女王様とツーリング
日曜日の朝六時。
陽が昇る空を見れば、雲一つない快晴。今日はよく晴れそうだと思いつつ、陽代美との待ち合わせ場所である公園を眺めていた。
小学生の頃、子供食堂で出逢った子たちと、この公園で日が暮れるまで遊んだりしていた。その中には幼き陽代美の姿もあり、あの時から数年経った今、一緒にツーリングへ行くことになろうとは思ってもみなかった。
「……おはよう、キク」
「うん、おはよう」
ヘルメットを両手で持ち、眠そうな顔で公園に現れた我らが女王様。
昨日の打ち合わせ通り、用品を指定した通りに身に着けてきた彼女は俺の近くまで来て大きく背伸びをした。
「寝不足?」
「うん、ちょっと。昨日楽しみでよく眠れなかったから」
「そうか、それなら目を覚ますために朝の体操をしよう」
「へ? 体操?」
携帯端末を立ち上げ、大手動画投稿サイトから国民的体操の動画を選び再生する。端末をバイクのシートに置き、体操の構えをとる。
『デエンデッデデン、デエンデッデデン、テッテテッテテッテレン、チャラン』
「陽代美ッ、ちゃんと腕を上げないと体操の意味がないぞ」
「う、うん」
バイクとは危険な乗り物である。
教習所の教官も言っていたがバイクにシートベルトのような安全装置はない。自分の身は自分で守らなければならないのだ。そのため、身体が本調子ではない状態でのバイクの搭乗は危険が伴う。
一瞬の判断が命取りになる世界だからこそ、身体だけではなく頭の方も覚醒していなければ危険なのだ。
二人で体操を終えて、俺は陽代美にある贈り物をする。
昨日、彼女に内緒で買っていたグローブだ。
「陽代美、これを」
「どうしたの、このグローブ?」
「昨日買っておいた。サイズは多分大丈夫だと思うけど」
「……言ってくれれば自分で買ったのに。でも、ありがと」
彼女は俺からグローブを受け取り、色白い手にグローブを着用する。
贈ったグローブは手の甲と指先にプロテクターが仕込まれており、手の平には滑り止めがついている物だ。本来であれば、運転をしない彼女が身につける必要はないが、彼女が少しでも安全にツーリングができるように考えた俺のおせっかいだ。
父から貸してもらった膝用のプロテクターを彼女の細足に巻き、準備は万端となる。
俺が先にバイクに跨り、陽代美が足を載せる搭乗者用のタンデムステップを開く。そして彼女がステップに足をかけ、バイクが少し沈む挙動がして背後に彼女の存在を感じる。
「それじゃあ――」
そう言いながら、陽代美は俺の腹に手を回そうとした。
危ないところであった、彼女にはバイク搭乗姿勢を説明するのを忘れていた。
「待ってくれ。バイクの後ろに乗るときは操縦者の肩に手を置くんだ」
「そう、なの?」
「ああ、片方の手で俺の肩を掴んで、もう片方の手でバイクの本体掴んでバランスを取るんだ」
「こんな、感じ?」
「そうだ。そして膝で俺の尻を挟んでくれ」
「え、キクのお尻を、挟むの?」
「バランスをとるためだ。バイクはバランスが命だからな」
「こ、こんな感じ?」
「もっとだ、もっと俺の尻を強く挟むんだっ」
「う、うんっ」
陽代美はやや恥ずかしそうにしながらも俺の尻を両膝で挟んだ。
気持ちはわかる。俺も教習所では初老の教官の尻を膝で挟み、恥ずかしいと感じたこともある。しかし、これが大事なのだ。
操縦者と搭乗者が密接していては咄嗟のことに対応できない。もしも、バイクが転倒することになってもこの態勢であれば、バイクから離脱して陽代美は危機を回避することができる。万が一のためにも、恥じらいは捨てなければならない。
