衝突
「ハア――ハア――」
呼吸が苦しいことに気がつき、口元につけていたマスクを捨てる。
工業区に着いた、しかし、何もわからない。
「ハア――クソッ!」
場所は知っていても、工業区に足を踏み入れたのは今日が初めてだ。
周囲は暗く、等間隔に設置されている街灯も点いたり消えたりと不気味な道をひた走る。どこへ行けばいいのか、どこに陽代美がいるのか、ここが工業区のどのあたりなのか。
わからないことだらけだ、一度足を止めて冷静になる必要がある。
工業区には工場がいくつもある。
工場の敷地にはトラックが何台も停められていたり、鉄屑が積み重なった山があったり。
稼働していない工場も多くあり、どれが廃墟なのかもわからない。工場に一つ一つ忍び込んでいる時間はない、一刻を争う。
思考を巡らせる。
陽代美に問題が発生した場合、協力者である冬樹に連絡をする気まりがある。だが、陽代美と冬樹が一緒にいたという話はなかった。いくら頭脳明晰の冬樹でも陽代美の位置まではわからないだろう。そもそも、なぜこんな遅い時間に陽代美は出歩いていたんだ。不用心にもほどがある、しかし、待て。陽代美は確か生徒会の手伝いをしていた、文化祭前になれば遅くまで学校に残り作業をすることもあるだろう。
だめだ、落ち着こう。
今は陽代美の位置を知ることが最優先。
呼吸を整えようとしても頭が熱くなってくる。誰か、誰か教えて欲しい。だが、この場には俺一人しかいない。疑問に答えてくれる人はいない。
誰が知っている。陽代美が今、どこにいるか知っているのはーー
ここにいる。
急いで携帯を取り出しアプリを起動する。
神にすがる思いで携帯を握りしめ、盗撮魔事件のときに一緒にインストールをした位置情報追跡アプリが起動するのを待つ。陽代美が位置情報をオンにしたままなら、可能性はある。
「……近い!」
俺の位置を表す青いアイコンから少し離れた位置に赤いアイコンが点滅していた。
身体を反転させ携帯を片手に工業区を再び走る。赤いアイコンの近くまで来てみれば、暗い中でも視認できる白いミニバンが一台、寂れた工場の一角に停まっていた。
フェンスをよじ登り、工場の窓に目を向ければ中からほのかに明かりが見えた。間違いなくここにいる。
「陽代美っ」
鉄製の扉を開く。
するとそこには男が五人、地べたに座らされている女子が二人いた。工場内はいくつかの机や椅子が置かれており、その上にはぼんやりと辺りを照らすランタンが複数置かれている。
そして、男の一人が驚嘆の声をあげる。
「ハアッ? な、なんで菊地がここにいんだよ?」
「葛野っ、お前っ、なにしてんだよっ」
「なにって言われてもね……とりあえず、やっちゃっていいすよ」
『ガンっ』
油断、した。
後頭部に衝撃が入り、意識が飛びかける。
工場内には男が五人、だが街中を荒らしまわっていた男は六人組。あと一人が見張りでもしていたのか。
「あーあ、どうすっかな、これ」
「おい、そいつ葛野の知り合いか?」
「ええ、まあ。同じ中学のヤツなんすけど……これ不味いっすよね?」
「当たり前だ。見られたからには殺すしかねえだろ」
「……マジすか?」
「身体に鉄屑でも巻き付けて海に沈めるだけだろ。葛野、お前の仕事な」
「ええ……マジすかー、めんどくせーなー、オイッ」
みぞおちを殴られ、膝をつく。
そして、夏に出会った葛野と二人の男に囲まれていた。
「先輩、こいつ、どうせ殺すんなら、ちょっと遊んでもイイすよね?」
「いいぞ、どうせ客が捕まるまでは暇だしな。そこの兄ちゃんもせいぜい抵抗して楽しませてくれや」
「だとさ。おら、立てよ。俺たちストレス溜まってんの。最近仕事が上手くいかなくってさ」
葛野を見つつ言われた通り立ち上がり、そして顔を殴られる。
次に腹、背中を蹴られ身体がよろめく。
「オイっ、少しは抵抗しようぜ? このままだと菊地、死んじゃうぜ?」
にやけた葛野に怒りを覚えながらも、無駄なことはしない。
男三人に抵抗をしても勝機はない。それよりも、今は時間を稼ぐことが重要だと考える。不幸中の幸いか、地べたに座り込んだ陽代美は口をガムテープで塞がれ両手を拘束はされているものの怪我はしていないように見える。そして目には大粒の涙が溢れている。
その近くで、葛野が先輩と呼んだ男三人はヘラヘラと笑いながら、サンドバッグにされている俺を見て楽しんでいるようだ。
これでいい、いいはずだ。両肩を掴まれ殴られても、腹に膝を入れられても痛いだけだ。
連中の興味が俺に向いている間は陽代美が安全だ。
しかし、この後は。
