわけだが。でも……大変だよなあ、新聞配達は。雨の日も風が強い日も、結局私は新聞配達のアルバイトを半年も経たずに辞めてしまったよ」
どうして、この場で新聞配達の話を彼がするのだろうか。
しかし、俺は彼の横顔を見て、一人の人物を思い出した。
『やあ、おはよう』
「あな、たは……」
「やっと思い出したのかい? まあ、私と君が会うのは一瞬。外も暗いことがほとんどだからね、仕方がない」
「俺が……新聞配達をしてるって、警察署のときに気づいていたんですか?」
「ああ、そうだよ。だからこそ驚いた。毎日毎日、走って新聞を届けてくれる菊地くんが、暴行事件を起こすなんて信じられるだろうか。変に感じるかも知れないが、私はね、名前も知らなかった菊地くんのことを尊敬していたんだよ」
「尊敬、ですか?」
「だってそうだろう? 私が挫折したことを、一年以上も続けている若者を見て、年甲斐もなく負けるもんかと仕事に打ち込んだりすることもあった。どれだけ天候が悪くても、毎朝颯爽と駆け抜けていく君は、私の目から見ればちょっとしたヒーローだったんだ」
見ていてくれる人がいた。
新聞配達はただの小遣い稼ぎのつもりで始めたアルバイトだ。
それでも、辛いと思うときが沢山あった。辞めようと考えたことも数えきれない。
「菊地くんが新聞配達を休んでいた一ヶ月、実に寂しいと感じた。原付で配達される新聞は、どうも味気なく思えてね」
「……走って配達をしているのなんて、俺くらいですよ」
「ハハッ、いいじゃないか。昔の私を見ているようで、元気を貰っている男が一人、ここにいるのだから」
そう言って上機嫌な顔を見せる一人の男。
俺が働いているところを、ほぼ毎日見ていた人物が隣にいることが、少し不思議な感じがした。
そして、隣にいる彼は真剣な面持ちになる。
「菊地くん、私からもお願いがある」
「……はい」
「莉愛と、また仲良くしてもらえるかい?」
「それって、つまり――」
「実は私も困っていたんだ。莉愛がまったく口をきいてくれなくなってね。そこで私も考えてみた、どうすることが莉愛にとって本当の幸せなのかとね」
「……」
「私には血の繋がる子供がいない。だからこそ、妻の連れ子である莉愛に、本当の父親のようになろうとしていたのだが、これがなかなかに難しい。あの子にとっての将来は、やはりあの子に決めてもらうことが正解だと思うようになったんだ」
そして、義父は椅子から立ち上がり、俺も彼に続く。
恰幅のいい身体をした男は、俺に優しく微笑みかける。
「莉愛のこと、よろしく頼むよ」
「はいっ」
「まあ、一応私もあの子の保護者だからね、健全な付き合いをしてくれると、私も妻も安心――」
「え、いや、あの、俺と莉愛さんは、そのような関係では」
「違うのかい? だが、菊地くんは、莉愛と今すぐにでも会いたいのではないかな?」
「……はい。会って、彼女と色んな、話がしたい、です」
「それならすぐに行きなさい。あの子も、きっと君を待っている」
身体の中から熱が昂るのを感じつつ、義父に礼をして、俺は駆け出した。
居酒屋の外に出れば、街中のネオンが光り輝いていた。