後ろに乗る彼女が教習所で習ったとおりの正しい乗車姿勢になったのを確認してバイクのエンジンをかける。
暖気が充分になったのを見計らい、クラッチを引きギアを入れてゆっくりと走り始める。
朝の住宅街を低い回転数で抜けていき、幹線道路に出たあたりでアクセルを徐々に回していく。
後ろに乗る陽代美も少し緊張しているようで、肩にかかる彼女の手から力強さを感じる。
そして俺も緊張をしている。初めて公道で後ろに人を乗せる、つまり我らが女王様の命を預かっている状況だ。細心の注意を払いつつも、力が入り過ぎないようバイクの操舵に専念する。
これから目指す先は守邦市から少し離れた峠道。
近場に住む二輪乗りからは長らくツーリングスポットとして愛され、俺も何度か走りに行っている馴染みの道である。峠道を進んだ先には道の駅があり、最初の目的地として道の駅を目指すことにしている。
幾つかの信号を抜けて、峠道に入る。
二車線の道は所々跳ねる箇所があり、後ろに乗る陽代美に負担が掛からないよう峠道を進んでいく。
セミの鳴き声、風になびく木々、その合間から零れる日の光。そんな光景や音がバイクが進むのに合わせて視界から流れ、新たな景色に移り変わっていく。
ヘルメットの中には森林を感じさせる青々とした香りが充満し、自然の雄大さを感じながらコーナーに合わせて身体を倒し、上り坂を昇っていく。
そして目的地まであと少しといったあたりで、サイドミラーで後方からのバイクの接近に気が付く。
車種まではわかないが、適切な距離を保つ二台のバイク。煽られているわけではないが、後ろを走るライダーも同好の士。
そこで見晴らしのいい直線まできて左ウインカーを出して車体を道路の左側に寄せる。
後方を走っていた二台のバイクは、左手でこちらに御礼のサインを出しつつ俺たちを抜き去り駆け抜けていく。
ツーリングスポットではよくある光景だ。状況によって譲り合い、ツーリングに来た誰もがそれぞれ楽しめる速度で道を駆けていく。昔父が『大人になるには譲る、譲らないの境界を見つけるところから始まる』と言っていたことをこの時思い出した。
そして、目的地である峠と峠の間にある道の駅に到着した。
駐車場で二輪専用のスペースに車体を停止させ、一息つく。無事にここまで来られたことに安堵しつつ、後ろに乗っていた陽代美をバイクから先に降ろしエンジンを切る。
「陽代美、酔ったりしてないか?」
「うん、大丈夫。バイクって凄いんだね、風とかすっごく気持ちよかった」
ヘルメットを脱いだ彼女は楽しそうにツーリングの感想を俺に話してくれる。
道中に見た景色、肌で感じた夏の風。彼女にとっては初めての体験だったらしく、今日一緒にここまで来れてよかったと思った。
「飲み物買ってくるね。キクはなにか飲みたいものある?」
「それなら俺も一緒に行くよ」
「大丈夫、キクは休んでて」
「ありがとう、それじゃあ緑茶を頼めるか?」
「うん、わかった」
彼女の言葉に甘え、俺は近くのベンチに腰掛け一休みをする。
正直なところ少し疲れていた。普段、一人で走る時とは違い細心の注意を払いながらの走行の影響か、肩や首が凝り固まっている。
座った状態で上半身をほぐし、立ち上がって伸びをしていると後ろの方から声をかけられる。
「やっほう、菊地くん。ほら見ろ阿久津、やっぱり菊地くんだったじゃん」
「別に疑ってた訳じゃねえだろ」
「あれ? 柴原先輩、阿久津先輩。どうしてここに?」
声をかけてきたのは、同じ守邦高校に通う三年の先輩二人だった。
橙色の髪で守邦高校では仕切り役と呼ばれ、あらゆる問題を解決に導く柴原先輩。
