待ち人
土曜日。曇り。
今日は学校が休みで、私は部屋でぼんやりしていた。
なにもする気が起きない。友達に食事へ誘われたけど、断った。今は、ご飯を楽しく食べられないと思うし、沙織には心配ばかりさせている。
そこで、気が付いた。
なんとなく部屋の窓から外を見れば、彼がいた。
黒い服を身に纏った彼は、夏に私をのせてくれたバイクにまたがって、こっちを見ている、気がする。
どうして彼が私の家の近くにいるのだろう。
彼を見つけた時は凄く嬉しかった。私を迎えに来てくれたのかなって、最初は思ったけど、なんか様子がおかしい。
もし私を呼ぶなら携帯に連絡をしてくるはずなのに、彼はずっとバイクにまたがって動こうとしない。まるで私の家を見張っているみたい。
どうしたんだろう。
本当ならこのまま彼に駆け寄って用事を尋ねたい。でも今は髪がぼさぼさでメイクもしていないし、服だってちゃんと選びたい。
それに、今は家にお義父さんがいる。きっと彼に会おうとすれば、怒るだろうな。
『あなた、今日はどちらに?』
『ゴルフだよ。先方が最近のめり込んでね、今日はその付き合いだ』
『気を付けてくださいね。夜はどうします?』
『夜までには戻ってくるよ』
『そうですか……あなたと莉愛が、早く仲直りしてくれるといいのですけど』
『私もそうしたいのだが、口をきいてくれんのだ』
『きっとあの子も分かってくれる時がきますよ』
『だといいんだがな。それでは行ってくるよ』
大人は身勝手だ。
私には彼に会うなと言っておきながら、自分は楽しそうにお出掛けをするんだから。
でもちょうどよかった。お義父さんがいなくなれば、外にいる彼にこっそりと話しかけにいける。急いで鏡の前にたって、髪をとかす。こんなことならもっと早く出かける準備をしておけばよかった。
「あれ?」
ふと彼がいた場所を見れば、彼はバイクで走りだしていた。
鏡から離れ窓まで来た頃には、彼をのせたバイクは遠くに走り去っていく。
私に会いに来たんじゃなかったのかな。
少し、いや、とても残念。
***
予感がした。
きっと彼はまた来るだろうと思った。
だから私は日曜日の朝に準備をして、髪も、メイクも、服も整えた。
そして思った通り、昼前に彼はまたバイクにのって現れた。
携帯を片手に、家から少し離れた彼を見続ける。いつでも彼からの連絡に応えられるように。
本当は私から連絡をしたい。
でも、彼は私になにも告げずに、ただ何かを待っている。きっと彼には考えがある。そんな気がした。
だから待つことにする。私は今まで彼に色んな願いを叶えてもらった。だから彼の邪魔はしたくない、でも、やっぱり彼とお話しがしたい。
『莉愛、お昼なんだけど、三人で久しぶりに外へ食べにいかない?』
「いらない」
『もう……仕方ないわね。あとでなにか持ってくるから』
お母さんには、悪いと思う。
あれからお義父さんとはろくに話しをしていない。だって、私から彼を遠ざけたのはお義父さんだから。口では、将来のためだとか言うけれど、そんなの知らない。私は今すぐにでも彼に会いにいきたい。
でも、お義父さんと出逢ってからお母さんは元気になった。血の繋がらない私を、本当の子供ように大切にしてくれた。お義父さんはとてもいい人だとは、頭ではわかっているつもり。
私は子供だ。お義父さんたちがいなければ、私はなにもできない。だから、言いつけられたことはしている。けど、今回ばかりは納得できない。だから塞ぎ込む。
そして彼を見続けて五時間が経過した。今日は家の中にいても少し寒い、彼は平気なのかな。
遠くにある太陽が沈んでいき、住宅街がオレンジに染まっていく間も彼は動かなかった。
