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取引

 ここは、少しかび臭い。


 留置場の壁をぼんやりと眺める。

 警察署に着いてからは怪我の治療を受け、取り調べが行われた。そこで俺は、男六人組の罪を告発した。

 もし、あの工場で男六人組だけが警察に見つかれば『暴行を受けた被害者』としか扱われないだろう。だからこそ、誰かがあの場に残り連中が行った悪事を告発する必要があった。


 警察も最初は疑って聞く耳を持たなかったが、連中が乗っていた白いミニバンを入念に調べるよう懇願した。すると車内からは、スコップ、消毒液、インシロック、縄、ガスバーナーなど様々な道具が見つかり、さらには複数の女性の毛髪が見つかったそうだ。


 警察も探していた強姦魔連中だ。

 俺の話を聞く気になった警察に連中の手口を大まかに話した。しかし、俺の証言の中で『連中は俺一人でやった』という話だけは信じてもらえなかった。

 そして一旦取り調べ室から留置場に通され、今に至る。


 俺はこれからどうなるのだろう。

 学校では停学処分、もしくは退学もありえるだろう。

 犯罪者とはいえ男六人に暴行を働いたのだから、刑務所へ行くこともあるかもしれない。そんなことになれば葛野と同じ場所かと思うと、憂鬱な気分だった。


 それでも、気分は落ち着いている。

 左手に巻かれた包帯を見つつ、陽代美が被害者にならなくて本当によかったと安堵していた。

 しかし、なぜ、俺はあの時、無我夢中で走ったのだろうか。普段なら南条の言う通り単独行動は避け、他の人物と連携をとり工業区へ向かってもよかったはずだ。

 でも、身体が勝手に動いた。東の口から陽代美の名が出たとき、身体中が熱くなり、頭の中で最悪の想像をした。

 クラスメイトの中でも最も親しい女子がさらわれたと聞いただけで、自分でも驚くぐらいに取り乱してしまった。


「菊地平太、出ろ」


 一人の警察官が留置場の扉を開き、その後ろには背広姿の刑事らしき中年男がいた。

 俺は言われた通り、留置場を出ると警察官は扉を閉めて何も言わずに去った。そして残った刑事と目が合う。


「取り調べの、続きですか?」

「いや、君の身元引受人が来た。正確に言えば監督をする人物ではないが、あとは当人同士で話でもしてくれ」

「え? それじゃあ、俺は釈放ですか?」

「……君はただの情報提供者ということになった。さあ、ついてきなさい」


 不可解なことを言う刑事の後に続いて留置場の通路を歩く。

 俺の身元引受人。普通に考えれば両親だが、監督をする人物ではないとなると親族ではない。守邦高校の教師だろうか。

 署内の廊下を歩き、受付まで来たところで刑事が俺の方に振り向いた。


「もう、悪さするんじゃないぞ」


 そう言って刑事は俺の肩を叩き、署内へ戻っていった。

 そして、受付近くにある椅子から背広を着た一人の男が立ちあがった。見た目から四十代くらいの中年男で、身長は俺より低いが肩幅は広く恰幅のいい人物だった。そして太い眉毛を寄せて俺を見る姿は、どこか威厳を感じ取れた。

 どうやらこの人物が身元引受人のようだが、俺はこの人を知らない。そして中年の男は俺の顔をしばらく見て口を開いた。


「菊地、平太くんかね?」

「……はい、そうです。貴方は?」

「私の名前は陽代美修(ひよみおさむ)、と言えばわかるかな?」

「――ッ! 陽代美のお義父さん、ですか?」

「ああ、事情は聞いている。莉愛が、世話になったそうだね」


 陽代美の養父を名乗った男は、その場で深く頭を下げた。

 歳上から初めて頭を下げられ、どうしていいのかわからず、その場で固まってしまった。

 そして、頭を静かに上げた陽代美の養父と再び目が合う。


「あの、でも、どうして陽代美のお義父さんが、俺の身元引受人に?」

「……今日、莉愛に初めて泣きつかれてね。同級生を助けて欲しいと言われたよ。私は守邦市を動かしている人物たちに顔が効くんだ、菊地くんは今回の件に関しては通報者ということにしてもらった」

「え?」

「いいかね? 君は今夜、たまたま工業区で女子高生を拉致しようとした男たちを発見し、警察に通報をしただけだ。そしてここには参考人として警察に話をした。この意味がわかるかい?」