その柴原先輩の右腕と呼ばれ、クラスメイトである大秋の彼氏でもある巨漢の阿久津先輩の二人が、片手に缶コーヒーを持ち俺の傍まで近寄ってきた。
「菊地くん、さっき俺らに道譲ってくれたんだよ。気が付かなかった?」
そう言いながら、駐車場の隅を柴原先輩が指し示す。
そこには道の駅に来る前に道を譲った二台のバイクが並べられていた。
「そうだったんですね、気が付きませんでした」
「ま、無理もないよね。ヘルメット被ってたし。それにしても菊地くん、莉愛ちゃんとツーリングデートとはやるじゃん、どうやって口説いたの?」と、柴原先輩が自動販売機に向かう彼女の後ろ姿を見る。
「いえ、違いますよ。陽代美から後ろに乗せて欲しいって言われて――」
「アハハッ、そうなんだ。阿久津とは大違いだな、亜由ちゃんが聞いたら嫉妬しそうじゃん?」
「うるせえな。俺は後ろに人を乗せねえ主義なんだよ」
柴原先輩が阿久津先輩をからかうなかで、再び二人のバイクに視線を向ける。
一台はキック式で有名な単気筒エンジンのクラシック型のネイキッド。もう一台は一目で分かる大型のネイキッドで、搭乗者が座るシートは漢のシングルシートに取り換えられていた。
「あの大型、阿久津先輩のバイクなんですか?」
「ああ、最近買い換えたばかりでな」
「いいよなあ、阿久津は誕生日が早くて。それでさ、菊地くんはこの後どこ行くの?」
「特に決まっていませんね。道の駅周辺を散策しようかと思ってますけど」
とりあえず道の駅まで、という当初の目的は達成された。
陽代美の希望があればその通りにしてもいいが、今回のツーリングは全般的に俺に任されている。
「ふふん、それならこの柴原先輩がいいことを教えてあげよう」
「いいこと?」
「ここから少し行ったところにさ、高校生でも簡単に入れるラブホテルがあるよん」
「あの、俺と陽代美はそういう関係では――」
「大丈夫だって、少し疲れちゃったなあ、どこかで休憩したいなあ、なんて言えばオッケーしてくれるって」
困った先輩だ。
陽代美とは友人関係であり、手を出そうなどという気は毛頭ない。
異性として見ていないとまでは言わないが、彼女からは信頼できる人とありがたい言葉を頂戴している。裏切るような真似はしたくはない。
「気にすんな菊地。シバのやつ、普段は先輩なんて呼ばれねえから調子に乗ってるだけだ」
「阿久津、なんでそういう言い方しかできねえかな。後輩からも親しまれやすい優しい先輩って言えよな」
「自分で言うな、阿保な先輩と思われるぞ」
言い争う二人の先輩を見て、いい関係だなと感じた。
互いに悪態をつきながらも、その表情は明るい。きっとお互いを信頼しあっているのだろうと思い、二人の言い争いを少しの間眺めていた。
そして手に持っていた缶コーヒーを飲み干した二人は、近くにあったゴミ箱に缶を投げ入れる。
「そんじゃ、俺たちはお先に帰りますか」
「え、もう帰るんですか?」
「うん、俺は昼からバイト。阿久津は亜由ちゃんとデートだってよ」
「ただの買い物だっての。それと菊地、まだこの辺りを走るってんなら気をつけろよ。今はまだ晴れちゃあいるが、今日は雨が降るかもしれんぞ。山の天気は変わりやすいからな」
「でたっ、阿久津天気予報。意外と当たるんだよなあ」
「雨、ですか」
空を見ても、出立前に比べれば雲は多少出ているが、まだ十分に晴れている空模様に疑問を抱く。
「じゃあね、菊地くん。また学校で」
「はい、お気をつけて」
手を振る二人の先輩を見送っていると、入れ替わりに陽代美が戻ってきた。手にはペットボトルの緑茶を二本抱え、不思議そうな顔をしている。
