女王様の目標
「ふう……」
トイレでの激闘を終え、壁にかけられている時計で時刻を確認すれば午後十一時を回っていた。
長い闘いであった。先ほどまで騒がしかったコテージの二階も、今では静まりかえっている。ギャルたちは眠りについたのであろうか。
リビングのソファーには、大秋が用意をしてくれたタオルケットがあった。
大きなソファーに身体を預け天井を見れば、四枚羽根のプロペラがくるくると回っていた。あのプロペラはなんのために付いているのかと父に聞いたことがあるが、部屋の冷暖房効率を上げるためについているそうだ。
天井から視線を外して窓から外を見れば、月に照らされた庭が拡がっている。そしてその中には一人の少女が立っていた。
金と銀の中間にあるような長髪をなびかせながら、その少女は庭をあちこちと歩きまわっている姿を確認する。
俺は咄嗟に立ちあがる。
いくら管理されているキャンプ場とはいえ、こんな夜中に女子が一人で出歩くのは危険だ。
急いで玄関で靴を履き、外に出て一人の少女に話しかける。
「陽代美、なにしてるんだ?」
「うん、ちょっと夜のお散歩。キクは今までどこにいたの?」
「腹の調子が悪くて、トイレに引きこもっていた」
「そうなんだ、大丈夫?」
「ああ、問題ない。それよりこんな遅い時間に出歩くなんて危ないぞ」
「うん……でも、キクが一緒なら大丈夫だよね?」
「……まあ、そうだが」
「ねえ、今から一緒に散歩しない?」
唐突なお誘いではあるが、俺は頷き彼女のあとに続いた。
コテージのある場所から少し離れて、広い芝生が見える小高い丘の上に立ちキャンプ場全体を見渡す。
小さく見える受付の小屋。芝生には大小さまざまなテントが立ち並ぶ。
「座ろっか」
陽代美がそう言って芝生の上に座り、俺も彼女の隣に腰を降ろす。
空を見上げれば満天の星空。以前、陽代美と海で見た星空よりも、より近くに月と星を感じ取ることができた。
「星が綺麗だね」
「そうだな。街中ではこんなにはっきり見えないからな」
「キクは星座とか詳しい?」
「いや、さっぱりだ。陽代美はどれがどの星座とかわかるのか?」
「少しね。ええと、あれが夏の大三角だから……ほら、あそこにあるのが、はくちょう座」
「え、どれ?」
「あれっ、あれだよ」
そう言いながら、陽代美は俺のすぐ隣で人差し指を天高く掲げる。
近い。
俺の肩に彼女の髪がかかり、彼女の頬がすぐ隣にまできて思わず心臓が高鳴る。少し首を動かせば彼女の頬に触れてしまいそうな距離感に緊張をする。
そして彼女の指が示す空を見ても、大きな星があるなと思うくらいで結局どれがはくちょう座なのかわからなかった。
「すまん、よくわからん」
「だよね。私もわかるようになったの、つい最近だから」
「勉強したのか?」
「うん……この前、キクと一緒に海で夜空を見たでしょ? その時に星座の話でもできたら素敵だなって思ってさ」
どうやら、我らが女王様は勉強家のようだ。
確かに夜空を見上げて星座の話でもできればロマンティックであろう。しかし、その話をする対象が星座を理解できぬ俺では申し訳ない気分だ。
それから少しばかり二人で夜空を見上げて、二人の間に沈黙が流れる。
不思議と居心地の悪さは感じない。いつからだろうか、こんなゆっくりとした時間を陽代美と過ごすようになって、会話のない時間が居心地のいい空間だと思うようになったのは。
「ねえ、キク」
「うん?」
「今日のキャンプ、楽しかった?」
彼女からの問いに言葉が詰まる。
楽しいかと言われるとよくわからない。今日は彼女から呼ばれたからキャンプ場へ来たのであって、俺の感想は不要に思えるのだが。
しかし、先程の銭湯で牛乳を選んでいる時間は楽しかった。結局は腹を下した訳だが、今年の夏で一番テンションが上がった時間を過ごすことができたと言っても過言ではない。
「ああ、楽しかったよ」
「ほんと?」
「う、うん。本当だけど……」
俺がそう言うと、隣に座っていた彼女は膝を芝生の上に立たせ、両手で俺の頬をぐにぐにと触り始めた。少し冷たい指が俺の頬をつまんで、月夜に照らされる彼女と目が合った。
「ひっ、ひよみしゃん?」
「ううん……キクって、ほんとに笑わないよね」
「え?」
「楽しかったら普通は笑うでしょ? でも今日だけじゃなくて、学校でもキクの笑顔って見たことがないんだ」
「そ、そうか?」
「うん」
彼女は俺の頬から手を離して、再び隣に座った。
陽代美が何を考えているのかよくわからないが、俺に笑って欲しかったようだ。
そこで彼女の心配を取り除くためにも、菊地スマイルを我らが女王様へ披露することにしよう。
『ニコッ』
「ぷっ……フフっ、違う、違うってばキク。私を笑わせて欲しいんじゃなくて、キクに笑って欲しいの」
どうやら、俺は笑うのが下手くそのようだ。
ひとしきり笑い終えた彼女は星空を少し眺めて、目をつむった。そして思い出を語るかのように話し始めた。
「私がバイクの後ろに乗りたいって言ったとき、キクは困った顔してた」
「それは、俺もバイクに乗り始めたばかりのころだったからな」
「公園でキクがパソコンを壊したとき、少し怒ってるような顔してた」
「すまん……怖がらせてしまったのなら、謝る」
「ううん、いいの。そして一緒に海へ行ったとき、キクは照れた顔してた」
「あれは、陽代美が急に手なんて握ったりするからだろう……」
「そうだね。私も、ちょっと恥ずかしかった」
