裁量
土曜日の昼下がり、そして快晴。
黒いヘルメット、黒いジャケット、黒いジーンズを着こみ汗が拭き出す。下着は既に湿っており、なんとも言えない不快感を覚える。
家で待機していると、冬樹からお呼びが掛かりラブホテルの近くでバイクに跨る俺は暑さの前に意識が朦朧としていた。
現在、ホテルに盗撮魔が入り、交渉を行うために待機中。早く出てきてくれと切に願う。
「キク、水分補給」
「ああ、ありがとう」
二十分に一度、冬樹の指示により水分補給を行う。
俺に麦茶のペットボトルを持ってきた陽代美も、額から汗を流している。
「盗撮魔がホテルに入ってどのくらい時間が経った?」
「四時間くらいかな。キク、体調は大丈夫?」
「大丈夫だ、問題ない」
「無理しないでね」
空になったペットボトルを陽代美に渡し再びヘルメットを被る。
夏の陽射しが照りつける中で、この状況はなかなかに苦行である。
ホテルを監視している冬樹の元に戻った陽代美は、一つの日傘の下で暑さを凌いでいる。
俺は盗撮魔がホテルに入ったとの連絡を受けて現地に来たが、あの二人は今朝からホテルに張り込んでいる。責任を感じているのかもしれないが、このまま暑さの下で監視を続ければ誰かがぶっ倒れてしまう。
来い。俺たちの準備は万端だ。
「菊地っ、来たわよ。あの黒いバン、追ってっ」
冬樹の合図にエンジンを掛け二速にギアを入れてバイクを走らせる。
ふらつく車体をアクセルを回して加速させ、徐々に安定させながら目標を捉える。
社名が書かれた黒いバンに追従し、適切な距離を保つことを忘れない。
焦るな。右手のアクセルを微調整し、相手に悟られないよう後を追う。
このまま会社まで行けば会社から出てきた後も追う。途中で止まればそこで交渉、手筈通りに事を進めるのを忘れるな。
相手は犯罪者で単独犯。そしてこちらは五人で対応、俺が失敗しても代わりはいる。落ち着いていこう。
黒いバンがウインカーを出す。その先にはコンビニがあり、どうやら休憩をするようだ。
広い駐車場の端に一旦バイクを停め、バンから出てきた人物を確認する。冬樹から見せられていた画像から、盗撮魔本人だと確認する。
コンビニに盗撮魔が入り再びバイクを動かす。
黒いバンのすぐ後ろにバイクを停める。もしも、盗撮魔が車で強引に逃走をはかろうとした時の保険。父や兄から引き継いだバイクをこんなことに使いたくないが、俺もここに覚悟を持ってきた証明になる。
願わくば、盗撮魔が冷静に話のできる人物であることを願うばかりだ。
そして、携帯端末を取り出し江夏にビデオ通話をかける。
『やっほーキクっち、今どんな感じ?』
「ホテルから西方向へ三キロくらいの所にあるコンビニで盗撮魔が買い物してる」
『オッケー、通話はこのままで、携帯はポケットにでも入れておいて』
「了解」
画面に映し出された江夏を確認して端末を胸ポケットに入れ、ジッパーでカメラが外に向くように固定する。
これで待機している江夏や大秋にも状況がわかるはずだ。さらには先日、位置情報追跡アプリをインストールしており、陽代美の携帯からは俺の位置が把握できるようになっている。そして腰に忍ばせてある冬樹から借りたスタンガンを手で触り位置を確認する。
準備完了。あとは目的の人物が出てくるのを待つだけだ。
今回、直接交渉を行うことになった俺に冬樹が一つの条件をつけた。
『菊地の安全を最優先にして動くこと』
盗撮魔が交渉に応じず、暴れたときに備え、あらゆる対策を用意した。
俺の位置は陽代美が確認している。彼女と一緒にいる冬樹から連絡を受けて大秋と江夏が近くで待機をする。二人は俺が交渉に難航した場合の助っ人要員でもある。
そして、緊急事態になり助けを求める場合は自身の携帯を破壊する。そうすることにより、陽代美側で位置情報が消失すれば即座に警察へ通報する手筈だ。
奥の手として腰のベルトにつけているスタンガンだが、できればこれは使いたくはない。
徐々に緊張が高まる。
相手は盗撮魔、犯罪者である。
これまでの人生でそのような人物と話をすることがない俺は、上手く交渉を進めることができるだろうかと不安に駆られる。