「キク、今の柴原先輩と阿久津先輩?」
「うん、二人ともツーリングに来ていたみたいだ」
「そうなんだ、挨拶しておけばよかったな」
陽代美と話をしていると、駐車場を二台のバイクが駆けていき、柴原先輩がこちらに右手を振るのに合わせ二人で会釈をした。
駐車場から去った二台のバイクを見送り、陽代美とベンチに座り緑茶に口をつける。
「三人でどんなお話をしていたの?」
「え、ええっと、バイクの話とかかな」
「そっか、先輩たちバイク好きだもんね」
言えない。
この後、ラブホテルに行くことを勧められたなんて言える訳がない。
陽代美と雑談をしつつ緑茶を飲み終えた俺たちは、道の駅に併設されたお食事処で軽い昼食を摂ることにした。
そこで食事を待つ間に、陽代美にあるお願いをする。
「陽代美、頼みたいことがあるのだが」
「うん、なに?」
「俺がバイクに乗っていることは誰にも言わないで欲しい。というか、もう他の誰かに言ったりしたか?」
「ううん、言ってないよ。でもそうして?」
「それは……バイクの後ろに乗せるのは特別なんだよ」
「――ッ。わかった、特別なんだね。誰にも言わないよ」
「あ、ありがとう」
上手く説明ができないため、特別といった言葉で濁したつもりが陽代美はあっさりと俺の頼みを了承してくれた。
もしも、また別の誰かに後ろに乗せろなんて言われたてはたまったものではない。バイクの後ろに乗せるのは我らが女王様だけで充分である。
食事を終えて店を出た頃には、道の駅の駐車場には家族連れが多く訪れており日曜日の賑わいをみせている。
「この後どうしようか、陽代美はなにか希望はあるか?」
「うん、もっと色んな所を観てみたいな」
「それならこの近くに湖があって、ツーリングスポットって呼ばれている場所があるけど」
「いいね、じゃあそこにしよ」
我らが女王様はご機嫌な足取りで道の駅を歩きだす。
阿久津先輩が言っていた天気も気にかかるが、空を見ても晴れの天気は続いている。
これなら大丈夫だろうと思い、再び彼女を後ろに乗せ、道の駅を後にする。
道の駅近くにある湖は観光スポットでもあるが、今日は道も空いており、軽快に道中を進んでいく。
太陽の光を写し出す湖の水面に気を取られながらも、湖の周囲をバイクで駆けていく。
しかし、
『ザアアアアアアアアアアアアアアアアア』
途中で雨に降られてしまった。
振ってきた水滴を確認した俺は、急いで湖近くにある駐車場へ入り、屋根のあるバス停まで避難をしたが、すでに全身ずぶ濡れなってしまった。あれだけ晴れていたのに、と思う一方、天気が崩れることを予想した阿久津天気予報恐るべしである。
避難したバス停は既に使われていないのか、時刻表などは撤去され、夜にでもなれば森の妖精が姿を現しそうな様相をしている。
木造の屋根からは雨漏りが激しく、雨宿りのつもりがさらに身体を濡らしていく困った状況になる。
「くしゅんっ」
隣にいる陽代美がくしゃみをする。
失念していた。彼女の安全に気を取られるばかりで、雨対策の雨具を準備していなかった。
このままでは陽代美が風邪を引いてしまう。
どうしたものか、と考える前に先輩の言葉を思い出し葛藤する。
非常事態だ仕方がないと考える一方、陽代美が嫌がればこの後の関係が気まずくなる。
隣にいる彼女は唇を震わせ、寒そうにしている姿。
七月とはいえ、標高が高い山間部では身体も冷えてくる。陽代美は白いヘルメットを膝の上に乗せ、昨日張ったステッカー部分を撫でている。
そこで俺は、覚悟を決めた。
「ひ、陽代美ッ」
「うん?」
「今から……その、ホテルへ行かないか?」