携帯を何度確認をしても彼からの連絡はこないままだった。
『そういえば、今夜は飲み会でしたね』
『ああ、なにも日曜日の夜にしなくてもいいのにな』
『帰りは遅くなります?』
『いや、少し顔を出すだけだから八時くらいには帰ってくるよ』
『わかりました。タクシーを呼んでおきますね』
『ありがとう』
聴こえてくる会話に耳を塞ぎながら、彼を見る。
少し離れていてもわかる。彼とは今日何回も目が合っている。彼が、私を見ていてくれる。そして決心する。
お義父さんが出かけたあとに彼に話しかけに行ってみよう。お母さんに怒られたって構わない。
彼の声が聴きたい。
彼の顔を近くで見たい。
彼と話をすることができなくなって一ヶ月以上。私は贅沢だと気が付いた。いつでも私の話に耳を傾けてくれた彼の存在は、とても大きな存在なのだと、思い知ったのだ。
***
いかん、また目が合った。
どう考えても不審者である俺の姿を、陽代美は窓から顔半分を出してずっと俺の方を見ている。気にしないように努めても、結局数分に一度は彼女のいる二階の窓に目が向いてしまう。
最初は悟られないようにするつもりだった。しかし、今日はずっと陽代美はこちらを見ている。新聞配達のバイト先に記録されてある陽代美の住所を調べ、バイクにまたがり、彼女の自宅の近くで待機している俺は、確実に変質者であり違反者である。
昨日は思い通りにいかなかった。
待ち人は車で郊外のゴルフ場に入り、要領のわからない俺はゴルフ場の外で結局ドーナツ屋のバイトまで待ちぼうけで、目的を達成することはできなかった。
今日こそはと張り切っては来たものの、待ち人は外出する様子がない。日曜日だから家でゆっくり過ごすのだろうか。
冬樹から提案された案にのったわけだが、これはなかなかに根気がいる。いけないことではあるが、世の中のストーカーと呼ばれる人物は、実は凄い胆力や根性の持ち主ではないかと思った。
寒さで手足がかじかむ。
朝食を軽く済ませてからなにも口にしていない影響もあるのだろう、陽は出ていても体内の温度が徐々に下がっていくのを感じる。何度もハンドルを握り、気力をふるわせる。
そこへ、一台のタクシーが彼女の家の前に停まった。
注意深く見てみれば、待ち人が一人でタクシーに乗り込む姿を確認する。
急いでバイクのスタンドを上げてエンジンをかける。暖気をしていないにも関わらず滞りなく駆動してくれる愛車に感謝しつつ、タクシーから少し離れて後をつける。
夏に盗撮魔を追った時とは違い、今日は誰からの援助もない。俺一人でなんとかしなければならない問題だ。
心細さはある。きっと、東や西尾に相談をすれば協力をしてくれただろう。だが、今回ばかりは単独でなければ意味がない。
国道に出てしばらく走る。
対象をのせたタクシーは守邦駅周辺に向かっていて、繫華街にある一軒の居酒屋の前でタクシーは停車した。
「あ……」
思わず声が出た。
道路わきにバイクを停め、対象の人物が店に入るのを確認する。本来であれば、お酒を提供する店に入るのは躊躇をするところだが、俺は夏ごろにあの店にいったことがある。
対象が入店した居酒屋は盗撮魔事件の時に、一緒に張り込みをしていた大秋の親戚が経営している居酒屋だった。
近くの駐輪場にバイクを停め、居酒屋の前で呼吸を整える。
以前訪れた時に、大秋の親戚である店長と少し話をした。もし、俺の顔を覚えていてくれれば協力を仰げるかもしれない。
意を決し入店すると「いらっしゃいませ! 何名さまですか」と元気のいい女性店員が出迎えてくれた。
客ではないことに申し訳ないとは思いつつも、店主へ取り次いでもらうための言葉を考えていると、女性の店員は驚きの声をあげた。