「あんた、うちの車になんか用?」
振り向けば、目的の人物が立っていた。
手には飲み物と煙草の箱を持ち、怪訝な表情を浮かべている。
呼吸を一つして、緊張を悟られないようゆっくりと話す。
「貴方に話があって来ました。宿山さん」
「なんで俺の名前――ッ。お前は、確か……」
どうやら、俺の顔に見覚えがあるようだ。
今の反応から、目の前に居る宿山という男が盗撮魔であることを確信する。
「逃げようとは考えないでください、他の仲間が俺たちを見ています。そして、車の後ろにバイクを置いています」
「……なにがしたい?」
「話です。ここではなんですから、駐車場の隅まで移動しませんか?」
「……」
俺がそう言うと、男は重い足どりで駐車場の隅に向かう。
まずは男を車から引き離す。もし走って逃げるようであれば、そのまま俺が追えばいい。
周囲に人がいない辺りまで来て男が振り返る。その間、俺の心臓は高鳴っている。
怖い。
同じくらいの身長、そして猫背で鋭い目つき。人相が悪く、相対した今でも手が震える。
それでもこの騒動が終わるのであれば、少しの我慢だ。
「最初に確認します。宿山さん、貴方がホテルを盗撮していることに間違いありませんね?」
「……ああ、そうだよ。それで、俺を警察に突き出すのか?」
「いいえ、宿山さんの対応によっては通報しなくてもいいと考えています。今回の裁量は俺に任されていますので」
「仲間が見ているって言ったけど、何人いるんだ?」
「教えません。ですが、もしも宿山さんが不審な行動をとればすぐに駆け付けて貴方を拘束します、下手なことはしないでください。もう一度言いますが、今回の件は俺に任されているので」
「チッ、ホテルで一緒だった女もグルってことかよ」
本当のことを言えば、待機しているのはギャル二人だけ。
しかし嘘は言っていない。今回の件について最終的な裁量は陽代美から俺に託されている。責任重大だ。
「それでは俺たちからの要求を伝えます。初めに、ネット上の動画、及びアカウントの削除。そして、今後二度と盗撮をしないと約束してください」
「……なに? 動画に映っていた男と女から強請るよう言われてきたんじゃないのか?」
「違います。動画さえ削除していただければ、金銭は望みません」
「意味わかんねえ。それなら削除依頼でもすればいいだろ」
痛いところを突かれる。
恐らくこの男は動画サイトがずさんな管理をしていることを知らない様子。
強引に動画を削除するには警察の介入が不可欠だが、こちらも警察に頼れない状況だ。
だがここで悟られてはいけない。少し強気に、かつ冷静に言葉を選ぶ。
「今回の件、知り合いの知り合いから盗撮をしている人物の特定を依頼されました。動画に映った人物たちも穏便に解決したいらしく、自主的に動画を削除すれば警察へ届け出ることはしなくてもいいとのことです」
「……動画を消せば、強請りもしない、警察にも言わないってことか?」
「はい」
あまり話しすぎない方がいいだろうか。
どこかでぼろが出ないかと、自分の言った言葉を思い返しながら男の言葉を待つ。
「……わかった。動画は消す、アカウントも削除する。盗撮も……なにも証明できるもんがねえが今後二度としないと約束する。これでいいか?」
「はい。それでは宿山さんはこれから会社に戻られますね?」
「ああ」
「俺は今から貴方の住んでいるアパートに向かいます。そして動画を削除するのをこの目で確かめさせていただきます」
「住所まで割れてんのか……徹底してんな」
「ええ。投稿した動画の他にも、映像の記録は残っていますか?」
「ああ、ある」
「それも消してください。それから宿山さんの携帯端末を預からせてください、念のために」
「わかったよ、言う通りにする。俺だって盗撮なんかに人生掛けてる訳じゃないんだからよ」
男はぶつぶつと文句を言いながらも、俺の指示通りに動いてくれるようだ。
携帯端末を受け取り、バイクを動かして宿山が黒いバンに乗りコンビニから去る。
ホッと一息。
上手くいった。まだ男の部屋に行かなければならないが、宿山という男の反応を見れば、こちらの要求に素直に従ってくれるだろう。
