別れと出会い
「見送りありがとね、へえちゃん」
「ああ、卓球部の人とかは来ていないのか?」
「昨日学校で済ませてきたよ。大人数から駅のホームで見送られるのも、なんか恥ずかしいしさ」
「そうか」
親友が地元を旅立つ日。
俺は守邦駅へ卓を見送りに来た。俺たちが話す場所から少し離れた位置で、彼の両親と卓球部の顧問が愉快そうに話をしている。卓のような有力な選手が学校を離れるのは学校側からすれば痛手だろう。しかし、将来世界大会で活躍をする選手の母校になるとなれば話は別なのかもしれない。
そして俺は、昨日スポーツ用品店で急いで買ってきた贈り物を彼に渡す。
「卓、これを」
「え、なになに……あ、これ卓球用の靴下、しかも五足も」
「餞別だ。靴下なら消耗品だろうし、練習用にでも使ってくれ」
「ありがとう、コレ高かったでしょ?」
「気にするな」
卓球用の靴下は確かに高価だった。通常の靴下よりも生地が分厚く、機能性もいいらしい。
しかし、友人の門出とあれば安いものだ。
「はぁ、ドイツにへえちゃんもついてきてくれれば心強いんだけどなあ」
「無茶を言うなよ。それより言葉とか大丈夫か? ドイツ語っていまいちピンとこないのだが」
「そうだね、例えば……ティッシュテニス」
「ティッシュとテニスがどうした」
「ドイツ語で卓球って意味なんだって。他にも英語に似た単語は多いいけど文法とか全然違うからしばらくは苦戦しそうだよ」
「でも日本からの留学生も多いいんだろ?」
「うん。皆、ライバルだけどね」
「……そうだな」
卓の目にはもう迷いはなかった。
世界で一番を目指す。それは田舎街で陸上の新記録を樹立することより遥かに困難だろう。
そして、卓の両親から声がかかり、俺たちは固い握手を交わす。
「それじゃあ、行ってきます」
「ああ、ライバルなんて全員ぶっ飛ばしてこい」
「乱暴な言い方だなあ」
「次に会うときは代表選手か?」
「僕と何年会わないつもりなの。そうだ、へえちゃん。日本には一年は帰らないつもりだけど、次に会うときはへえちゃんの彼女でも紹介してよ」
「急に変なことを言うなよ……卓が代表選手になるほうが早いんじゃないか?」
「そうかな? 僕の感って結構当たるよ。またこの駅に戻ってきた時には可愛い彼女を連れているへえちゃんの姿が思い浮かぶね」
「今は自分のことに集中しろ」
「ハハッ……だね。それじゃあ」
「……またな」
そして、卓は旅立った。
駅のホームから彼の姿が見えなくなるまで見送った。その後ろ姿は大きく、心の中で声援を送る。
それから、卓球部の顧問に礼をして俺は昼からのバイトに向かう。
ドーナツ屋の仕事中はずっと上の空だった。
親友が夢に向かい旅立った。とても喜ばしいことのはずなのに、どうしてか俺の中は虚無で覆いつくされている感覚がした。
「キクっち、今日どうかしたん?」
「む? 特になにもないが」
「うーん、キクっちは無表情だから分かりにくいけど、体調とか悪いんじゃないの?」
「すこぶる健康体だぞ」
「ほんと? なら、いいけど」
なにやら春宮から心配をされた。
心身ともに異常はない。気が散っていたのは事実だが、仕事もミスなくこなしている。
それから、昼間のラッシュに対応。今日は客入りがよく、己に割り当てられた仕事や、急なヘルプにも対応した。
客足が落ち着き、時刻が午後四時に差し掛かる。
そろそろ休憩かと思っていると、店長が怪訝な顔で話しかけてきた。
「菊地くん、今日はもうあがっていいわよ」
「え、今日は九時までだったはずですが」
「春宮ちゃんが菊地くんのことを心配してるの。今日は人数も確保できてるし、体調悪いなら早めに直しちゃなさい」
「……わかり、ました」
店長はそう言い残し、レジまで戻っていった。
体調は悪くない。しかし、なぜだかバイトをする気分でもない。
バイトを続ける春宮には悪いが、今日はありがたく帰らせてもらおうと思い、帰宅の準備をする。
店を出たあと、外はまだ明るかった。
季節は夏。夕刻とはいえ、陽はまだ墜ちることなく街を強く照らしている。
駅近くの街並みは活気があり、あらゆる方角へ人は進んでいく。
そして、俺は街中で一人動けずにいた。
家に帰って兄とゲームで遊んだりすればいい。
給料が入ったから、たまには一人で外食をするのもいい。