時間を稼いでも、陽代美と一緒に拘束されている一年の女子は、どうなる。
俺は海に沈められ、あの二人は一生の傷を負うのか。
「あああああああああああああっ」
考え方を修正。葛野に向かって頭突きを繰り出す。
これまでいいように遊んでいた玩具から、鼻血が出るほどの反撃をもらった葛野は激昂した。
「いっつ……ざっけんなよっ、テメエ」
「ハア――抵抗しろって言ったのは、葛野だろっ」
相手を挑発しつつポケットに入れていた携帯を操作し、誰かに連絡を取ろうとする。だが、脇にいた男が俺の腕を掴み「警察にでも連絡する気か? 寄こせっ」と言われ、携帯を奪われる。
その発想は盲点だった。ここに来る前に警察へ連絡をしておけばよかったと、遅い後悔を抱きながら別の男から脇腹へ蹴りをもらう。
「菊地ィ、お前マジで殺してやっからな。おいっ、こいつ抑えてろっ」
黒いマスク投げ捨てた葛野の叫びに男二人が呼応して俺にのしかかる。
男二人分の体重がのしかかり、地面に頭を押さえつけられ床に血が滲む。
そして、葛野は俺の左手を踏み潰す。
「よお、菊地ちゃあん。死ぬ前にいくつか聞きてえことがあるんだけどさ、どうしてここがわかったの? つうか、あそこにいる女の知り合い?」
「うる、さいっ!」
「あっそ、んじゃ一枚目いってみようか」
葛野はそう言うと、マイナスドライバーを俺の左親指に突きつける。
そして、爪と指の間にドライバーを差し込まれ、激痛が走る。
「ああああああああっ、ぐうう」
「うわ、キモ。爪が剥がれた指ってこんなんなるんだ。そんじゃ次の質問なんだけどさ、二週間くらい前に菊地と同じ制服を着た連中に仕事を邪魔されたんだわ。なんか知ってる?」
「ハア――ハア――知ら、ないっ」
「ふうん、んじゃ二枚目ね」と言って、次は薬指の爪を剥がされる。
歯を食いしばる。
悲鳴をあげれば、陽代美が心配をする。それに葛野がますます調子づくのは避けたい。
目の端で己の左手を見れば、血で赤く染まっていた。
夜の海岸線で、陽代美が握った俺の左手。彼女のためならば犠牲になっても構わないと思っていたが、こんな形は望んでなんかいない。
「んん? 効き目がなくなってきたか」
「よお、葛野。どうせなら指を切ってさ、こいつの鼻にぶっさして写真でも撮ってやろうぜ」
「アッハ、それいいね。どっかに指でも切れそうな工具とかねえかな」
そう言って葛野は俺から離れ、廃墟の中を探索し始めた。
頭痛がする、頭が働かない。痛いはずの指は、すでに左手を失ったかのように感覚がない。
そして葛野はご機嫌な様子で先輩と呼んでいたリーダー格らしき人物に話しかける。
「先輩、そういや出資者から連絡ありました?」
「いんや、まだだ。客が捕まらないのか、ラリッてんのか知らねえけどな」
「そうなると、この二人は俺たちでまわしちゃうことになるんすよねえ? ラッキー、こんな美人、久しぶりっすもんねえ」
「葛野、お前は最後な。先に仕事を済ませろよ」
「ええっ、そりゃないっすよ。つうか今回ってクスリ使う前に拉致りましたけど、俺たち女二人からガッツリ顔とか見られてません?」
「アホ。用が済んだらこの二人も処分するに決まってるだろ」
「うわあ、今日だけで三人もヤルんすかあ、エグイっすねえ」
頭を押さえつけられながらも、首に力を入れ陽代美を見る。すると、拘束をされているにも関わらず立ち上がろうとしている彼女がいた。
「おいっ、大人しくしてろ」
「んんっ、んんんんっ」
「うるっせえっつってんだよ!」
脳内が焼き付く。
陽代美が男に殴られた。それでも、またしても陽代美は立ち上がろうとしている。
「やめろおおおおおおおおおお」
「ヒャッハッハ、おいおい、なに今更暴れちゃってんのよ菊地ちゃあん」
「くっ、なんだよこいつ、とんでもねえ馬鹿力――」
男二人を払いのけ立ち上がる。
ふざけるな、こいつら、ぜったいに、ゆるさない。
「ちょっ、なにしてんだよ」
「いや、でもこいつ、いきなり――」
左手が欲しければくれてやる。
俺を殺したいのであれば好きにしろ。
でも、その前に、俺が
「……してやる」
「あっ?」
「お前たち、全員っ」
『ガンッ』
再び、視界が揺れる。
金属が後頭部に直撃する感覚を覚えながらも、なんとかして踏みとどまる。
倒れてはいけない。今、ここで、倒れたら、尊敬できる兄の教えに反するからだ。
「なんだよこいつ、急に――」
「ハア――にい……が、言って……たんら」
「あん?」
「女の子を、泣かせたり、困らせたりするやつは、クズだって……兄ちゃんが言ってたんだよおおおおおおおおおお」