「江夏、これから男の部屋に向かう」
『思ったんだけどさ、大丈夫なん? 部屋で抵抗してきたら危なくない? アタシらも合流しようか?』
「大丈夫、だと思う。一応、アパートの近くで待機してもらえるか?」
『あいあい。亜由、また移動だって。行くよ』
江夏との通話を一旦終了させ、俺も移動のためにバイクに跨る。
幹線道路から狭い住宅街に入って行き、男の住んでいるアパートに到着する。
陽が傾き、夕暮れの住宅街では近隣の家に明かりが灯る。
近所の住民は何も知らないのだろう。こんな近くにラブホテルを盗撮している男が住んでいるなんて夢にも思うまい。
それから江夏と再びビデオ通話を繋ぎ、男の帰りを待つ。このまま宿山が現われなければどうしようかと思った矢先に、一台の軽自動車がアパート前の駐車場に入ってきた。
「こっちだ」
車から降りてきた宿山は、大きな鞄を片手にアパートの一室に向かい俺も後を追う。
部屋に入れば、中は荒れていた。
部屋のあちこちにゴミが散乱して、足の踏み場がほとんどない。
足でゴミを搔き分けていく宿山に続き、部屋へ足を進めていく。
そこにはテーブルの上に一台のノートパソコン。辺りには脱ぎ散らかした服が山積みになっている。
男は何も言わずにノートパソコンを立ち上げる。俺は背後に立ち、パソコンを操作する宿山を見ていた。
ネットに繋ぎ動画とアカウントを削除。そして、パソコン内にあるフォルダから動画が削除されていく様を見届ける。
それからパソコンから小さなメモリーカードを引き抜いた宿山は立ち上がり、近くにあった棚から数枚のメモリーカードを持ってきてゴミ袋に全て入れた。
そして、男は袋ごとメモリーカードをバキバキと握り潰した。
「これで全部だ」
「……はい、確認しました」
潔い。これまで盗撮してきたデータをなんの躊躇もなく宿山は消しさった。
男の顔を見れば無表情であり、疲れた顔をしている。
そこで宿山から預かっていた携帯端末を返す。
これで終わり。
その筈なのだが、俺は部屋から動けなかった。
「まだ何かあるのか?」
何もない。
冬樹が立てた作戦は全て完了した。あとはこのまま帰るだけなのだが、俺はどうしてもこの男に聞いてみたいと思ったことがある。
「宿山さんは、どうして盗撮なんてしたんですか? 動画を削除するのに、ためらいがないように感じましたが」
「……ムカついたからだよ」
「え?」
「ムカつくんだよっ。俺の仕事はな、特殊清掃員なんて言われてるけどただの下っ端だ。旅館やホテルからよ、浮かれた顔した連中が出てくるの見ると嫌気が差すんだよ。その中でも女子高生だ。金持ってるオッサンたちに媚びたりして、ブランド物の服とか鞄とか平然とした顔で持ち歩きやがるっ」
「あの、落ち着い――」
「ふっざけんなよ。俺なんて土日も関係なく働いて、人手不足であちこち手が回らなくなって、それでも安月給でこき使われてっ。なのにヘラヘラと男に身体売って楽して金貰ってるバカ女どもなんて晒されちまえばいいんだっ。真面目に働いてきた俺が、馬鹿みてえじゃねえかっ」
男の言葉は支離滅裂だった。
自分勝手な価値観。まるで男に身体を売る女たちは何も苦労も悩みもないと言わんばかりの主張に疑問を抱く。
けれど、否定もできない。
宿山の意見に心の何処かで同意している自分がいるのも事実だ。
お金が欲しいからアルバイトを始めたクラスメイトの春宮なぎさ。
お金が欲しいから中年男に近寄った学校の女子生徒四人。
俺の心情では春宮が正しいと思う。しかし、効率を重視するのであれば女子生徒四人が正しいのかもしれない。時間は有限である。
肩で息をする男は下を向き、うな垂れている。
このまま去ってもいい。だが、どうしてもこの男に言いたいことがあった。
「働いて、お金を稼ぐのって大変、ですよね」
「は?」
「俺もバイトとかしてて、クレームを聞くこともあるんですけど。全然、俺は悪いことしてなくても色々文句を言われるんです。中には、愛想が悪いとか、関係ないことまで言ってくる人とかもいて。でも、それが仕事だからって、店長からもクドクド言われたりなんかして」
「な、なんの話だ?」