「……はい」


 詳しいことはわからないが、どうやら陽代美の養父は、今夜の出来事を揉み消してくれたらしい。つまり俺は罪を問われることはないということになる。

 それにしても陽代美の養父は何者なのだろうか。いくら裕福でも一般人であることには変わりないはずだが。

 しかし今は何よりも先に礼を言うべきだろう。


「あの……ありがとうございました」

「礼には及ばんよ、こちらも娘を助けてもらったのだからね。だが、先程警察から聞いた話によると、今夜の件は既に学校側には連絡が入っているそうだ」

「学校に、ですか」

「私のほうからも便宜を図るように伝えるが、学校側で何かしらの処分がくだるのは菊地くんも覚悟をしておくように」

「わかり、ました」


 元々刑務所へ行くことを覚悟していた身だ。学校でどんな扱いを受けることになっても、俺としては御の字だ。

 そこで、自分のこれからがわかったところで、ここにいない彼女のことが気になった。


「陽代美……莉愛、さんに、大きな怪我とかありませんでしたか?」

「多少の擦り傷や顔に痣ができたりしたが、君よりは軽傷だよ。医者も痕は残らないだろうと言っていた」

「そう、ですか」

「……それでは、車で家まで送ろう。ついてきなさい」


 そう言って歩き出した身元引受人の後に続き警察署を出る。

 外に出てみれば辺りは真っ暗、肌で感じる気温よりも寒々しく感じた。


「キク!」


 唐突に名を呼ばれ、声のする方に振り向いた時には、我らが女王様が俺の胸に飛び込んできていた。

 包帯やガーゼの下にある傷に響いたが、彼女が無事であることをこの目で確認できただけで嬉しかった。しかし、顔や指先に貼られた絆創膏を見て、彼女の痛々しい姿に胸が詰まった。


「陽代美……ありがとう。刑務所に行かなくて済んだよ」

「ウッ……グスッ……キクの、バカ」

「うん?」

「キクが、キクが死んじゃうって思った……本当に、よかった……」


 俺の胸に頭を擦りつけて泣きじゃくる彼女に、どう声をかけていいのかわからない。

 陽代美が無事で安堵する反面、彼女を泣かしてしまったことに申し訳なさが募る。

 もしも彼女と俺が恋人同士であれば、震える彼女を抱きしめたりもするのだろうが、俺にそんな資格はない。

 そして、彼女が落ち着いてきたところで養父がいたことを思い出す。彼の方を見れば俺たちを難しい顔をして見ていた。


「莉愛、そろそろ離れなさい」

「え……お義父さん?」

「いいから、こっちへ来なさい」


 先程、警察署内で話をした時とは違い、養父の言葉には棘があるように感じた。

 そして彼女の腕を引いて、俺と彼女を引き剝がした養父はさらに鋭い口調で言葉をならべる。


「菊地くん、君には感謝をしている。だが、一つ約束をしてもらいたいことがある」

「……はい、なんですが?」

「今後、君は莉愛に近づかないでもらいたい」

「お、お義父さん? 何を言ってるの!」


 養父の腕を彼女が掴み抗議する。しかし、養父は彼女を見ようとはせず、俺を睨み続けていた。


「どうして、ですか?」

「君も知っているかもしれないが、私と莉愛は血が繋がっていない。だが、大事な家族であることに変わりはない。そして菊地くんが警察にした証言では、犯人に暴行を働いたと言ったそうだね」

「……はい」

「莉愛には将来がある。だが、君のような男が近くにいては妻も不安に思うだろう。私は莉愛の未来を親としては守らなくてはならないのだよ。理解してほしい」

「お義父さん、やめてっ」


 陽代美の養父が何を言いたいのかは理解した。

 つまり、これは取引きだ。

 俺の経歴に傷が残らないようにする代わりに、娘とは縁を切れ。

 陽代美の養父は何かしらの権力者でもあるのだろう。そんな人物の子供が、他人に暴力を働く輩と繋がりがあるのでは、余計な疑いを持たれたりするのかもしれない。


「どうして、どうしてそんなこと言うのっ」

「黙っていなさい。莉愛の言う通りこうして彼を助けた。それで充分だろっ」

「いやっ! なんで私とキクが離れなきゃいけないの! わかんないよ!」


 血の繋がらない親子の喧嘩を見て、俺は気持ちが沈んでいくのを感じた。

 俺がいるから、俺のせいで目の前にいる二人は争っている。

 そして、彼女の目からは涙が溢れようとしている。


 そんな彼女を見て、答えは決まった。

 俺は、彼女にとって、不要な存在だ。


「……わかりました」

「キク?」

「……今後、莉愛さんには近づきません」

「……ありがとう。理解をしてくれて助かるよ。それでは家まで――」

「いえ、自分の脚で、帰ります。失礼しますっ」

「キク!」


 俺は二人に背を向けて走った。

 これでよかったんだ。もしも俺が陽代美の親なら、義父と同じことを言ったかもしれない。


 後方から俺の名前を何度も呼ぶ声がしても、振り返ってはならない。気にしてはいけない。

 別に問題はない。学校で一人だった一学期の頃にまた戻るだけだ。

 それなのに、これまで彼女と過ごした時間が頭の中をよぎっていく。


 初めて彼女から相談をされた。一緒にご飯を食べた。初めて約束をした。一緒にリレーを走った。初めて二人で買い物に行った。一緒にツーリングに行った。初めて二人でホテルに行った。一緒に張り込みをした。初めてナイトプールに行った。バイト先で花火を見た。海を見ながら二人で話した。キャンプに行った。二人で夜空に浮かぶ星を眺めた。


 理解できない。

 どうして、俺の目は、こんなにも熱くなっているのだろうか。


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