束の間
「こらっ、起きろ」
「……すみません」
「優等生の菊地が授業中に居眠りとは珍しいな。ほらっ、東と西尾も起きろっ」
午前の授業中、居眠りをしてしまった。
朝の新聞配達、学校の授業、夕方からのバイト、そして夜の捜索。
疲れでも溜まってきたのか、体力には自信があった中学時代を懐かしく感じる。
「ヒナちゃあん、あと十五分でいいから寝かせてえ」
「バカ者、授業が終わってしまうだろうがっ」
ふざけた東にツッコミをいれる雛形先生を中心に教室内に笑いが起きる。
その中には陽代美の姿もあり、口元に手を当てて笑う仕草に少しの間目を奪われる。
すると身体を支配していた倦怠感がふっと消えた。不思議な感覚だった。
午後になり文化祭の準備のため作業に取り掛かる。
二年C組の出し物は『おかしな喫茶店』。簡単に表現するなら、手作りの焼き菓子をコーヒーと紅茶なんかと一緒に提供する喫茶店だ。
「キクちゃん、そっち頼むわ」
「わかった」
『トントン、トントン』
そして俺と東と西尾に割り当てられた仕事は、教室入り口に飾る予定の看板作り。俺たちが教室の隅のほうで作業をする中、他のクラスメイトは文化祭当日に着用する衣装づくりや内装を彩る飾りを作っている。
「しっかし、最近平和だよなあ。連中、もうこの街にいないんじゃね?」と、西尾がぼやく。
「かもな。自分たちが警戒されているってわかったら、下手に動けねえだろうし。シバさんも言ってたけど、ここ最近被害に遭った女子はいないって言うし」と、東が看板に釘を打ちつつ答える。
カラオケ屋で女子たちを救出して二週間ほどが経った。
その時に東が撮影した画像を、守邦高校に通う女子全員に展開をした。そして警戒を呼び掛けた結果、東の言う通り新たな被害者はいない。それはつまり、中学の同級生だった葛野が強姦魔事件に関わっていたという裏付けにもなった気がした。
文化祭まであと一週間。作業を続けていると、クラスの一部がざわめく。C組の入り口に姿を現したのは、隣のクラスの南条だった。
巨漢の南条はざわつくクラスメイトを流し見て、俺たちのところまで来た。
「よお、隣のクラスのヤツがなんの用だよ」と、西尾が言う。
「東に用があって来た。捜索の範囲を再検討しようと思ってな、詳しい人間に――」
「待て待て、教室でする話じゃねえだろそれ。キクちゃん、西尾。悪いけどちょっと休憩な」
「ああ、わかった」
二人が教室から出ていくのを見送り、俺と西尾は手を休めた。
何事かと見ていたクラスメイトも自身の作業に戻り、教室内は再び活気を取り戻す。
すると、裏の女王こと冬樹が難しい顔をして俺たちに近寄ってきた。
「ううん……菊地は流石に無理よね」
「なんだよ、冬樹」
「ちょっとね……西尾、アンタの身長って何センチ? 一七〇センチはないわよね?」
「そ、そんなことねえし。ギリ一七〇センチはあるしっ」
「でも菊地よりはマシだわ。尾田、連れていっていいわよ」
そう言って冬樹の傍にいたクラスメイトでオタクギャルの鈴木、田中、尾田がいやらしい笑みを浮かべつつ、西尾の身体を掴み連行しようとしている。
「ちょっ、なにすんだよっ」
「いやさあ、配膳をする係って大半が女子じゃん? でもさあ、おかしな喫茶店って名前にするなら、やっぱ工夫が必要って話になったんよねえ。そんで、西尾っちに女装をして喫茶店に立ってもらおうと思ってさ」
「ハア? 女装とかしねえし、キクちゃん助けてっ」
「はいはあい、西尾きゅん黙ってお着替えしましょうねえ」
無理やり西尾を連れ去ろうとするオタギャルの三人。
俺は溜息をつき、苦言を呈す。
「西尾が嫌がってるだろ。やめてやれよ」
「うん? それなら代わりに菊地が女装する?」
「どうぞ、西尾を連れて行ってください」
「キクちゃんんんんんんん、あとで覚えてろよおおおおおおおおおおお」
悲鳴をあげる西尾に合掌をして見送る。
許せ、西尾。俺なんかよりもイケメンの西尾が女装をしたほうが女子もきっと喜ぶだろう。俺は合理的な判断をしたと思い、窓際の椅子に座り外を眺めた。
