女王様とお昼寝
『サアアアアアア』
風呂場から聴こえるシャワーの音。
柴原先輩から教えてもらったラブホテルは、驚くほど簡単に部屋に入ることができた。
そして部屋には乾燥機付きの洗濯機も用意され、まるで雨宿りに来た客を狙ったかのように設備が充実している。ホテルの外観は年季を感じるが、部屋の中は綺麗にされており、パッと見ではビジネスホテルのような様相をしている。
違う点をあげるとすればベッドが大きいということ。そして謎の照明ボタンが複数あり、点けてみるとピンク色などの怪しげな色で部屋が演出されることくらいだ。
落ち着こう、一旦落ち着こう。
ここがどんな場所なのかくらいは知っている。
貸し出されたバスローブを身に纏い、部屋の中を右往左往していた足を止め、巨大なベッドに腰掛ける。
窓の外を見れば、先程よりも雨脚が強くなっており止む気配がない。しばらくの間はここに居座ることになるかもしれない。
「キク、次いいよ」
「あ、ああ」
シャワーを終えた陽代美と入れ替わるようにして風呂場へと移動をする。
その際、すれ違う彼女からシャンプーだかリンスだかの甘ったるい香りがして、身を硬くする。
意識してはいけない。考えただけでも頭がグラグラする状況だが、冷静な思考を心掛ける必要がある。
バスローブと濡れた下着を脱ぎ、シャワーを浴びる。
冷えた身体を温水が頭から足の先まで洗い流していき、少しばかり心が落ち着いた。
陽代美は、いま何を考えているのだろう。
俺がホテルへと誘ったときは一瞬驚いた表情をした。しかし、すぐに提案を受け入れ、ホテルに着いたあとも実に彼女は落ち着いていた。
俺とこんな場所に来て、嫌ではないのだろうか。それとも慣れているのだろうか。
彼女は学校内でも目立つギャルグループの一人だ。
男遊びをしている印象はないが、陽代美も年頃な女子だ。こんな場所に来たこともあるのかもしれない。
シャワーを止めて、用意されていた大きなバスタオルで身体を拭く。
「ぶほっ」
そして、とんでもないことに気が付いてしまった。
稼働している洗濯機近くにある、タオル掛け。そこに、いわゆる女性用下着があるのです。
ブラジャーがあるのです。パンティがあるのです。干してあるのです。
何をしているのですか、女王様。
俺が風呂場に来ることがわかっていただろうに、不用心にも程がある。
視線を外し、自分のパンツを絞り水気を抜いて履く。
そしてバスローブを着て、呼吸を整える。
部屋に戻ったら彼女とどんな話をしよう。同じ高校に通う学校内でも屈指の美少女が、男と女が愛を確かめ合う部屋で待っている。
俺だって男だ。このあと、どんなことが起きようとも、覚悟はできている。
「……」
部屋に戻れば、陽代美は寝ていた。
大きなベッドで仰向けになり、頭をタオルで巻き「スヤァ」と寝息を立てている。
そんな姿を見て脱力して再び思う、陽代美は不用心だ。少しくらい警戒して欲しい。
俺も男であり、その気になれば彼女が身に纏っているバスローブを剝ぎ取り、彼女を生まれた頃の姿にすることくらい訳はない。
さて、これからどうするべきか。と考える間もなく、俺の中では答えが決まっている。
寝る。
陽代美は寝不足だと言っていた、そして俺も朝からバイクを運転し多少の疲労感もある。
それにシャワーを浴びた影響か、心地良い眠気を感じる。
ラブホテルに来ておいて、女子に手を出さないとは男としてどうなのか。知ったことではない、眠いのだ。
個人的には食欲や性欲よりも睡眠欲が上位だと俺は思う。
そして童貞的判断により、広いベッドで横になる陽代美から少し距離を置き、俺も仰向けになって瞼を閉じる。
微睡む中で、ホテルに着いた時のことを思い返した。
フロントでは『休憩』と『宿泊』が選択できたのだが、その中に『昼寝』という選択肢があってもいいのではないだろうか。特に部屋を汚すことはなく、シャワーを浴びてただ寝るだけ。
しかし、昼寝のために数千円を払うなんて贅沢だな、と馬鹿な考えをしている間に意識は眠りに落ちていった。
***
『カシャ』
何かの音がする。
瞼を閉じたまま、意識を覚醒させ、寝起きの怠い身体に血が巡っていく感覚を確かめる。
『カシャ』
また音がした。
瞼を開ければ、寝ている俺のすぐ隣で陽代美が携帯端末を片手に座っていた。
「陽代美、何をしているんだ?」
「キクの寝顔撮ってた」
「……どうして?」
「なんとなく」
なんとなくと言われては仕方がない。
俺も飼い猫の寝ている姿をなんとなく写真に収めたことはある。きっと陽代美の心理状態も似たようなものだろう。
身体を起こし窓の外を見れば、雨は小康状態になっており、あと少し待てば止みそうだ。
陽代美の方を見れば、ニコニコとした表情で携帯端末を操作している。俺の寝顔写真に落書きでもしているのだろうか。
「キク、今日はありがと。雨は降ったけどすっごく楽しかった」
「……そう、か」
素直に喜べない。
俺は彼女から頼まれた通り、バイクの後ろに乗せて走っただけ。彼女を楽しませようと、気の利いた話もできていない。
彼女の安全のために色々な用品を買わせ、朝も無理して起きてくれたのに、結局雨に降られツーリングを中断する結果になった。
本来であれば、彼女に思う存分ツーリングを楽しんでもらう予定が狂い、申し訳なさが募る。
「ごめん、本当はもっと、色んな場所に連れて行きたかったんだけど」