明日は新聞配達とドーナツ屋のバイトも入っていない。自由な時間だ。
それなのに、身体は動かない。
卓が旅立ち、理解できない感情が己の足を縛っている。
身体が重く感じる。これは本当に体調が悪いのではと思い、気合いを入れて足を動かそうとしたときに、一人の男から声がかかる。
「ういっす、キクちゃんなにしてんの?」
クラスメイトでありギャル男風の東だった。そして彼の隣にはシルバーアクセサリーを多く身につけた西尾も一緒にこちらに向かって歩いてきた。
「ああ、バイトが終わったところで、帰ろうとしてたんだ」
「そうなん? おつかれさん」
「二人はなにをしてるんだ?」
「んん、まあぶらついてるだけだけど……キクちゃんはこのあと予定あんの?」
「特にないけど」
「じゃあさ、ナンパ行こうぜっ」
「へ?」
***
三人で守邦駅北側にある繁華街の入り口付近に移動をする最中、二人と連絡先の交換をした。
『東龍馬』と『西尾景虎』二人とも男らしくかっこいい名前をしている。
「東よ、俺はナンパなんてしたことないのだが」
「だったらなおさらじゃん、それにキクちゃん彼女とかいんの?」
「いないけど……でもナンパって」
「この前の夏祭りのときみたくさあ、強引なのは俺もよくないと思うぜえ? でもちょっと強気に、そして真摯に声かけたら案外イケるって」
「そうなのか?」
「とりあえずやってみろって。ほれ、あそこにいる子とかいい感じじゃね? 声かけてこいよ」
そう言われ、東から背中を押される。
いきなりナンパとは困ったことになった。しかし、昔父が『他人の意見を否定ばかりしては己の可能性を無くすことになる』と言っていた。
街中で女性に声をかける経験が何かに活かせるとは考えにくいが、東の言う通りナンパっぽいことをしてみよう。卓が帰ってくる頃には彼女を連れていることを期待されているのだから。
「あの、すみません」
「はい?」
「実は今、友人とナンパをしておりまして、もしよろしければ俺たちと遊んで頂けないでしょうか」
「え……アハハッ、そうなの? 友達ってあそこの二人?」
「はい、同じクラスの東と西尾です」
「ふうん、高校生なのかな? 面白いねキミ。でもごめんね、私これから仕事だから」
「そうでしたか、すみません、お呼び止めをして」
「ううん、また会ったら声かけて」
「はい、お仕事頑張ってください」
「ありがと、じゃあね」
「ダメだった」
「おいいいいいいいいっ、今のっ、連絡先を交換してまた今度会おうねって流れだったでしょうがっ! なにしてんのキクちゃんっ」
「そうなのか?」
「そうなんだよっ! ああ、くっそ勿体ねえ。今の完全に遊んでくれる感じだったじゃあん。もう、俺がいけばよかったあ」
なるほど、ナンパとは難しいものだ。
考えてみれば、街を歩く相手の予定も把握せずに声をかけるのだから、断られる確率は高いだろう。そこで相手の都合のつくときに会う約束をするために、補填として連絡先の交換をするのは実に理にかなっているとも言える。
一口にナンパといっても奥深いと感じた。
「はあ……なんか大声出したら喉渇いたわ。ちょっちコンビニで飲み物買ってくる」
「お、東。俺のコーラも頼むわ」
「自分で行けっての。キクちゃんは、なんか飲みたいのある?」
「じゃあ、緑茶を」
「渋いねえ、後で金は貰うからな」
そう言って東は近くにあるコンビニへ向かった。
特にすることがなくなった俺は、近くのガードレールに腰かけていた西尾の隣に座った。
すると、西尾はニヤリと笑っていた。
「へへっ、東のヤツ荒れてんな」
「なにかあったのか?」
「夏祭りの時にさ、樋口たち連れてるところを彼女に見られて、浮気してるって誤解されたらしいぜ。そんで結局彼女とは別れたんだとさ」
「それは……運が悪かったな」
「いいのいいの、東のヤツ元々女癖の悪いクソ野郎だし。自業自得だって」
そう言いながら西尾はくつくつと笑うが、俺は同情の念が浮かぶ。
夏祭りで、東は俺を救ってくれたばかりか、クラスメイトの女子たちを助けた。しかし、その結果が彼女からフラれるとは、運がないと表現するほかあるまい。
そして、先ほど自分がした発言に疑問が浮かぶ。
俺はナンパをしたときに彼らを友人と言っていた。
迷惑だったのではないかと考えていると、隣に座る西尾は真剣な表情に変わっていた。