すると、教室の扉が開き、女子何人かがトレーの上にお菓子を載せて教室に入ってきた。その内の一人、ギャル五人衆の春宮が傍まで来た。
「ねえ、キクっち。文化祭で出すお菓子の試作品を作ってきたんだけど、よかったら食べて感想くれん?」
「それは構わないが。俺は甘い物が好きだから甘口評価しかしないと思うぞ」
「へへっ、いいよお」
そして春宮は近くの机にトレーを置き、椅子を持って来てお菓子の試食会をすることになった。途中で服を脱がされる西尾の悲鳴が聴こえてきたが気にしてはいけない。
「にっしー、皆に囲まれてなにしてるん?」
「あまり見ないでやってくれ。それより、このチョコレートが載ったクッキーをいただこうかな」
「どうぞー」
「……うん……うんっ。旨し、美味なりっ」
「わあ、ホントに甘口だ。はい、紅茶もどうぞ」
「ありがとう」
春宮が水筒から紙コップに紅茶を注ぎ、俺はコップを受け取ったあとに湯気の立つ紅茶に息を吹きかけ一口すする。
十月の初旬。窓の外を見れば本日は快晴で過ごしやすい気温である。
穏やかな時間。束の間の休息、そんな風に思ってしまうほど、最近は慌しい日々を過ごしていたようだ。
そして、二つ目の焼き菓子に手を伸ばそうとしたところで、再び教室の扉が開き、我らが女王様である陽代美が姿を現した。
彼女は、俺と春宮を確認するとフラフラと頭を左右に揺らしながら近寄ってきた。
「いいなあ……おいしそう……」
「リアチイの分もあるよ。紙コップ取ってくるから座ってて」
「ありがとう、ハルミィ」
春宮と入れ替わるように椅子に座った陽代美は、大きく溜息をついた。
手に持っていた紙の束を机に置く姿は、一仕事終えたOLみたいだった。
「お疲れ様。生徒会の手伝い?」
「うん……覚えることが多くって、もう頭がパンクしそう……」
「大変だな。そんな時は甘い物だ」
「これ、ハルミィが作ったの?」
「ああ、喫茶店で出す試作品らしい」
「そっかあ、いいなあ。私も皆とお菓子作りとかしたかったな」
陽代美は次期生徒会長として、研修も兼ねて生徒会の仕事を手伝っている。
副会長候補の冬樹も同様だが、陽代美はクラスの文化祭準備時間にも駆り出されているあたり、期待をされている証拠だろう。我らが女王様から守邦高校の女王様になるのもあと少しだ。
春宮が紙コップを持ってきて三人で試食会を行う。
ほんのりと甘い焼き菓子を口に含み、陽代美は満面の笑みを溢す。気心の知れた春宮が傍にいる影響もあるのだろう、彼女は普段の毅然とした態度とは違い、どことなく甘えた態度で焼き菓子と紅茶を口に運んでいく。
「キクも最近お疲れ気味?」
「うん?」
「さっきの授業中に居眠りをしていたから……」
「ああ……まあ、そんなところだな」
「そうだよ、キクっちってば最近変なんだよ? アタシのバイト終わりに必ず迎えに来てくれるんだ」
「ふうん……キクがハルミィの送り迎えしてるんだ……」
「……陽代美よ、どうしてそこで俺を睨むんだ?」
「べつに」
そう言うと、我らが女王様はそっぽを向いて焼き菓子を頬張っていた。
何か不快にさせるようなことを言ったかと思っていると、一人の男子が猛然と近寄ってきた。
「き、菊地殿ォ。少しよろしいですかな?」
「どうしたの、岡部くん?」
「怖そうな先輩が、菊地殿に話しがあると言ってきたのですが……」
クラスメイトの岡部くんの話を聞きながら教室の扉に目を向けると、にこやかに笑う柴原先輩が俺に向かって手を振っていた。その後ろには強面の阿久津先輩もいて、岡部くんが怖がる理由も理解できた。
「も、もしお困りでしたら雛形先生を呼んできますが……」
「大丈夫だよ、岡部くん。それじゃあ、ちょっと行ってくる」
「キク、柴原先輩となにかあったの?」
「……たぶんバイクの話じゃないかな。今度ツーリングへ行こうって話をしたから」
「そっか。先輩たちバイク好きだもんね。うん、いってらっしゃい」