「ん? どうしてキクが謝るの?」
「なんて、言えばいいのかな。昨日と今日、散々連れまわしておいて、結局こんな場所で雨宿りすることになって。それに俺は、あまり話をするのが上手くないから」
「キクの話が上手いかどうかって、なにか関係ある?」
「……昨日テレビで見たんだ。女の人は男の人に面白い話ができることが望ましいみたいな感じで、女の人が街頭インタビューで答えていたんだ。でも、俺は面白い話なんてできないし、さっきも陽代美に気を使わせたかなって思ってさ」
彼女とは友人であり男女の関係ではない。
だが、世間一般で楽しい話ができる男を求められるのであれば俺は男失格だ
すると、俺の発言を聞いた陽代美の目尻が吊り上がった。
「キク、インタビューに答えていた女の人、信頼してるの?」
「え」
「その人の名前は? 普段は何をしている人?」
「それは、知らないけど」
「だよね。どうしてキクは素性のわからない人の話が正しいなんて思ったの? 女の人が皆、話上手な人を望んでるって思うの?」
「えっと、テレビに出ていたタレントが、インタビューの結果に同意して、女の人はそうなのかなって思った、からで――」
「そうだね。確かに話が面白い人は魅力的だよ。でもね、キク」
「……うん」
「私を、その人たちと一緒にしないで」
何も、言えなかった。
力強い視線を向ける彼女は、何かを訴えるかのような表情をしている。
悪気はなかった。だが、陽代美を世間一般の女性と同じ枠組みとして捉えた俺の考えは、彼女の逆鱗に触れたようだ
「ごめん、そんなつもりじゃ、なかったんだけど」
「ううん、謝らないで。でもそっか、私ってまだキクの中ではそんな感じに見えるんだ」
「……陽代美、なにか気に障ったのなら本当にごめん」
「だから謝らないで、キクのそういうところ、よくないと思うよ」
「ごめ……悪い、昔から変わらずこうなんだ」
これまでの自分に自信が無いからか、つい相手を不快にさせてしまったと感じたら謝る癖が俺にはあった。
そのことを陽代美に指摘され、あまりの情けなさに頭を掻く。
しかし、陽代美は特に怒ることなく、吊り上がっていた目尻を下げ、柔らかい笑みになる。
「大丈夫、キクは変われるよ」
「俺が、変われる?」
「うん、だってキクは私のこと、バイクの後ろに乗せるの最初は嫌だったでしょ?」
「それ、は……」
「でもキクは私のことをバイクに乗せてくれた、考え方を変えてくれた、一緒に買い物に行ってくれた。さっきね、すっごく楽しかったって言ったのは、これまでのことを全部合わせての意味なんだよ。だから大丈夫、キクは変わっていけるよ」
彼女の言葉に、救われた気がした。
俺は勝手にツーリングが成功すれば陽代美が喜んでくれるものばかりだと思い込んでいた。しかし、違っていた。
買い物に行ったことも、ツーリングの予定を話し合ったことも、彼女にとっては楽しい一環だったのだ。
俺は、これから変わっていけるのだろうか。中学の頃にあらゆる物事を不要と投げ捨て、走ることしかできなかった自分が、誰かから必要と思ってもらえるような何者かに。
だが、こんな弱気ではまた怒られてしまう。なにせ、我らが女王様による保証付きだ。
「陽代美、ありがとう。なんか、よくわからないけど自信がついたよ」
「うん、いいと思うよ。キクはもっと堂々としていたほうがカッコイイよ。話が上手いとか、下手だとか、私はどうでもいいと思うし」
「そう、なのか? それにしても今日は陽代美に励まされてばかりだな」
「……今度は、私の番だから」
「え? なに?」
「なんでもないよ。それにキクも、私に何か言いたいことがあれば、自信を持ってなんでも言っていいんだからね」
陽代美よ、なんでもなんて言葉は使わないほうがいいぞ、という言葉は吞み込み彼女から視線を逸らす。
せっかく、なんでも言っていいと言ってくれたのだ。彼女の言葉に甘え、今言いたいことを言わせて頂こう。
「それじゃあ、一つ。陽代美に言いたいことがある」
「うん、なに?」
「もう少し警戒心を持って欲しい」
「どういうこと?」
「バスローブ、少し着崩れてるぞ」
「――ッ」
言いたいことを理解してくれたのか、彼女は俺から向きを替えて背を向けたようだ。
「……見えてた?」
「いや、見えてない。そろそろ乾燥機も止まってる頃じゃないか?」
「うん……着替えてくる」
そう言って陽代美は俺の方を見ずに風呂場へ向かった。
窓の外を見れば、丁度よく雨も上がっている。帰るなら今の内だ。
風呂場から出てきた彼女は、少し気恥ずかしそうにしながらもバイク用のジャケットを身に纏って部屋に戻ってきた。どうせなら、その羞恥心を下着を干す前に持って欲しかったのだが、今は何も言うまい。
「急いで着替えてくる。雨も止んだみたいだから」
「あ、待ってキク」
陽代美は風呂場へ向かおうとした俺のバスローブを慌てて掴んだ。
どうしたのだろうと思い、彼女に向き直る。
「実はね、昨日話そうと思ってたんだけど。キクにまたお願いがあるの」
少し、油断をしていた。
最近、我らが女王様から相談を受けることは無かった。また誰かから相談でも受けたのだろうと思い一つ溜息を漏らす。
「今度は誰からの相談なんだ?」
「違うの、今回は私と沙織からの相談」
「え、陽代美と冬樹から? なにかあったのか」
「うん……ハルミィを、助けて欲しいの」