「でも、だからといって盗撮をしていい理由にはならないと思います。特定の人間に腹が立っても、ネットで憂さを晴らしても……宿山さんの立場が今後よくなる訳ではないと、思います」
「チッ、正論野郎が。お前だってバイトなんてしてるんなら底辺だろっ、同じ男なら身体売ってる女どもにムカついたりしねえのかよっ」
「はい、ムカつきます。でもそれとこれとは別の問題です」
「……ああ、わかったよ、もう説教なんて聞きたくねえ」
そう言うと、男はテーブルの上にあったノートパソコンのケーブルを外し、パソコン本体を俺の前に差し出した。
「持っていってくれ、これが証明だ」
「証明?」
「もう盗撮をしないっていう証明だよ。カメラもマイクも後で全部処分する。ホテルに仕掛けた物も今度回収して捨てる。そして、仕事だってもう辞める」
「いえ、そこまでは――」
「いいんだ。元々好きで始めた仕事でもない。ただ、周りが社員で働いていたから、俺も焦って正規雇用してくれるだけって理由で今の職場を選んだんだ。でもいい、踏ん切りがついた。だからもう、今日は帰ってくれ」
「……わかりました」
ノートパソコンを受け取り、出口に向かう。
元盗撮魔の住居から外に出た頃には、辺りは暗くなり始めていた。
「なあ、あんた」
「はい?」
「普段はなにをしてるんだ? 探偵にも見えないが、俺の住所を特定したって、普通じゃできないだろ?」
「……頼れる仲間がいるだけです」
「……そう、か。仲間か」
***
バイクを走らせ集合地点の公園に向かう。
その間、悶々とした感情が俺の中に渦巻いていた。
「キクっち、お疲れさん。通話はもう切ってあるよん」
「ああ、そっか、忘れてた」
江夏に言われ、自分の携帯を確認すると既に電池が一割を切っていた。
ビデオ通話と位置情報を同時に起動していた影響だろう。
そして俺は宿山から預かったノートパソコンを、荷物掛けのネットから外してギャル四人の元まで持ち運ぶ。
「菊地、優里奈から話は聞いてるわ。それ、渡して頂戴」
「……どうして?」
「データを別の場所に転送しているかもしれないでしょう? 徹底的に洗い出すから、ほら早く」
そう言って冬樹は催促するように手を差し出してくる。
きっと、冬樹が正しいのだろう。宿山の言っていた言葉も行動も、ただの演技である可能性はある。そして冬樹は徹底的に元盗撮魔を追い詰めるかもしれない。俺の知らないところで強請りをかける材料にもしかねない。
俺は、これから間違えた選択をするのだろう。
「陽代美、確認したいことがある。今回の件、俺に裁量を任されているんだよな?」
「……うん、そうだよ。キクが正しいと思った通りにしていいから」
我らが女王様へ心の中で礼を言う。
彼女たちから数歩離れて、天を仰ぐ。空は暗く、公園の照明だけでは心もとないが問題はないだろう。
「ちょっ、なにして――」
ノートパソコンを真上に向かって投げる。
今回の盗撮魔事件。はっきり言って不快なことばかりだ。
同じ高校に通う女子生徒、金を払った中年男、盗撮をした宿山という男。
悶々として、不快な感情を己の拳に全てのせる。
『バキィンッ』
殴り飛ばしたノートパソコンが地面を二転三転と転がる。
まだだ、まだこのパソコンは生きている。
昔兄から聞いたことがある。パソコンは中にある記録媒体が残っていれば、情報の抽出は可能なんだとか。
画面にひびが入ったパソコンを拾い上げ、両手で持ち上げ膝で折る。
『バキャ』
真っ二つになったパソコンを投げ捨てる。
『ガシャン』
地面に散らばった破片を踏みつける。
『グシャッ』
砕く。
『ベキッ』
死んだ。これでいい。
俺の行動を呆然と見ていた四人に向き直る。
「今回の件、これで終わりだ」
「――ッ、菊地ってば、そういうことをする人間だったのね」
なんとでも言えばいい。
額に血管を浮かばせた冬樹は公園から去る。そんな冬樹と俺を交互に見た陽代美は冬樹の後を追い、公園には俺と江夏と大秋が残った。どうやら冬樹を怒らせてしまったらしい。
そして俺も財布を取り出して歩きだす。
「キクっち、どこ行くの?」
「コンビニでゴミ袋を買ってくる」
不法投棄をしてはいけないのである。