俺は嘘をついた。しかし、陽代美や春宮に悟られる訳にはいかない。誰かが言っていた、大切な人を喜ばせる嘘なら心は痛まないと。
平静を装い、廊下に出ると柴原先輩は申し訳なさそうな表情で俺を迎えた。
「いやあ、悪いね菊地くん。邪魔しちゃったみたいで」
「いえ、それより何かあったんですか?」
「違うけど……少し、場所を変えようか」
柴原先輩の視線を追って教室内を見ると、二年C組のクラスメイトたちが全員俺たちの方を見ていた。
注目を集めるのはまずい。俺は柴原先輩と目を合わせ、廊下を歩きだした先輩の後を追った。
少し歩いて、人が少ない廊下の隅で柴原先輩が立ち止まる。
先輩は廊下の窓を少し開き、夏と秋が入り混じる風を浴びる。そして、先輩は優しい笑みを浮かべながらこちらに振り向く。
「それじゃあ最初に、菊地くん。今回の件に参加してくれてありがとね」
「え?」
「前にも言ったかもしれないけど、菊地くんが捜索に関わってから状況が大きく進展した。二週間前にも南条たちと容疑者を見つけてくれたし」
「あれは、偶然ですよ。同じクラスの女子から情報を提供してもらって――」
「同じことだよ。情報を提供した人物も菊地くんだから話をしたんだろうからね」
思わず頭を掻く。
本当に大したことはしていないとは思いつつも、こんな風に褒められることは俺にとっては珍しい。
「そんで、本当は南条に話があって二年の教室まで来たんだけど、姿が見当たらなくてさ」
「南条なら今、東と捜索の範囲を再検討している最中と思いますけど、呼んできましょうか?」
「ああ、大丈夫。菊地くんの方から南条に伝えておいてくれればいいから」
「はい」
「それじゃあ、南条に伝えて欲しいことは三つね。まず一つ目、亜由ちゃんからの情報だけど二週間前にカラオケ屋で強姦魔連中の容疑者と騒動を起こしたあと、例の大学生二人は休学届を出して雲隠れをしたらしい」
「……つまり、男六人組と関わりがあった、ということでしょうか?」
「うん、可能性が高いね。そして二つ目、これも亜由ちゃんからの情報。カラオケ屋の店員もまたあの日以降姿を消した。カラオケ屋で店員をしていた男は他の場所でもバイトをしていてね、居酒屋でも働いていたらしい」
「……活動をする拠点をつくっていた人物、ですか?」
「恐らくね。もうここまできたら疑いようがない。菊地くんたちが遭遇した男六人組は俺たちが探していた人物たちだと思う。そして三つ目……本当は携帯で連絡をしてもよかったんだけどさ、やっぱこういうことは直接話したほうがいいと思ってね」
そう言って、穏やかだった柴原先輩の表情が一変した。
眼光は鋭く、守邦高校の頂点に立つにふさわしい気配を纏っていた。
「……聞かせてください」
「三つ目は情報じゃない、俺からの指示ね。もしも男六人組、もしくは大学生二人を発見した場合、連中を叩け」
「ッ――」
とんでもない言葉を聞いてしまった。
王がついに引き金を引いたのだ。連中を叩けとは、暴力を持って報復しろと言っているようなものだ。
「菊地くん」
「……はい」
「今後は荒っぽいことがあるかもしれない。ここまで付き合ってもらってなんだけど、もう今回の件には関わらないでもいいから」
「……いえ、俺も最後まで付き合わせてください」
「そっか……うん、ありがとう。流石は莉愛ちゃんの騎士様だ」
それは違うと心の中で否定をする。俺は騎士でも戦士でもなく平民である。
そして話を終えた柴原先輩が、他の三年生を連れて歩き出したところで俺に向かって振り返る。
「それじゃあ、南条への伝言、頼んだよ。ただし連中を探す期間はこれから一週間。あまり長引かせるわけにもいかないから。もしも連中を見つけることができなければ捜索は打ち切りにしようと思う」
「はいっ、必ず伝えます」
「じゃ、よろしくね」
俺は無意識のうちに柴原先輩たちの背中へ一礼をしていた。
覚悟を決めた先輩たち同様、俺も覚悟を決める必要がある。
どうやら、問題解決の時は近いようだ。