「あれっ、キクっち何してんの?」
「え、江夏っ?」
エプロンをした店員は、クラスメイトの黒ギャル江夏だった。
そちらこそ何を、と思ったあたりで、一学期のころに彼女と一緒に帰ったときのことを思い出した。
「そういえば、江夏はここでバイトをしてるんだったな」
「そだよー。てか、キクっちこそどしたん? まさか……一杯やりに来たとか言うまいな?」
「言うまいよ」
思考を巡らせる。
今回の件は俺一人でどうにかしたいと考えていた。しかし、今では誰かの協力がなければ目的を達成することは難しいと感じている。
目の前にいる人物はよく知る女子ではあるが、俺の目的を話してもいいものかと気を揉む。
一度、頭を振る。
こんな考え方ではまた昔に元通りだ。せっかくの巡りあわせだ。頼らせてもらおう。
「唐突なんだが、江夏に頼みたいことがあるんだ」
「なになに?」
「実は、今この店に陽代美の親父さんが来ているんだ」
「へえ、そうなん……ハハァン、キクっちの考えがわかったぞ。莉愛とヨリが戻せるように殴り込みにきたんでしょ?」
「殴りにはきていないし、ヨリを戻すとかではない。だが、そんな感じだ」
「随分と大胆なことするねえ。んで、アタシに頼みたいことって?」
「少し、場所を貸して欲しい。できるだけ店の邪魔にはならないようにするから。陽代美の親父さんとは一対一で話がしたいんだ」
「ふんふん、なるほどね……オッケーついてきな!」
そう言って江夏に続き、店内を進んでいく。
居酒屋はテーブル席やカウンター席の他に座敷があり、複数のグループで賑わっていた。
そして江夏に案内をされたのはお手洗いの前だった。そこには休憩スペースなのか木製の長椅子があり、近くには銀色の円柱型灰皿が設置されていた。
「ここなら一人で来るところを待ち伏せできるっしょ」
「ありがとう、江夏。でも、いいのかな。店長さんに一声かけてからのほうが――」
「いいって、アタシから話しとく。つうかキクっち顔色悪いぞ、そこ座ってな」
強引に腕を引かれ長椅子に座らせられる。
そして腰を下ろした途端に全身の筋肉が緩むのを感じ倦怠感に襲われる。昨日も今日もずっと緊張していたからか、店内の暖かい空気に触れた影響か。
しかし油断はできない。待ち人はいつ訪れるのかわからないのだ。壁一面に貼られたいくつものポスターを眺めながら、時間が過ぎていく。
すると、江夏がお盆に茶碗を載せて戻ってきた。
「キクっち、情報だよ。座敷に入っている団体さんに莉愛の親がいるみたい。一番奥の座敷ね」
「そうなんだ。よくわかったな」
「団体の中に店長の知り合いがいるんだって。どっかのお偉いさんだってさ」
彼女の話を聞き頷く。
冬樹は、陽代美の義父は水産関係の社長だと言っていた。恐らく懇親会とか応援会とかの集まりなのだろう。
そして江夏は手に持っていた、ほんのりと湯気が立ち昇るお茶碗をのせたお盆を、コチラに差し出してきた。
「これは?」
「鯛茶漬け。キクっち、最後にご飯食べたのいつ頃?」
「……朝八時かな」
「そんなんじゃ話をする前にぶっ倒れるっての。ほら、これ食べちゃいな」
「でも、お金はあんまり持ってきて――」
「いらないっての。困った時はお互い様って言うじゃん? それにこれで、借りは返したよん」
「借り?」
「塩カルビ丼のぶん。それじゃ、食べたらお盆はそこに置いといて」
そう言って江夏は再び店内に戻っていった。
すっかりと忘れていた彼女への貸し。まさかこんなところで返されるとは思ってもいなかった。
なぜだか、目の前にあるお茶漬けが滲んで見えるような気がして、一人静かに両手を合わせた。
「……いただき、ます」




