銭湯へ行こう
陽がすっかりと暮れたキャンプ場。
そこから少し離れた位置にある銭湯へ、俺とギャル五人衆は歩いて向かっていた。
道すがら彼女たちの話に耳を傾ければ、初めて銭湯に行く人物もいるらしく、銭湯では身体を洗い合う風習があるなどと江夏が冗談を言っていた。
夜道をやかましく歩く女子たちの後ろを少し離れて歩いていると、大秋が近くに寄ってきた。
「キクっち、さっきはありがとね」
「うん?」
「優里奈のワガママを聞いてくれたでしょ。だからそのお礼」
「ただの思いつきだったんだけどな。それにしても今日は大秋にお礼を言われてばかりな気がするな」
「そう、かしら」
大秋はそう言って下を向き、黙ってしまった。
姉御らしくない、なにかあったのだろうか。キャンプ場へ着いた時も彼女はどことなく疲れた表情をしていたが、今も何か迷っているように見える。
「ねえ、キクっち」
「うん」
「私は詳しく知らなったけれど、莉愛から色々と頼られていたみたいね」
「頼られたというか、相談をされただけだよ」
「沙織からも頼りにされてる」
「冬樹は俺のことを都合のいいパシリにしようとしているだけだろう」
「ハルミィからも頼りにされてる」
「春宮にはバイトを紹介しただけで、今ではこっちがバイト中に頼るくらいだ」
「そして、優里奈からも頼りにされてる」
「まあ、さっきも言ったけど、ただの思いつきが上手くいっただけだ」
そこで大秋が立ち止まる。
彼女の表情は固く、つい先日旅立った親友のような顔つきをしていた。そして大秋はゆっくりと口を開く。
「私も、キクっちのことを頼りにしていいかしら?」
風が強く吹き、闇夜に染まった木々が揺れる。
彼女の言葉に疑問を抱いた。
大秋の彼氏は守邦高校で強面の阿久津先輩。もしも彼女が誰かを頼るのであれば真っ先に先輩を頼るだろう。
それに彼女自身も、落ち着いた態度で達観した考えの持ち主だ。どちらかと言えば頼られる側の人物だと思っている。それに俺も姉御肌の彼女を心のどこかで頼りにしていたところもある。
珍しいこともあるなと思いつつ、彼女からの頼りにされているであれば断る理由もない。
なにか、大秋なりの悩みでもあるのだろう。
「ああ、俺でよければだけど。なにかあったのか?」
「……ううん、今はいいの、今は。だから今日は最後までキャンプを楽しみましょ」
「う、うん?」
「話は二学期になればわかるわ。嫌だったら、断ってもいいから」
そう言って普段の落ち着いた笑みを浮かべつつ大秋はギャルの輪に戻っていった。
なんのこっちゃと不思議に思っている間に銭湯へ到着し、入浴料金を払い男女別に別れた暖簾の前で江夏がニヤリと笑う。
「おい、キクっち」
「なんだ、江夏」
「覗くなよ?」
「安心しろ。警察の厄介になるつもりなんて毛頭ない」
「これだからキクっちは、もうからかってやんないぞ」
「是非そうしてくれ」
困ったものだ。
さっきまで大人しくウッドキャンドルを眺めていたかと思えばこれである。
不良娘の煽りをかわして暖簾をくぐり脱衣所で服を脱ぎ、銭湯を愉しむことにする。
浴場に入り、シャワーで頭と身体を隅々まで洗ってタオルを絞る。
風呂に入り大きな窓を見れば、暗い外の景色が垣間見える。昼間の晴れた日であれば景色を楽しむことができる作りのようだ。
湯の中で百を数えて風呂からあがり、再びシャワーで軽く全身を洗い流す。そして脱衣所で身体を拭いて着替えを済ませて男湯を出る。
辺りを見回してもギャル五人衆の姿はない。どうやら、まだ入浴中のようだ。
女子は長風呂を好むとどこかで聞いたことがある。近くにあった長椅子に座り待つことにする。
退屈だ。
やはり女子だらけの中に男一人だとこうなってしまう。かといって東や西尾がこの場にいても、東あたりが『ちょっとそこの女子たちに声掛けに行こうぜ』なんて良からぬことを言いだしそうだ。
暇を持て余すように銭湯に出入りする客たちを見れば、そのほとんどが家族連れ。中には大学生くらいの男女が休憩スペースを陣取り笑い声をあげたりする平和な光景が目に映る。
兄がこの状況を見れば『リア充よ、湯冷めしろ』などと怨み言を呟きかねないが、俺の状況も兄から見れば恨めしい立ち位置なため、家に戻ってもキャンプの話はしないでおこうと思った。
そこで、とある表札が目に入る。
『ミルクコーヒー フルーツ・オレ 各120円』
思わず喉が鳴る。
表札が張り付けられたガラス張りの冷蔵庫には、キンキンに冷えているであろう牛乳が並べられている。
なにかに誘われるように冷蔵庫の前まで来て、牛乳に魅入られる。