「そんでさあ、キクちゃん。なんかあったの?」
「え?」
「さっき街中でキクちゃんのこと見つけたときに、東のヤツがキクちゃんが元気がねえって言ってたんだよ。それで声をかけたんだけど、なんかあったのかなって思ってさ」
どうやら、二人から心配をされていたようだ。
自分ではわからないが、春宮からも心配をされるくらいに俺は沈んでいるように見られていた。
そこで俺は、西尾に今日の話をした。小学校から一緒だった友人が海外へ旅立ったのだと。
「なるほどなあ。なんかその気持ち、わかる気がするわ」
「そう、なのか? 自分でもよくわからないのだが」
「たぶんさ、キクちゃん疲れてるんだよ」
「バイト先でも体調を心配されたが、いたって健康なんだけどな」
「なんて言えばいいんかな。キクちゃんは友達のことをすげえヤツだって思ってるっしょ?」
「うん。卓球でいい成績を残して、さらには言葉も通じない海外へ挑戦するなんて凄いことだと思うぞ」
卓は自慢の友人だと誇ってもいい。
子供の頃から一緒で、中学高校と別々のクラスでも疎遠になりすぎることなく話をしたりする良き友である。
すると西尾は少し考えた素振りをして口を開く。
「例えばさ、テレビとかで同い年の芸能人とかスポーツ選手が頑張ってたりしたら、すげえなあって思っても結局遠い世界での話にしか聞こえないじゃん? でも自分に近い人間が高い所へ行くと、見上げる角度がきつくて疲れるんだよな。どうしても自分と相手を比較しちゃったりするから」
「……うん」
「ま、仕方ないんだけどな。高い所に行く人間はそれなりに頑張ってるわけだし。人は人、自分は自分なんて甘いこと言う人もいるけど、やっぱ、なんか……焦るよな。同じ場所に居たはずの人間が昇っていくのを近くで見ると、俺もなんかしなきゃなって思っちまう」
「……うん」
「けど、急いで変わろうとしても器用に立ち回るのってやっぱ難しいと思うわ。他人からなに言われてもマイペースでやっていくしかねえって俺は思うね」
「西尾も、昔なにかあったのか?」
「別に大したことじゃねえよ。中学一年の頃バスケやっててさ、俺すげえチビで周りの連中を見上げてばかりだったんだよ。そんで中二の頃、顧問とトラブってバスケ自体辞めちまったんだけどな」
そう言って西尾は笑みを浮かべながら八重歯を覗かせる。
隣に座る彼は俺よりも身長は低い。しかし、今では心なしか大きく見えた。
「俺は、西尾の脱力した考え方、いいと思うぞ」
「へへっ、脱力って。まあ、勉強のやる気がせんのは事実だけどさ」
「そうじゃなくて。達観してるって訳でもなく、いい具合に肩の力が抜けてるなって思ったんだ」
「そう? そんなん言われたの初めてだわ。つうかこんな話、東には言わないでくれよ。アイツとこんな真面目な話、したことないんだからさ」
「うん、わかった」
西尾と話をしていると、身体を支配していた虚無感が薄れていくのを感じた。
陸上でもそうだ。いきなり走り出しては怪我をしてしまう。
自分なりに、やれることをやろう。それが何かはわからないが、西尾のように肩の力を抜いて生きるのもいいと感じた。
「キクちゃんは夏休み、普段なにしてんの?」
「バイトくらいかな、西尾は?」
「俺も短期バイトしたり、あとは最近ハマってるスケボーだな」
「へえ、スケボーか。この辺にそんなのできる場所あったかな?」
「守邦市南側にある工業区に、空き地を利用してコースを作った人がいてさ。そこで練習したりしてるんだわ」
守邦市の工業区といえば、近くに港があり夜にでもなればならず者が集会をしているという噂の場所だ。
そんなところに出入りしている西尾も一端の不良なのだろう。
「キクちゃんも今度スケボーやってみねえ? 女とか結構来てたりするぜ」
「い、いやあ、やめておくよ。俺運動音痴だから」
「うっそ、キクちゃんめっちゃ足速いじゃん」
「走るだけだよ。球技とか苦手で、この前なんてボーリングで十三連続ガーターとかしたから」
「ブアッハッハッハ! 十三連続とかやべえわ。それギネスに載るんじゃねっ、アッハッハッハ」
「笑い過ぎだろう……」
そんな話をしていると東が戻ってきて、飲み物を口にしつつ三人で雑談をした。
肩の力が抜け、何気ない男同士の会話は新鮮に感じた。