そして陽代美は瞼を開けて俺を見る。
何度も見るようになった彼女の優しい笑み。学校の教室内でも、誰にでも向けられる彼女の笑顔が、今は俺にだけ向けられていた。
「私ね、目標ができたんだ」
「目標って、どんな目標なんだ?」
「うん、キクが笑うところを見ること」
「俺が?」
「キクと一緒に子供食堂でご飯を食べていたときは、キクはすっごく楽しそうに笑っていて、沢山私に話しかけてきてくれた。でも、中学のころに嫌なことがあって、たぶん、キクは笑えなくなっちゃったんだと思うんだ。でも楽しいことが沢山あれば、またキクが笑ってくれると思って今日のキャンプにも誘ったんだ」
何かが、変だ。
陽代美は、公正な人物であり、学校でも頼りにされる我らが女王様だ。
そんな彼女がどうして俺の笑顔を見たいだなんて、個人に執着するのか、わからない。
「陽代美はどうして俺にそこまで構ってくれるんだ? 俺が笑うのだって、陽代美にはなんの利益もないように思えるのだが」
「利益とかそんなの関係無いよ。うん……私ね、小学生のころ、クラスでも浮いてて、男子からいじめられたりしてたんだ」
「嘘、だろ?」
「ほんとだよ。学校が、凄く嫌だった。でも食堂でキクに会って、お話をするようになって、遊んだりして。そしたらね、学校でも普通に笑えるようになって、友達もできたんだ。だからね、小学生の頃に、私はキクに救われたんだよ」
驚いた。
陽代美がいじめられていたなんて話を、大秋や江夏が聞けば木刀でも持って特攻しかねない。俺にも暗い感情が湧き上がるが、当の本人はあまり気にしていない様子。
そして子供食堂で彼女を救った覚えはない。だが、彼女からしてみれば俺が救いの手を差し伸べたように見えたのだろう。
「そんな昔のこと忘れていいぞ、救われたなんて大層に受け止めなくても――」
「やだ」
「へ?」
「私の大事な、大事な思い出だもん。絶対に忘れたりしないよ」
「陽代美……」
「だから、今度は私の番。キクをいつか笑顔にしてみせるんだから、二学期も覚悟しといてね」
なにやら、陽代美から宣戦布告めいた言葉をもらってしまった。
どう反応していいかわからず、陽代美の横顔を見ながら黙っていると、我らが女王様は楽しげな未来を語り始める。
「二学期、楽しみだね」
「なにかあったっけ?」
「文化祭とか、あとは年末のクリスマスパーティーとかも。あ、秋になったらキャンプにも行くんだよね?」
「そうだな。でも、秋になると今と違って結構寒いぞ。陽代美は寒いの平気か?」
「うん、大丈夫。キクと一緒なら」
「そう、か」
それから彼女と星空を眺めつつ言葉を交わした。
会話の内容はどれも二学期の話で、学校行事を楽しみにしている様子だった。
どうやら、我らが女王様は学校へ行くことが待ちきれないようで。
***
十一月上旬。
文化祭も終わり、校庭にある木々の葉が枯れ始めるころ、私たちのクラスは昼休みの静かな時間を過ごしていた。
少し前なら騒がしかった教室も、クラスの中心にいた彼女がうな垂れていることにクラスメイトたちは気をつかっているようにも見えた。
「それじゃあ、私は生徒会室に行くから、莉愛のことよろしくね。ハルミィ」
「……うん、いってらっしゃい、サオリン」
席に座り、うな垂れている彼女を心配する優しい友人たち。
私は、そんな彼女に声をかけることができずにいた。
私のせいだ。
そして、知らなかった。
隣の席に座る彼女が、こんなにも教室から姿を消した『彼』を心の支えにしていたなんて。
彼女は努力をした。
文化祭が終わるまでは気丈に振る舞い、周囲に心配をかけさせまいとする姿は痛々しいほどに見えた。しかし、文化祭を終えた今では、糸の切れた人形のように日々を過ごしていた。
「亜由、ちょっといい?」
「どうしたの、優里奈」
「なんかさ、二年の男たちがキクっちの家に行こうって話してるっぽいよ。ヤバくない?」
「……わかった。シバさんに止めてもらうよう頼んでみるわ」
「ほんっと男たちってバカだよねえ。せっかくキクっちが庇ってくれたのにさ」
それは仕方のない話だ。
女には女の世界があるように、男には男の世界がある。
そして『彼』は男の世界で禁忌を犯した。
女の私では理解できないことでも、男には命を賭けるに値する重要な事柄もあるのだろう。
申し訳なさが募る。
私が彼を推薦なんてしなければ、こんなことにはならなかった。
しかし、別の考えも浮かぶ。
もしも『彼』がいなければ、今回の問題は解決できなかった。
答えのない問題に、『彼』が終止符を打ったのだ。
この学校に通う生徒たちを守り、最小限の被害で済んだのは『彼』が身を挺してくれたおかげだ。
結果からみれば最善ではあるが、私の気分は最悪だ。
「……キク」
隣に座る彼女は嗚咽を漏らし、小柄な少女が背中をさすり励ましている。
私は無力だ。
そして、誓う。
『彼』が学校へ戻ってきた時には、全霊をかけて『彼』の幸せを願うことを。
『star』完
お詫び
次回より作品タグにあります『ラブコメ』『優しい世界』が一時的に消失します。
代わりに暴力的な表現・発言・描写が入ります。
申し訳ありません。
次回の『outlow』の更新日は作者都合により三月、四月ごろになる予定です。
ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。