これは、究極の選択だ。
銭湯から上がれば定番の牛乳。火照った身体が無意識に求めるのは仕方なし。
だが、どちらにするべきか。
せっかく銭湯まで来たのだから、普段から口にしている通常の牛乳は選択肢から外していいだろう。
ミルクコーヒーか、フルーツ・オレか。
ミルクコーヒーか、フルーツ・オレか。
しかし、ここで天啓を得る。
ここには俺一人しかいない。
買い食いをすることを注意する父も母も、何かと俺の食べ物を奪いに来る兄もいない。
だが迷いも生まれる。俺がこれから行おうとする行為は悪行、してはいけない行為である。
それでも、身体中から湧き上がる欲求を抑えることができそうにない。
許せ、神よ。今日という日だけは、菊地平太は不良になるのだ。
「すみませんッ、ミルクコーヒーとフルーツ・オレ、一本ずつくださいっ」
「はいよ、二百四十円ね」
迷ったのなら、両方飲んでしまえばいい。
幸いバイト代が入ったばかりで懐には余裕がある。二本分の料金を支払い、再び長椅子に戻るときには手が震えていた。
こんな贅沢は、生まれて初めてかもしれない。
一本百円の牛乳を差し置いて、高額な嗜好飲料であるミルクコーヒーとフルーツ・オレを同時に飲むなど、悪魔にでもそそのかされているかのようだ。
蓋を開けた二本の牛乳を並べ、ミルクコーヒーを手に取る。
瓶の中で薄茶色の液体が揺れるさまを見て、我慢できずに口の中へミルクコーヒーを流し込む。
「んっふうう」
これは、効く。
牛乳本来の味にまろやさかがある一方で、ほろ苦いコーヒー成分が大人の階段を駆け上がらんとする味を醸し出す。
なんて意地悪な飲み物だ。ミルクコーヒーにはカフェインが含まれており、これからの睡眠に支障をきたしかねない。しかし、だが、これがいい。
風呂上がりには持ってこいの冷えた飲み物を一気に飲み干そうとした寸前で思いとどまり、ミルクコーヒーを半分ほど残してフルーツ牛乳を片手に取る。
なんという贅沢か。右手にミルクコーヒー、左手にフルーツ・オレ。
今の俺は、無敵だ。
「くっふうう」
全身が迸るほどに震える。
口に含んだフルーツ・オレは複雑に絡み合う果実の味。マンゴー、オレンジ、バナナ、パイナップル。
程よく調整された甘味が、先にきていたミルクコーヒーのほろ苦さを打ち払い口内を支配していく。
聖母のように舌を優しく包み込むフルーツ・オレは、まさに天からの贈り物。
そして、またしても飲み干したい衝動を抑える。このままでは右手に持ったミルクコーヒーが不貞腐れてしまう。
両手にミルクコーヒーとフルーツ・オレをはべらせる俺は色欲に染まった大王かなにかだろうか。
それからは一口ずつ、ミルクコーヒーとフルーツ・オレを愉しんでいく。
まさに愉悦、贅沢の極みである。いつか、俺に天罰が下ろうとも、この時間だけは後悔をすることはないだろう。
そして名残惜しみながら牛乳瓶を二本空け、回収箱に瓶を並べているとギャル五人衆がやっとこさ風呂場から出てきた。
ほんのりと蒸気したギャル五人衆が近寄ってくる。
「遅かったな」
「たぶんだけどさ、キクっちがお風呂から上がるの速すぎるだけだと思うよ?」
「そうか?」
「うん。きっとそうだよ」
と、春宮が長い髪を降ろした状態で呆れた表情を見せる。
そして女子たちの顔を見ていき、一人の人物に目が止まる。
「大秋、だよな?」
「キクっち、女のすっぴんをまじまじと見るものではないわよ?」
「イエスっ、マムっ」
世の中には知らない方がいいこともある。
殺意の波動を感じとった俺は踵を返し、ギャルたちと銭湯をあとにした。
そしてコテージに戻った頃に春宮からお誘いがかかる。
「ねえ、キクっち。サオリンがゲーム機を持ってきてるから、アタシたちの部屋で一緒に遊ばん?」
『ギュル』
「あ、ええと、俺は遠慮しておこうかな」
「ええ? なんでえ?」
『ギュルルル』
「す、少しゆっくりしたいかなって、思ってさ」
「そっか、急に呼び出しちゃったもんね。それじゃあ気が向いたら二階に来てよ」
『ギュルルルルルルル』
「わ、わかった。気が向いたらな」
コテージに戻って、二階に戻るギャル五人衆を見送り、みんなが二階の部屋に入ったことを確認する。
そして、呼吸を殺す。
俺は走った。目指すは一階のトイレ。
トイレの扉を開き、一瞬の時を惜しむようにズボンを降ろし便座に座る。
これは神から与えらし天罰だろうか。
「んんんうううううううっ」
夏休みが終わりにさしかかった頃。
クラスメイトでもあるギャルたちとキャンプに来て、俺は下痢になった。




